ユビキチンによる精子の品質管理
本年度のノーベル化学賞はイスラエル工科大のアーロン・チェハノバ教授(57)、アブラム・ヘルシュコ教授(67)、米カリフォルニア大のアーウィン・ローズ博士(78)の3氏に授与すると発表した。
授賞理由は「ユビキチンが媒介するタンパク質分解の発見」。
まめ知識やQ&Aコーナーにも、ポツポツ書いている分野だ。分野と言うほど狭い領域じゃなくって、生命現象の根幹を成すシステムだから、いろんな分野にまたがって書く事になってしまっている。
何故、重要なシステムが今頃になって発見されたのか?
最先端のサイエンスはミクロな部分に目が行き過ぎている為、マクロな部分に盲目的になってしまったのだろう。『木を見て森を見ず』の状態だったのだろうね。
このユビキチン-プロテアソームシステムの機構は、簡単だ!
分解の必要のあるタンパク質は、ユビキチンという目印を付けられ、その目印をつけられたタンパク質はプロテアソームという分解酵素によって分解されるというものだ。
誰が目印を付けるのか?
目印を付ける役割は、それこそ、組織ごと、細胞ごと、システムごとに違っている。
その為、共通した分解系を利用していることに気づかなかったとも言えるのだろう。
その役割を担う分子は、知られている場合と、まだ知られていない場合とがあり、例えば、p53により発現が増強する遺伝子である MDM2 は、ユビキチン-プロテアソーム経路のE3リガーゼとして p53の急速な分解を促進する、みたいに、フィードバックシステムの中で活躍する場合もあれば、アルツハイマー病、ハンチントン舞踏病、筋萎縮性側索硬化症など様々な神経変性疾患における未分解なタンパク質が蓄積することで発病するという、生理的なタンパク分解場面で活躍する分子もある。
要するに、タンパク質を分解するシステムがあるから、『そうと決まったら、プロテアソーム系に仕事を任せれば良い!』といった感じか!
または、廃棄物処理を廃棄物処理業者に任せる現代社会のシステムそのものといったらイメージしやすいだろうか。
コンピュータネットワークに詳しい方は、OSI参照モデルにおける例の7層から成り立っているシステムをイメージすると良い。例えば“第5層 セション層”での決め事の変更は、下位の“第4層 トランスポート層”の仕様に影響を与えない・・・と言う考え方である。
“第7層 アプリケーション層”で“タンパク質を分解する”とされたリクエストは、“第1層 物理層”で、実際、どの酵素で使って分解するかまでは規定しない。どの酵素を使用するのかということは、あくまで“第1層 物理層”で決める事である。
このようなシステムの優れている所は、『各層(レイヤ)では機能別にバラバラで考えればいい』ということで、『途中の層(レイヤ)の機能に変更があっても、その層(レイヤ)以外に影響が及ばない』ということだ。
人間に当てはめて考えてみると、人間は生物だ。単細胞生物から進化してきた。
進化の途中で、多細胞になり、色々な細胞に分化して、より機能的な生化学反応を遂行できるように臓器などというまとまりをもった細胞集団が出来上がる訳だけど、単細胞の頃から“タンパク質の分解”ってのはやっていたワケだ。
進化に伴って、全てのシステムを構築し直すよりも、出来上がったシステムを利用する方が、はるかに合理的だ。
最終的に分解されるまでの、ルールの変更やシステムが複雑になったとしても、『タンパク質がユビキチン化されれば、分解』という単純な取り決めを守っていれば、全体としてのシステムには破綻が無いと言う訳である。
多分、コンピュータネットワークを開発した科学者達は、生命にこんなに似たシステムが存在する事など、知るよしも無いのだろうが、合理的に物事を考えると言う事は、遺伝子に刷り込まれている気がしてならない。
ヒトは、こんなに、合理的で無駄の無いシステムを作り上げられる一方で、非常に無駄の多いシステムを構築している事も事実だ。どこの誰とは言わないけれど。
