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2006年07月 アーカイブ

2006年07月01日

盲点

『灯台下暗し』ってより、『盲点』に入ってしまったものが見えた!ってくらい、『えっえ~~~~~~~』ってことが、Nature に掲載されていた。

Nature June 29, 2006

生物学では数十年前から、哺乳類の雌は一生の間に排卵する卵子を卵巣にもった状態で生まれると考えられてきた。しかし最近、ハーバード大学のある研究室が行った2つの研究が、この定説に疑問を投げかけた。

その1つ目の結果では、雌の性腺は成体になってからもずっと卵母細胞の再生能力を保持していることが示唆された。

もう1つはさらに意外なもので、卵母細胞が血液または骨髄の細胞に由来している可能性を示していた。

これらの研究は、化学療法を受けたり、早発閉経が起こったりした女性でも受胎能が回復する見込みがあるという点で関心をよび、多くの注目を浴びてきた。

そのため、これらの結果の一部を疑問視する論文が6月14日のネイチャー電子版に発表されると、この問題に関する議論が再燃した。

今週号に掲載されているこの論文で、ハーバード大学の上記とはまた別のグループは、2匹のマウスの循環系を合体させた実験について報告している。

骨髄細胞または循環血中のほかのいかなる細胞についても、成熟した卵母細胞の生成が可能であることを示す証拠は得られなかった。

血流によって卵巣に移動した細胞は、血液中にある正常な白血球の性質を示したのである。


そうなのだ、『哺乳類の雌は一生の間に排卵する卵子を卵巣にもった状態で生まれると考えられてきた。』って事は、『そういうものだ』って、今の今まで、当然のように思っていた。多分、高校の生物学あたりで仕入れた知識だから、掛け算の“九九”のように、それ自体を疑うなんてことは、有り得なかったのだろう。

知ってしまえば、これ自体が驚く事じゃないので、『えっえ~~~~~~~』は、内容にびっくりしたんじゃなくって、その事に疑いの目をむけたことに対してなのだが、普通の人は、そんなことには目をむけないのだから、『灯台下暗し』ってよりは『盲点』の方が、ピッタリするかなって感じた今日この頃である。


それから『やっぱり、そうか!!』ってのが、コレ!

Science June 23, 2006, Vol.312

概日時計は、短期間、光に当てることで新しい位相にリセットされるが、このリセットの分子レベルの解明は未だに不明確であった。

ショウジョウバエでは、光感受性タンパク質であるクリプトクロム(cryptochrome)は、光に反応してコンフォメーションを変化し、クロック成分のタンパク質であるTIMELESS(TIM)と結合する。

この相互作用がトリガーとなってTIMを分解し、その結果クロックのリセットをする。

この光誘発性リセット感受性の弱い変異体のハエをスクリーニングすることで、Kohたち(p. 1809)は、JETLAG(時差ぼけ)と呼ばれる遺伝子を同定した。

この遺伝子は光を受けた後、TIMを分解するのに必要である。

JETLAGはTIMと複合体を作って存在し、分解のためのタンパク質のタグ付けとなるユビキチン結合を増加させる。

このように、JETLAGは、ユビキチン結合させるためにTIMを標的とするF-boxタンパク質である。その結果、光に反応して急激な分解をする。


ハエでの結果だけど、ヒトでも同様だろう。(私が断言する事は憚られるけど)生理現象を“タンパク分解”を以って行なっている“系”は多いはず。

ハエ続きでもう一つ、、、

Nature June 29, 2006

PINK1遺伝子が常染色体劣性若年性パーキンソン病に関連することが最近明らかになったが、今回2つのグループがPINK1に対応するショウジョウバエの遺伝子について研究し、この遺伝子がin vivoではミトコンドリアに局在し、ミトコンドリアの機能に必須であることを示している。

