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2006年05月 アーカイブ

2006年05月07日

亀田兄弟八百長試合

いやー、ネットではにぎわってますねぇ。亀田の八百長試合。


『TBSですから、八百長はお得意ですし、裏で怪しいお金も動いてますからね』
『あんなもんを英雄視するように煽るマスコミや、それを金儲けの道具にしようとするテレビ局には、、、』
『プロから見たら日本ランクにも入れないですよ。私でも倒せます』と元プロボクサー。
その他、いろいろ。亀田三兄弟はガキの喧嘩並みのレベルらしい。一番下の弟もオリンピックに出たとしても、すぐに反則負けだそうだ。

でも、テレビって、それが当たり前の世界で、ようは楽しめればいいじゃんの世界なんだから、あんまり目くじら立てるのもどうかと。。。。。。
プロレスに文句もいわないのに、プロボクシングに目くじら立てすぎなんじゃないかな・・・。でも、まじめにボクシングに取り組んでいる人からみたら、いたたまれないんだろうね。ボクシングが冒涜されたみたいでね。(私もサッカーファンの“サポーター”って言い方に不快感を感じるから、それと同じなのかな?!)


テレビが視聴率至上主義で面白ければ何でもありなのは、日曜の朝からやってる政治関連の討論番組を見たって、よくわかる。それは、ろくなもんじゃない。そもそも、共産党や社民党なんか出して喋らせてるって事自体をみても、番組作りしているわけだ。
お家芸・伝統芸能の“憲法改正反対”や“戦後補償”とそれに続く“靖国問題”は、学校の『道徳』の時間にやっていれば良い話だ。それも、感性を同じくする“日本人同士”でね。
こんな、現実の外交・政治の舞台に持ち出す“理屈”じゃない事もわかっていないヤツラを引っ張り出している事自体が、もう、“作ってる”んだよね。

共産党・社民党は、理想主義者なんだろうね。(自己犠牲を厭わないという本物の理想主義とは、ちょっと違うけど)

でも、こんな連中に政治を任せられないのは、当然のことで、地球上では日本人には理解不能の“人間”が一杯いるからだ。

バリバリの中国の共産主義者(指導者)や北朝鮮は言うに及ばず、パレスチナの新しい指導者シャメル・ハマスの『自爆攻撃は当然の権利だ』に、どうやって対応するんだろう。丸腰で立ち向かえば、相手も武器を引っ込めてくれると思ってるのかね。一旦、言いなりになったら、なし崩しになるって事は、いやってほど経験しているはずなんだけどね。(日本人、特に共産党・社民党は本土を攻撃されないと、他人事なのだろう。9.11 では日本人の犠牲者だっているんだぜ!アメリカに歩調を合わせると、テロの標的になるって、共産党・社民党は言ってるけど、すでに犠牲になってるっての!!)

政治・外交はリアリストでなければ務まらない事は自明の理だよな。道徳的に良くない事でもやらなきゃならないのが政治家だ。清濁併せ呑むのが政治家だ。奇麗事だけでうまくいくなら、政治家は要らないよね。(世界のいたるところで犯罪ですら無くせないんだから“理想”は実現不可能なのも論を待たない)
 
 
 
閑話休題

昨晩、NHK BS でジョン・レノンをフィーチャーした映画を見た。
晩年、政治色を強めた発言を繰り返していたのは知っていたが、まとめて見たのは初めてだった。

彼の主徴は『世界平和』だ。

そして、彼の数々の行動(奇行?)を見た後で、ラストで『イマジン』を聞きながら、私も、何故か、ジーンとして、ボォーっとして、目頭が熱くなってしまった。

こんな理想的な世界が実現したらいいだろうね。“非武装”が平和への絶対条件だとし、国境すらない世界を想像してご覧って言ってるんだから、まるっきり、幼稚なんだけど、でも、実現できたら素晴らしい・・・って、感じてしまったのだ。

若くして、富と名声を得てしまった彼は、現実の世界から遠いところで暮らしているんだなって感じた。
 
 
 
テレビに出て、自分達だけが“正義”とか“誠実”とかを理解し、実践しているみたいな口調で話をする共産党・社民党の議員たち、彼らもまた、現実の世界から遠いところで暮らしているんだろうなって感じた。

そして、、、私も、そっちの側にいられたら、理想主義者(ロマンチスト)でいられたら、結構、幸せだったのかなぁなんて思ってしまった。

でも、今朝目覚めてみたら、現実に引き戻されていた。

自然科学(ライフサイエンス)を専攻したバリバリの現実主義者(リアリスト)の私には、絶対、無理な話だなぁと感じた今朝のひとときでした。


p.s.“彼の主徴は『世界平和』だ。”を誤変換のまま残したのを気付いていただけただろうか?『しゅちょう』と入力して一番最初に変換されるのが『主徴』であって、『主張』じゃないんだよね。トホホ。書いた文章を見直していて『がくっ』ってなっちゃったよ、ほんと。

2006年05月09日

(ニッポンを)好きなんだけど・・・

富士山は美しい・・・・

2XXX年X月X日 某国、某所、、、

博士『ほぉ~らね、言った通りだろう?』
助手『本当ですねぇ、あっさりと言いなりになるんですねぇ、あの国は』
博士『そうさ、でも、戦前は一本筋が通ってたんだよ、あれでも。戦後、アメリカが子飼いの犬にする為に、腑抜けにしてくれたおかげもあって、こういう性質になったんだよ』
助手『ふ~ん、そういうものなんですか?じゃ、我々の犬になってもらう事も、可能かもしれませんね?』
博士『そうさ、今、それを狙っているところだ。なんたって、主義・主張がなくなって、日和見主義になったのは、首相だけじゃなく、国民も同じだからね。もっとも、事勿れ主義は、昔からあったんだけど、武士道ってヤツが生きていた頃は、事勿れではあったんだが、妥協はしなかったんだ』
助手『へぇ~』
博士『平敦盛と熊谷直実のエピソードは、この前レクチャーしたから覚えてるだろう?』
助手『ええ、熊谷直実が本意ではないけど、若武者平敦盛を殺すってヤツですよね。そしてその後、熊谷直実自身は出家してしまうという』
博士『そうだ、武士道が生きていた頃のあの国は、本意ではない事も行動できたのだ。当事者は、後で悔いて悔いて悔いるわけなのだがね。決して、他人から言われて自分の行動が左右される事は無かった。』
助手『しかし、今は、全く違うというわけですね。ところで、あの国は常任理事国入りを望んでいて、我々が反対してしるわけですが、アレを止めさせる事とバーターでしたよね?ということは、常任理事国入りを認めちゃうんですか?そんなことになったら、我が国の犬に出来ませんよ!!』
博士『なぁ~に、心配は要らないんだよ。我が国の言いなりになった時点で、既に終わってるんだからね。』
助手『とういうことですか?』
博士『自分の主義・主張も通せない国、首相、それを選んだ国民、こんな国がリーダーになれると思うかね?この一点で、常任理事国入りは反対できるのだよ、君ぃ!』
助手『おおっ、博士、頭いいですねぇ』
 
 
 
2006年5月8日 日本、我が家、、、

昨日、帰宅すると妻が怒っていた。

娘の幼稚園が創立記念日だったので、水道橋の“ドームキッズなんとか”という所に、娘を遊びに連れていった。ここでは、なんの問題も無い。問題は、帰りの電車内でだ。

娘は、はしゃぎ回って、遊び転げていたので疲れたのだろう、妻に『おんぶ、おんぶ』とせがんだのもつかの間、背中で寝てしまったそうだ。
なかなか、帰りたがらなかったので、時間も午後4時をまわってしまって、妻も通勤時間帯にぶつかってはと、嫌がる娘を無理矢理引っ張り出して帰宅する為、電車に乗ったのだが・・・、結構、混んでいて座れなかったと。

3歳も過ぎているのだから、ベビーカーやオンブ紐など持っている訳も無い。両手を後ろに回し、娘を支えているのだから吊革にもつかまれず、電車が揺れるたびに妻もフラフラと。

車内では寝たふりをする乗客だけで、誰も席を譲ってくれる人はいなかったそうだ。

良く見れば、少し離れた所に妊婦さんの姿も見かけたという。正面に腰掛けている若者達は、全く無関心で携帯電話とにらめっこだったそうだ。

『まったく、日本人って、なってないよね!!!優しさの欠片も無い!』と誰にぶつければ良いのかわからない怒りを私にぶつけてきたのだ。


さて、これだけなら、エントリーする事でもなかったのだが、実は、その1時間ほど前、正確には仕事が終わって帰宅する直前、職場の休憩室でチラッと見たニュースを思い出して、ほとほと、日本人の“偽善者ぶり”に辟易して吐き気まで催してしまったので、エントリーすることにした訳である。


