2014年11月21日

3歳娘殺害:「川に落とした」24歳母逮捕 新潟・燕

シングルマザーの子供が内縁の夫に殺される。という事件は、生物のオスの習性として理解できる(許されるという意味ではない)。が、母親が腹を痛めて産んだ子を殺すというのは、他の生物でみられる現象ではない。一体、どういう理由で、こんな事が起こるのだろう。というわけで、色々考えたりしてみた。

その前に、シングルマザーの方から説明しとくと、、、、季節繁殖によらない繁殖を行う社会的な種において、生殖上の利害の対立から生じた結果である・・・メスの子供を新しい繁殖相手のオスが殺すことによって、メスはより早く繁殖可能状態を回復し、そのオスが自分自身の子供を作ることが可能となる・・・からである。


これに関しては、「乳首を吸う頻度は?」「アマージ錠2.5mg」あたりでも触れてるんだけど、子育てやってる時のメスは妊娠できないから、その子供を殺して、子育てから解放し、自分の子を宿させるって仕組みだ。人間の場合は、そんな簡単な話じゃないのはわかってるけど、ベース(脳の辺縁系)にあるのは間違いないだろう。ただし、ギリシャ神話や聖書や記紀をみても、自分の胤じゃない子供を殺す話はほとんど無い※ので、歴史以前から大っぴらに語れる行為ではないことは間違いない(秘密裏に実行せざるを得ない状況でのみ行われたようだ)。

※アウリスのイピゲネイアは、アガメムノンが我が子を生贄にする話だが、強奪のごとく娶った妻の前の夫の子だった可能性を残して、別の怖さの話にもなっているから、このテーマとは合わない。


でも、大っぴらに語れない行為というのは、後天的に獲得した価値観(オスの社会が作り上げた)だと思われるから、この辺が≪母親による実子殺し≫を考えるヒントになるのかも。


下の引用は、内縁の夫による子殺しの背景

どうして、ある種の動物の大人のオスは子供を殺すのか?(Why some male animals kill infants)

Science November 14 2014, Vol.346

いくつかの動物種の社会的行動において最も忌まわしい事柄の一つは、大人のオスが子供を殺すことである。

LukasとHuchardは、ネズミからマングース、コウモリから熊に至る多種多様な社会的システムを有する哺乳類のグループを観察した。

オスによる幼児殺しの行動は、季節繁殖によらない繁殖を行う社会的な種において、生殖上の利害の対立から生じた結果であるらしい。

メスの子供を新しい繁殖相手のオスが殺すことによって、メスはより早く繁殖可能状態を回復し、そのオスが自分自身の子供を作ることが可能となる。

進化的には、メスによるたった一つの効果的な防御方法は一妻多夫になることである。

すなわち、複数のオスとつがいになっているメスになることによって、どのオスもそのメスの子供が自分の子供かそうでないかを見分けることが困難になるからである。

The evolution of infanticide by males in mammalian societies (Science, this issue p. 841)

さて、タイトルの母親による実子殺しの件

3歳娘殺害:「川に落とした」24歳母逮捕 新潟・燕

毎日新聞 2014年11月20日 23時49分(最終更新 11月21日 01時09分)

 3歳の娘を川に落として殺害したとして、新潟県警捜査1課と燕署は20日、同県燕市吉田堤町、事務員、佐藤あゆみ容疑者(24)を殺人容疑で逮捕した。

 容疑は19日夜、同市吉田浜首町の西川にかかる橋の欄干から長女心優(みゆ)ちゃん(3)を落として殺害したとしている。容疑を認めているという。

 同署によると、佐藤容疑者は20日午前10時ごろ、同市内の病院で「目を離したすきに娘がいなくなった」と話したため、同署が病院や付近の川などを捜索。午後3時ごろ、橋から約1キロ下流で心優ちゃんが遺体で浮いているのを発見した。

育児に疲れて、我が子を殺そう・・・と思い詰めた女性は少なくないと思うのだが、実際は、なかなか実行できるものではない(女性じゃないから、ホントはよくわからない。性淘汰の書物を読むと、自分の利益が最大限になる為なら、産んだ子も殺す場合も考えられるのかもしれないが・・・ドーキンスによれば、生体は遺伝子の乗り物だから、自分のコピーが少なくなる方向の選択は考えずらい)。

ヒトは集団で生きていく事で、自分たちの利益を最大化した。採集、狩猟、のちに出現する園芸、農業は、集団行動のメリットが活かされる。その為、ヒトは地球上に数を増やしたのだが、増えれば当然、色んなことが起きる。得手不得手もある。掟を作って、大同小異、ほどほどに折り合いをつけるようになる。

生産性が向上し、スケールメリットが出てくると、役割分担が始まる。身分制度が出来上がる。余裕が出来ると「人間らしく生きるためには」などの思考を始め、道徳、宗教が出来上がる。

他人より、良いポジションを得たいために、我が子を良い地位につけたいために、他者に良く思われようとし、予め教育を施すようになる。個体間に差が出る。幼いころから将来が見えるようになる。

将来が自分の思い通りにならない状況では、厭世的になる個体も出現する。

現代では、他者に良く思われたい気持ちは、羨ましがられる気持ちとも重なる。子育て中でも遊びに出かけ、余裕があると思われたい。綺麗でいたい。他の男からも選ばれたい。他の女に勝ちたい。

子供の無い時代に出来ていたことが出来なくなることに劣等感を抱き(他者と自分との比較)、自分の楽しみ(利益)に対して評価できなくなる。他人の楽しみ(みんなでワイワイ)が、自分のそれよりも良いものだと感じる。あるいは、自分の周りの子育て中の母親と自分を比較し、自分に出来ていないことばかりに注意が向くようになる。

さらには、夫の胤より、不倫の胤の方が、将来、(金銭的)メリットが大きいかもしれないと考えたりして。


と、思いつくままに、書いてみたのだが、、、、、よくみれば、なぁ~んだ、どれもこれも、ヒトが多すぎるために起こることで、情報が多すぎることで起こりそうである。


「必要とされる前に価値がある情報は無い」とは、普段、薬学生へのレクチャーで耳にタコが出来るほど言ってることでもあるのだが、母親がホントに困る前から、知らないがゆえに不満が無い状況にあるときから、あれやこれやと情報の洪水で溺れさせ、知らないこと、出来ないこと、に対して不安をあおっている結果のようでもある。

結局、母親の実子殺しは、自分の価値観を信じられなくなるような、自分の価値観で生きていくと損をするような気にさせる、現代の教育環境に行く着くのかもしれない。

価値観は、人それぞれあってよいのは、生物学的な多様性がホモ・サピエンスが栄える為に必要なのもにも関わらず、そのことを教えず、道徳的、人道的な教育ばかりを優先させた結果、多様性が失われ、画一的になってしまったのではないだろうか。


というわけで、私は、小学校、中学校、高校と生物学を必修として、生物の持つ残酷な一面も隠さず(そもそも、世の中は弱肉強食ではなく適者生存なのだが、それとて、たまたま不適切だった個体には悲惨なハシナであるが、「どうして、悪い事もしてない私がこんな目に」などという気持ちにはならずに済む)、いかに、多様性のある価値観が大切かを教えることから始めたいと思っているのだが、どうだろうか?

2014年04月11日

クリゾチニブのS体にこんな作用があったとは!

久しぶりに、ちょっとだけ興奮しました。

クリゾチニブのS体にこんな作用があったとは!って。

というより、作用点が違うから、S体は別の薬のハズなのに、結局、同じような病気に使える薬だった・・・・ってゆー、小説ってゆーか、笑い話のような話。

クリゾチニブといえば「ALK融合遺伝子陽性の切除不能な進行・再発の非小細胞肺癌」というレアな病気にしか使えない薬だ。

ここで、おさらい。

ALK融合遺伝子、正式?には“EML4-ALK融合遺伝子”と呼ばれ、染色体転座によって“生成”される、本来はあり得ない遺伝子。

増殖因子受容体である ALK と 微小管会合たんぱく質の EML4 が融合することにより、リガンド無しでチロシンキナーゼ活性をもつ増殖因子受容体として機能してしまうことにより、細胞が増殖し続ける原動力を担うものだ。クリゾチニブはこの活性を抑制する。

全肺がん患者の5%程にしかみられないため、レアと表現したが、若年肺腺がんの約3割を占め、非喫煙者に多いという特徴がある。

ターゲットが明確な為、フィラデルフィア染色体を持つ白血病のように薬物治療が奏功しやすいと考えられている。このような、本来、正常な細胞には存在しないターゲットに働く薬を(狭義の)“分子標的薬”と呼ぶ。