またこの遺伝子は、家族性パーキンソン病に関連するもう1つの遺伝子で、パーキンというE3ユビキチンリガーゼをコードしているparkin遺伝子とも遺伝的な相互作用がある。

ショウジョウバエのpink1-parkin経路は、神経変性の分子的機序に関する研究や、治療に役立つと思われる薬物のスクリーニングのための有力な手段となるだろう。

このパーキンソン病も“タンパク分解”がキーワードだ。


閑話休題

一旦出来上がったモノを壊すのが苦手。

日本人を象徴している言葉だと思う。例を挙げればきりがない。『前例に無い』は一旦作ってしまった制度・法律・やり方・方法などなどなどなどを、自分が当事者の時に“変更”したくないという事だ。どうでもいい事は『自分の功績だ』って言うくせに、『もしかしたら責任を取らなきゃならなくなる?』って事に対しては、及び腰である。

その昔、サイエンスの分野でも“分解系”は“軽く見られて”いた。しかし、、、

今、“分解系”の勢いは止まらない。

生命現象において、作ったものは秩序正しく“壊される事”が大変重要だということが理解されたからだ。

人間が太古の昔から、自分の目で見えている現象だけで考えた事、例えば、家畜やペット・作物は、死んだり腐ったりしたらその辺に捨て、知らないうちに土に帰っていたので、“分解”なんてものは、『なんとなく進むもの』なんだと、アプリオリに脳に定着してしまったのだろう。高校の生物学で『哺乳類の雌は一生の間に排卵する卵子を卵巣にもった状態で生まれると考えられてきた。』って学んだのと同じように、それは、“疑う”対象になっていなかった。


しかし、現在の生命科学の分野では“分解系”なくして、生命現象は語れない。

“分解系”が上手く機能しなくなると、例えば、脳ではアルツハイマーやパーキンソン病になるわけだ。
 
 
 
日本が世界一の“老人国家”になったらしい。

そして、そのしわ寄せが、これだ。

お産ができない! 激減する産婦人科医 柳田邦男(やなぎだ・くにお) 「現論」

記事:共同通信社
提供:共同通信社

【2006年6月30日】


 昨年春、島根県沖に浮かぶ隠岐の島を訪ねた。町民対象の隠岐学セミナーの講師を引き受けたのだが、島の人々の悩みごとを聞いて驚いた。

 「来年(つまり今年)3月でこの島には産婦人科医が1人もいなくなるので、その先は島でお産ができなくなるのです」というのだ。

 私は事態を想像し絶句した。自分がこの島の若者で伴侶が妊娠中だったら、と。出産の日を待つとは、みずみずしい期待感に胸がふくらむ思いの日々のはずだ。誰でも胎児の定期健診や出産を支えてくれる医療機関が身近にあるのをあたり前だと思っている。

 島の若い世代は今後、どうするのか。隠岐の島々には約2万3000人が住んでいる。隠岐病院の産婦人科医は1人だけだった。年間に約130件の出産がある。つまり医師1人が毎月10件余りの出産を担当してきたのだが、高齢出産の増加により、難しい出産に直面することもある。

 陣痛はいつ始まるかわからないから、医師は年間を通じて24時間態勢でいなければならない。難産後のケア、未熟児のケアもあれば、外来もある。息抜きもできない過労を強いられていた。最後まで頑張った医師が事情があって退職するというのだ。

 ▽米紙も報道

 私はそのことが気になっていたので、最近になって、隠岐病院の運営に携わる人に聞いた。やはりこの4月から産婦人科は閉じられていた。

 出産は松江や出雲などの総合病院に行かなければならない。本土まではフェリーで約2時間半、悪天候で欠航することが多い。出雲までの航空便は1日1便で満席が多い。妊婦は1カ月位前から、本土に渡り、宿泊先で待機しなければならない。もう1人子がいると大変だ。経済的にも精神的にも負担が大きい。