そのニュースの内容は、『はとバスツアーが、最近、お客さんが激減している』というものだった。その対策として色々なオプションメニューを提供しているのだそうだ。ここまでは全く問題ない。そのメニューの中にコリアンツアーと称して韓国人・中国人に東京見物をしてもらおうというものがあった。ここまでも、全く問題ない。

問題なのは、コメンテーターの一言である。

『中国・韓国との間をぶち壊した小泉さん・・・・・』とここでも、お家芸を披露していた事だ。

このコメンテーターは、『自分は韓国・中国の人の気持ちが良くわかる心の優しい人間だ。韓国・中国人の心情も理解できない冷血漢の小泉には、正義の鉄槌をくらわしてやる』とでも言いたげに。

そして、世論調査に拠れば、国民の8割の人が“小泉叩き”だ。『自分は冷血漢の小泉とは違うんだ』と言わんばかりに。


しかし、日本国民は、8割もの人が“心の優しい、人の気持ちが理解できる人”の筈なのに、混んでいる電車の中では、子供連れの女性や妊婦さんを気遣う気持ちは、持ち合わせていないらしい。

結局、他人の為に自己を犠牲にしてまで(座席を譲れば自分が立たなきゃならなくなる)人の心を理解しようとは思わないし、だから見て見ぬふりなのだろう。口だけで済む“小泉叩き”は“かぁ~んたん”で犠牲にするものないしね。

日本人の思いやりとは、所詮、この程度で、薄っぺらで、口だけなんだよなぁと、つくづく感じたわけだ。これだけを見ても、日本人に本物の“善人”は殆ど存在せず、“偽善者”がかなりの数を占めるという事が証明されてしまう訳だ。


まぁ、このコメンテーターが、普段、電車の中で、どのような行動をしているか知っている訳じゃないんだけど、推して知るべしだろう。

何故なら、中国・韓国の全ての人達から、小泉首相の靖国神社参拝についてどう思うかを聞いた訳じゃなく、一部の人間の行動(排日行動)や国家首脳陣の外交カードに利用されている事実を無視して、“小泉を叩く為の大義名分”にする為、あたかも全ての中国人・韓国人が日本人に対して、怒りを露にしているというような誤解を与えるようなものの言い方をするんだからね。かなり、恣意的な“情報発信”をする人間だと判断したからだ。


個人的なブログで、個人的に発信するなら良いと思うけど、公共の電波を使いながら、誤解を与えるような情報発信は、私個人としては“吐き気を催す”わけだ。

まぁ、日本人は人を疑わない国民だから、テレビに出ている人=エライ人=見識を持った人が言ってるんだから、その通りだろう思っちゃうんだろう。だから、国民の8割もの人が“小泉叩き”にまわっちゃうんだよな。この“頭の悪さ”もどうかと思うけど、頭の悪い事も含めて“弱者の正義”がまかり通っちゃう国だから、どうしようもない。(判官贔屓の行き過ぎだって思う。)
コメンテーターも軽い気持ちで“小泉叩き”したのかもしれないが、視聴者(一般大衆)が“馬鹿”なんかだから、自分の発言に責任を持って欲しいもんである。(大衆を扇動できる喜びを感じてたとしたら、責任なんて持つわきゃないけど)


ところで、誤解されると困るので、言っておくけど、私は、自分の事を“善人”だと思った事は一度も無い。多分、他人から評価してもらうと“冷血漢”の側だと思う(思慮の浅い奴と努力しない奴は生理的に嫌いだし)。でも、それをよしとしている訳じゃない。甘んじて受け入れているといった感じだ。

軽々しく“人の為”と言えないし、行動出来ないのだ。そして、軽々しく出来る人達を、心の何処かで“羨ましい”とも思っている。

その裏返しが、軽薄な“偽善者”を軽蔑し嫌悪する事になり、吐き気まで催しちゃうんだろう。

そして、決して“小泉マンセー”じゃなく、“フェミニスト”でもないので、そこんところは理解して頂きたい。


さて、つまらない自己分析にお付き合い頂いたので、最後は、ギャグで閉めたいと思う。

p.s.自己分析なんてのは、希にしかしないし、今後も、(私は善人じゃないので)人の気持ちなどお構いなしにビシビシ切りまくっていこうと思っている。(善人じゃないけど、良き夫で、良き父である事には自信があるぞ!ワハハハハ。)
 
 
 
◆豪華客船にて

豪華客船が今にも沈没しようとしていた。

「さあ!救命ボートがあります。海に飛び込んでください!」
船員は叫んだが、まだ多くの乗客達はためらっていた。

「誰が一番に飛び込みますか?」アメリカ人達が飛び込んだ。
「紳士ならば、飛び込めますね?」イギリス人達が飛び込んだ。
「さっき、美人が先に飛び込みましたよ!」イタリア人達が飛び込んだ。
「飛び込むことは規則になってます!」ドイツ人達が飛び込んだ。

「みんな飛び込んでいますよ!」最後に日本人達が飛び込んだ。
 
 
 
◆アニータとウィンナー

日本人の夫と結婚したアニータ。料理自慢のアニータだったが、日本語がなかなか覚えられないのが悩みの種だった。

ある日、豚のモモ肉を買いに肉屋に出かけたアニータは、どう説明したものか考えたあげく、スカートをたくし上げて、自分の太モモを肉屋に見せたのである。
「ああ。豚モモ肉が欲しいんだね」と、肉屋はすぐに意味が分かって、豚モモ肉を包んでくれた。

次の日、ニワトリの胸肉を買いに出かけたアニータは、服をめくり上げて、自分のふっくらとした胸を見せた。
肉屋も、すぐに意味が分かって、トリ肉を包んでくれた。

そして、またまた次の日。今度は料理にどうしても、太めのウィンナーが必要だった。
そこで、一計を案じたアニータは、夫を連れて、肉屋に出かけた...

((賢い皆さんには、答えはもうおわかりですよね?))

肉屋に到着すると、アニータは、夫に「太いウィンナーをください」と話してもらったのである。
 
 
 
◆天国と地獄

「最高の生活」
アメリカ人の給料を貰い、イギリスの家に住み、中国人の料理人を雇い、日本人を妻にする。

「最低の生活」
中国人の給料を貰い、日本の家に住み、イギリス人の料理人を雇い、アメリカ人を妻にする。
 
 
 
◆考察:ジョークと日本人

日本人は、ジョーク一つで三回も笑うことが出来ます。

・ジョークを聞いた時
・そのオチの意味を教えてもらった時
・家に帰って、教えてもらったオチの意味がようやく理解できた時
 
 
 
◆お国自慢

中国人、シンガポール人、日本人が、自分の国の指導者を自慢した。

中国人は言った。
「我が国の指導者は、例えて云えば万里の長城だ。古く堅固で永遠に続くのだ」
シンガポール人は言った。
「我が国の指導者は、高層ビル群だ。新しくて上へ上へ伸びていく」
日本人は言った。
「我が国の指導者は、富士山だ。長いことそびえ立っているが──何もしない」

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2006年05月12日

NBC テロ

Nature Biotechnology May , 2006 にこんな新技術が報告された。

A liposome-PCR assay for the ultrasensitive detection of biological toxins

 痕跡量のコレラ毒素とボツリヌス毒素を、現在の最も優れた方法の少なくとも1000倍の精度で現場で検出できる方法が開発された。この2つは、バイオテロの際に食物や飲料水に混入される可能性の高い毒素である。この方法は、わずか3時間で結果が出せる。

 これまでの最も迅速で感度の高い生体毒素検出方法は、犯罪現場で見つかった痕跡量のDNAを大量に増やせることで最もよく知られているPCRとよばれる技術に、牛乳などのような複合試料中から生体毒素を特異的に探し出す抗体の利用を組み合わせることにより、非常に高い特異性をもたせていた。Jeffrey Masonたちはこの方法の感度をさらに高めるために、PCRを誘導する分子をおよそ60個を、周りに生体毒素に対する受容体を付けた中空の油滴(リポソームとよばれる)の中に封入した。生体毒素があれば受容体に結合し、次にリポソームが壊れるとPCR誘導分子が放出されてシグナルを増幅するため、野外で飼育する家畜の尿や排水中の無害な成分によるバックグラウンドがあっても、隠れてしまいそうな少量の生体毒素でも検出ができる。

