ブタに真珠
今だに、世の中を見渡せば、ブタに真珠を与えている人のなんと多い事か。しかも、真珠を与えている人が、相手をブタだと思っていないフシが、多々、見受けられるのである。
どうしてそうなるのだろう。単純に人の能力を見抜く力が備わっていないか、あるいは、感情に従って行動する事が原因だと思われる。
本物のブタなら、真珠を与えられても喜ばないし、なんの意味も無いから、エサを要求するのが普通だ。だから、節穴の眼を持つ人でも、すぐブタと気づくのである。だが、あるタイプのブタは自分がブタだと思っていない上に、真珠をもらった事によって、自分は“有能な人材”と評価されていると勘違いしてしまう。そして、自分を間違って評価してくれた人に、まことに尻尾を振るようになる。
残念な事に、本物の“有能な人材”は、そういう状況がすぐ理解出来るから、その人達と関わりを持たない事を望み、実行に移す。また、ある人は人間関係において、対立してしまう。
本物の“有能な人材”と“ただのブタ”と“あるタイプのブタ”を見分けられない人は、全てにおいて非生産的な状態を自ら作り出しているのだが、節穴の眼と尻尾を振られた事による自分の感情に従って行動をとる事が多い為、それに気づかないか、或いは、それで良しとしてしまう。
あぁー、如何ともしがたく、なんともやりきれない事か。
この節穴の眼をもつ人たちが、日本においては、要職を占める事が多いのである。
これは、ドメスティックな局面でも、またしかりである。いや、このドメスティックな局面の積み重ねが、今の日本を形作っているのかもしれない。
ただ、希望が無いわけでもない。日本の重要な基幹産業のある企業が倒産しかかった時、無能な“要職者”達に代わって、海外から“人の能力を見抜く力が備わっている”人がやって来て、大鉈を振るって見事に立て直した例がある。
“有能な人材”が皆トップに立てるわけではないのだが、自ら有能なトップを立てることで、己の正当な評価を得ることは出来るようになる。
この例のように“節穴の眼を持つ人”達は、淘汰されていき、“有能な人材”は、正当な評価を得、相応のポジションで仕事が出来るようになる事が、ドメスティックな局面においても、また、日本にとっても、重要なことだと思うし、また、そういう時代になってきている事で、希望も持てるはずである。