ターゲットがはっきりとしている事と、“分子標的薬”という名前のイメージから、他のターゲットがあるようには思えない“思い込み”が今回の根底にある。

立体異性体は、分子式は同じでも3次元構造は違うのだから、ターゲットとなる蛋白質への親和性が違うのは直感的には分かるし、もしくは、全く結合できない場合がある事も理解はでき、全く別のターゲットに結合する場合もあるのもわかる。

そして、別のターゲットに結合する場合は、いわゆる“薬効”は想定できない。

そんなこんなで、全く別のターゲットに結合しているにもかかわらず、同じ“抗がん剤”として使えそうというのには、、、、いささか、ビックリしてしまったわけだ。

医薬品業界では、光学異性体をより分け、より“効く”医薬品として販売する例が、過去にもあった。「タリビッド」から「クラビット」なんかがその嚆矢だ。この場合は、光学異性体でも働きは同じだったが、全く関係ないところに作用してるにもかかわらず、結果的に同じ“抗がん作用”。。。

そう、可能性としては考えられるけど、実際、見たこと無いUFOとか宇宙人とかと一緒なわけだね。


さて、S体のそのターゲットだけど、、、、「MTH1」っていう、損傷した塩基(酸化されたヌクレオチドを分解することで)のDNAへの取り込み防止に関わっているタンパク質らしい。

まずは、こちらを。

がん: MTH1はRasに関連するがん治療標的である

Nature 508, 7495

2014年4月10日


がん遺伝子Rasに生じた変異は予後不良と関連する。

MTH1は、損傷した塩基のDNAへの取り込み防止に関わっているタンパク質で、その過剰発現はRasが誘導する老化を阻害することが知られていた。

T Helledayたちは、損傷したデオキシヌクレオチド(dNTP)ががんを促進する仕組みを解明する研究を行い、MTH1の活性が形質転換細胞の生存に必須であることを明らかにし、MTH1の低分子阻害剤としてTH287とTH588の2つを見つけた。

これらの加水分解酵素阻害剤の存在下では、がん細胞だけがそのDNAへ損傷ヌクレオチドを取り込み、その結果として細胞毒性が生じてマウスの異種移植がんモデルで有益な応答が誘導された。

一方、G Superti-Furgaたちは、Ras依存性がんで使用するために開発された低分子薬SCH51344の標的を探索し、この分子がMTH1を不活性化することを見いだした。

この結果からさらに、MTH1の新しい強力な抑制剤で鏡像異性体選択的に働く(S)-クリゾチニブが見つけられた。

大腸がんの動物モデルでは、この薬剤が存在すると腫瘍増殖が抑制される。


Article p.215
doi: 10.1038/nature13181
Article p.222
doi: 10.1038/nature13194


T Helledayたちは、MTH1 を最初からターゲットにした TH287 と TH588 を開発し、G Superti-Furgaたちは、機序が不明ながら、抗がん作用のある SCH51344 と名付けられた化合物のターゲット探しから MTH1 にたどり着き、その結果から、 s−クリゾティニブに辿りついたということだ。


実は、恥ずかしながら、私、この「MTH1」は今まで知らなかった。

多分、まだまだ、私には知らないことの方が多い。しかし、だからこそ、この分野は面白いんだと思う。

というわけで、「MTH1」を調べてみた。

「MTH1」の研究では、九州大学の中別府雄作氏が有名らしい。「MTH1」で検索すると、最初にヒットするのが、氏らの「蛋白質 核酸 酵素」に掲載された総説だ。

http://lifesciencedb.jp/dbsearch/Literature/get_pne_cgpdf.php?year=2005&number=5008&file=DsiW8Mrs7Mq2IoztxV/Efg==

簡単に言うと、MTH1の機能は、核酸の酸化された状態を改善する役割をになってる。

がん細胞はその環境からさまざまなストレスにさらされており、酸化された核酸を遺伝子に取り込むと、細胞は死ぬ。これを防ぐ一つのメカニズムとしてがんではMTH1分子の発現を上昇させて、生存を維持している。

だから、その機構を抑制してやれば、、、がん治療の補助薬として使えそうだと、2005年の段階で指摘している。

この総説で気になるのは、脳腫瘍で上の事を考察しているのだが、正常な脳組織では、MTH1 は発現しておらず、パーキンソン病で高発現しているという下りだ。

中別府氏は、パーキンソン病のドーパミン神経細胞では酸化ストレスが更新していることが知られ、種々のヌクレオチドや DNA の酸化による有害な影響を排除する目的で発現が誘導されてるのでは、と書かれている。


本当だとすると、MTH1 を抑制する薬は、パーキンソン病患者には使えないということだし、MTH1 を高発現することで恒常性を維持している組織では、副作用として出てしまうかもしれない。

が、、、どちらにしても、MTH1 を過剰に抑制すると、OGG1(DNA に蓄積した酸化ストレスを取り除く別の酵素)とダブルノックアウトした細胞に見られたように、細胞へのダメージが強すぎて死んでしまいそうなので、病気としての“がん”だけにはならないようだけど。。。

2014年04月04日

ヒト繊維芽細胞から作製された肝細胞

そうなんだよなぁ!!

多能性幹細胞は“生物学的”には、非常に非常にとっても興味深いものなんだけど、医療への利用となると、この論文にあるような細胞の方が、断然、イイんだよなぁ。

ようするに、ワープロ機能が欲しい時、パソコンに“ワープロソフト”をインストールしてワープロとして使うか、ワープロ専用機を使うかのどちらかなんだけど、その“機械”をワープロだけにしか使わないとすれば、パソコンはいらない。

肝臓を再構築するだけなら、なにも、パソコンに“ワープロソフト”をインストールするより、最初からワープロ専用機を使った方がイイ。

パソコンは、汎用性を求めるあまりワープロとしては使い勝手が悪いからね。

iPS 細胞は、まさに、パソコンであり、その汎用性から期待されてるんだけど、そのままでは人体に移入できない。分化させて(肝臓の細胞にさせて)からでないと“いろいろと”マズイからそうするんだけど、分化させちゃうと、今度は増えて欲しい時に増えてくれないってジレンマ。

“いろいろと”マズイってのは、iPS 細胞のまま移植して“筋肉”に分化したんじゃ具合悪いし、なんだかわけわかんない細胞の“塊”になっちゃったんじゃ、ヤバいってこと。

その為、確実に“肝臓の細胞”になってくれる、この論文の細胞がイイわけ。もっとも、生理的に“必要なときに増え”なくてもいい組織や臓器の細胞なら、今回とは違う視点で考えなきゃならないだろうけど。

Nature 508, 7494

2014年4月3日


これまでの研究で、ヒトの胚性および誘導多能性幹(iPS)細胞から肝臓細胞を作製したことが報告されているが、そうした細胞を用いて肝臓組織を再生させる試みには、移植細胞が増殖しないことが障害となってきた。

今回H Willenbringたちは新しい戦略を取り、ヒト繊維芽細胞を成熟肝細胞に変換させて、マウスの肝臓を再生させた。

この方法では、ヒト繊維芽細胞を誘導万能性状態(induced pluripotent state)まで到達させず、誘導多能性前駆細胞(iMPC;induced multipotent progenitor cell)状態に再プログラム化する。

著者たちは、iMPCから、内胚葉前駆細胞(iMPC-EPC)を得て、移植後に成熟して増殖できる代理肝細胞を作製した。

この研究は、in vitroで作製されたヒト肝細胞によるマウス肝臓の顕著な再生が実現可能であることを実証しており、この系がヒト肝疾患の自家治療の研究モデルとして有望であることを示している。


Letter p.93
doi: 10.1038/nature13020


ところで、一般的な話として、移植後、様々な種類の細胞の塊に成長するというのはテラトーマ形成能のことを指している。

ES細胞やiPS細胞を未分化のまま移植するとテラトーマ=奇形腫になる。

生物学的な研究としては、このテラトーマ形成能があることが、いわゆる多能性とか、俗にいう万能性とかを確認するひとつの手段となっている。

もちろん、STAP 細胞も、テラトーマ形成能がある。

その一方で、その技術を医療に応用したら、分化させたはずの集団に、もし未分化の細胞が混ざっていたらがん化しちゃう場合も考えられるじゃん、てのが以前から言われている問題点ってワケだ。

でも、iPS細胞でテラトーマを作らせると、移植された個体がもつ免疫の攻撃を受けて「塊」(腫瘍)ができにくいということが報告されている。iPS細胞には、後から“がん遺伝”をぶち込む為か、免疫系に対して「自分、がん細胞なんですけど、なにか?」って言ってるようなもんだから、免疫系に排除されちゃうのだろう。

、、、、マスコミあたりでは、テラトーマ形成能の実験報告と、再生医療でやろうとしている「分化させた細胞の移植」の話をごちゃ混ぜにし、(倫理的にも)頓珍漢な理論を展開しているのはおいといて、、、