 この検出法はきわめて感度が高いだけでなく、米疾病対策センターのボツリヌス検出法とは違い、動物を使用しなくてすむ。


20060512_terrorism.jpgさて、こりゃ、面白い発想だよなぁなんて、朝の眠気も吹き飛んで、動物愛護団体も大喜びだぁなんて、感じちゃった訳だが、ふと、日本のバイオテロ対策って、一体、どうなってんだろう?って、興味を覚えた。

というわけで、『テロ対策』『バイオテロ対策』『生物テロ対策』『生物化学テロ対策』『NBCテロ対策』と、一通り、引っ掛かりそうなキーワードで検索してみたのだが・・・、驚くほど、何も無い・・・・。

もしかしたら(っていうより、間違いなく)、敵(テロリスト)に手の内を見られない為に、敢えて当局は情報を制限しているんだろうけど、それにしても、技術の解説くらいはあってもよさそうなものなのだが、、、。


で、解説って言って良いのかどうか、こんなモノまであった。

NBC(エヌ・ビー・シー)テロ

 NBCテロとは、核物質(Nuclear)や生物剤(Biological)、化学剤(Chemical)によるテロのことです。
 核テロでは、テロリストが核物質を奪取したり核兵器を入手したりして行うテロのほか、原子力施設の破壊行為などが考えられます。
 また、生物テロとしては、細菌(ペスト菌、炭疽菌など)、ウィルス(天然痘など)といった病原性微生物や毒素(ボツリヌス毒素など)の散布などが考えられます。
 化学テロとしては、サリン、マスタードガス、青酸などの有毒化学物質(ガス状の有毒化学物質はいわゆる毒ガスです)の散布などが考えられます。
 特に、病原性微生物や有毒化学物質は、比較的安価で高度な技術を要することなく生産できるため、テロリストが入手し使用する可能性があり、生物化学テロは大きな脅威とされています。
 政府は、炭疽菌事件への対処やワクチン、抗生物質の準備などの対策を進めており、8日には、小泉総理の下、NBCテロ対策についての関係閣僚会議を開き、生物化学テロへの基本的対処方針を決定しました。

小泉首相は、間違いなく『NBC テロ』って言葉は知ってる訳だ。でも、この N , B , C が何の略だか、さらには NBC テロって言葉自体、知っている日本人って、どの位いるんだろう?って、ふと思ってしまった。
 
 
 
閑話休題

ノーベル文学賞に村上春樹氏が有力?なんて騒ぎで、最近、氏の小説を読んだ訳だが、ノーベル文学賞自体を調べていく途中で、大江健三郎氏に対して、こんな批判がある事を知ってしまった。

大江健三郎氏は、文化勲章を『戦争責任のある天皇から貰えない』としながら、『核実験やる必要あんのかゴルァ』の中、強行したフランスからレジオン・ドヌール勲章を貰ったり、そもそも、大量殺戮を目的とした爆薬の開発で得たお金を基金としているノーベル賞を、何も言わずに受賞している節操の無い奴だって事だ。

ぜんぜん、知らなかった私は、『へぇ~、世の中、突っ込むのが好きな奴がいるんだなぁ』って感じ入ってしまった。しかも、面白い事に、この考えをする連中は、産経か読売か?なんて非難している連中もいるのには、びっくりしてしまった。

まさに、『聞く』と『聞える』、『見る』と『見える』、違いは何?って聞かれて、脳の機能を生化学的に表現しないと旨く説明できない事を知らないと、こうなるんだよなぁって事の典型だな!なんて、傍観者してしまった。(脳では全く違う処理している)

ちなみに、爆薬と火薬の違いは、科学的に分類すると、音速をこえる速度で反応するものを爆薬といい、それ以下の速度で反応するものは火薬という。この分類では、ニトログリセリンは爆薬である。火薬は殺戮兵器に利用できないけど、爆薬は殺戮兵器に利用できる。。。。っと。

でも、ノーベルは最初から殺戮したい為に作った訳じゃなく、フリッツ・ハーバーが空気からアンモニアを作った(空中窒素固定法)のも、爆薬を作る為じゃなく、農作物の肥料としての側面もあったわけで、彼らの業績を『見る』人と『見えている』人では、印象が変わるのも当然の事だ。

大江健三郎が“見ている事”と“見えている事”に起因する行動を、また、別の人が“見て”たり、“見えて”いたりする訳で、その辺を自覚していないと、他人を誹謗する事になるんだろう。


イギリス人は、多分、フリッツ・ハーバーが嫌いな筈だ。ドイツでは、空気から爆薬を作る事が可能になった為、ロンドンが火の海になったんだからね。作ったのは誰だ?って。
でも、戦後の荒廃したヨーロッパの大地を速やかに肥沃にしたのも、また、フリッツ・ハーバーの発明によっている訳だ。(弟子のハーンが作った毒ガスが抗がん剤になった話は有名)

20050512_eVolution.jpg『じゃ、最初から、そんに発明しなきゃ良かった』なんて、科学を否定する人もいるんだけど、我々人類は、ネアンデルタール人ではなく、間違いなくクロマニオン人の末裔なんだから、しょうがないわけだ。

そして、多分、『NBC テロ』って言葉を知るだけでも、国民の小泉首相の行動を『見る』『見える』も変ってくるんだろうなぁって感じた午前中のひとときでした。

ちゃんちゃん!

2006年05月15日

また、モラルの問題に帰着するのか?

最近になって、散見(聞)されるようになってきた“病院で携帯電話を使っても問題ない”という話。

先日も、Anesthesia & Analgesia(2006; 102: 535-541)に、エール大学(コネティカット州ニューヘブン)麻酔科・神経外科のKeith Ruskin准教授らが、『病院内で医師が携帯電話を使用したところ医療過誤が減少し、より迅速な治療を施せるなど誤作動リスクを上回る恩恵のあることが示唆された』と報告した。

医療器具との干渉少ない

 Ruskin准教授らは「最新の携帯電話に使用されているテレメトリーはアナログではなくデジタルで、従来のテレメトリー使用の携帯電話と異なり医療器具と干渉することはほとんどない。また、新型のデジタル携帯電話の出力ははるかに高く、従来の携帯電話とは異なる周波数で作動している。携帯電話と医療器具が電磁波干渉するわずかなリスクと、伝達の効率化により得られる恩恵を天秤にかけるべきである」と述べている。

 今回の研究では、電磁波が人工呼吸器や点滴ポンプなどの生命維持装置に誤作動を及ぼすとされているリスクは2.4%にすぎないが、情報伝達の遅延に起因する医療過誤や傷害リスクは14.9%とはるかに高かった。


というもの。

しかし、どうなんだろう?検査機器に影響が少ないからって、医療従事者達がバンバン使っているのを見れば、患者も使いたくなるのは当然なんじゃないか?

医療従事者達は、必要な会話をする為(患者にとって最大の利益を与えられるように)、携帯電話を使う訳だけど、患者の側にすれば『今まで、検査機器や心臓ペースメーカーに影響が出るって言うから、使用を控えてたけど、悪影響無いなら、つかってもイイじゃん。』って理屈で切り返すヤツが、必ず出てくるんじゃないか?

そして、“携帯電話を使わない”という事を、今まで頑なに守ってきた(文化?)人達にとって見れば、その拠り所を失う訳だし、他人に『病院じゃ携帯電話を使うな』って注意する“理屈”も失っちゃう訳だ。
 
 
 
実は、私も、電車の中では“携帯電話”を使う人を見ると、腹の立つ側の人間だ。
話の内容が“緊急を要する”場合には仕方ないと思うが(電車の中で緊急自体が発生しても、電話を受け取った人は何も出来ないから、意味はないのだが)、ただ、他愛の無い会話を、でかい声で続ける人間を見ると、注意を与えたくなってしまう。

で、実際、何度か注意した事もある。今までは運が良く、逆切れされた事は無いのだが、人の健康を害しているという引け目が、謙虚に、注意を受け入れていたとしたら、それが無くなったらと思うと、これから注意するのは、ちょっと恐いかも・・・。

モラルに持ち込んでも、日本人のモラルは期待できない(自己犠牲を伴うと、途端に消極的だ)から、“人の迷惑顧みず、携帯電話をところ構わず使用する側”にでもまわった方が、気が楽かもしれない。。。。(多分、出来そうも無いけど)

2006年05月17日

茨城のウイルス騒ぎは人為?

