« 2005年11月 | メイン | 2006年01月 »

2005年12月 アーカイブ

2005年12月06日

ちまちましてんじゃねぇぞぉ・・・っと。

しかし、ほんとにじれったい!!本気でやる気あんのか??

喫煙を“病気”にして“保険で診る”なんて、ほんとにほんとに大馬鹿対応、その最たるものだ。
こんなもの、煙草自体に“900%”の税金を掛け・・・すなわち、10倍の値段、一箱2,500円にしちゃえば、【否が応でも】禁煙せざるをえないじゃん。

こんな政策に、本気で国民の健康を考え、本気で禁煙させる気持ちが無い事は、明らかである。

同様に“砂糖”と“食用油”にも“900%”の税金を掛け・・・すなわち、10倍の値段にしちゃえば、メタボリックシンドロームなんて、簡単にぶっ飛んじゃう。
高血圧を本気でどうにかしたいなら“食塩”の値段を10倍にしちゃえばいいのだ。

そんな事したら、この製造に携わる人達の生活が・・・・なんて奇麗事をぬかす奴が必ず現れるんだが、そういう奴には『じゃ、ヒューザーも同様に庇ってやれ』と言っておく。命の危険のあるかもしれないマンションを作っていた事を悪とするなら、健康を害するかもしれないモノを作っていた会社も同罪だろうと。

とはいっても、日本人はダブルスタンダードばかりか、3つも4つも判断基準を持ってるから、これは別物であるという“理屈”をひねり出す事だろう。私には“屁”のつく理屈にしか聞こえないんだけど。

病人作って、医療費を抑制したい・・・その裏には、仕事を減らしたくない意図が見え隠れする。当の本人は、マッチポンプな政策とも思わないんだろうね。
本気で国民の健康を考えてるなら簡単な事なんだけど、でも、誰も言い出さないところをみると国民自身にとっても“国民の健康”のプライオリティは低いってことなんだろう。


みんな健康になって、しかも、税収も増えて、こんな良い方法はないじゃん!!

でも、日本じゃ絶対、出来ないよなぁ!アメリカなら、煙草の値段なんて、なんの躊躇もせずにどぉ~んと上げちゃうし、パッケージには『あなたに死をもたらす・・・』って書いちゃうのに、日本じゃ『あなたの健康を害する恐れがあります・・・』って。
フランスじゃ、ワインに『あなたを死に追いやる・・・』って注意書きを入れる、入れないで行政と業界が争ってるっていうし・・・・。適量なら体に良いという理屈を“屁理屈”だと思わない国民なんだよね。体に良いなんて大義名分があれば、酒量は増えるんだよ。誰だって。そして、健康を害するんだ。アルコール依存症になれば、家族にまで被害が及ぶのに、そういうことに対しては、正視しない国民性なんだよね。

一番大事な事に対しては、敢えて無視する。みんなで無視して、みんなで重要じゃない事を重要な事のようにしてきた付けがまわり始めたという事なのかもしれない。
 
 
 
閑話休題

昨日、偶然あるレディースクリニックのQ&Aに辿り着いて、それを読んでいたんだけど、愕然とした。
『彼と初エッチしちゃったんですけど、コンドームつけてくれなかったんです。後から、生理中は安全って聞いたんですけど、心配で・・・』なんて質問がゴロゴロしている。

日本の若者は、こんなに馬鹿なんだと、認識を新たにした。

呆れたね。

女の子達に“男のコデブ”がモテたりするもの、この延長線上なんだろう。敢えて1番目は無視する。カッコイイ1番目の男は数が少ないから、みんなで好きになると傷つく可能性が高い。だから、最初から1番カッコイイ男は、みんなで無視する。『かわいい』という単語も、この傾向を助長している。

SEX に関する本当の事を知っちゃうと、怖くて出来なくなっちゃう。だから、みんなで無視する。男も女も。みんなで無視してりゃ、怖いもの無し。乗り遅れたくないから、相手を選ばず SEX する。

若い男達も、モチベーションとしてのテストステロンの働きに逆らう。生身の女を目指して突進しても、得られなかったら傷つくので最初から逃避する。逃避する事は、本来、自意識にもカッコワルイ事だと判断させるが、同類が集まれば、カッコワルイ事だと思う判断を紛らわせくれる為、同類が集うところにだけ、足繁く向かうようになる。

ある自動車会社の開発担当の人の話。。。
『最近の若者は、友達を大切にし、友達と一緒にいる時間を楽しむ傾向が強い。だから、ミニバンなどの6~7人乗りの車の開発に力を入れてます』と。
言葉の調子は耳に優しいが、恐ろしい内容だ。男も女も、彼女、彼氏と2人っきりになりたいと思う若者が激減している。男と女はみんな“友達”になっちゃう。大勢でワイワイは出来るけど、2人きりになると会話も続けられない、自分に自信の無い情けない人間が増えてきた。と分析している訳だ。
市場調査って、侮れない!!まさに、的を得ていると思う。

『類は友を呼ぶ』『同類相憐れむ』は恥ずかしい言葉だと認識しているが、電車の中で化粧をする事に恥ずかしさを感じない様にする為にも、無知でいる事を望んでいるのかもしれない。

それは勝手なんだが、無知故に不利益を被っている姿は見るに忍びない。
 
 
見て見ぬふりは止めて、本当の事を見つめるだけ、、、、簡単な事なんだと思うんだけどなぁ。。。。(取り止めの無い雑感でした)


p.s.って書いてたら、こんなサイトがありました。リンクしときます。
20051206tabaco.jpg

2005年12月09日

ボクシングとプロレスの戦い

20051209ari3.jpg風邪の予防には水でうがいを --- ヨード液では予防効果なし

をご存知の方は多いと思う。このニュースでイソジンでのうがいを止めて、水でやろぉ~っとて思い直したって人も多い。

で、ポピドンヨードを発売している明治製菓は、反撃の隙をうかがっていた訳だが、先日、地区担当の MR さんが、『ご存知だと思いますけど、京都大学の~~~』って持ってきた資料が、Medical Tribune 2005年11月10日の別刷、『第5回アジア太平洋消毒会議』の内容を記したものだ。

その時は忙しかったので、『ハイハイ、ご苦労様』って受け取っただけだったが、ふと、今、机の上にある印刷物に目を通してみた。
 
 
 
---こりゃ、異種格闘技だな---
 
 
 
20051209rusuka1.jpgはっきり言って、まったく、風邪の予防効果に対する反論になっていない。お粗末なくらい的外れな内容だ。

こんなものに金を賭けるなら、もっと違うところに金を賭けろよ!!