だから、iPS 細胞を臨床応用すると、がん細胞になりやすいから「ヤバイ」って主張する人と、その性質で危険な細胞は排除されやすいんだから「ES より安全」って主張する人に分かれる(絵は、人間の認識や価値観に絶対はなく、いつも相対的ってゆーか、不安定を示したつもり。右目はブルーに見えるけど実際はグレーで左目と同じ)。

かと言って、人じゃES 細胞は倫理的に問題ある。

そこで、STAP 細胞が登場した、、、んだけど、、、、、現時点では、STAP 細胞は、本来の意味とか、存在意義とかからはかけ離れたところで“人気者”になっている。以前には、iPS 細胞とどっちが優れているかとか、大衆が喜びそうな質問したりして。


ハッキリ言って、STAP 細胞論文疑惑は小保方さんを悪者にして終わらせられる問題じゃない。こんなことで、iPS 細胞やES 細胞に変わる多能性幹細胞の研究にお金が回らなくなることが、一番の問題だからね。

それに、確実な臨床応用を望むなら、マスコミは、世間をビックリさせられるような論文じゃなく、Nature 508, 7494 に掲載されたコツコツと努力しているこのような論文を、もっと多く取り上げるべきだと思うな。

2014年03月19日

『STAP 細胞』騒動で知った事やその他の関心事・・・・

RAG は、 V , J , D の分節に接して存在する RSS (recombination signal sequence) を認識し、DNA 二重鎖切断、断端への塩基の欠失と挿入の後、再結合される。

実は、私は、大きな勘違いをしていました。T細胞受容体の遺伝子再構成について。なるほど、本当に“再構成”だったんですね。私は、シーケンスの一部が部分的に選択されて、不要なものは捨てられちゃうってイメージしていたんです(恥ずかしい・・・でも、昔の教科書にはそんな図が載ってたような・・・)。


世間では、いろいろと大騒ぎしてますが、私は、「なるほど、そういうことだったのね。勘違いしたまま死ぬところだったぜ!」と一人、世間様とは少し違うところで喜んでます。


さてさて、T細胞は、分化しきった細胞の代表格である。なぜならT細胞は分化するとT細胞受容体遺伝子に特徴的な組み換えが起こるから。。。。ハイハイ、わかってますよ!!

んで、STAP 細胞を作る材料としてT細胞を利用した場合、そのT細胞受容体遺伝子に再構成が認められれば、一度T細胞に分化していた細胞から出来上がったことの決定的な証拠となる。。。。うんうん、それで!?

Nature に掲載された論文では、Oct4陽性細胞(STAP細胞)の細胞塊のT細胞受容体遺伝子についてPCR法で解析したところ、遺伝子の再構成が確認されたとのこと。。。おおっ!どっかに紛れ込んでた幹細胞じないんだ。。スゲェ!成熟T細胞から幹細胞が作れたぁ~本物じゃん!

しかし、その後、公開された実験プロトコルでは、「この方法だと再構成は認められない」って。。。オイオイ、何を言い出すんだ。それじゃ、根本的におかしいだろ?それじゃ、T細胞から作れた証拠になんないじゃん!


ってのが、事の真相だと、何処かで目にしましたが、マスコミは、いつもの調子で頓珍漢なのは、ご愛嬌でしょうかね。


最近、マスゴミ叩きも飽きてきてます。どうでもいいやって感じですね。

んで、小保方さんたち、T細胞を使わなけりゃ、良かったのにねぇ・・・・・。とは、素直な感想。でも、他の成熟した細胞からだと、絶対的な証拠を示せとか、いろいろあるから難しかったのかなぁ。

私の素人の直感では、成熟細胞から幹細胞への過程はあるっておもうんだけどねぇ。

小保方さんに対しては、いろいろと意見はあるかと思うけど、研究者だって人の子、生活しなきゃならんわけだし、いろいろあるんじゃないのかな。まぁ、いいけど。


話は変わって、、facebook の方にも書いたんですが、Aston Martin の車検代。

今、私のとっての一大関心事はコレです。

部品の高さに「さすがアストン」と唸ってばかりはいられません。ハッキリ言って、大変です。

車検を通すだけならなんとかなるんですが、交換推奨部品を純正品でやるとなると、開いた口が塞がらなくなります。そこで、ジェネリック医薬品、、、もとい社外品で見積しなおしたのですが、なにぶん、アストン、市中に出回っている台数の圧倒的な少なさが災いして、社外品が無い・・・・・。見積に手間取ってます。

こんなことなら、BMW にしておきゃよかった・・・なんて思うものの、やっぱ、車を前にしちゃうと、一瞬で吹き飛ぶんですよねぇ。後悔なんて。アストンは最高です。それに、、、、、

どこかの車雑誌で、その雑誌のライターさん、椎間板ヘルニアで歩けないほどになっちゃったものの、投稿の期限は迫るしで泣きが入っていた。しかし、ランボのアヴェンタドールの試乗レポートだけは、無理をしてでも、、、、って、乗ったら、坐骨神経痛がぴたりと止まったのだそうだ。

彼なりに考えたところによると、この鎮痛効果は、チープな車と違いシートの出来もさることながら、精神的な高揚感、、、、ドパミンがどうの、アドレナリンがどうのとかいてあったのだが、、、、、、まったく、それは言える!!!

自分も“椎間板ヘルニア”もちで、最近椅子に座ってる時間が長いせいか、臀部の痛みと足のしびれがきているのだが、アストンに乗って、エンジン回転4000回転以上に上げるとピタリと止まる。

医療機器としての効能もあるのだ。アストン・マーチン。

なんちゃって。


最後にもひとつ。先日、子猫をもらってきました。我が家のアイドルです。名前は「ルー」。比類なきかわいさは言うまでもありません。

ただ、まだ、誰にもなついておらず、毎日、リビングのパソコンの後ろに隠れ、全員が寝静まった頃に活動開始。夜中にご飯と排便、排尿を済ませてる模様。排便、排尿はしつけることもないのに、“にゃんとも清潔トイレ”にて用足し。

娘曰く、「ルーは天才じゃん」。。。。11歳にして親ばかぶりを発揮してます。

2013年11月08日

医薬品ネット販売規制について思うこと

現代社会においては、医療情報は“波動方程式”であり、我々は“シュレーディンガーの猫”である。

我々の運命(生きるか死ぬか)は、観測して(死なずにすんで、あるいは死んでしまって)初めてわかるのだが、観測するまでは確率でしか表せない。

これは、医薬品の副作用発現においても、全く、同様である。


量子力学をコンピュータ技術に応用する場合、多数の猫をコヒーレントに制御する事が肝心だが、この“価値観”を医療に置き換えてみると、“波動方程式”は個々の人間の未来の状態を予測するものではなく、国や行政といった立場にとって重要な情報だということが見えてくる。

国民全体として、副作用の発生率(発生件数)が少なくなる為には、大変、力を発揮する情報なのだが、個々の人間にとっては、何の役にも立たない(エビデンスとはそういうもの)。

当たり前だけど、生きてる猫と死んでる猫が重なって存在することは無いからである。


医薬品をネットで販売することに“反対”の立場の人の中には、規制緩和を個人における薬害(副作用発現)の助長と混同している人がいるが、あれは、完全に思い違いをしている。

店頭で薬剤師が薬を買いに来た人全員に販売拒否すれば薬害は防止できるが、販売した時点(必ず飲むと仮定して)で“シュレーディンガーの猫”になるからだ。

薬剤師による店頭での情報提供は、お客さん個人の副作用発現率を低下させるものではなく、もし薬害が減ったとしても“買うのがめんどくさい”為に、薬を買って飲む人の人数が少なくなる為の結果である。

国の立場からは、薬害発生件数が少なくなれば、それは行政的に正しく、“勝った”事になる。が、、、

国民一人一人の立場からは、薬害は、パーセントではなく、「0」か「100」だ。医薬品の情報がこれに介入することは無い。飲まなければ「0」。「正しい服用方法とか飲み合わせに注意すれば、未然に防げる」と反論する人もいるかもしれないが、「横断歩道はみんなで渡れば怖くない」の理屈と大して違わないから、こんなことを言う人のことは信用しない方が良い。

サリドマイド薬害は、情報提供(飲み方の工夫)すれば防げたかと言えば、答えはNOである。飲ませない(発売禁止)以外、答えはありえない(国、行政が気にするのはこの辺。事が起きる前に規制すると、そのこと自体を批判する国民がいるから難しい・・・)。