 町では急ぎ予算を組んで、本土での出産者に宿代・交通費として1人17万円を補助している。今年4月から11月までの出産者と出産予定者は70人に達している。この日本の異常さは、最近アメリカのワシントン・ポスト紙にルポ記事として大きく報道された。

 この国は壊れつつある。続発する高級官僚、銀行、新興投資企業、一流企業などの不正事件や、若者や少年少女の凶悪事件。その報道に接する度に、そう感じる。そこに、「安心して子どもを産み育てられる」ための基盤さえが壊れ始めたのだ。

 ▽逮捕の衝撃

 産婦人科医の減少が加速している。高齢出産などによる異常分娩(ぶんべん)や障害児出産の増加の中で、産婦人科医が医療ミスを提訴される例が全診療科の中で一番多いため、若い医師が産婦人科医になりたがらないのだ。とくに昨年福島県で帝王切開のミスを問われた医師が逮捕、起訴された事件は、研修医や医学生に衝撃を与えた。悪意でないのに凶悪事件と同じに扱われるのはいやだと。

 毎年4月に全国の大学病院産婦人科に入局する新人医師数は、3年前までは300人前後だったが、今年は100人近くも激減し213人だった。大学病院の産婦人科は自らの診療態勢の維持が精いっぱいで、地域への医師派遣に苦労している。

 産婦人科医が過労に陥らずに安定した診療を行うには、1病院に常勤医が2人以上必要だ。だが、大学病院以外の病院・診療所の産婦人科医数は昨年7月現在で、1施設当たり平均1.74人。1人きりの施設が多い。しかも、全国の産婦人科医の4分の1は60歳以上。10年後を考えると、慄然(りつぜん)とする。

 隠岐の島では町長らが医師探しに奔走した結果、県立病院が産婦人科医を増やして、今年11月から隠岐病院に2人常勤態勢で派遣することになった。1人は海外で勤務中の島根出身の女医で、ネットで事情を知り、帰国を決意したという。

 隠岐の島の事態は全国に共通する。安心して子を産めない地域は若者に見捨てられ、荒廃する。それは国土と精神の荒廃につながる。この国は言葉では郷土愛を謳(うた)うけれど、未来を担ういのちの誕生を、本気で大事に考えているのか。国の少子化対策は、この問題を視野に入れていない。出生率低下は進むばかりだろう。国、自治体、医療界、医学教育界が挙げて取り組まなければ、手遅れになる。(ノンフィクション作家)

=柳田邦男氏の略歴=

 やなぎだ・くにお 1936年栃木県生まれ。東大経済学部卒。NHK記者を経て作家活動に。災害、事故、科学、医療問題などをテーマに執筆。著書は「マッハの恐怖」など多数。


今まで作ってきた全ての“取り決め”(言葉の漏れがあるとイケナイので“法律”のように限定的な言葉は、敢えて避けます)を“適切にぶっ壊す為”に新しい“取り決め”を作り、その事に、日本人みんなが慣れる事が必要な時期に来ていると思う。


p.s.本日のエントリーは、自分の言葉少なく終わってみた。
このテーマで行くと、特に、医療制度と薬剤師を取り巻く環境に対しては、収拾が付かなくなっちゃうからである。

昨日の薬事日報では、“日本調剤”の日本薬剤師会からの脱会が報じられていた。薬局においては3年後からオンライン請求が始まるので、これを境に大手チェーン薬局(日本の調剤の半分以上を担っている)がこれに続くのは必至である。日本薬剤師会に所属している事に全くメリットが無いからである。

すでに崖っ縁に立たされている訳だが、これを意識している人が、会長以下、理事の間で何人くらい居るのだろう?(いつまで「薬剤師が必要だ」と国民を騙しつづけられるのか?)

2006年07月03日

風が吹けば桶屋が儲かる

『風が吹く』と『桶屋が儲かる』事象は、江戸っ子の間では因果関係が証明されている。(私は、最初と最後の間に、猫が出て来るくらいしか知らないが、、、えっ?出てこない?こりゃまた失礼!)