明治製菓は抗生物質で成長した企業だから“菌を殺す”ことに異常な執念があるのだろう。
でも、時代は“菌と共に”だ。頑なに過去の主義を守る事も大事かもしれないけど、方向を間違うと存続の危機に陥る事も考えておいた方がいいんじゃないかな。
 
 
 
痴呆の治療薬に効き目無しと判断された時、それまで製造販売していた製薬企業は潔く“負け”を認めず『薬の薬理効果が否定されたのではありません』などとイイワケがましい事を言っていたのを思い出した。

そのうち、忘れ去られる事なんだけど、なんともみっともない。

こんな時こそ、明治製菓は『追試を行なったけど、全く京都大学の結果と同じだった。風邪の予防には殺菌剤は必要ない』と潔い態度を示せば、信頼される企業として名を挙げられたのにね。結局、『イソジンうがい液』の売り上げを守りたい為に反論したんだろうけど、別の使い道に活路を開いた方がいいんじゃないの??

『うがい以外に使わないで』なんて書いてないで、積極的に“風俗店に行く時に”と奨めればいい。実際、お店じゃ使ってんだから。それに、抱きパブなんかで、前の客が舐めまわした後の消毒をしない乳房を舐める気になんのか?

肺炎だとか、院内感染だとか、老人病棟とか、、、、それも大事だけど、性病予防にも使えるんなら臨床的な試験をすればいいじゃん。コンドーム無しでやっちゃった後、すぐにイソジンでゴシゴシ洗ったら、これだけ予防になりました・・・ってね。


健常な成人の口腔内細菌叢を乱す事を推奨するような(商魂逞しい)行動は、直ちに止めた方が良いと思うぞ。

先ずは、根回し・・・。

20051209cover_nature.jpgさて、今年も残り少なくなって、寒さも増してきた。気分的なもんだろうとは思うのだが、やっぱり疲れが溜まっていると感じる今日この頃である。つまらないニュースばっかりなので、文章を書くのも億劫だったのだが、、、、、


やっぱり疲れは気分的なものだった。

今朝、いつものように Nature のサイトで情報チェックしてたら、血圧が上昇して気分がスッキリとなる記事があったのだ。しかも2本も。
可能ならば、Nature, vol. 438, no.7069 December 08, 2005 に目を通してもらいたいのだが、簡単に紹介すると、、、、

■『ドーパミンがなくても喜びは起こる』
■『腫瘍は転移先のロケーションを前もって準備する』

というものだ。

今までは、美味しい食べ物や SEX での快感、薬物での陶酔感など、どれをとっても脳内化学伝達物質“ドーパミン”がキーワードだった。『ドーパミン無くして快感無し』とまで言われていたのだが、この論文では、ドーパミン欠損マウスとモルヒネを使って実験している。これは、薬物から動物がどの程度の快感を得るかを測定するために通常使われている方法なのだが、結果は、脳内にドーパミンが無いにもかかわらず、モルヒネの快感を感じているというものだ。

腫瘍の方は、腫瘍自身が遠隔転移前にその転移先に“移住”し易くする為の準備を整えているというものだ。簡単に言うと転移先に腫瘍細胞が碇を下ろしやすくする下準備をするのだが、逆に言えば、この“下準備をさせない”事で癌患者における転移の広がりを阻止できる可能性があることを示しているワケで、まったく新しい、今までに無い治療法の概念が成立する可能性を秘めているワケだ。


今回のエントリーは、この事に絡めて何かを言いたい訳じゃなくって、ずばり、この事実だけで瞳孔が散大してしまったので書いたワケだが、『先ずは、根回し』っていうのは、生命現象全般に一般化できる出来ることなのだろうか??などと、新しい疑問も沸いてきた。
それから、“快感”をドーパミン抜きで語るには、一体、どんなロジックが・・・?

まだまだ、奥が深いな人体は。(新しい発見があるたびに、このように感心している気がする)

2005年12月10日

運命の悲劇と性格の悲劇

ギリシャ悲劇は“運命の悲劇”で、シェイクスピアの悲劇は“性格の悲劇”だと、良く言われる。

現代でも、運命の悲劇やら性格の悲劇やら、巷にごろごろしていて、どっちがより悲壮なのかは良くわからない。ただ、人的に回避できそうなのは“性格の悲劇”なのだが、性格、これとて、遺伝子 (DNA) に支配されているとすれば“運命の悲劇”とでも言えるのだろうか?
でも、脳が無い生物だったら、運・不運は運命に依りそうだが、DNA に支配されているところで、運命とも言いづらい。


20051210kuchin2_2.jpg植物の世界では、己の種子を動物に食べられない様にして種の存続を謀っているものもあれば、食べられる事で種の存続を謀っているものもある。

良くご存知の“クチナシ”はその後者の方だ。

クチナシは鳥に食べられ、その糞と一緒になった種子からは、良く芽が出るのだが、果実のままでは芽を出す事は無い。果肉の付いた種子の周りには、発芽抑制物質があるため、鳥に食べられるか、腐って雨に洗われるかして、初めて芽を出すのだ。