個人個人の薬害発生を防止するには、販売方法ではなく、教育と啓蒙が必須なのは論を待たない。

薬は健康な人が飲めば、100%毒になる。
病人が飲めば、“薬”になる。

これは、みんな知ってる通りだけど、「100%毒になる」部分は、病気になったからと言って、“薄まる”ワケじゃない。「100%毒になる」部分は、健康な人にも病人にも平等に降りかかる。

薬を飲むかどうかを判断するとき、「メリットとデメリットを天秤にかけて」という喩が、病気の時には、その毒性が軽くなるって間違った印象を与えた原因なんだろう。

毒性をデジタルメーターで測ったとしたら、その重さは変わらない。

薬から受けるダメージを覚悟して、その時々の苦痛から逃れる為に飲むものが薬であるということを、忘れてはいけないのだ。


「我々が対面販売すれば安全」などと言っている同業の中には、情報提供で個人の薬害を防止できると信じているナイーブな薬剤師と、わかっちゃいるが売り上げの為にという薬剤師とが混在していると思われる。

経済優先、、安全優先、、、議論自体が不毛だと思っている私が言えることは、、、

消費者は、その辺を踏まえて、店頭販売とネット販売を使い分けてもらいたい(買わない選択肢も含めて)。その人個人に、副作用が出るかどうかは、「神のみぞ知る」であるのだから。

(しかし、、、天下の東京大学では、“シュレーディンガーの猫”状態にある光のテレポーテーションの研究をしてるらしいから、人間様も副作用が起きそうになったら、薬を飲まなかった状態にテレポーテーションさせられる日も近いかも!)


ってなことを、つらつら考えたのは、↓の Science の記事を読んだためである!

多数の猫をコヒーレントに制御する(Coherently Controlling Large Cats)

Science November 14 2008, Vol.322

超伝導回路に基づく量子情報の制御と操作は、スケールアップの可能性から魅力的な手法と考えられている。

Vlastakisらは(p. 607, 9月26日号電子版; Leekによる展望記事参照)、空洞共振器に格納された超伝導キュービットと数百のフォトンとの量子もつれを生成・制御することに成功したが、そこでは任意のサイズと位相のマイクロ波共振器中に多数のシュレーディンガーの猫状態のオンデマンドな生成において決定論的手法を用いている。

キュービットを多数のシュレーディンガーの猫状態に変換する技術の出現により、将来の量子に基づく技術においてより堅牢な量子源を提供することになるであろう。

Deterministically Encoding Quantum Information Using 100-Photon Schrodinger Cat States

2013年08月24日

女性を束縛したい気持ち・・・って?

人類は(特別な地区の人たちを除いて)一夫一妻を制度としている。これは、英知の賜物である“法律(集団生活をうまくやっていくための方便)”で決めてるもんだとばっかり思ってたら、、、、なぁ~んと、一夫一妻は本能(進化の結果)だったんだぁ。

でも、その生物学的な特徴に“配偶者防衛戦略”って・・・・・。

男の嫉妬とか、女性を束縛したい気持ちとかなら、まだ、かわいい。でも“ストーカー”にまで発展すると・・・・・。で怖いのは、この本能がホモ・サピエンスには備わっている。。。。

ホントに一夫一婦制はたんなる“制度”じゃないの???

配偶者防衛戦略があるのは認めるとして、その表現型としていわゆる“性格”には、個体差が大きいんじゃないの?

逆に一夫多妻を望んでいる多くの?男性は、ストーカーの素養が無いってことなの?

愛する人はただ一人(The Only Flame in Town)

Science August 2 2013, Vol.341

哺乳類の中では特異なことであるが、ヒトは一夫一妻の生活が数十年間も続くことが多い、社会的に明白な一夫一妻婚である。

なぜか?

LukasとClutton-Brock (p. 526; Kappelerによる展望記事参照)は、進化の過程で一夫一妻制に移行した60種を含んだ、26の目にまたがる2500種の哺乳類のデータを精査した。

すべての事例で、一夫一妻となる種の祖先の条件は、メスが単独行動者であり、かつオスによる嬰児間引きが稀である条件であった。

一夫一妻制は、父親の養育活動を必要とすることへの応答としてではなく、主として配偶者防衛戦略として発生したようである。

【訳注】配偶者防衛戦略(mate-guarding strategy):雌が他の雄と交尾することを防ぐため、雄が雌の行動を制限すること
The Evolution of Social Monogamy in Mammals


ということで、自分の気持ちのホントのところを内省してみた。

---法律で“一夫多妻”が認められてたら、どうする?---
 多分、一人の妻だけにする。。。
  その理由は、多妻を養っていく経済力が無いから。

 庭から石油が湧き出たら、多妻を持つ?
  たぶん、多妻を持つ。

 その際、妻、一人一人に、他の男と交尾することを防ぐため、なにかしら行動を制限する?
  いや、しない。去るのもは追わずかな?

私にとって、、、というより、ほとんどの男性の感覚だと思うのだが、、、妻というのは、単に生物学的なメスという存在にとどまらず、必要不可欠な存在だと思うのだ。だから、上記の内省は、強いて言えばに近い。精神的には妻は一人で十分である。こういう存在に“浮気”をされると精神的に堪え、それ故、他のオスとの交わりを阻止しようとするんじゃないのかなぁ。

これが、単なる“生物学的なメスという存在”である“彼女”だった場合は、おそらく、、、というより、絶対、複数が欲しい。子孫を残す本能のなせる業だからね。

たとえば、若くてきれいな女性が目の前に現れたとして、その女性に一瞬心を奪われたとしても、想像力を逞しくして「一緒に生活が出来るか?」を考えると、「NO」となり、気持ちも萎えてしまうし。


この論文では、ヒト以外の動物についても観察しているので、“結婚”という制度は、“一緒に生活するペア”と考えればよいのだろう。

だとしたら、ストーカーをする個体は、結婚してるでもなく、結婚を前提に付き合っているでもないのに、想像力豊かに、他のオスとの交わりを排除する行為と言えるのかも。

ってことは、、、、、なぁ~だ、ストーカーをする個体は“脳”が壊れてるんだね!


話は変わって、私は、車好きである。

車と彼女は、似ていると思う。同時に違ったタイプの車を複数所有したいからだ。今、手元には、MINI クロスオーバーとアストンマーチンがある。これで満足しているのかと問われれば、「NO」である。欲しい車は、アレとアレとアレと、、、、、、、軽トラックも。。。きりがない。

しかし、世の中には、一台の車にのみ愛情を注いでいる“男”もいる。私には理解できないが、車が“妻”のような存在になっているのかもしれないな。

車を“妻”のような存在に感じられれば、散財しないで済むことだけは確かなようだ。

2013年08月10日

Aston Martin V8 Vantage

さてさて、久しぶりの更新です。しかも、車ネタで。。明日から夏休みっていうのもあるんですけど、やっと長距離ドライブが出来る喜びで、、、、、ウキウキしておるからであります。

6月27日の納車以来、満足できる距離を走ってませんでしたが、ようやく、時間が作れました。

R35 GT-R は結局5年間で約15000キロを走ったわけですが、手放すときはずいぶん悩みました。経済的に許されるなら手元に置いておきたい車の筆頭です。いまでも。新しい愛車は、Aston Martin V8 Vantage 。昔から気にはなっていた車でしたが、まさか、手に入れるとは夢にも思っていませんでした。普通のサラリーマンには“分不相応”でしたから。

GT-R の次は中古で BMW M3 か Z4 35is にしようと探していたのですが、縁とは不思議なもので、結局、手に入れたのは Aston Martin V8 Vantage 2006年モデルでした。

まっ、入手の経緯はこれくらいにして、、、、少ない走行距離で気づいた点をいくつか。GT-R との比較ということで。。。

まず、車の絶対重量はフィーリングには反映されないってことです(ココ、大事)。
GT-Rは、メチャクチャ軽いです。とくかく止まった状態からアクセルを踏んだ瞬間、「あっ、軽い」って誰でも感じられると思います。そういう軽さです。なにもかも、軽い! Aston は、正反対です。GT-R 1,740kg に対して、1,570kgと、かなり軽いにもかかわらず、そのフィーリングは「重々しいなぁ」です。

そして、速さも圧倒的に、GT-R が速いです。GT-R は一般道でのフルスロットルはフィーリングの軽さとあいまって“恐怖心”を引き起こしますが、Aston は安心して“踏め”ます。加速度に“ワクワク”を感じるわけですね。もちろん、高速道路では、GT-R は「気持ちいい」んですが、常に「使いこなしていない」感じが伴ってました。が、距離は短いとはいえ、Aston での高速走行は、「使いこなしている」感をヒシヒシと感じるのです。この「使いこなし感」ですが、自分なりに考察してみると、、、“物足りなさ”に行きつくのではないか・・・・と。