まずは、これをご覧あれ。

■茨城のウイルスに不自然さ 農水省の鳥インフル調査で

 茨城県の鳥インフルエンザ問題で、農水省は15日、感染が確認された鶏から採取されたウイルスを鶏とアイガモにそれぞれ接種したところ、鶏は感染性が高く、アイガモは感染しないなど通常のウイルスではみられない「不自然な点があった」とする調査結果を明らかにした。
 感染原因をめぐっては、中米のウイルスを基に作られた違法ワクチンを使用した可能性が浮上しており、農水省は「使用の可能性をあらためて示した」としている。
 調査は農水省の専門家らでつくる感染経路究明チームが実施。鶏とアイガモへのウイルス接種試験以外にも、鶏へのウイルス感染後、抗体が5-7日(通常は10-14日)と短期間で作られるなど不自然な点が多く「渡り鳥による感染可能性は低い」としている。
(共同通信) - 5月15日19時18分更新


要するに、違法ワクチンに混入していたウイルスが感染源だってことだ。こんな事は、いまに始まった事じゃないのは、推して知るべしだろう。
食肉(牛肉)に関してだって、一般庶民は大本営発表(当時、肉骨粉を大量輸入しておきながら『事実は無い』だもんね)をいとも簡単に信じちゃうし、この養鶏業者のように、闇でワクチン輸入なんて事も造作も無い事だろう。量が多いから難しいと思うけど、北朝鮮産の覚醒剤も、易々と入ってくるんだから、不可能じゃないんじゃないかな!

そして、テレビや新聞を経由して知ると信じちゃう、ほんと、平和ボケ以外の何ものでもないな。(自分で調べる手段と機会があるのに、それを放棄している、、、のが、一般庶民ということなのだろう。)


まさに、時代は、、、
老子
『大道廃(すた)れて仁義有り。知慧(ちえ)出でて大偽有り。六親(りくしん)和せずして孝慈有り、国家昏乱(こんらん)して忠臣有り。』(第18章)
なんだね。

僭越ながら、解説差し上げると、、、

   仁義なんていうことがほざかれるのは、大道が廃れている証拠である。

   知恵のあるやつが目立つときには、世に偽りがある。

   親子の情が薄れたときに、ファミリーに価値だとかマスコミが吹く吹く。

   国家が混乱したときに、あいつは貞臣だとかいう偽物野郎が出てくる。

って事だ。

まったく、笑っちゃうくらい、的を得てると思わない?
 
 
 
しかし、考えてみると、世の中、科学技術は進歩しても、人間そのものの道徳心っていうか、なんていうか、進歩してないねぇ。老子の頃と全く変り無い格言が生きちゃうんだからね。

もっとも、2000年や4000年なんて、ホモサピエンスが進化するほど時間じゃないんだから、当たり前っていえば当たり前なんだろうけど。。。

結局、ホモサピエンスも生物の進化の過程?(頂点じゃない?だとしたら頂点はどんな生物?)にある種の一つだから、いつまでも引きずるんだろうね。ヒトの行動の原動力は、全て“古い脳”から出力されるインパルスに拠っていると考えれば、当たり前の事だし。

事実、全ての行動を『性欲・食欲』の帰す事が出来るからね。(『シーザーの行く所、敵も無いし(勝つから儲かる)処女も無し(性欲も満たせる。そして強い遺伝子が後世に残され、種としても強さを増していく)』と言う訳だ)
 
 
でも、理解できないのが“おたく”と呼ばれる人間の行動原理だ。もしかすると、非常に高度な精神性(大脳新皮質)に拠って行動しているのかもしれない。

何の為に“おたく”をやるんだろう?“おたく”をやったってモテる(性欲を満たす)訳じゃ無し、お金になる(食欲を満たす)訳じゃない。
多かれ少なかれ、誰でも、大脳新皮質に導かれて“趣味・嗜好”なるものに時間を浪費する事はあっても、ごく一般的な“脳”(おたくじゃない人)では、ある時点で、古い脳のインパルスが大脳新皮質の抑制を回避して、お金を稼いだり、異性を獲得する為の行動に打って出させる事になる。“趣味・嗜好”に突っ走る事を抑制する訳だ。(もっとも、“趣味・嗜好”が異性を獲得する為の手段になるのなら、話は別で、お金が稼げるのなら“趣味・嗜好”とは言わないが。)

でも、“おたく”の脳は、古い脳のインパルスを抑制する事に関しては、おたくじゃない人の脳とは、どこかちがって、この抑制が“強い”のだ。(敢えて言えば、非生物的な行動だといえる)

単純に、“おたく”の脳は“おたくじゃない人”の脳とは、機能が違うんだといってしまえば、話は単純じゃ無くなる。脳の機能は構造に、非常に依存しているからだ。

だから、両者の脳に構造的な違いが無いとすれば、一体、どうして?ってなるわけなのだ。


ところで、最近になって、ひとつ発見した事がある。それは、サッカーの“サポーター”と呼ばれる人達は、非常に“おたく”だという事だ。

以前の、私の彼らに対する“考察”はこうだ。
・・・残念ながら日本にはサポーターの文化はないので、他国の“ものまね”でサポーターをやっている訳だが、その行動原理に『集まって騒ぎたいだけで、対象はサッカーでなくても良かった』とした訳だが、どうも、自分自身でも、しっくりしていなかった。

さらに、こう考えるに至った経緯は、過去のエントリーを参照して頂くとして、最近、この点、すなわち“おたく”だという事に気づいてしまったのだ。

その理由に、選手の顔と名前、出身やチームの母体などなど、サッカーに纏わる事にやたらに詳しいことがある。そして、集まって薀蓄を傾けながら、同じ模様を顔に書いてみたり、同じユニフォームを着てみたり、そして、異常に騒ぎ、贔屓の選手が入れば、異常な情熱を傾けたりと、スポーツとしての楽しみ方ではないのだ。(サッカー業界人の行動の一般社会との接点での解釈を、自分の知っている範囲でのみでしか説明を試みようとしない。というか、それ以外を知ろうとしない)

どう見ても、自身が元サッカー部だったとか、サッカーをやる事が好きだとは見えない。

今までのような見方では、最終的な“行動の原動力”を説明できないのだが、オタクとしてみれば、非常に「そういう事か!!」と納得出来る訳だ。

でも、その“おたく”自体が、私には理解できないので、これ以上の考察が出来ないのが残念なのだが・・・。
 
 
 
しかしまぁ、単純に周りに流されていたり、何かに熱く?なれる自分に酔うところもあるのだろう。そして、もっと、恐ろしい事は、本当は流されているだけなのに自主的に行動しているように見える他人を見て、自分も流されてしまうという、昔のインフルエンザ流行のサーベイランスのような状態なのかもしれないが・・・。

これだとすると、世の精神分析を生業にする人達が、まさに指摘している事だが、要するに“寂しい”のだろう。自分を何処かに所属させておかないと、心のバランスが保てないと。

まさに『六親(りくしん)和せずして孝慈有り」の反証で、ファミリーに価値だとかマスコミが吹いている事が証明するように、親子の情が薄れているわけだ。結局、“家族の崩壊”が招いた現象が、“日本のサッカーのサポーター”の存在なのかもしれない。

だとすると、“おたく”ちゃんも寂しいのかな?
 
 
サッカーワールドカップ開催にあやかって下らない特別番組が増えて辟易しているところなので、こんな展開のエントリーになっちゃった、スマン!