これは、木から落ちた種子が皆一斉に発芽したら、もしその時、寒波や害虫の発生など何かあったら全滅しちゃう。それを防ぐために、発芽のコントロールをしている訳だ。


20051210kuchin2_1.jpgクチナシの木の隣りに、何でも良いが果実を食べられない様にしている種類の木があったとして、その周りに“鳥”が大挙して押し掛けたとしよう。片方には幸運であり、片方には不運という事になる。
 
 
 
 
 
閑話休題

私自身、親から受け継いだ土地で、不運に見舞われ“億単位”の損をした経験がある。
しかし、その種を撒いたのは、私に土地を残してくれた“父親”なのだ。その契約(やがて不運を招く)に私が関われなかったので、運命の悲劇と言えるだろう。

でも、私の性格が違っていたら、性格の悲劇をも引き起こしたかもしれない。

プロフィールに、『人間万事塞翁が馬』『禍福はあざなえる縄のごとし』とあるのは、まさに、そのようなイベントが人生で発生してしまったからなのだ。
 
 
 
さて、先のクチナシだが、脳味噌もないのに、凄いシステムを考えたものだ。リスクマネジメントとして、人間が見習うところも大きいと思う。

しかし、運命を受け入れるもの、神の思し召しなのだ。旧約聖書『ヨブ記』の主人公 ヨブ の様に生きられる筈もないのだが、私の目指すところは同じかもしれない。


インチキマンションの住人の方々も、生きているだけでもありがたいと思える時が絶対来るから、ヤケにならない事を願う次第だ。

しかし、折角用意してくれたマンションを『狭い』『(都心から)遠い』などと言っている奴等には、性格の悲劇が待っている事だけは確かだ。

続きを読む "運命の悲劇と性格の悲劇" »

2005年12月19日

曖昧さへの嫌悪

確か『ブッシュの戦争』で読んだ記憶があるのだが、米国国防長官ドナルド・ラムズフェルドは『解き明かされた既知のもの』、『解き明かされていないが既知のもの』、『解き明かされていない未知のもの』、という区別をつける考え方を披露している。

『ほっほぉー!』と感心した覚えがある。

普通の人間は『解き明かされていない未知のもの』について考えることはしないが、『解き明かされた既知のもの』、『解き明かされていないが既知のもの』については、無意識のうちにも考えを巡らせている。


昨日の新聞では“インチキマンション被害者への公的資金投入に反対する、当局への投書やネットでの意見”が増えている事を取り上げていた。

公的資金投入の是非に付いては、私自身、何度も書いているので改めて主張しないが、どうして、この様に反対する人が“いる”のか考えてみた。。。。そして、これが今回のエントリーのタイトルに繋がっている。


考えた結果は単純で、今回の公的資金投入に関しては、この根拠が非常に曖昧であるという点に尽きるのではないかと言うことだ。すなわち、心情的には『解き明かされていないが既知のもの』に当たる。根拠が明快ならば『解き明かされた既知のもの』ということだ。

最近の研究では、普通の人間の脳は、結果が同じだとしても、その確率が曖昧であるより既知の確率の成果が含まれる結果を好み、また脳イメージング結果でも、曖昧さがあると、より活性の高まる扁桃体と眼窩前頭皮質(OFC)が脳の第3の領域である線条体を変調していることが示されるそうだ。面白いことに、OFCに病変のある患者は曖昧さへの嫌悪を示すことは無いらしい。

(ということは、公的資金投入に賛成する人は、OFCに病変のある人ということになるし、曖昧が好きな日本人は、民族的に OFC に機能的な欠陥がある事になる??おっとっと、これは、脱線だぁ!!)


建築基準法などという、ある時点(時代的に)での曖昧な根拠による耐震強度に合わないマンションを所有してしまった人だけが“救われる”という不公平感が、そのモチベーションなのだろう。過去に建築されて耐震強度を満たさない家屋(その当時はOKだった)の住人は“無視”された恰好だからね。公的資金投入に関して、曖昧さの無い理論的な根拠が示されれば、反対する人はいなくなるのだろうが、今回のケースでは、理論的な根拠が示される事は有り無い。

何故なら、過去の建築基準法と現在の法ではその耐震強度に対する基準が違うので、これは“機会の平等”が与えられていないのと同じことだと考えられるからだ。

“機会の平等”が与えらていないんだから、逆に過去の基準で建築した人が“救済”されるということであれば、理論的なロジックを構成することは可能だろうが、現在の基準法に見合ったマンションを購入する機会が与えられていたにもかかわらず、それを購入しなかった人を“救済”するということに、理論的な根拠を見出すのは不可能だ。
 
 
 
閑話休題

ブッシュ大統領が『イラクに大量破壊兵器がなかった』として、戦争突入したことが間違いだと認めた・・・なんて news に乗じて、小泉首相を批判している“コメンテーター”が多い。(っていうか、100%みたいだけど)

昨日の午前中、関口浩の番組でも、地下鉄サリン事件で名を馳せた女性評論家が鬼の首を取ったかのように『イラク・フセインは悪くなく、悪いのはブッシュだ』としていた。その理由が振るっている。“無実の罪を自分で晴らさなきゃならない法はない”と。

そして、大量破壊兵器があるとの前提で、イラク攻撃に荷担した小泉は“悪”だと。


なんだか、子供みたいな理論の展開に、失笑したのは言うまでもない。でも、良く考えてみると、ここでも『解き明かされた既知のもの』、『解き明かされていないが既知のもの』が、自分の感情のモチベーションになっていることに気づく。

そもそも、大量破壊兵器の存在の嫌疑に対して国連の査察受け入れ拒否をしていた事が、大量破壊兵器が《ある》からだと誤解された訳だが、実在していなかったからこんな理論が成り立つ訳だ。

フセインにしてみれば実際に持っていようとなかろうと、“曖昧にすることで脅しに使える”と考えていたのだろうから、最初から無実の罪を証明する気など無い訳で、それに免罪符を与えるような“無実の罪を自分で晴らさなきゃならない法はない”などとするロジック自体が、すでに破綻していると思うし、私には、その曖昧さの上(事実に意味は無い)に構築されたロジック故に違和感を感じのだと思う。