Aston なら「乗りこなせる」などと生意気なことをいうわけじゃありませんが、動作の一つ一つが、GT-R と比べると“重々しく”、“急”ではないので、「脳が機能する結果である“予測”に対応できる余裕が持てる」ということなのかもしれません。

かといって、Aston が遅いわけじゃありません。というか、385馬力もあるんですから。でも、速さを感じさせないんです。一言でいうと「手の内にある」って感じさせてくれるんです。


このブログを“Aston Martin V8 Vantage”で検索していらっしゃった方々の気になるのは、たぶん、“音”ではないかと思います。

「4000回転からの音は、所有者だけが知る喜び」なんて書いてあるのを、どこかで見かけましたが、確かに GT-R とは全く違います。GT-R は全回転域で“ボーボー”とやたら低音が強調され、ヘタするとただ「うるさい」だけですが、Aston はそのうるさい低音の“ボーボー”はきっちりと消去してあります。そして、4000回転を超えたとき、排気管のどこかのバルブが開くらしいですが、“爆音”に変わります。爆音はフェラーリとは違い、マセラティに近いかもしれません。

アルトサックスで言えば、ヤマハの吹奏楽部系の音じゃなくって、キャノンボール※の硬くて荒い音、、、、ギターで言えば、エリック・クラプトンじゃなくって、ジミヘンの音って言うと、わかりやすいかもしれませんね。

とにかく、ちょっとしたトンネルを通過するときには、シフトダウンしたくなる“病み付きになる”音なのです。。。。っていうか、この音があるだけで、GT-R より遅くなっても、なんの“ひけ目”を感じることなく運転で出来るのです。

実をいうと GT-R からの乗り換えで、自分自身、ずぅ~と気になってたのが「遅さに我慢できるのか?」ということでした。だから、「最低限 M3 , M5 クラスじゃないとイカンナ。直ぐに我慢できなくなって、愛着も薄れて、売り払う羽目になるからな」でした(私は、速度絶対主義者だったのです。速い車がエライみたいな・・・)。

しかし、しかし、、、、Aston Martin V8 Vantage は、ある意味、自分の価値観をぶち壊してくれた・・・・・「車は、絶対的な速さじゃないよ」なんて事いう奴は、速い車を所有できないヒガミなんじゃないのか、、、なんて、思ってたから「最低限 M3 , M5 クラス」だったわけなのですが、、、

車は、速さじゃないんですね!

フィーリングなんです。車は。そして、それは“スペック”で表せるものではないんです。絶対重量の違いじゃないんです。たとえば、サーキットでタイムを詰めるのには、“スペック”は重要なんだと思いますが、“運転によるワクワク感”は、“スペック”では語れないことを、身を以て感じたってわけです。

ただ、感覚器官より脳へ入力される刺激によって惹起される反応が、“快”なのか“不快”なのかは、個人差が大きいため、私の到達した「フィーリングなんです。車は」は、十人十色であることは否定しません。まぁ、“軽自動車”や“ワンボックス・ミニバン”でドパミンやらエンドルフィンやら・・・なんて話は“信じがたい”ですけどね。


ともかく、来る月曜日~火曜日に、Aston Martin V8 Vantage と約1000キロの一人旅に出ることになりましたので、また、ここになにかしらの記録を残すかもしれません。

ところで、最近、アルトサックスを習い始めました。。。とはいっても、自己流です。スクールにも行きたいのですが、、、、いろいろ、身のまわりが慌ただしくて、ままなりません。アルトサックスネタでも、色々と書きたいのですが、、、、はやく、書ける環境になってほしい・・・今日この頃です。

※写真の二本は、金色は従兄弟から借りてるヤマハYAS-875、黒色は買ったばかりのCannonball / A5B iceB 。吹奏楽部の娘とセッションして楽しんでます。

2013年03月15日

抗生物質の作用機構の再検討(Antibiotic Mechanisms Revisited)

薬理学で“作用機序”を習うと、薬が100%効かないのが不思議に思えてくる。薬学部を卒業したての頃、よく、そんなことを思った。

今じゃ“作用機序”なんてものは、薬を使用した時に、誰にでも目に見える現象を都合よく説明できる、目に見えない数多くの現象の一つが、たまたま目に見えたものである・・・・と思っているから、『抗生物質の作用機構の再検討』なんてことに驚くことも無いのだが、、、、

薬が効かない理由に、こんな説明を用いれば、「科学的ではない」と患者さんに怒られてしまう。

もっとも、現代は医療に対するあまりにも過度な信頼が招いている“トラブル”が後を絶たないから、医療=医学が、「実は、こんなに不確実なものなのです」ということを“一般の人”に知ってもらう為にも、“一般紙”に取り上げてもらいたい“ニュース”なんだけどなぁ・・・・と思ったりして・・・・・


というわけで、Science March 8 2013, Vol.339 に掲載されているその内容を引用しておきます。

Science March 8 2013, Vol.339

最近の研究では、殺菌性抗生物質の細胞死滅機構として、活性酸素(reactive oxygen species;ROS)が関与する共通的な機構が示唆されていた。

2つのグループが多様な実験を用いてこの仮説を検証し、キノロン系抗生物質、ラクタム系抗生物質、アミノグリコシド抗生物質では、酸素(あるいは硝酸塩)の有無に関わらず同レベルの殺菌効能があることが見出された。

Liuらは、抗生物質に晒された細胞中で過酸化水素が増えないことを観察し、抗生物質への暴露と、酵素中での鉄-硫黄クラスターの崩壊やDNAに対するヒドロキシラジカル損傷のような酸化的損傷に関して予想された症状との間には関連性がないことを見出した(p. 1210)。

同様に、Kerenらは、ヒドロキシフェニルフルオレセン色素の測定から推測されるROSの生成と細菌生存の間に相関がないことや、チオ尿素により作り出される顕著な保護効果が発現されないことを見出した(p. 1213)。

これらの結果は、ROSが介在する殺菌性抗生物質に対する従来の共通作用機構を支持していない。

Cell Death from Antibiotics Without the Involvement of Reactive Oxygen Species
Killing by Bactericidal Antibiotics Does Not Depend on Reactive Oxygen Species


“過度な信頼”が原因で起きた“事件”が、昨日の新聞(だったか?)に載ってた。たしか、内容は、こんな感じだ。。。

とある大学病院にて、、、、
のどの痛みを感じた人が診察を受けた。
医師は“舌がん”と診断した。
何故か手術を受けないまま、日々、経過し、、、、
その人は死んでしまった。
病院は、その人に入院、手術を勧めなかった、故に、その人は死んだ。だから、その咎で損害賠償して和解、、、、

たしか、こんな感じの内容だった。

テレビなどの影響だと思うけど、、、がんは早期に発見して手術し、その後、適切なケアをうければ、治る・・・・と思っている人がほとんどだと思う。でも、ホントのところ、、、、、ぶっちゃけた話、、、、、

ぜんぜん違う。早期だろうと後期だろうと、死ぬ人は死ぬし、助かる人は助かる。そりゃ、統計学的には、積極的に濃厚な治療をすれば、助かる人が、数パーセント増えるのかもしれないけど、ほとんど差は無い。数か月の延命は、3割くらいの人には約束されるかもしれないけど。(積極的な治療を受けるプロセスが、避けられない運命を受け入れる為に、本人にも家族にも必要なのだという話は、置いといて)


抗がん剤って、“作用機序”だけをみれば、「どうして、がんを治すことが出来ないのだろう?」って不思議に思うくらい、ロジックは科学的である。

なのに、この有様。

考えないわけにはいかない!

1.病気の原因は分かった!
2.だから、治療法も完璧!
3.薬の効き方も解明できた!
4.でも、病気は治らない!!!

どこかに、うその情報が入っている!!


ゲーム『逆転裁判』では、矛盾が生じるのは、どこかに“ウソ”の情報が入っているからだ。その“ウソ”に「異議あり!」と突っ込みを入れる。まさに、薬物治療にも言えそうである。

話は変わるが、先日、ある人から、こんな話を聞かされた。あるお医者さんにもらった薬を適当に飲んでたらこっぴどく怒られた。別のお医者さんじゃ、こんなこと無かったんだけど、なんで、同じような薬なのに、こんなに違うの?「ちゃんと飲め」って言ったり「適当でいいよ」みたいにさぁ??