実は生命にも、非常に冗長な部分・システムが存在している。その冗長さが全体としての安定をもたらしているもの、また、事実だから、非合理的な無駄を多く含んだシステムを構築してしまうのも、遺伝子に刷り込まれているのかもしれない。
・・・なんか、話が、抽象的になってきてしまったが、タイトルの『ユビキチンによる精子の品質管理』、これはまだ紹介していなかったから、ノーベル賞の話題のついでに、記しておこう。
■男性不妊症の解明と男性避妊薬の開発細胞を監視する役割を果たす有名なタンパク質が、欠陥のある精子に目印をつけて、破壊されるようにしむけることが、このほど発表された研究において示唆された。
このタンパク質とはユビキチンのことである。
ユビキチンは、通常、細胞内をパトロールし、欠陥のある細胞内物質を生物的のゴミ溜めに送る。今回主張されているプロセスは、精子の品質管理にとって重要なことと思われることから、男性不妊症の解明が進み、男性避妊薬の開発にも役立つかもしれない。
ユビキチンは、'ubiquitous'(広範に分布する)に由来する名前が示すように、全身に分布しているが、細胞内でのみ作用すると考えられてきた。ところが米国ビーバートンにあるオレゴン保健科学大学の細胞生物学者Peter Sutovskyらは、ユビキチンが細胞外でも巡回しているという見方を示している。精巣近くに位置し、射精前の精子を保存する組織である精巣上体において、奇形のある精子が成熟すると、ユビキチンで標識されることをSutovskyの研究チームが発見した。
標識の付いた精子は、その後、精巣上体細胞によって包み込まれ、破壊される。
「もしSutovskyらの主張が正しければ、ユビキチンにとって全く新しい世界が広がることになる。」こう語るのは、1980年代にユビキチンにつき数々の先駆的研究を行なった英国ノッティンガム大学のJohn Mayerである。「私は、この観察結果には極めて説得力があると思うが、このプロセスの原因メカニズムは解明されていない」と彼は言う。
精子の品質管理は、ヒトの体内で実際には少数派となっている健康な精子が妨害を受けずに卵子に到達する上で役立っていると考えられている。
「[いったん射精された]精子は、基本的に密集状態に置かれる」とSutovskyは言う。そうなるとブラブラ過ごしている欠陥精子が、健康な精子を邪魔するかもしれないのである。
Sutovskyらは、雄牛、水牛、ガウル(雌牛の近親種で絶滅の危機に瀕している)、マカクザルやヒトから採取した欠陥精子にユビキチンを発見した。また光学顕微鏡では正常に見えたユビキチン標識の付いた精子の中には、電子顕微鏡で異常が判明するものもあった。「ユビキチンは、何らかの形で内在的な欠陥を認識している」とSutovskyは言う。ユビキチンが欠陥精子の普遍的な標識であるように見えるため、Sutovskyは、この標識によって欠陥精子を全て特定し、解析すれば、男性不妊症の研究者の役に立てるのではないかと考えている。ただ男性不妊症の治療という点では、ユビキチン標識はさほど役に立たないかもしれない。
「当センターの患者の場合、欠陥精子の標識が役に立つのは、患者全体の約1%に過ぎない」とロンドン不妊治療センターのSonya Jerkovicは言う。不妊症の男性の大多数は、精子数の減少あるいは運動性精子が極端に少ないことに苦しんでいると彼女は説明する。さらにユビキチンは、男性向け可逆的避妊薬の有力な候補となりうるかもしれない。正常な精子にはユビキチンが含まれている。もし薬物によって全ての精子をだまして、一時的にユビキチンを発現できたなら、精巣上体から精子は射精されなくなるだろう。
「この点については、かなりの研究を積み重ねなければならないが、そのような可能性は存在している」とSutovskyは言う。