仮にも“テロ”を赦さないというスタンスの人なのに、大衆迎合の為に“小泉叩き”をするのだろうけど、ポリシーの芯が感じられず、痛々しい。

(尤も、ブッシュが大量破壊兵器の存在を否定したのは政治的な意味の上のことであり、事実は、存在の確認が不可能だっただけだ。砂漠の何処かに何が有るのかは、今更、誰にも解らない。何千年、何万年後かの人類の子孫が発見するんだろう。)
 
 
 
まだ、今年 1 年を振り返るには早いが、年末はなかなか更新する時間的余裕が無いので、今年 1 年の自分の考え方(エントリー)を振り返ってみた。

結局、私は、曖昧さへの嫌悪が、エントリーの原動力になっている。

この曖昧さへの嫌悪感がある為に、『情熱的に生きる事と身を滅ぼす事の区別を付けよ!』だったり『身に降りかかる不幸を“免罪符”にするな!!』という考えになるのだろう。


私自身の脳の構造・機能から来るものなので、来年も変わることはなさそうだ。

続きを読む "曖昧さへの嫌悪" »

2005年12月20日

A missed opportunity?

つい、最近知ったのだが、先の総選挙後の自民党圧勝を受けて Nature Vol.437(595-596)/29 September 2005 に内政に関する論説が掲載されていた。世界に冠たる自然科学雑誌 Nature に何故?日本の政治のことが・・・・・。

というわけで、先ずは引用をご覧あれ。

■せっかくのチャンスをふいにするのか?

【日本の首相にとって、国内の疲弊した科学技術制度を改革する貴重なチャンスが訪れた。】

9月に行われた日本の総選挙で与党の自由民主党が圧勝したため、外観上は、小泉純一郎首相に対し、国内の諸制度を改革する明確な権限が与えられたようにみえる。そのため、今日の業績が将来の日本の技術的、経済的競争力につながる大学や科学技術関係機関が改革対象リストのトップ近くにあると期待するのは、ある程度当然のことと思われる。しかし残念なことに、このめったにないチャンスをつかもうとする兆しがほとんどみられないのである。

日本の科学技術インフラの基礎が敷かれたのは、第二次世界大戦から20年後のことで、その当時の日本は、急速な工業化に著しい成功を収めていた。質は高いが、きわめて保守的な大学制度、国内向けの政策と優先課題を積極的に打ちだしていったパワフルな官僚組織、そして卓越した技術の代名詞となった数社の大企業によって独占された強力な工業研究部門が、工業化の3大要素であった。

このように並はずれた要素の組み合わさった日本の科学技術制度は、他の多くの国々がうらやむほどのものだったが、21世紀は、これでは十分とはいえない。スケールと広がりの点でどんなに優れていても、日本の科学研究を次のレベルに引き上げること、あるいは将来の経済成長の起爆剤となる、たとえばバイオテクノロジーやコンピュータソフトといった分野の拡大展開を促進するうえで必要とされる柔軟性に欠けている。経済以外の面でも世界をリードすることを志す現代の日本にふさわしい環境や公衆衛生といった研究分野を支援するようにできていないのだ。さらに、現在の科学技術制度で、日本政府は、鳥インフルエンザ、地球温暖化から大規模研究施設の建設といった諸課題についてアジアでおおいに必要とされている地域的なリーダーシップを発揮するために必要な科学的ノウハウが得られないことも実証されている。

ところが、上述した論点は、いずれも選挙戦での争点とはならなかった。これは別に意外なことではない。日本の政治では、欧米の政治における「論点」を中心に動くことはまれなのである。ただし、今回の総選挙は例外的で、世界最大の金融機関である郵便局の改革に関する小泉政権のプランが争点となったのであった。政治家は、通常、自らの選挙区のために予算を獲得することだけに力を注ぐ。一方、キャリア官僚は、2年ごとに担当部署が変わる制度のもとにあり、成果を挙げることよりもミスを出さないことに気を配る者すらいるのだ。

科学研究は、主に地方での予算支出の一形態として、政治家にも官僚にも人気が高く、おおいに支持されてきた。しかし、統治(ガバナンス)には、あまり気を配ってこなかった。日本の科学研究が、期待したほどの成果を生んでいない理由の1つは、これである。

日本では、重要な科学的課題に関する政策が密室で決まってしまうことが、あまりにも多い。その後、公聴会が行われ、決定が下されるのである。その内容が明確なことはまれで、実施についてはだれも責任を負わないようになっている。たとえばヒト胚性幹細胞研究の場合、研究者はこの研究を行う権利があるといわれていたが、煩雑な手続にじゃまされて、実際の研究はほとんど行われていない。

本物の改革断行内閣であれば、何ができるだろうか。まずは、科学研究の原点である大学からはじめて、終身職も下位職も若手、女性、外国人研究者に開放することを優先課題とすることだろう。また研究年数に報いるのではなく、創造力を奨励する評価システムも導入できるだろう。昨年、長年の懸案だった大学改革の一部が実施に移されたが、上述したような課題にはたいした影響は与えないだろう。

日本政府は、米国の研究公正局に似た部署を新設して、研究者の行動を取り締まるべきである。そして、政府の諮問機関である日本学術会議と科学研究予算に影響力のある総合科学技術会議の強化を図り、国の大きさと経済力に見合った科学技術政策を立てられるようにすべきである。そして、一般の官僚が占めているポストの一部を研究者、あるいは元研究者に譲り、苦闘するポスドク学生のためのキャリアパスを開くべきである。現在のところ、文部科学省、特許庁や主要な科学研究費補助金給付機関では、専門知識を備えたスタッフの数が不足している。

そうすれば、日本は、鳥インフルエンザや地球温暖化のような論点に関して、アジア太平洋地区で欠けているリーダー的役割を果たせるようになるだろう。そして共同研究を使って中国、韓国など近隣諸国との関係を改善できるかもしれない。