その人は、20年来の“顔見知り”なので、ぶっちゃけた話が可能である。

「そりゃ、お医者さんによって違うのは当然ですよ。だって、治療方針とか信念とかが違うんですから」

「なに?それ、、信念??」

「いや、ぶっちゃけた話、薬の効果って、完璧を100%とした場合、自覚症状を緩和する薬は別として 1~30% 程度なんですよ。その30%を100%引き出すべきであるって考えてる人もいれば、完璧にやっても30%なんだから・・・って考える人もいる、いろいろいるのは不思議じゃないですよねぇ?」

「ふ~ん、そんなんだ。まぁ、薬の効果なんて、そんなもんだとは思ってたけどさぁ」


心の中じゃ、私は、「人生において、その人が遭遇するトラブルはいっぱいある。病気もその一つだ。そのトラブルの“その後”を30%も変更できる“手段”を、ホントはスゴイって思って欲しいんだけどなぁ・・・・・」と。


それにしても、先の“舌がん”の病院、どうしてお金払って和解したんだろう?

もしかして、、、、、腹黒い裏まで読んでしまう、私の悪い癖(藪にらみ)が杞憂であることを願って、筆をおこう。

2013年02月01日

再発性 Clostridium difficile 感染に対するドナー便の十二指腸注入

これは、“アンチバイオティクス”より“プロバイオティクス”が、より適切な治療法であることを示しているひとつの実例だが、これ以外にもこのようなケースは多いと思われる。ただ、、、

どうやって、それ(適切な微生物環境)を構築するのかが問題だ!

マイクロバイオーム研究が明らかにした事実は、『ヒトの体には、数にして1000兆個のバクテリアが“共生”しており、そのほとんどか、実態がわかっていない』ということだ。

なにしろ、彼らを“生きたヒト”から引き離して培養出来ない(培養できるのは1%ほど)んだから、どうしようもない。が、かろうじて、メタゲノム解析という手法で、それらの微生物の持つ遺伝子(総数300万種類があり、成長や生命維持、オメオスタシスに貢献している)を研究することが出来るようになってはいるが。。。


この“ドナーうんち”の十二指腸への注入(ドナー便移植)も、メタゲノム研究が進めば、形が変わるのかもしれないが、何しろ、生きたまま、移植しなくっちゃ意味ないってんだから、ほとほと、うんち以外には難しいのである。


例えば、“風邪をひきやすい”体質を克服するために、サプリメントなんかより微生物を移植したい・・・・なんてことを考えたとして、、、、、他人の“痰”を“飲む”ことが出来るのか?ということが、現実の問題になってくる。医学用語では“認容性”ってヤツだ。

この“うんちの移植”にしたって、精神的な面での“認容性”はかなり低いと思われるしね!

Duodenal Infusion of Donor Feces for Recurrent Clostridium difficile

E. van Nood and others


背 景

再発性 Clostridium difficile (C. difficile)感染は治療がむずかしく、抗菌薬療法の失敗率が高い。再発性 C. difficile 感染の患者において、ドナー便の十二指腸注入の効果を検討した。


方 法

患者を、次の 3 種類の治療法に無作為に割り付けた:最初にバンコマイシンレジメン(500 mg を 1 日 4 回、4 日間経口投与)、続いて腸洗浄、その後経鼻十二指腸チューブを用いてドナー便の溶解液を注入;標準バンコマイシンレジメン(500 mg を 1 日 4 回、14 日間経口投与);標準バンコマイシンレジメンと腸洗浄の併用。主要エンドポイントは、10 週後に C. difficile 感染に関連する下痢が消失し、再発がないこととした。


結 果

試験は中間解析後に中止された。注入群では、16 例中 13 例(81%)で初回注入後に C. difficile 関連下痢症が消失した。残りの 3 例は別のドナーの便で 2 回目の注入を受け、2 例で消失した。C. difficile 感染の消失は、バンコマイシン単独群では 13 例中 4 例(31%)、バンコマイシン+腸洗浄群では 13 例中 3 例(23%)で認められた(注入群との比較についていずれも P<0.001)。有害事象は、注入群で注入日に軽度の下痢と腹部痙攣が認められたことを除き、3 群間で有意差は認められなかった。ドナー便の注入後、患者の便は細菌の多様性が増加して健常ドナーと同程度になり、バクテロイデス種とクロストリジウムクラスター IV、XIVa が増加し、プロテオバクテリア種が減少していた。


結 論

再発性 C. difficile 感染の治療において、ドナー便の注入は、バンコマイシンの使用よりも有効性が有意に高かった。(オランダ健康研究開発機構、オランダ科学研究機構から研究助成を受けた。Netherlands Trial Register 番号:NTR1177)

N Engl J Med 2013; 368 : 407 - 15.
Copyright (C) 2013 Massachusetts Medical Society. All rights reserved.


さて、今期の第3期生を受け入れてないから、ブログもマメに書こうなんて思っていたのだが、最近じゃ、facebook の方が忙しくって、なかなか、ままならない。。。

書くネタはあるんだけど、昔みたいに、世の中を不合理、不条理、大衆の誤認識を「オレが正してやる」なんて、また「オレの藪にらみが、変化の切っ掛けになれば」なんて気持ちが、ほとんど無くなってきちゃっているのも、また、ブログが書けないもう一つの理由でもある。

いや、ほんと、世の中、なかなか変わるもんじゃない。。。一時、ある世代のある人たちの意識を変えられたとしても、アンパンマンの人気が不変であるがごとく(後から生まれてくる子供たちで“ファン”の入れ替え現象が起きてる)、世の中のコンセンサスは、法律で強制的に変えでもしない限り、変わるもんじゃない。。。

ってのを、50歳を目前にして、ほとほと、気づいてしまったってのもあるし。


世の中のコンセンサスは変えることが困難、、、わかりやすい例を示せば、、、こんなのもある。

肥満に関する神話、俗説、事実

Myths, Presumptions, and Facts about Obesity

K. Casazza and others


背 景

肥満に関する多くの信念は、それを支持する科学的エビデンスがないにもかかわらず存続し(俗説)、なかには矛盾するエビデンスがあるにもかかわらず存続しているものもある(神話)。エビデンスのない信念が普及することによって、不十分な情報に基づく政策決定、臨床および公衆衛生における誤った勧告、研究資源の無益な分配が起こるおそれがあり、また、エビデンスに基づく有用な情報から注意がそれる可能性がある。


方 法

有名メディアと科学文献をインターネットで検索することにより、肥満に関連する神話と俗説を同定し、検討と分類を行った。また、エビデンスによって十分に支持されている事実についても、公衆衛生、政策、臨床での勧告に実用的意義があるものに重点をおいて検討した。


結 果

肥満に関連する神話については、エネルギーの摂取または消費が少しずつ増加することの効果、減量の現実的な目標の設定、急激な減量、減量の準備、体育の授業、授乳、性的活動時の消費エネルギーの 7 つを同定した。俗説については、朝食の規則的な摂取についていわれている効果、幼少期の経験、果物・野菜の摂取、体重の増減、間食、構築(人工的)環境の 6 つを同定した。最後に、エビデンスによって支持されている事実については、健全な公衆衛生、政策、臨床での勧告の策定に関連している 9 つを同定した。


結 論

肥満に関する誤った、あるいは科学的なエビデンスのない信念は、科学文献と大衆メディアの両方で蔓延している。(米国国立衛生研究所から研究助成を受けた。)


N Engl J Med 2013; 368 : 446 - 54.
Copyright (C) 2013 Massachusetts Medical Society. All rights reserved.


というわけで、本日も、なかなか筆が進まないのだが、、、ちっょと前、何か書こうかな、思って書き始めて、「まっ、俺が書いてもしょうがないかっ。めんどくさっ」と途中で捨ててあった文章を引っ張り出して、文字を埋めることにしようと思う。それは、、、、

『米国における 21 世紀の喫煙の害と禁煙の利益』って論文を読んで、ふと感じたことなのだが、、、、


40歳までに禁煙しよう!

ここをご覧の方で40歳以下の方は、今すぐ、禁煙しよう!!

というのも、40歳以下であれば、「喫煙者では、喫煙歴のない人と比較して平均余命が 10 年以上短縮する。40 歳までに禁煙すると、継続的喫煙に関連する死亡リスクは約 90%低下する」からである。

じゃ、40歳を超えちゃっている人は、禁煙に意味がないのか?

誰かが、研究しているかもしれませんので、その結果を待とう!!