2006年05月22日

メタボリック・シンドローム 考

最近、やたらにテレビや新聞でこの言葉を目にする。
響きが良いのか、途中を端折って『=危険(健康に悪い)』って片づけられるからか、手っ取り早くて、詳しい説明なしに(時間をかけずに)番組を構成できるからか、大流行だ。

にもかかわらず、続いて“グルメ番組”を放送する神経が・・・・、おっと、マスコミのなんでもありは、今に始まった事じゃないから、今回は、ここには立ち入らない事にしよう。


さて、ホリエモンの逮捕前、保釈後の映像に驚いた人は多かった筈だ。

メタボリック・シンドローム、難しい事はない!結局、過剰に食わなきゃ良いだけだ。答えは簡単、ハイ、オシマイ。

って、この際だから、徹底的にホリエモンを使って、メタボリックシンドロームを宣伝し捲れば良いのに、何故か、マスコミは、こういう事はやらないんだよね。
 
 
 
---興味深いなぁ---
 
 
 
先ずは、ホリエモンを悪の象徴にした心理状態から考えてみたい。

これは、簡単だ。誰しもが持っている、自分の中にある“悪魔”を否定したい裏返しが、ホリエモン叩きに通じている。

わかりやすい例を引用すれば、シェイクスピアの『リチャードⅢ世』が人気があるのと同じ事だ。グロスター公が王となるまでの数々の所業は、悪の権化と呼ぶにふさわしいものなのだが、何故が、惹かれてしまうものがあるのと同じである。(こっそりとでもね)

もっと、わかりやすく言えば、水戸黄門も好きだけど、心の何処かで(人には言えなくても)悪代官も『いいなぁ。水戸黄門にバレなかったら、こっちの立場で、悪事を働くのもわるくないなぁ』と、誰でも思う筈だ。

グロスター公に、心の片隅に住んでいる“悪魔”が心を奪われても、“良心”が自己否定し、やがて、グロスター公はヘンリー7世にやっつけられて『ホッとする』のだ。。(悪代官ガンバレと密かに思いつつも、『こんなことが赦されちゃイカン』と水戸黄門にやっつけられて『ホッ』とする訳だ。)
 
 
 
ホリエモンが逮捕前、あれだけ人気があったのも、みんな、心の何処かでホリエモンの“悪さ”に魅了されていたのだろう。誰も口にしなかった時には、ホリエモンを応援する事で、快感を得ていた筈だ。

しかし、公にも『ホリエモン=悪』がまかり通るとなると、人前で『自分は悪い事が好きです』とは、誰も言い出せない。心では、そう思っていて、家庭では、あるいは、親しい間柄の人同士の間では『俺、逮捕されても、ホリエモン好きだよ』って言っている人でもね。

そして、公には、ほとんどの人が“ホリエモンを叩く”(事で、自分の正義漢アピールしたくなる)わけだ。(大衆=世論の無責任で身勝手の証明でもある)


秋田の小学1年生殺人事件でもそうだ。あのニュースを見て100%の人は(人前では)『犯人憎し』と言うんだけど、他人の不幸が自分の心の慰めになるっていうのは、昔からある事で【ヒョードル vs ミルコ戦】でも触れているが、(カタルシスに導いてくれた)犯人を、心の何処かで応援したりする自分がいる事に動揺して、いっそう激しく『犯人憎し』となったりする。

自分に同じくらいの子供がいれば、被害者の親にシンパシーを感じるのは当然で、『犯人憎し』となる訳だが、欲しいけど子供が出来ない人や、結婚すらしたくても出来ない人には、子供がいるだけ幸せ・・・と、被害者の親にジェラシーを感じるのは、ヒト(ホモサピエンス)としては当然の心理で、でも、良心が、これを激しく否定するから、『犯人憎し』となる・・・・結果は同じでも心の有り様は一様ではない訳だ。

従って、小学1年生殺人は、捕まれば『極刑を!』となり、同情の余地はなく、袈裟まで憎まれて、憎まれる対象に、どんな事でも出汁にされるだろうが、ホリエモンが、メタボリック・シンドロームの“出汁”に使われないのは、『悪だけど、憎まれていない』証拠なのかもしれない。
 
 
 
閑話休題

メタボリックシンドロームなる言葉が、ぼちぼち使われ出して3年以上になる。以前は、医療関係者の間でのみ通用していた言葉だったのだが、それ以前は「死の四重奏」(Deadly Quartet)なんて言われていた。

私は、『メタボリックシンドローム』って言葉が好きじゃない。インパクトが無さ過ぎるからだ。それに、生物学、生化学、生理学、などなど、を理解していない人には“代謝障害の怖さ”が、直感的に伝わりにくい。

私は、断然「死の四重奏」(Deadly Quartet)の方が好きだ。“死”なんて恐ろしい言葉が入っていて、直感的で、、、
(・∀・)イイ

でも、「しのよんじゅうそう」「デッドリーカルテット」と発音すると、“し”の意味は曖昧になり、“よんじゅうそう”“デッドリー”“カルテット”は馴染みが無く、なんだか専門的に聞えて、嫌われるのかもしれない。その点“メタボリック”“シンドローム”は、見ても、読んでも、聞いても、頭に入ってくる事は一つだ。

昔、JR が“E電”なんて流行らせようとして、大こけしてるから、マスコミも“メタボリックシンドローム”に群がってくるのかもね。

2006年05月23日

『木を見て森を見ず』が『灯台下暗し』だった

がんに於ける“遺伝子の機能喪失”と“染色体の欠失”が繋がった(のか?)

まずは、Nature genetics に掲載された論説を読んでくだされ。(例によって登録が必要なので、ここに引用する)

大腸癌のエピジェネティックなリモデリングによって染色体のバンド全体にわたる協調的な遺伝子サイレンシングが起こる

Epigenetic remodeling in colorectal cancer results in coordinate gene suppression across an entire chromosome band
Jordi Frigola et al.

Nature genetics 38, pp540 (2006)
Published online: 23 April 2006 | doi:10.1038/ng1781

長い領域にわたって協調して起こるエピジェネティックな遺伝子サイレンシングを含む、癌化の新しい機序について報告する。

癌におけるエピジェネティックなサイレンシングは常に、個々の遺伝子を抑制する局所的な出来事として認識されてきた。

しかし、本研究の大腸癌におけるサイレンシングでは、染色体2q.14.2の領域にある4Mb全体が共通して抑制されており、ヒストンH3 Lys9の全体的なメチル化をともなっていることが見いだされた。

ゲノムが抑制された一帯において、DNA高メチル化は3つの別々なCpG島「地区」に局在しており、一番大きな高メチル化地区は1Mbにも及んでいる。

これらのデータは癌細胞におけるエピジェネティックな遺伝子のサイレンシングに対する我々の理解を変えるものである。

すなわちエピジェネティックなサイレンシングは染色体の長い領域に及ぶもので、DNAがメチル化された遺伝子と、その近隣のメチル化を受けていない遺伝子は、ヒストン修飾の全体的な変化によって協調して抑制される。

遺伝子発現の抑制は、長い領域のエピジェネティックなサイレンシングによって起こり、癌におけるヘテロ接合性の消失と同じ意味をもつものであることを提唱する。

ここでも触れられているように、遺伝子のサイレンシングは、今まで、理由も無く“個別に行なわれている”と、誰しもが思い込んでいた訳だ。

そりゃ、そうだろう。遺伝子の振る舞いは、“がばっと、その辺が一緒に発現する”じゃなくって、“個々に制御されながら発現が調節されている”なのだから、抑制されるのは、当然、個々に制御されている・・・・と思う訳だ。

しかし・・・実際は、エピジェネティックなサイレンシングでは、“がばっと、その辺が一緒に抑制される”が本当だった。

でも、考えてみれば、これ!すなわち、“がばっと、その辺が一緒に欠失される”そのものなんだよね。

というわけで、論説の『遺伝子発現の抑制は、長い領域のエピジェネティックなサイレンシングによって起こり、癌におけるヘテロ接合性の消失と同じ意味をもつものであることを提唱する。』となる訳なんだな。
 
 
 
ところで、『ヘテロ接合性の消失』って、意味のわからない人が多いと思うので、解説しておこう。(大筋の説明です。正しく理解したい人は必ず専門書をあたってください)

細胞には、生物としての人間が生きていくのに必要な一そろいの染色体が23本(これをゲノムといい、この状態を1倍体ともいう。)がある訳だが、父方、母方双方から23本づつもらうので、計46本ある(1倍体に対して2倍体という。植物などでは3倍体でも生きられるが配偶子が作れない。いわゆる“種無しスイカ”などがそれである。)のはご存知だと思う。

そして、それぞれ1対の染色体は、どちらかが働いていればどちらかが休んでいるという状態を取っている。

話を簡単にする為に女性のX染色体を例にする。女性は父方のX染色体と母方のX染色体の2本を全ての細胞60兆個に持っている訳だ(当たり前だけど)。

で、このX染色体は2本とも働いているのかというと、そうではなく、どちらか一方だけが、ランダムに働いている。それが決まるのは胎生期の初期だ。働かない方の染色体は高度にメチル化されて、がんじがらめにされているのだ。そのがんじがらめの状態は、細胞分裂しても保持される。

すなわち、肝臓を例にとってみれば、胎生早期に肝臓が形作られて、後は、その数を増やすだけ(成長)になった後は、父方由来のX染色体が機能する細胞と母方由来のX染色体が機能する細胞の混合した状態(生物学的にはモザイクと言う)で成長していくワケだ。