小泉首相が、これらの政策を実施に移す気配は、ほとんどない。しかし小泉政権が、科学研究に対して中途半端な取り組みを続けるかぎり、日本は科学的業績とアジアでの政策的リーダーシップの両面で、その能力以下の貢献しかできないだろう。

全く、同感である。

っていうか、私自身も以前からこの事は問題視していた。(以前のエントリーを探してみたけど、【日本のとった呆れかえる狂牛病対策】しか見つかんない・・・)

とにかく、政治的にも、行政的にも、最終判断をすべき位置に専門家が居ないのが日本の特徴であることは以前から知っていた。トップが車を知らない車製造会社だったり、銀行出身の電気屋だったり、営業からトップが輩出される医薬品メーカーだったりと・・・・、もう、民間でも、戦後の良い時代からなんでもアリだった。


ところで、私は、学者は政治のことやお金のことを考えるのは卑しい事だという風潮は、日本の天皇家が将軍を立てながら、命を存えたことに通ずるんじゃないかと、密かに思ってたりする訳だ。

正しいとすれば、それは儒教的な考え方であるから、キリスト教の考えが支配する欧米先進国では当たり前ののようされている《大学教授は企業の社長》のようにはいかないのも無理はない。

政治をも取り仕切っていた天皇家と公家は、儒教的な考えから、争い事を好まない(不浄だから)→手を汚す事をしたがらない→実務は別人にやらせる→その別人は農民→その農民の中から源氏や平家が出現→武家社会に移行。そして、武家社会の当人達も、自負分達を“汚い部分を一手に引き受ける身分である”と謙った意識が有った為、天皇家の寝首をかかなかった訳であり、天皇家と公家の方は不浄なものから身を引けたことを素直に喜び、呑気に、歌を詠ったり、毬を蹴ったりと文化的な側面だけを担うことで満足していた・・・という構図が見えてくる。。(《無垢なものが純粋に美しい》だったり《naive に positive な意味を感じる国民性》は以前にも指摘している)

そういう民族的な意識が DNA に刷り込まれているからなのか、、、学問を志す人は、お金に頓着しちゃいけないみたいな“雰囲気”を作ってしまったのだろう。その深層心理には“学問を志す人”は高貴であるという自尊心、或は、長屋の熊さん八つぁんとは違うんだという“選民”意識があったのかもしれない。


どっちににしても、21世紀の社会の中で、日本が科学立国として存在するには、この意識改革が必要だ。科学者は汚い?と自ら考える仕事=経営にも積極的に参加しなきゃならないし、自らの環境を整える為には、政治や行政の世界にも進出しなきゃならないのは、自明の理だ。


私が、政治に興味を持ったのも、現場でチマチマ仕事してても医療はちっとも良くならないと悟ったからである。

そして、それは医療だけじゃなくって、全ての場面でも言えることだったと悟ったのだ。

調剤報酬算定に関して、日本薬剤師会の関与に突っ込みを入れるエントリーに、、、、
つづく・・・・。(のか?)
でも、何の影響力も持っていない日本薬剤師会みたいな存在感の薄い団体を虐めるもの、なんだか白けちゃうよなぁ!まぁ、知らない人には内情暴露ってことで・・・でも、つまんないなぁ・・・。

2005年12月21日

老人の高血圧にはやっぱりご注意!

こんなタイトルと写真で“釣りをしたい”訳じゃ無いんだけど、、、、いろいろと“おもしろいなぁ”って思ったので、エントリーを追加してみた。

何が面白いのかって、長生きが“是”であり“善”で、諸臓器の機能低下が“否”であり“悪”ってな具合に、アプリオリに考える国民性がだ。

どうして?長生きし、老化しない事だけが、人間にとって良い事になってしまったんだろう?
昔は、長生きに不老と不死がセットだった筈だ。
いつのまにか、長生きと不老が一人歩きして、不死は忘れ去られている。叶わぬ夢だから、無視しているとも感じられるけど、それを暗黙のうちに口にしない事がルールになり、《赤信号をみんなで渡れば怖くない》方式で、死に対する恐怖から逃れているようにも感じる。

『そんなこたぁ、わかってんだよ』って御仁もいらっしゃるだろうけど、マスコミや他のメディアで公式に(公的に)言うのは『長生きしても病院のベッドの上じゃ・・・・』と遠慮勝ちに、曖昧に、ぼかして表現するのが精一杯だ。


ひとつ、例を挙げて・・・、下はあるサイトで取り上げられていたものだ。



■老人の高血圧にはやっぱりご注意!

精神機能の衰えが早まりやすい

 高齢者の精神機能の衰えは、高血圧との関係が深いことを見つけた研究が、雑誌「神経心理学」に発表された。
この研究では、高齢の男性357人の医療記録と、彼らに神経心理学的なテストをやらせた結果を詳しく調べた。人種的にはほとんどが白人だった。
 この人たちは、過去3年間、血圧に大きな変化はなく、過去30年間、加齢に関する長期の研究に参加していた。その結果、年を取るとともに、神経心理学テストの成績が年々下がっていたが、血圧が高い人は、血圧が正常な人と比べると、その下がり方が大きかった。
 とくに、「よどみなく話をする能力」(ある分野のテーマを与えて、自分で言葉をさがしながら話をさせるテスト)や、「短期の記憶力」(言葉をいくつかリストアップしてから、そのすぐあとで、いくつ思い出させるかを見るテスト)で、高血圧の老人の成績は、加齢とともに大きく下がっていた。

一億総健康オタクの日本人には、全く違和感無く受け入れられる医学情報かもしれないが、こんな事が 医学上の news となるのは、精神機能の衰えをアプリオリに“否”とするからに他ならない。マスコミも大衆の考えを知っている訳だ。

しかし、人間、誰でも死ぬ。
青年の頃のような【精神機能を保持したまま】で肉体は朽ち果てていくのと、【適当に精神機能の衰えること】で生への執着が和らぎ、死を迎え入れられる状態になっていく事を比べたら、どちらが残酷だろうか?