今回の“ネタ”は、NEJM JANUARY 24, 2013 号より、、、

米国における 21 世紀の喫煙の害と禁煙の利益

21st-Century Hazards of Smoking and Benefits of Cessation in the United States

P. Jha and others


背 景

1980 年代の研究からの推定では、喫煙は米国における 35~69 歳の男女の死亡の 25%の原因であることが示されている。さまざまな年齢における現在の喫煙リスクと禁煙の利益について、全米を代表する指標は得られていない。


方 法

全米健康聞取り調査において、1997~2004 年に聞取りを受けた 25 歳以上の女性 113,752 人と男性 88,496 人の喫煙歴と禁煙歴を入手し、それらのデータを 2006 年 12 月 31 日までに発生した死亡(女性 8,236 例、男性 7,479 例)の原因と関連付けた。現在喫煙者の、喫煙歴のない人と比較した死亡に関するハザード比は、年齢、教育水準、肥満度、アルコール摂取で補正した。


結 果

25~79 歳の参加者において、現在喫煙者の全死因死亡率は、喫煙歴のない人の約 3 倍であった(女性のハザード比 3.0、99%信頼区間 [CI] 2.7~3.3;男性のハザード比 2.8、99% CI 2.4~3.1)。喫煙者における超過死亡の多くは、腫瘍性、血管系、呼吸器系、および喫煙により引き起こされる可能性がある他の疾患によるものであった。25 歳から 79 歳まで生存する確率は、喫煙歴のない人では現在喫煙者の約 2 倍高かった(女性 70% 対 38%、男性 61% 対 26%)。現在喫煙者では、平均余命は喫煙歴のない人と比較して 10 年以上短かった。25~34 歳で禁煙した人、35~44 歳で禁煙した人、45~54 歳で禁煙した人は、喫煙を継続した人と比較して、平均余命がそれぞれ 10 年、9 年、6 年長かった。


結 論

喫煙者では、喫煙歴のない人と比較して平均余命が 10 年以上短縮する。40 歳までに禁煙すると、継続的喫煙に関連する死亡リスクは約 90%低下する。


N Engl J Med 2013; 368 : 341 - 50.
Copyright (C) 2013 Massachusetts Medical Society. All rights reserved.


50歳の人が禁煙したとして、その恩恵は?

60歳の人では?

80歳の人は禁煙するといいことあるの??

ハッキリ言って、80歳の人に禁煙を進めることに医学的な意味はないだろう。では、社会学的にはどうだろう?

今朝、そんな話を職場の同僚としていた。

たとえば、80歳を超えた高齢者では、身体的な影響よりタバコを買いに外出すること自体の影響があるようなことを聞く。ようするに買い物に行ってころんだりすることのことだ。本人は、「買い物に出ることが、良い運動になる」と嘯いているとか。雪の降る日だって、タバコが切れれば買に行く。。。。(それも含めて「煙草の害だ!」という人は、これ以降、読まなくてもいいです)

といって、タバコの煙が「迷惑なのよ」とも、面と向かって言えないし・・・・・。


喫煙者に禁煙をすすめることの難しさは、基本的に医学的な側面と社会学的な側面を分けて考えなければならない所にあり、現実にはそれが上手く出来ていないところにある、と私は思っている。

医療従事者が80歳の人に「健康を考えて・・・」、、、、説得力は無い。


これは何も、タバコに限った事ではなく、インフルエンザなどの感染症でも、医学的な側面と社会学的な側面があり、いろいろと考えさせられる。

公衆衛生の面から、「風邪ひいてる時は、(他人に染すから)表に出るなっ!」のような考え方が増えつつある。

感染を拡大させる可能性のある人は外出を控えるべきでそれがマナーであるということを、どうどうと書いてあるホームページ(医療系)もある。が、しかし、インフルエンザウイルスは、感染者全員に発熱などの症状を引き起こすのかというと、そうではない。

少なくない割合で、ウイルス感染者であっても症状の出ない人がいる。新型インフル騒動の時には、空港で発熱者だけに的を絞った検疫がいかに無駄であるかを証明する事にもなったのだが、病院でインフルエンザと診断された人だけに対して、「職場に来ないでね」「学校は欠席扱いにならないから休みなさい」では、感染を拡大させないという本来の目的は果たせない。

症状のないウイルスキャリアーがウイルスをばら撒くからだ。


そして、インフルエンザに限って言えば、その治療薬がさらに問題を複雑にしている。

シアル酸アナログは、ウイルスのライフサイクルとその作用機序から言って、病気そのものを治癒させる効果は無い。まして、ウイルスの量を減少させる効果もない。

しかし、直接、解熱させる効果はある(シアル酸そのものは、細胞間の情報を伝達する機能を担っていると考えられているから)らしい。

その為、インフルエンザに罹って解熱まで自然に経過した場合とは事情が異なり、タミフルを服用して解熱しても、ウイルス量は減っていないので、「5日間の治療期間を経て解熱しても2日間は登校不可」などと、学校保健法が改正される羽目になった。職場などでも似たような取り決めがなされていることだろう。さらに、学校保健法では、新型インフル騒動に関連してインフルウンザ自体がより危険な区分へとなっていたので、さらに問題が複雑になっている。

学校側としては、「何かあるといけないから」等々いろいろあるのだろうが、発熱した生徒には、何が何でも学校に来させちゃいけない・・・・と、その為に、発熱した生徒は病院に行って検査をして来てほしい・・・と。

とある医療系サイトで、マスコミがノロウイルスを“怖いウイルス”のごとく扱うのを「どうかと思う」との主旨のコラムを読んだ。

この医師が言うことには、ノロウイルスが危険なわけじゃなく、(高齢だったり、基礎疾患で)体力が無い人が脱水で死んだだけであり、そういうリスクの無い人にとっては、ただ、下痢したり吐いたりして、そのうち自然に治る病気の原因になるだけであると。

インフルエンザウイルスもこれと似たようなものであるが、学校側では、インフルエンザ感染をあたかも“恐怖のウイルス”であるかのごとく報道するマスコミによって、何かあった時に「感染対策にずさんな学校」などのレッテルを貼られることが、怖いのだろう。

さらに、本来、強毒性型と弱毒型のインフルエンザウイルスは、別物なのだが、同じ名前が付いているので、お役所は十把一絡げで「危険だ!」と。可能性としては、変異する可能性はあるにせよ(確率論で言ったら、飛行機が墜落するの恐れるのと同じ)。

というか、強毒型のインフルエンザウイルスは、ホントに“怖い”。それを、弱毒型が流行るほとんどの時に「怖い、怖い」と言ってると、いざと言う時に・・・・。こちらの弊害の方が怖い!!


また、“ウイルスが強毒か否か”と“感染者を拡大しないため”とは医学的な問題だか、マナーに関しては全く別物であり、このように、医学的な根拠がマナーの根拠とはならないのである。

にも関わらず、症状の出た人だけが、「感染者を拡大しないためマナーを守るべき」という、なにやら、ヘンテコな状況に、世の中、陥っている。(こういうコンセンサスを是正するのは難しい)


企業では、タミフル飲んでも飲まなくても、社員が職場復帰できる期間は短縮されない。
学校では、リレンザ吸入してもしなくても、登校出来るまでの日数に変わりはない。

100歩譲って、タルフルやイナビルに強毒性型インウルエンザウイルスに対する治療効果があったとして、弱毒型のインフルエンザにバンバン使って、耐性株を作り続けることに、意味はあるのだろうか?

タミフルやリレンザ、イナビルで治療することの意味の無さを、マナーの問題にすり替えて、複雑にし、誤魔化している。。。。。のかも、などと藪にらみもしたくなる。

だって、おとなしく寝ていれば、、、自然治癒の経過を辿れば、解熱する頃にはウイルス量の減っており、体調が戻った時、すなわち自然と体が動くようになった時が、出勤し、あるいは登校する時になるものを・・・・わざわざ、薬飲んで、1日早く解熱させても、出社もできないし、登校もできない・・・・(そりゃ、多少のウイルスはばら撒くだろうけど、無症候キャリアのばら撒くウイルスと大差ない)って、一体、何??


タバコの煙、匂いが“嫌い”な人が、“ヒトの健康”を理由に、禁煙を強制させようとすることは、マスクをして咳する人を“毛嫌い”するのに“ヒトの健康”を持ち出すのと同じであることを、認識しなければならない。


ようするに、他人を不快にさせる行為をしない事が“マナー”であるなら、“健康の為”などの大義名分を持ち出さなくても、ちゃんと機能するものでなくてはならない・・・と言いたいわけなんだね。

それと、、だから、、タバコを止めりゃ、『マナーを注意されてムカつく』みたいな“煩わしい”ことに“巻き込まれなくなる”よって、アドバイスがいいのかも。。。

で、『40歳までに禁煙しよう!」っと!


最後になるが、今朝、朝のニュースで、“ハエ”での実験結果が伝えられていた。

「空腹の時の方が、記憶力が良い」というものだ。これも、なんだかなぁの類なのだが、「ハエと人間を一緒にするな」って、やっぱ、言いたい。

例えば、同じ哺乳類のヒトとイヌで、キシリトールのインスリン分泌能が違うんですぜ!イヌでは、キシリトールでインスリンが分泌しちゃう。だから、キシリトール含有のダイエット食品を犬に食べさせると、低血糖で死んじゃう。ヒトじゃ、インスリンの“イ”の字も出ないのに。

そして、前にも書いたことあるけど、脳の半分の潰しても片麻痺しない“マウス”の脳の実験結果をヒトに当てはめるよりも、ひどい。ハエだよハエ!