この知見は何の役に立つかというと、女性の場合、何か“デキモノ”が出来た時、特異的なマーカー(遺伝子)に着目せずとも、その細胞の増生が炎症性のものなのか、腫瘍性のものなのかを判断出来るって事だ。何故なら、炎症性の細胞増生なら、X染色体の不活化(X chromosome inactivation :XCI)は、モザイクだが、がんのように一つの細胞が分裂を繰り返して細胞が増えた場合は、XCI は単一、すなわち、クローン性だからだ。


という訳で『ヘテロ接合性の消失』に戻るが、がんの場合の染色体の欠失は、2本の染色体(相同染色体)のうち、1本に起こることがほとんどだ。まれに2本が起きることもあるが、これは例外中の例外だ。

この片方がメチル化されて“機能が抑制されている”事を知らないと、2本のうち1本に染色体の欠失が起きたことで、細胞ががん化することが理解できない。『もう一方が、機能を補完すれば問題ないジャン?』って。
だが、現実には、片方が機能抑制されている。だからこそ、片方の欠失、すなわち、欠失した部分に癌抑制遺伝子があったりすれば、それを失うことだけで、がん化するってことになるのだ。それ故、この知見はがんを理解する時、必要欠くべからざるものなのだ。

さて、今までの教科書では、『がんは遺伝子の変異によるもの』と、遺伝子の機能が先にありきで、『多くのがんで、染色体の欠失、転座が見られる』とされてた。
 
 
 
今回の知見が“大腸癌”だけでなくほかのがんにも当てはまるなら、遺伝子の機能喪失には、染色体の欠失と同等のことが起きている。すなわち、染色体の欠失が、がん化の原因だと、教科書には、まず最初に書かれる事になるだろう。『多くのがんで、染色体の欠失、転座が見られる』とのように結果じゃなく『原因として欠失・転座がある』となるのだろう。
 
 
 
閑話休題

20060523_e0197_01.jpgダヴィンチ・コードである。

観る前に、見落としていることは無いか、点検中なのである。(新約聖書のアンチョコを見直している)
なにか、大きな勘違いをしているようで不安?なのである。

ダヴィンチ・コード日本語訳を読んだのだが、非常に面白かったのは間違いないのだが、大きな疑問が、私の前に立ちふさがって、喉に何かつかえているのだ。これも、大きな勘違いをしているんじゃないかという不安を助長しているのだ。

大きな疑問っていうのは、ダヴィンチはシオン修道会に関わっている身なのだから、アレは隠さなきゃならない秘密のはずなのに、どうして、わざわざ、暗号なんかにしたのか?ってことだ。(まぁ、小説のネタと言ってしまえばそれまでなのだが・・・)

暗号などにせず、当たり前に、誰が観ても“男”に見えるように描いておけば、全く、触れられなかった筈なのに・・・。


最近、発見されたというユダの福音書、もしかしたら、これを読むと、結果だったことが原因だった・・・・なんて事は、、、ないよなぁ!やっぱり。。

というわけで、娘の風邪が治っていれば、予定通り今週の木曜日に映画『ダヴィンチ・コード』鑑賞である。

2006年05月26日

RNAi 現象を根拠とした治療手段に警告

想定外だけど、やっぱりそうなのかぁ!

治療手段として期待されているshRNAに副作用

Nature May 25, 2006

RNA干渉(RNAi)は知られるようになってまだ日は浅いが、既に遺伝子の発現抑制のための貴重な治療手段とみなされるようになっている。

低分子干渉RNA(siRNA)をin vivoで送達する方法の1つは、siRNAを短鎖ヘアピン配列としてアデノウイルスベクターに組み込むというものだ。

ヘアピン配列が動物に導入されると、発現して短鎖ヘアピンRNA(shRNA)とよばれる二本鎖RNAが形成され、RNAi経路によってプロセシングが行われる。

ところが、成体マウスの肝臓におけるshRNAの発現の長期的影響を調べた研究から、警戒を促す結果が出た。

マウス体内で発現した場合、多くのshRNAが有害であることがわかったのである。

毒性は死に至るようなものも多く、分子の核外輸送にかかわる因子であるエクスポーチン-5との結合に関してshRNAと内在性のマイクロRNAが競合することがその原因と考えられる。

shRNAを用いた治療法の開発には大きな関心が寄せられているが、これまで深刻なin vivo毒性を示す証拠はほとんど見つかっていなかった。


RNAi 現象を利用した治療法は、広義の遺伝子治療で、狭義のものと比べて遥かに副作用が少ない・・・・っていうか、副作用なんてあるの?って、私も思っていた。

今回の報告は siRNA を導入するベクターにアデノウイルスを使っているところが、何か“ミソ”なのかもしれないが、他に効率の良い方法があれば、 siRNA で標的遺伝子を翻訳前の段階で“ぶっ壊せる”んだから、こんなに、理想的な治療薬はないわけだ。

でも、実際に『毒性は死に至るようなものも多く・・・』って言うんだから、臨床治験に入ってからじゃ『ロンドンの惨事』を繰り返す事になってしまったわけで、動物の段階でわかって良かったとも言える。


しかし、遺伝子ノックアウトの手段として“理屈通りに”鮮やかに結果が得られる為、こんなにも汎用されていたロジックなのに、マウスで想定外の結果が発生してしまうなんて・・・。もっとも、上手く行っていたのは“細胞”を扱った実験系で“動物”を扱った実験系は、この数自体が多くないから表面化しなかったのかも(っていうか、私はそんな数の上での実情は知らないんだけど)。


なんにしても、新しい技術は『何かあるかもしれない』と常に思っていた方が良いのだろう。
 
 
 
閑話休題

20060526_juda.jpg昨日は、予定ではダヴィンチ・コード鑑賞だったのだが、娘が幼稚園に行けなくて、映画も観に行けなくなってしまった。(娘は本日の幼稚園の遠足には行ったのだが・・・)

MSN (マイクロソフトのポータルサイト) にて、『ユダの福音書』に関するビデオを鑑賞できるので、これで満足することにした。(満足できる訳が無く、消化不良が助長されただけだ)


やっぱり、ヨーロッパの歴史と神学・宗教にある程度の知識がある人にとっては、ダヴィンチ・コードは“笑っちゃう”ような内容の“フィクション”なのだろうが、こっちは、表面的な知識しかないのだから、聖書が全てじゃなく、福音書も都合の良いものだけが選別されてるんだよって言われても、『わかっちゃいるけど、4つの福音書を元に考えちゃう』わけで、いちいち、ダヴィンチ・コードにある“矛盾点”が気になっちゃう。

でも、『ユダの福音書』のようにインパクトのある内容のものが出現?すれば、脳味噌に鋭く突き刺さり、頭の切り替えもスムーズに行きそうだ。

ゲッセマネの園にて、キリスト逮捕の場面。ユダは親しげにキリストに近づき、接吻する。これが合図となり、武装したユダヤ教祭司(兵士)たちがイエスを捕らえた訳だが、これは、予定された事で、イエスの了解事項だった・・・・。

もう少し、時間を溯ると、ユダは民衆の投石を受けて死ぬ夢にうなされていて、それをイエスに告げる。イエスは、それがユダの運命だと。殺される理由は私(イエス)をユダヤの司祭達に引き渡す役目を果たすからだと。

イエスは、自分の死を、本当に予見していたのか?それを受け入れていたのか?貼り付けられてまで『見捨てられたぁ~』なんて恨みつらみを口走っている姿が4つの福音書にも描かれているんだけど、『ユダの福音書』には詳らかではないらしいし。


4つの福音書から描かれて、現在、我々が思い込んでいるストーリーは、他の見解をしたためた福音書の出現で描きなおされなければならないんだろうけど、すでに1600年以上も『事実はこうだ!』って言われつづけてきしまってるので、一朝一夕には、解決し難いだろうね。

なんでも、『ユダ』って名前は、ヨーロッパでは“犬”にも付けず、ドイツでは、人に付けることは法律で禁止しているらしい。(そういや、昔、日本でも自分の子供に『悪魔』って名前をつけたアホがいたけど、アレ、どうおったんだろうね??)
 