常染色体劣性遺伝形式を取る遠位尿細管性アシドーシスの中に難聴を伴うものがあることは知られていたが、繋がりまでは知られていなかった。しかし、Karet らがこの疾患の責任遺伝子が ATP6B1 というV タイプ・プロトンポンプ (H-ATPase) のサブユニットである事を突き止めてから、この繋がりの間が埋まった。

このサブユニットが腎では尿細管α介在細胞に発現していて、その機能異常により集合管にて酸分泌が傷害される為にアシドーシスが生じると考えられるようになった。そして、このサブユニットは、内耳蝸牛管内の中央階 (scala media) や内リンパ嚢にも強く発現していて、この機能異常によって内リンパ液の pH 上昇を引き起こし、結果として外毛細胞の機能低下が軟調の原因として考えられるようになったのである。

ATP6B1 が“共通”項だった訳である。解ってみれば何の事は無いけど、解った時には、そりゃー、溜飲が下がったことだろう。
 
 
 
7月1日のエントリー『盲点』に対して薬事日報ウェブサイトさんからトラックバックを頂いた。本文の内容に対してではなく、p.s. の部分に対してだ。この部分に関しては Inoue 氏からもコメントを頂いている。(簡単に書いてしまった文章なので、ちょっと困惑している・・・が、あまり詳しくも書けない・・・)

ま、それはいいとして、お礼?に、トラバ返しを打ったのだが、『薬事日報ウェブサイトにいただきましたトラックバックは小社が許可したもののみを掲載いたします。』との注意書きにも関わらず、受け付けてくださったみたいだ。

大変申し訳ない話なのだが、トラバをしてくださる以前、私は“薬事日報ウェブサイト”自体の存在を知らなかった。よくよく考えてみると、アクセスされる規模から考えても、トラバを受け入れてくださって、私の方が感謝感謝なのだが、何故か?ブログの世界では『トラックバック、ありがとうございます』なのだ。

“薬事日報ウェブサイト”さんにとってみれば、“マリンパの雑感”にトラバを打つ事は、薬とは関係の無い“車好き”の方に自分のサイトを訪れてもらうのに役立つ。(今現在、マリンパの雑感は、キーワード“bmw mini”でのアクセスが多い。)だから、『ありがとう』なのは、“薬事日報ウェブサイト”さんであって、私の方ではない。でも、これがキッカケで、私の“マリンパの雑感”までのリンクを“薬事日報ウェブサイト”さんに『貼らせてもらった』訳だから、感謝するのは、私の方なのだか・・・。

と言う訳で、私がトラックバックをされた側にも関わらず、“薬事日報ウェブサイト”に“お礼”するのも変な話なのだが、誰か、この辺の事情がスッキリするような“ATP6B1”を示してくださらないものか・・・。

(私の職場は、薬事日報社さんと同じ“ご町内”の間柄なので、知らないどころか、大変良く存じ上げているのだが、“薬事日報ウェブサイト”は知らなかった。担当の方、申し訳ありません。)
 
 
 
閑話休題

真実を言えないのは、今に始まった訳じゃなく、古今東西あったわけで・・・。

今、『トロイ戦争』モノを読んでいる。当時とて、お金を積んで神の神託を受け、自らの出自を“神の子”としてもらい、王もまたそれを認め・・・・という段階を経て、それが“真実”としてまかり通る。

当時でも、『神の存在なんて、アホくさっ』なんて輩も居ただろうが、一般大衆のすべての人が、『それは非科学的な事さっ』と受け入れられるようになるまでは、長い年月を要した訳だ。ほんのつい最近までは、進化論ですら、大声で言えなかった・・・・。

と言う事は、実態を知って欲しくて、それぞれ業界に身を置くブロガーが知り得た、或は、考えた末に到達した事実を自らのブログで発信しつづけても、それが受け入れられるまでには、長ぁ~い年月が必要と言える???