【精神機能の衰え】が“老化”の一環だとしたら、この方が自然だと思う。

まず、不死が可能なら、不老に意味が生じる訳だ。だって、ヨボヨボになっても死ねないんじゃ“タルタロス”のようなものだからね。不老=長生きならば、体の不具合を意識しないで生きていく事(=健康)にも意味が生じる。


余談だが、こんな商売を長く続けていると、もう一つ面白い事が見えてくる。
それは、ほとんどの人が【健康=検査結果に異常が無い】と思っている事だ。指摘してあげると「ああ、その通りね」となるんだけどね。皆さん、自身で健康の定義も出来ないのに『健康、健康』と騒いでいる(笑)。


先人達が考えた“不老不死”の願いは、現代に妙な形で残ってしまった。
多分、先人達は体の不具合を意識しないで生きていく事(=健康)から始って“不老不死”の考えに辿り着いたんだと思うけど、現代人はその理想の一部だけを取り入れてしまったために、矛盾にもがき苦しむ事になったのだろう。


日本以外の国では“宗教”が、この問題解決に一役買っている(一役どころじゃないかもしれないが、外国人の友達がいないので実感としてわからない)。
 
 
 
閑話休題

以上は、高血圧治療が、100%(本当に)【精神機能の衰え】を抑止できるとの立場から考察したものだが、実は、これが、統計学上は有意な差でも、実際には意味の無い“効果”である事は明白なので、これ以上続ける事は、無益な理論を展開する事になってしまうので「止め止め」である。

普段の私は、医学に100%を求める立場だが、それは詭弁と偽善の塊(エビデンス)を用いて、病気を作る事(患者=お客増)に利用されているからであり、それを根拠に降圧剤を飲めと言わないのなら、医療に100%を求めるどころか、患者の気持ちが満足しさえすれば良いと思っている。

エビデンス好きなアメリカ人は、裁判の為だけに利用している訳だが、日本人はこんな事も知らずに、エビデンスを有り難がっている。アメリカ医療界も日本と同じように、患者の幸せ=病気を治す事だと勘違いして、突っ走っているのだが、患者の側に、医療を受ける・受けないの判断をする意志が明確なので、バランスが取れている。

だから、逆に、医療提供側が、自分の信念で突っ走る事が赦されるし、肯定される。

日本人は、言われた通りにするから、、、、、、正直言って、困っちゃう。騙されやすくって・・・・・。
 
 
 
ところで、オリンピック出場に“年齢制限”をかけている理由が『医学的に言って』などとインチキ臭いのは、どうにかして欲しい。何人たりとも反論できない(と思い込んでいる)“医学的な見地”などの“水戸黄門の印篭”を所かまわず振りかざす行為は、反則だろう。しかも、医学的と言っておきながら、オリンピック以外は“出場に年齢制限が無い”ことからも、その理由のインチキぶりが証明される。

出場の条件に理由なんぞは要らない。一言「キマリだから」でいいのだ。全員が同じ条件で出場の可否が決まるのだからね。日本じゃ中学生が高校野球に出られない事に理由を求める人がいないのと同じ事。

こんな時にも、物分かりの良い人間を演じて『日本だけのわがままで、出場年齢制限の変更は・・・・』なんて、、、日本人、、、悲しすぎる。

ってなことで、『医学的な○○』を論破して、マオちゃんが出場できない鬱憤を晴らしただけのエントリーなのでした。。ワハハハハ。

続きを読む "老人の高血圧にはやっぱりご注意!" »

2005年12月27日

気になったのは・・・

MMJ 12月号 に取り上げられていた論文で気になったもののタイトルを列記してみると、、、

20051227_mmj.jpgBMJ『ハンズフリー装置電話でも交通事故リスク上昇』
・・・科学警察研究所の方のコメントがあるのだが、反則金・罰金の減少を恐れての?コメントが痛々しい。運転中の携帯電話使用の罰金は100万円にすれば、誰も電話しなくなると思うが、いかが?

BMJ『データを捏造した論文には特徴がある』
・・・妙に納得する部分があるのだが、それは“人為的な操作が加えられた報告値には、直近の5や10に丸められているなど、特定の数字が使われやすい傾向がある。”
何に納得したのかは、ナイショ!

Nature Genetics『因果関係の推定とバイアス』
・・・case-control study では“見方によって色々に解釈出来る”という色々な問題を孕んでいる訳だが、物理学の世界では 0.00004%以内の誤差で正しいことが予測できる法則があるという。
Nature December 22, 2005 ではアインシュタインの E=mc2 を検証しているのだ。私なんぞ、この公式自体の“精度”なんて考えても見なかった訳で、そういう意味でも驚きなのだが、その結果が『E = mc2は0.00004%以内の誤差で正しい』ことが報告されたそうだ。
疫学研究も、現象を一般化して、未来を予測したいと言う事では同じなのだが、医学の分野でも E=mc2 のようなスマートな公式が発見されないものかねぇ~!!

BMJ『過剰診断で見かけのメラノーマ発症率上昇』
・・・メラノーマの発症率が上がっても、死亡率は変わってないんだから、ホントのところは“過剰診断で発見されてるだけで、がん自体の発症率は変わってないじゃないの”ってな内容。。。。贔屓目に見れば・・・とか、我田引水に通ずるところがあって面白いジャン。こういうのって、良くあるよね、色んな分野の色んな所に!!