どこぞの馬鹿な親が、我が子のテストの成績を気にして、朝ご飯食べさせないなんて“事件”が起きないことを祈るばかりだよね。


人間の記憶の仕組みは、まだまだ、ほとんどわかってないんだから。

神経生物学: 記憶の機構を再考する

Nature 493, 7432

2013年1月17日

長期増強(LTP)すなわち神経細胞間のシグナル伝達の持続的強化は、かなり以前から、記憶に相当する細胞レベルの事象だろうと考えられてきた。

だが、LTP維持の基盤となる特異的分子機構が明らかになり始めたのは、つい最近のことである。

しばらく前に、薬理的阻害剤を用いた実験を主な根拠として、プロテインキナーゼM-ζ(PKM-ζ)の持続的な維持がLTP維持に重要である可能性が示唆された。

今回、2つの研究チームが、遺伝子操作によりPKM-ζを持たないマウスを作成し、LTPと記憶におけるPKM-ζの役割をより直接的に検証した。

R HuganirたちのグループとR Messingたちのグループはそれぞれ、PKM-ζの喪失は、LTPあるいは記憶形成に影響しないことを見いだした。

そしてこのような変異マウスでは、PKM-ζが存在しないにもかかわらず、このキナーゼの阻害剤によって記憶が破壊される。

これらのデータは、LTP維持に対するPKM-ζの役割に疑問を投げかけており、長期可塑性を調節する重要な分子を探す研究が再び始まることになった。


Letter p.420
doi: 10.1038/nature11802

Letter p.416
doi: 10.1038/nature11803

News & Views p.312
doi: 10.1038/nature11850


神経: LTPと記憶について考え直す

Nature 493, 7433
2013年1月24日

2個のニューロン間のシナプス強度が迅速かつ持続的に強化される長期増強(LTP)現象は、学習や記憶の形成に関与すると考えられている。

これまでLTPは、新規記憶の形成に必要な脳領域である海馬のグルタミン酸作動性シナプスで詳しく調べられてきた。

しかし今回の研究で、神経伝達物質受容体タンパク質であるAMPA受容体GluA1サブユニットのみを重視する、従来主流となってきたLTPモデルの再考が必要になった。

LTPが起こるには、特定の種類のグルタミン酸受容体が必須というのではなく、1つのシナプスの近くに十分大きな受容体貯蔵プールがありさえすればいいらしい。

News & Views p.482
doi: 10.1038/493482a

Article p.495
doi: 10.1038/nature11775

2012年11月30日

ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針は4年に一度の改定

さてさて、私の職場では、薬学部の学生実習を行っておりますが、これの“意義”については諸説あれど、国が決めたことですから、我々、現場で働く薬剤師の責務であると思っております(師の付く職業は徒弟制度で培われるとも言われてますし)。しかし、職場の環境によっては、「忙しくて、それどころではない」とか、色々ありまして、薬学生の指導は“強制的”に割り当てられるというものではありません。要するに、学生を受け入れるかどうかは、最終的には、現場の判断というわけです。

というわけで、私のところも、諸般の事情により、一期分“お暇”を頂くことになりました。

というわけで(といったら暇そうにしているおもわれるのも癪ですが)、来年の4月いっぱいまでは、比較的、思いつくままにブログを更新しようかと思っているわけです。


で、タイトルの「ゲノム倫理指針は4年に一度改定」ですが、今回は、2012年12月12日に開催される厚生労働科学技術審議会技術部会で改定案が提示されるようです。

ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針って、何?って、俺たちになんか関係あんのか?って思われるでしょうが、かなりというか、スゲェ~関係あります。

“個の医療”という言葉を聞いたことがあると思いますが、基本的に人体には“個性”がありますから、薬の飲む量ひとつとってみても、オーダーメイドが理想なのはよくわかると思います。しかしながら、現状は、個性を無視した“古典的平均値”を用いた指標で、ものごとは進んでいきます(個の医療、ちょっとずつは進んでいます。例えば非小細胞肺癌患者におけるALK融合遺伝子の検査とか。これ日本人の場合、このタイプは、全肺がん患者の5%で、この5%の人たちのために作られた薬でもあり、それ以外のがん患者には使えません)。

では、何故、それが出来ないのか?

理由は簡単です。指標が無いからです。  じゃ、さっさと作ってくれ!!  ほいきた、がってん・・・・とは、行きません。この指標を作るためには、どうしても個人情報に触れなければならないからです。個人が特定できないようにしつつ、うまい具合に研究を進めるには、、、、、

健康で長生きできる為に働いているであろう遺伝子多型や組み合わせ(発現も含め)のパターンなら、漏れたって、大した害にはならないでしょうが、その逆な遺伝子を持っている人の情報だったら・・・・。

純粋に科学的な好奇心が旺盛な科学者にとっては、その遺伝的な情報が人体にどのような“影響”を及ぼすのか?が最大の関心事であり、その他のことには無頓着、、、この資質は研究者にとっては大切であるわけでして、結果的にその事を責めることはできません。

でも、研究者と言ったって、ピンからキリまでいるワケで、、純粋で無垢な人たちばかりじゃなく、、全ゲノムシーケンスの解析はすでにに1000ドルになっているらしいですから、誰でも簡単に出来る、、、、

「だから、倫理規範が必要だろ!」ってことで、このようなものを4年に一回改定しているわけです(多分・・・苦笑)。


ふーん、じゃ、内容はどんなものなの?

・・・・(はっきりいって、読む気がしません。読みたい人はリンクを辿って読んでくだされ

というわけで、一昨日の「30 年間のマンモグラフィ検診が乳癌発生率に及ぼした影響」でも指摘した通り、個の医療が不可能な現状では、当然、事前に「この治療が、この人に効果があるのか?」なんて、わかる由もないのです(前出のクリゾチニブなどのように、理論的にこの人には効かないって方は、ちょっとずつわかりつつあるけど)。

だから、いきおい、古典的な平均値にのっとり、ブロイラーのように、(がんが)見つかりゃ、ハイ治療しましょ・・ってなるわけです。

そもそも、厳密な意味での“がん”が定義できてないわけですから、「念のため」とがんの診断基準を甘くすると・・・・がん患者が増えて、、、、当然、放っておいても自然に治癒しちゃう“新生物”が出来ちゃった人までもが“がん患者”にされるから、見かけ上の“治癒率”は向上し、、、、それが、「早期発見のおかげ」だと、マスコミとかが、言いふらすから、国民は勘違いし・・・・・・って構図なのでしょう。


さて、こういうロジックで話を進めると、当然、不要な治療を行わない事が出来るようになり、不要な治療の副作用で苦しむ人を救える半面、、、、「不治の病の人を見捨てるためのイイワケ作りか?」と非難される恐れもあるわけです。

「人間は、みな、平等なんだろう?」
「治ろうと、治るまいと、同じ治療を受けさせろ!」

とか。

でも、これにしたって、厚生労働省が認可している“抗がん剤”に完治をうたっている薬は無く、その効果は、せいぜい数か月の延命なのです。それにもかかわらず、「抗がん剤はがんを治癒させることが出来る薬だ」と勘違いしているから、「治療を受けることに意義がある」とばかりな感情もわいてくるんだと思います。

でも、この“数か月の延命”が、どれくらい“貴重”で“かけがえのないもの”なのかは、人によって、さまざまですよね。

それに、発病してない人に、「あなたは将来・・・・」っていう権利がだれにあるのか?

難しいですね。

ここまでくると、そもそも、「個の医療を性急に求めることは是なのか?」とも思っちゃいます。個の医療を進めるということは、良い面の他に、必要のない人には無駄な治療は行わないという残酷な面も持ち合わせているわけですから。

多分、こういう問題を、科学者や医療提供者だけで論じることに、無理があるんだと思います。

でも、しかし、個の医療とは別に、データベースつくりの為に、ヒトゲノム・遺伝子解析研究には、十分な予算を付けてほしいもんです。「機が熟してから始めよう」では、日本の医療費の=貴重な税金の半分は“外資系企業”の懐に入っちゃうわけですからね。

今回改定される指針が主に想定しているのは、主に遺伝病(頻度は極めて稀ですが、疾患発症のリスクの高い一つの遺伝子によって発症する疾患)の遺伝子解析とのことだそうですが、これが研究の足かせにならないことを願います。

そして、研究予算の配分、、、次の政権に期待します。間違っても民主党のような「二番手じゃいけないんですか」みたいなことを考えている人たちには、任せたくありません。

アーカイブ

Powered by
Movable Type 3.37