それに・・・・書きたくたって書けない真実もあるわけで・・・・。ATP6B1 を出しちゃえば、理解してもらう事はた易いんだけど。

やっぱり事実の扉は、各々が当事者になって、各々がこじ開ける、これ以外ないんだろう。こっちに居ながら、一人だけイイコぶって、こっちのアラを曝け出すのは、あまり良い趣味じゃない・・・・なんてね。


ちよっと、抽象的な表現が続いたのだが、本日はそういう気分だったので。

で最後に、『百聞は一見にしかず』は正しいのだが、万能ではない、と言う事。
その証拠が、網膜に桿状体と錐状体がないため目が見えないマウスでも昼と夜の区別ができるという事実。瞳孔も明るい光に反応するのである。

このような内容の最新の研究成果では、桿状体や錐状体にはない新たな光に敏感な色素が哺乳動物の眼球に含まれているという見方が示されていて、この色素は、一般的な光レベルと関係がある睡眠パターンや食事その他の行動を支配するサーカディアンリズムを調節するのかもしれないと、考えられている。

そして、分子イメージングの分野。文部科学省、厚生労働省、経済産業省の肝いり。
分子イメージングってのは、MRI や PET 、蛍光顕微鏡で対象を可視化する技術を指すのだが、名が示すような分かり易い“検査技術を促進させる研究”目的もあるのだが、実は、直感的には解りづらい“創薬候補物質の探索”がメインの目的だったりする。MRI や PET 、蛍光顕微鏡が“創薬候補物質の探索”に如何に繋がるか?解らない人は自分で扉を開いてみてくだされ。
(写真はイメージ。勝って良かったね!!)

2006年07月05日

苦味感受性の進化

一般的に、“苦み(にがみ)”に対して逃避する行動(吐き出す etc)は、自分の体を“毒”から守る防衛本能だと言われている。しかし、面白い事に、ある種の“苦み(にがみ)”に対しては感受性を示さない遺伝子が多型として存在する。

私も、感受性を示さない一人だ。

子供向けに作られた某メーカーのドライシロップは、業界では“苦い”と評判だったのだが、私は、『そんなもんか!?評価がきびしいなぁ!』と感じていた。一度は、ある子供のお母さんから『飲んだら、吐いちゃいました』と、味の悪さを訴えられた事もあった。

某メーカーは、最近、味の悪さを改良したので、『今度のは、素晴らしいです』と言い、サンプルを置いていったのだが、私には両者の違いが判別できなかった。

この事があり、私自身が、ある種の“苦み”の受容体遺伝子における多型の持ち主だと自覚に至ったのだ。

調べてみたら、フェニルチオカルバミド(PTC)の多型は古典的な例らしく、遺伝学的な研究分野や進化学の分野では有名な事らしい。

この某メーカーのドライシロップの苦みが、フェニルチオカルバミド(PTC)受容体遺伝子(TAS2R)に関係しているのかどうかは、めんどくさいので調べてない(注1)が、苦くて有名な“ガスター10”の成分、ファモチジンに対しては、私の“脳”は鋭敏な反応を示すので、別な受容体にての感知であり、私が“味覚障害”でないことは証明されている。

この“苦み(にがみ)”対して無反応な遺伝子が、淘汰圧に負けずに多型として存在する事は興味深い。このタイプの苦みを感じない事で、このタイプの苦みを持つ“食べ物”に含まれる“別な栄養分”の摂取が可能になったからなのか・・・なんて、シロウトの空想が喚起される。