JAMA『喫煙者の肺がん発症リスクが減煙で低下』
・・・「一本たりとも吸っちゃ駄目」「止めなきゃ効果が無い」みたいな“ど根性精神論”がまかり通る禁煙指導の現場に、一石を投じる論文だな!!
1日15本以上吸っている人(喫煙者のほとんどは15本以上吸っている)の場合は、それを半分に減らすだけで肺がん発症リスクが低下するって内容だ。
スウェーデンのストックホルムで開催された第27回欧州心臓病学会(ESC)最終日の9月7日、名古屋市立大学循環器内科の杉山雅也氏が発表した『喫煙習慣のある健康な男性は、1週間禁煙するだけで、血管壁の状態が回復する』なんてのも有ったりして、禁煙までしなくても、減らせば、それなりに効果があるって報告があったし・・・・。
しかぁ~し、本人は良くても、周りが“迷惑”だって感じるなら、そん時ゃ、吸う理由には使えないぞっと。

JAMA『当直明けの覚醒度は日勤後の飲酒時並み』
・・・なんの話かって????お医者さんの注意力の話だよ。夜勤明けは、酔っ払い診療と同じなんだってさ。。。アメリカの医療界は日本ほどじゃないんだろうけど、やっぱり、こういう問題、あるんだねぇ!!なんて言って良いやら・・・・。


と、まぁ、こんな感じになる訳で、やっぱり気になるのは『えっ!!』って感じるものになっちゃう。『~~~は効果がある』『有意に~~~を抑制』なんて、ポジティブなデータを示す論文は、一瞬だけ『ふぅ~ん』となるものの、本丸を攻撃できる内容には程遠く外堀にかすってるだけで、翌日には忘れちゃってるしね!
 
 
 
毎日毎日、玉石混淆な論文(ほとんど石ばっかり)にまみれている今日この頃、皆様、いかがお過ごしですか?(きっこ風)私は、先ほどの休憩時間に読んだ新聞(薬事日報)にも気になる記事があったので、急にエントリー追加を思い立ったところです。

それは、来春の薬学部進学希望者が2割減少するって記事であります!!
 
 
 
やっぱりねって思ってたし、当然なんだけど、これは薬学会がもっとも恐れていた事だと思う。薬剤師会は読みが甘かった(自分に甘い解釈しかしない)と言う事だね。

薬学会にすれば、4年制のまま質の高い(偏差値の高い)学生を他学部に取られずに確保したい訳だ。薬学部という学部は世界中どの国にもあるのだが、薬学部が創薬研究者を輩出しているところが日本の薬学部が他国の薬学部と違うところだとのプライドがあるからだ。
事実、日本の製薬企業での研究者は半分が薬学出身者であり、他国では理学部や工学部・農学部出身者に占められているのと大きく違う。

薬剤師会は6年制にする事で、自分達がそうだったように、医学部と同じ年数の大学教育を受ける事に自尊心を擽られると、世の中の高校生も同様に感じると読んだのだろう。

ところがどっこいだ。

さらに、薬剤師会は、薬学部に4年制と6年制が併存する事を、何故か嫌っている。公の理由は意味不明だ。

研究指向の学生は早い段階で研究室に入り込みたい訳で、さらに早く修士・博士の学位が欲しいわけだ。病院だ薬局だって実習なんてやってる暇はない。さらに国立大学薬学部(旧七帝大)の薬剤師国家試験の合格率を見れば明らかなように、偏差値の高い学生は“薬剤師免許を使わない”という事がはっきりしている。

というわけで、併存すれば6年制薬学部の偏差値の方が低くなるのは、明らかなわけだ。従って、下衆の勘繰りをすれば、偏差値の低い薬剤師の卵達を、偏差値の高い研究指向の学生と同一の学部にぶち込んで、良く見せたいという偏差値コンプレックス故に4年制と6年制が併存する事に反対すると考えられるのである。

そして、6年制1本を悲願とする日本薬剤師会には、日本の創薬研究の一翼を担う薬学者を輩出することを薬学部に望んでいる人間はいないということをも示している。


しかし、偏差値が高ければ“良い医療人”に成れるのかという理屈もある。これも一理あるわけだが、それを言うなら、“薬剤師の資質”などと“非常に曖昧”な定義の上に成り立った“資質向上”が果たして、日本の医療に役に立つのか?という疑問も呈されるだろう。


文部科学省や厚生労働省が薬学部を6年制にした本当の理由は、以前にも指摘したが、日本に処方箋の“繰り返し使用”を実現したいからに他ならない。(というか、これ以外、私には思い付かない。)いわゆる慢性疾患の経過観察を、薬剤師にやらせて、医療費を抑制するという“政策”がらみの理由からだ(注1)。

お薬手帳や薬剤情報提供などの薬剤師の“技術料”は、患者の満足を満たす事はあっても、医療の質の向上には役立たない。個別のケースでは重複投薬を免れたと言う事例も、ほんの少数はあるだろうが、IT技術の進歩により患者情報の共有が実現すれば手帳は必要ない訳で、医療費が抑制される事もないだろう。(その昔は、驚くべきことに医薬分業が医療費を抑制するなんて本気で言っていた)患者個人の満足を満たすだけの“薬剤師の技術料”に公的な保険で賄うというのは、原資が尽きたら最初にカットされる部分だ。病棟に出て行く、いわゆる臨床薬剤師に対費用効果が認められないのは、アメリカで実証されてしまったから、何も言いますまい。病院の薬剤師達だって、無料で仕事する訳にはいかないからね。

こんな状況の中で、薬剤師教育に6年も費やし、しかも“資質向上”を歌い文句にしているのだが、具体的に、どんな資質を向上させたいのかも、誰も、ハッキリとはさせていない。(事実、20年も薬剤師をやっている私にさえ“薬剤師の資質”ってのが、どんなものなのかわからない。が、もし専門領域の知識とするなら、生涯学習を続ければ良いだけの話で、何も学部教育を2年間増やしたからって、“資質向上”するとは思えない。しかも、そこで余分に学んだ知識なんて5年もすれば使い物になら無くなる訳で、たかが知れている。)