 
 
生命の仕組みについて書かれた“福音書”は、実は、いっぱいあって、現代の我々は、その極一部を手に入れただけだから、その中で、生命の仕組みを理解しようとしている。

なんか、キリスト教の真実と似ているよね。その為、『ロンドンの惨事』があったり、RNAi 導入後の『死の副作用』が“想定外”だったりしているんだろうね。

2006年05月28日

旅行者下痢症とギラン・バレー症候群

この時期から夏にかけては、こんなテーマが身近になる。食中毒としての“下痢”があるから、ついつい、気になってしまうのだ。そういった点からも医療は第一次産業に似ているといわれる。その年のスギ花粉の量が売上に直結するから“一喜一憂”しているわけだ。(あっ、コリゃ失礼)

さて、昨年の 6月20日 に『旅行者下痢症に rifaximin』として取り上げているわけだが、偶然にも、今年も旅行者下痢症を取り上げる事になった。

イロイロ事情があって、今年の1月28日号の『医学の歩み』を今ごろになって目を通しているのだが、ここに今回のエントリーに関する総説が投稿されているのだ。

『Campylobacter jejuni 腸炎と Guillan-Barre 症候群』がそれだ。なんで、こんなものを今ごろ取り上げるの?って事なのだが、簡単に言うと、読んでて『へぇ~』ってなったからだ。

なにが『へぇ~』なのか?

それは、Campylobacter jejuni 菌体外膜リポオリゴ糖とヒト末梢神経構成成分のガングリオシドが分子相同性を示し、それ故、Campylobacter jejuni 感染後、抗ガングリオシド抗体産生が誘導され、結局ね自己免疫疾患としての神経障害が誘導され運動麻痺に至ることが証明された事に『へぇ~』ってなったわけだ。


この病原微生物感染後の自己免疫疾患の発症自体は、別に珍しい事じゃない。リウマチなどでもよくある事で、免疫をやっている人にとっては、その機序も含めて、自然な事として捉えられている。でも、専門に臨床をやっている人でないと、Campylobacter jejuni 腸炎後に神経障害による運動麻痺が、この機序で起きている事を“発見”することは、なかなか難しいと思う。(ギラン・バレー症候群は神経内科で診るから、神経内科医が感染症も知らないといけないわけだ。)

Campylobacter jejuni 、これって、旅行者下痢症の原因菌として最も多い細菌なので、タイトルのように、『旅行者下痢症とギランバレー症候群』と敢えて“ショッキング”なタイトルを付けた訳だ。
 
 
 
海外旅行に行ったって下痢くらい・・・なんて甘く考えていると、結末はギランバレー症候群・・・じゃ、シャレにならない。

『ギラン・バレー症候群』ってどんな病気なの?ってことだが、、、ネットで検索するといっぱい出てくるので省略するとして、『原因病原微生物の構成成分がヒト神経の構成成分に似ているので・・・』って記述がなされているが、具体的に Campylobacter jejuni のリポオリゴ糖とガングリオシドに的を絞って解説しているサイトは見当たらなかった。
ガングリオシドはシアル酸を有する酸性糖脂質で、その中の GM1 は四肢末梢神経のランビエ(Ranvier)絞輪に豊富に存在する。GQ1b は動眼神経をはじめとして眼球をつかさどる脳神経の傍絞輪部に発現している。Campylobacter jejuni 感染後には、IgG抗GM1抗体や抗GQ1b抗体が高頻度に検出される。

これらが、ランビエ(Ranvier)絞輪に発現する GM1 に結合し、さらにNa+チャネルを傷害するため、電気伝導が阻害される、、、という訳だ。(これで運動麻痺する)
 
 
 
菌体外膜リポオリゴ糖ほコードする遺伝子に多形が確認され、また、これを認識し抗体産生を誘導する宿主側の遺伝的多形と TCR , BCR のバリエーションも存在する事は当然、考えられる事なので、100人に感染すれば100人がギラン・バレー症候群を発症する訳じゃないから、過剰に恐れることはないとは思うけど、旅行中に体が麻痺したら・・・・って思うと、旅行中に下痢したら、速攻で rifaximin を服用しなくっちゃって考えになるよなぁ。

チョット前までは、『重症化していない感染性下痢に“抗生物質”服用なんて、アホかぁ』なんて思ってたんだけど、『へぇ~』と思うと同時に考えも変わったのでした。

でも、Campylobacter jejuni 腸炎後のギラン・バレー症候群発症に対して、アンチバイオティクス の rifaximin と プロバイオティクスの乳酸菌と、どっちが効果があるのか、知りたいよなぁ!(もし、このエントリーを読んで、エビデンスをご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけると幸いです。)

2006年05月30日

貴方なら、どちらを選びますか?

BMJ に(お約束だな)、興味深い論文が掲載されている。

タイトルは、『ワーファリン使用時の出血が臨床に及ぼす影響』。
カナダ、オンタリオ地区のデータベース(医療費請求データ)から導いた、医師が感じる自分自身の判断に対する自信と恐怖ってどんなモノなんだろう?って興味を満たしてくれる結果が得られたもの。

どんな条件でどんな事を調べたかという言うと、、、

ワルファリンを服用中に大量出血して為緊急入院した心房細動の患者を担当した医師
何も飲んでいなくて、脳梗塞を発症して緊急入院した心房細動の患者を担当した医師

それぞれの医師が、その後に、別の何もイベントの発生していない心房細動患者に、予防的にワルファリンを処方する事に、この診療経験がどれくらい影響を与えるか?というもの。


結果は、大量出血を経験した医師は、ワルファリン処方頻度が減少し、無治療での脳梗塞を経験した医師は、処方頻度に影響は無かった。

というものだ。

大量出血って事態に陥るのは、抗血栓薬を処方したことが原因だから、疾病への積極的な関与の結果の“不具合”には“恐怖”を感じ、“未必の故意?”で生じた“脳梗塞”に対しては、“恐怖”も感じず、自分の治療方針に“自信”を見せているということだろう。


心房細動は、長嶋(巨人軍終身名誉監督)さんでさえ、あんなになっちゃったように、ごく、ありふれた疾患で、ストレスとは切っても切り離せない生活環境の現代人にとっては、他人事の疾患ではない。

長嶋さんの場合に、ワーファリンで治療していたかどうかはわからないが、治療してたとすれば、運が悪ければ“脳血栓”じゃなくって“脳出血”だったかもしれない。

カナダの医師の心房細動の血栓予防目的でワーファリンを処方する頻度は約35%で、脳梗塞のイベントを経験した後でも変らなかったそうだ。日本ではどうなんだろう?処方頻度なんて気にしたことも無かったので、ぜんぜん知らないのだが、心房細動を指摘されて、ワーファリン治療にまで及ぶ患者さんの割合って?どのくらいあるんだろう??


医師ですら、治療方針を二分する“命題”なのだから、絶対的にどちらかの選択が正しいということはないのだろう。


だったら、、、、こういう状況(心房細動)になったら、自分だったらどうするか?は前もって考えておくべきで、その考えを診察を受けた時に言った方がいいんじゃないかな!

自分の病気の治療に対して、あまり積極的に発言しない日本人の患者は、病気になった時点で、それは運命!その治療を行なう医師の方針も、また、運命!みたいに受け入れている人が多いように感じるが、自分の人生なんだから、最終的には自分で判断した方が良いんじゃないかなと思ったりする訳で、この論文が、結構、興味深かったのは、そういう理由でもある。(MMJ の“世界の医学誌から”というコーナーで読んだ論文の単なる感想でだから、いつも、こんな事、考えている訳じゃなく、単なる思いつきでもあるのだが・・・。)

直前の経験で治療方針が変ってしまう結果を内包した心房細動治療、出血性のイベントを経験して“ビビッて”自分の治療を担当する医師が、ワーファリンを処方してくれなかったとしたらどうする?

ワーファリンを処方されなかった結果、脳梗塞を起こしたら?

出血と梗塞のどちらを選ぶか??

選択する為には、何を知らなきゃならないか??

ホラ!気になってきたでしょう?!色々と調べてみましょう!!
 
 
 
閑話休題

先日も取り上げた『メタボリック・シンドローム』。マスコミのイイカゲンさに“メガフレア”(チョコボキック程度という評価もあるが)をお見舞いしてあげた訳だが、今回はちょっと方向が違う。

きっと、これを読んだら、『太ってても、いいかも・・・・』って思う・・・ハズ・・・かな?(どっちを選ぶ??デブ?ヤセ?)