注1:メーカーに調査を依頼したのだが、梨の礫(なしのつぶて)だ。自社製品に関して苦みの研究なんてやるワキャねぇから、データが無いんだろうね。受容体遺伝子(TAS2R)を発現させた細胞に、蛍光標識したクラリスロマイシンを反応させれば、答えは出そうだからやってもらいたいんだけどなぁ。あっ、結合しても、細胞内にシグナルが入んなきゃわかんねぇか!じゃ、神経細胞使って、Na+チャネル活動でもみれば・・・?味覚の受容体は 7回貫通型 GTP 共役タイプだったよなぁ・・・。


参考までに。。。

Nature April 13, 2006

Cover Story : 『苦味感受性の進化:チンパンジーとヒトでの味覚感受性』

cover20060413.jpg苦味を感じ取る能力は、食物に含まれる毒を察知するために極めて重要である。

フェニルチオカルバミド(PTC)は、ヒト個人の遺伝的素因によって非常に苦く感じたり味をほとんど感じなかったりするという点で、特異な物質である。

既に古典となった、1939年のNature掲載論文でR A Fisher、E B Ford、J S Huxleyは、チンパンジーにもPTC味覚感受性の個体差があることを報告し、この個体差は、ヒトとチンパンジーの共通祖先に生じた遺伝的多型が自然選択によって維持されたことを表していると考えた。

ヒトのPTC感受性を担うTAS2R38という遺伝子座は既に突き止められており、Woodingたちは今回改めて、ヒトとチンパンジーの両種について比較検討を行った。

TAS2R38はチンパンジーにもあるが、意外なことに、感受性の個体差の原因となっている変異はヒトとチンパンジーで異なっている。

「PTC味盲」の対立遺伝子は、ヒト科の進化の過程で独立して少なくとも2回進化したとみられる。

D J Coxによる表紙写真は、2003年3月に米国テネシー州のチャタヌーガ動物園で撮影されたもので、チンパンジーが自分で運べるだけの果物を抱え込んでいるところ。
[Letter p.930]

事件って、起きる時は、続けて起きるもので、少年による放火殺人が連日のように報道されている。今回はこれを取り上げるつもりはない。取り上げるのは、、、、、

北朝鮮テポドン発射、韓国による日本の領海内の調査、中国国家主席と小沢(大馬鹿)一郎との会談だ。個々を取り上げるんじゃなく、こういった事態に対しての対応、すなわち、危機管理の“感受性”についてだ。

靖国問題で、世論が割れる。日本の世論の半分を占める?“及び腰加減”が“苦みの感受性”にダブって見えるのだ。

今回に限って言えば、日本の及び腰の“感受性(危機感受性)”の鈍感さが裏目に出て、日本は、完璧に“舐められた対応”を取られている訳だが、この及び腰な“感受性(危機感受性)”が“有利な方向”に作用する事ってあるのだろうか?

私には、苦み感受性の時の『別な栄養分・・・』のように簡単には想像できない。

そして、この危機管理受容体の感受性が鈍いタイプが、日本人には半分くらいいるから、もはや、多型とも呼べない。

このタイプの人は、これを危機管理感受性とは考えず、中国人・韓国人の気持ちを考えたら靖国参拝など出来ないと言う。(危機管理で考えなきゃならない場面で、人道面を第一に考えるタイプなのだ。)

国家間の見解の食い違い、すなわち軋轢を“危機管理”として捉えられない時点で、すでにこのタイプの人達に、外交を云々する資格はないのだが、悲しいかな、議会制民主主義の日本では、主権は国民にあるから、彼らが選ぶ政治家が、この方針で国を運営しなければならなくなる。(自民党内では、靖国参拝に関してとやかく言うのを内政干渉と捉えている人が多くて、ほっとしているところだ。しかし、福田は単に中国かぶれであり、危機管理感受性が鈍いかどうかはわからない。まぁ、靖国問題を人道面で捉えるほどアマちゃんじゃないだろう。単なる票取・大衆迎合で、角栄の亡霊が憑依しているだけ・・)
 
 
 