こんな時にこそ、薬剤師会は薬剤師教育にイニシアチブを取り、未だ示されていない政府のビジョンを鑑み、慢性疾患の経過観察できる能力を持った薬剤師を育てるなどと、具体的な方向性を示すべきなのだ(注2)。4年制の薬学部とは決別し、薬剤師養成専門学校として割り切るくらいの気持ちがないと、薬剤師教育なんて出来る訳が無い。
のらりくらりと“美味しいポジション”に陣取ることしか、考えていないように見える現状、すなわち、アカデミックも捨て切れず、免許取得後すぐにでも情報提供と服薬指導が出来ることを目指すような教育じゃ、6年間の授業料はどぶに捨てるのと同義になってしまう。


医療の中で必要とされる職業にならなければ、薬剤師免許では霞しか食えない事になるということを、薬剤師会には目を逸らさずに対応してもらいたい。

政府は2010年には医療費のオンライン請求を目標にしている。薬情、お薬手帳で点数が稼げない時代が直ぐそこまでやってきている。情報過多の時代に定型の情報を提供してお金を貰おうなんて、時代に取り残されてしまう。もう、尻に火が付いているといっても過言ではないんじゃないかな。
 
 
 
先日、ある人からこんな事を聞かれた。その方の従兄弟の子供が、この春、薬剤師になって病院に勤め始めたのだが、すでに『止めたい』って言っているんだと。その人のお子さんも薬学部にいきたいって言ってるのだけど、どんなもんかな?って。

アカデミックな世界で生きたいのなら、別な学部もありですよと、アドバイスしたのは言うまでもない。


気になったタイトルから、全く脈絡無く、話は学校教育に及んでしまった。薬剤師会への苦言と言う事で、いつかは書こうと思っていたので、こじ付けで書いてしまった訳だが、ちょっと修正をしたり、ヌルくしすぎたかもしれない。

■注1:単純に国家予算70兆、そのうち40兆が実際の収入、そのほとんどを医療費で食いつぶしている。。。。何とかしなきゃ、、、、ねっ。『10年後、1ドル250円の時代が本当にやってきちゃう』って本が売れてるらしい。。。。そして、薬剤師に経過観察させるって案は、6年制にして見込みがなきゃ、公にされずに葬り去られる。薬剤師って職業も合わせて葬り去られなきゃいいんだけど・・・。薬剤師会の対応次第って訳だ。薬剤師会が動かなきゃ、薬剤師に経過観察させるもなにも無い訳よ!自分達の職業を守るのは、誰でもない、自分達薬剤師な訳なのだが、その辺のところ、薬剤師会って、意識が希薄なんだよねぇ!!奇麗事が好きな人は多いみたいだけどね。

■注2:慢性疾患の経過観察なんてミニ医師教育だ!なんて理屈をぬかす奴はいつまでも“理想の薬剤師像”を追いながらマスターベーションやってろ!職業ってのは、理想を追求しても必要なきゃ、なくなるんだよ。鍛冶屋のようにな。って煽ってみる・・・。苦笑。

2005年12月28日

メタボリックシンドロームは“裸の王様”なのか?

メタボリックシンドロームは、糖尿病と心疾患の危険因子を持つ患者を、臨床的に評価する事が可能な信頼性のあるツールなのか、それとも、不明瞭な定義の疾患群で、これらの疾患予防に当たる医師に誤まった予見を与えるものなのか?


欧米の糖尿病と心疾患の専門学会が論争を巻き起こしていると言う。こういう所が『いいなぁ』『健全だなぁ』って、つくづく思う。

日本じゃ、絶対、有り得ないよね。学会で演者に反対意見を述べる人はいても、学会同士で意見をぶつけ合うなんてことは有り得ないんじゃないかな。


テレビじゃ、相変わらずみのもんたやあるあるが『アレが良い』『コレはダメ』などと言ってるけど、こんな論争が存在している事、知ってんのかねぇ??とにかく、○○に良いなんてデータが発表されれば、一切疑う事なしに信じちゃって、『お嬢さん、知ってましたか?』なんてやっちゃうんだろうな。権威付けに呼ばれて出演している医師や医学博士も無責任なもんだからなぁ。
 
 
 
閑話休題

一回、思い込んだ事(信じ込んだ事)って、容易に変えられないんだなぁって思う事が、この時期、多い。
で、特に多いのが、インフルエンザの予防接種は風邪をひいている時にはダメの理由を間違って信じている人。
結局、理由を勘違いしているにせよ、結果はOKなのだから、『まぁ、いいか』と済ませる事が圧倒的に多いのだが・・・・。

一回、勇気を奮って(笑)?「どうして駄目だと思うんですか」って聞いてみた事がある。
そしたら、「風邪が酷くなる」「ワクチンでショックが出やすくなる」などと。。。。アララ、やっぱりかぁ・・・。免疫学を講義する時間も無いので、そのままほったらかしにしたのは言うまでもないのだが。。。


まぁ、どういう勘違いにせよ、結果が同じになるのなら良いのだが、結果が同じにならない“勘違い”を助長させるような“みのもんた”や“あるある”はなんとかならないものかなと。

需要があるから(視聴率が取れるから)あの手の番組が続けられるんだろうけど、結局、消費活動のプロパガンダって事には気づかないんだからしょうがないって言えばそれまでだが、あの手の情報(おしつけ・おせっかい)番組によって、人々は、正しく理解する機会を逸されるんだろうなぁと、つくづく、感心させられる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか??(きっこ風・・・ちょっとうざいな!)


まっ、兎に角、間違った事を信じている人には、3回も同じ説明をさせられる事が多いのだ。それで、認識を新たにしてくれれば良いのだが、徒労に終わる事の方が圧倒的に多い。この、暮れの忙しい時に・・・ブツブツ。この責任を“みのもんた”や“あるある”は取ってくれるんだろうか・・・。

小一時間、問い詰めたい!


p.s.年末の忙しかった仕事も終わり、明日から休暇に入る。あぁ~、うれしぃ~。

続きを読む "メタボリックシンドロームは“裸の王様”なのか?" »

About 2005年12月

2005年12月にブログ「WebMaster's impressions」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2005年11月です。

次のアーカイブは2006年01月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.37