肥満に関して、ヒジョウにビミョウな報告があったので紹介まで。報告をしたのは、オハイオ州立大学医学センターの研究チ-ム。雑誌「Critical Care Medicine」に掲載された。

内容は『太めの方が、危篤状態のときにはよくもちこたえる』というもの。

 肥満は健康の敵、何とか体重を減らせないものか、と、現代人は、ほとんどがやせたいと思っている。

 ところが、太めの方がよく生き長らえる、体重が重いほうがいい、という報告が、雑誌「Critical Care Medicine」に掲載された。

 報告をしたのは、オハイオ州立大学医学センターの研究チ-ム。研究者たちが84の病院で6年間に急性の肺疾患で入院した1488人の重症患者を調べた。

 調べたのは、人工呼吸器がつけられた重症の患者ばかりだった。

 すると、肥満度を示すBMIが大きい、つまり肥満度が高い人ほど死亡率が低い、ことがわかった。逆に、肥満度が低い、つまりやせの患者ほど、死亡率が高いことがわかった。

 なぜ、肥満者の方が持ちこたえたかについては、すでに動脈効果性の病気の治療目的で血栓防止の薬などを使っていて、これらの薬が最後に有効に働くのではないか、ともみられている。

危篤になったら、デブの方が生存率が高い・・・って、心中、おだやかじゃ無い人も居る筈。健康の為、禁煙したらストレス溜まって、胃潰瘍になっちゃった・・・なんてジレンマに似ているよね。
 
 
 
私だったら、どちらを選ぶか・・・・、それは、ナイショです。(出血のリスクの少ない抗血栓薬の開発を待つ、、、自分で作っちゃう・・・・なんてね!!)

2006年05月31日

抗原の選択

20060531_1.jpg現在の免疫学で、まだ、解明されていない部分の一つに、外来抗原(細菌、ウイルス)の感染中に自己抗原の認識があった時に、本来、寛容されるべき自己抗原は、巻き込まれて、自己に対する免疫応答が開始されるのか?はたまた、これは、区別されるのか?ってことがある。

自然免疫から獲得免疫への橋渡しの“キーマン”が樹状細胞で、今では免疫応答の指令塔だと認識されている事はご存知だと思う。思い起こせば、マクロファージは単純に捕食と抗原提示だけで、ヘルパーT細胞・サプレッサーT細胞が免疫応答の中枢なんて言っていた頃が懐かしい。と、これは置いといて・・・。

要するに、樹状細胞が発現している TLR への情報の入り方で、樹状細胞がどのような免疫応答を促すが、決定されるといっても良い訳だ。

これは、『旅行者下痢症とギラン・バレー症候群』で触れている感染症後の自己免疫疾患発症の機序とは関係ないのだが、微妙に関係しているとも言える。(っていうか、まだ、厳密に区別されていないし、空間的な次元で結果オーライ=自己免疫疾患が発症しない=なのかもしれない。抽象的な話だが、凶悪犯が存在しても、離島に隔離できれば、一般人に被害はないのと同じで、だから、この世から凶悪犯を根絶しなくても実質的には問題ないのと同じ概念。)


細菌、ウイルス感染の場合は、樹状細胞内にエンドサイトーシスされた後、ターゲットとなるエピトープまでファゴソームで分解されて、MHC-Ⅱ分子と結合した形で抗原提示される訳だが、この時、同時に、エピトープとは認識されない菌体成分やウイルス蛋白質や DNA , RNA が直接 TLR で認識されることで、樹状細胞-ナイーブT細胞の情報伝達の場の環境に、修飾が加えられる。(アポトーシスした自己の細胞が貪食された時には、この TLR からの情報入力が無い、当たり前だけど!で、これが無いから、引き続く免疫反応が起こらない、或は“寛容される”と理解されている。)

具体的には、CpGDNA(CpGモチーフ)が TLR9 に認識されると樹状細胞は IL-12 を産生するようになり、その樹状細胞-ナイーブT細胞の反応の場は、Th1 方向に傾くといったように。(TLR は現在、9種のサブタイプが確認されているが、認識する対象が違うので、組み合わせによって修飾する反応のバリエーションの存在が考えられるわけだ。理論的には9の9乗種類と。)

で、この時、偶然にもアポトーシスを起こした自己の細胞を貪食した樹状細胞が“隣りに居た”場合に、どうなるのか?って事なのだ。
 
 
 
さて、この問題に正面から取り組んで、答えらしきものが提示された。サマリーを以下に示すが、私には、いまいちピンとこないのだが。。。。。どなたか、解説してくだされば嬉しいのだが。


Nature Vol 440 No 7085, 808
doi: 10.1038/nature04596

免疫:『樹状細胞は提示のために微生物抗原をToll依存的に選択する』

Toll-dependent selection of microbial antigens for presentation by dendritic cells

樹状細胞は組織の微小環境の状態を構成的に探っており、微生物および宿主のアポトーシス細胞の両方を貪食する。微生物の貪食により侵入病原体に対する免疫誘導が、そして宿主アポトーシス細胞の貪食により末梢の自己抗原に対する寛容が引き起こされる。

樹状細胞による抗原提示が引き起こす結果は、樹状細胞の活性化状態に依存しており、Toll様受容体(TLR)が誘導する活性化により樹状細胞は免疫原性になるが、一方、自己抗原の定常的提示は寛容につながる。

TLRが誘導する共刺激シグナルの発現は、自己/非自己の識別機構の1つである。

しかしながら、感染中に自己抗原と微生物抗原の両方が樹状細胞に遭遇した場合、共刺激シグナルの誘導性発現により両者は識別されるのか、もし識別されるとすればどのような仕組みで行われるのかは明らかではない。

本論文では、樹状細胞における抗原選択の新しい機構について報告する。

これは抗原の起源に基づく主要組織適合複合体クラスII分子(MHCII)による提示のための機構である。

我々は、貪食された積荷から抗原を提示する効率が、積荷内のTLRリガンドの存在に依存していることを示す。さらに、ペプチド-MHCクラスII複合体の生成は、厳密にファゴソーム自律的な方法でTLRによって制御されていることも示す。


閑話休題

最近、やけに“医薬・生命科学”へのエントリーが続いている。

これも、他に面白いニュースが無いからなのだが、今朝は、久しぶりに考えさせられる出来事があった。

『松本智津夫被告の死刑判決、東京高裁が異議を棄却』によって、『弁護側は最高裁に特別抗告する方針だが、認められる可能性は低いとみられており、松本被告の死刑が確定する公算がさらに強まった』に、元教団幹部が、『これは殉教と取られかねない』と指摘している事だ。

松本智津夫の死刑なんて、断じて“殉教”なんかじゃないんだけど、後々、地下鉄サリン事件の被害者の家族も他界した時代になれば、『まともな裁判にかけられずに死刑にされた』と語り出される可能性もある。

事実、キリスト教が世界宗教に成り得たのは、ペテロの逆磔での殉教とパウロがローマ兵に斬首された殉教に負う所が、非常に大きい訳だ。


---似てるんだよなぁ---


さらに不安材料は、イエス磔刑後、弟子たちがしてたことは、現在のオウム真理教と何ら代わりが無い事だ。入信した人達は個人財産を全部教団に供出させられ、出し渋った人は殺されていた事も事実と言われているし。

イエスの存在そのものがも、「貴方が、他人にして貰いたい事を他人にしてあげなさい」と「隣人を愛しなさい」しか具体的に言わず、抽象的で謎めいた言動ばっかりだったことが幸いし、後世の人達が『これは、こういう意味なんじゃないのか?』などと考えに考え抜いてくれる結果になったように、現在の“黙して語らない松本智津夫の態度”は、後世の人達が都合の良い解釈を産み出す事にならないのか?なんて、考えちゃう訳だ。


そして、松本智津夫が、これを狙って“心神喪失状態”を装っているのなら、、、恐ろしい!!断じて松本智津夫を殉教者呼ばわりしちゃイケナイ!!

って、ほんとは、こんな事、書くことすら、控えなきゃならないんだろうな。“松本智津夫”と“殉教者”との単語が、脳内で結びついて記憶されることを避ける為にもね。
 
 
 
免疫現象について、あれやこれやと考えることは、もしかして、これに似ているのかな?なんて思ったりしたので、エントリーした訳だ。

本当は、免疫現象という舞台に登場するキャストは、行き当たりばったりの反応しかしていなくて、別に決まった行動ルールなんて無いのが現実なのに、そこに、何か真理があり、それを探ろうとしている姿にダブってしまった・・・・・。

でも、免疫現象に思いを巡らす行為と、松本智津夫の不可解な行動に意味付けするのとは、全く別次元の話だよね!そんな事は、解ってるので安心してくだされ。

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