閑話休題

タイトルに“進化”という言葉を使ったが、進化という事象を生物学的に捉えられない人達は、生物は時間の経過に伴って、必ず合理的な方向、すなわち“進化”するものだと勘違いしているようだ。


生物は“退化”もするのである。


日本人の危機管理の“感受性”の無さは、進化とは言えず、退化だと思うのだが・・・。

そして、苦みの感受性遺伝子と危機管理感受性の遺伝子(なんてあるのか?)は“分離(注:遺伝学用語です)”しているらしい。


p.s.小沢(大馬鹿)一郎と胡錦濤との会談を評価している『朝日新聞』は人間として“退化”しまくっていると思うが、いかが?

p.s.2『私が悪かった』と言って『まぁ、そこまで自分を悪者にするなよ』と言ってくれるのは日本人だけだと言う事が、今回の事件で身に染みただろう。
日本以外に“謙る”文化は無いのである。
そして、北朝鮮が南や西にミサイルの舳先を向けないのは、そんなことをすれば必ず報復されるからであり、日本は絶対にやり返さないと舐められているのは、靖国参拝を反対する国民がいて、その顔色を伺っている国会議員が多いからに行き着くと思うが、いかが?

2006年07月11日

潜伏感染ウイルスのストラテジー

20060711_bbs.gif完璧な秩序、完璧な平和は絵に描いた餅なんだから、均衡を保つ為には『目には目を』が、自然なのかもしれない。

憎しみが憎しみを呼び、連鎖する事を恐れる人もいるけれど、どちらかが一方的に折れるという解決方法は“不自然だ”という話。

『ヘルペスウイルスの潜伏』

Nature July 06, 2006

単純ヘルペスウイルス1(HSV-1)は、ある種のストレスによって再び活性化されるまで末梢神経系に潜伏し続けることがある。

再活性化されると感染力をもつウイルスが再び作り出され、口辺ヘルペスなど、よくみられるヘルペスの上皮感染が起こる。

潜伏期間中に発現する遺伝子は1個だけで、ウイルス粒子は作られない。

この1個の遺伝子の産物が今回同定され、潜伏の巧妙な仕組みが明らかになった。

ウイルスはマイクロRNAを作って感染したニューロンを細胞死(アポトーシス)から守り、再活性化するまで感染を持続させるのである。

哺乳類細胞はウイルスの増殖を抑えるために RNAi(RNA干渉)経路を用いることが知られているが、この例では逆にRNAiがウイルスの助けとなっているのである。

RNAi 分野の研究も“タンパク質分解”研究に負けず劣らず、精力的に行われている。
今回の『ヘルペスウイルスの潜伏』は、知ってしまえば、『まぁ、そりゃ当然なだわな』って内容なんだけど、私は、『すぅ~っ』と胸の痞えが取れたような気持ち良さを感じた。

そして、地球上で生命あるもの全てに、その生命現象のシステムは利用されているんだと、認識を新たにさせられた。(自己が生き続けるという事に関しては基本的に考える事?は同じなんだと)

原子力がエネルギーにも兵器にもなるのと同じで、ヒトがウイルスから身を守る為に用いている戦略を、ウイルスもヒトの体から排除されない為に用いているのだ。

お互いに同じ戦略を用いているなんて、考えようによっては、非生産的な行為だとも言える。お互いにその戦略を捨てれば、無駄にエネルギーを消費しないで、同様の均衡状態を維持できるかもしれないのに、その方法を選択していないのは、何故?

ヒトはウイルスを排除しない。その代わりウイルスも細胞障害を起こさない。双方で約束しておけば、RNAi という“情報戦略”“水面下の攻防”をしなくて済むものを。

でも、その『何故?』の答えは言葉では説明できないと思う。進化の過程で、この方法がベストだった、、、、ただ、それだけの理由だからだ。(進化がエビデンスであり、中国4000年の漢方薬みたいなものだ)


限りある環境で、利害が一致しない生命が共存しなければならない状況においては、均衡を維持する為のファクターは、多ければ多いほど良いという事だろう。(面白い事に、漢方薬も構成生薬が多ければ多いほど、マイルドになる。)

お互いの戦略・抑止力を『あれも、これも、捨てましょう』とやっちゃうと、、、、
『・・・で、残ったのはこれだけですね』
『そう、絶対、これは譲れません』
『じゃ、戦うしかないですね・・・・生きるか死ぬかの。』
 
 
 
防衛庁長官や官房長官は、基地限定攻撃を肯定している。(小泉首相は、お気楽になったら、言う事が無責任になってきた。)

このヒトとウイルスの攻防をみれば、基地限定攻撃を肯定する事は、当然過ぎるくらい当然だ。やればやられると思うから、その手段での攻撃は、程々のものに落ち着く。

ヒト(哺乳類)のウイルスを排除する RNAi が完膚なきまでに強力じゃないのは、強力にすれば自分にも跳ね返ってくるからだ。だから、進化の過程で、『適当に、程々に』が残ったのだろう。

日本にはアメリカが付いているとは言っても、(絶対防げない)最初の攻撃で核弾頭を積んだミサイルが日本に落ちたら、一体、何人の日本人が死ぬ事になるのか?その後、北朝鮮がアメリカに滅ぼされたとしても、最初の一撃は、イタイ!!

この最初の一撃を小さなもにする為にも、日本人の間で、基地限定攻撃のコンセンサスが得られる事を、私は強く望む。
 
 
 
p.s.そんなことを書くと、核兵器を肯定するのか?なんて言われそうだから、前もって書いておくけど、核兵器を保持する国が地球上から無くなれば、それに越した事はないけれど、それは無理だから、核兵器は国連常任理事国には必携だと考えている。

常任理事国には拒否権があるのだから、脱退はない訳で、だから国連決議がものを言う。バランスは取れている。拒否権が無い非常任理事国には、脱退して突っ走る恐れがあるから持たせるべきではない。

日本が、基地限定攻撃で攻撃できる事が当たり前になれば、韓国の大統領府が発表した『(北朝鮮のミサイル発射に)日本は過剰に反応してんじゃねぇよ(制裁、制裁ってさわぐな)』も納得出来る話になる。『北のミサイルなんて、こけおどしなんかだから、過剰に反応するなよ!逆ギレされるかもしれないんだから』の“こけおどし”がより現実的になるから。

でも、今の丸腰の日本じゃ、過剰に反応せざるを得ないわけで、韓国も、そんなこたぁ解ってんだから、もうちょっと大人になって欲しい。(ってゆーか、プチ整形大統領はバカかもしれない。一部の過激なアンチ日本信者の票を、まだ、あてにしているし・・。韓国は、中国・北朝鮮と組むより、日本・アメリカと組んだ方が良いんだぞ!)

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2006年07月13日

ジダンの“頭突き”と“勝てない”日本

20060713_wow_wow_wow.gifジダンのコメントを見た人も多いだろう。

コメントとコメント後のフランス国民とイタリア国民の反応を見て、私は、つくづく感じた。自分を信じる、同胞を信じる、ルールが無ければ何でも出来る勝つ事への貪欲さ、でも、もっと大事な守るべきものがある、、、その他色々色々・・・。

そして、多分、ウスウス感じている人もいるだろう。

日本の勝てない原因。精神的な弱さは、首相の靖国神社参拝や戦争責任など、いまだに過去の行為に責任を感じている国民性にある・・・・と。

とにかく、『自分たちが悪かった』と言っていれば、相手も折れてくれるという感覚。

日本人選手が『おまえのかあちゃんでべそ』って言われて、思わず、頭突きしてしまったら、後は、ひたすら謝るんだろうな!
日本人は同胞の味方をしないんだろうな。
絶対、庇わないんだろうな!
絶対、フランス人やイタリア人のようにフランス人はフランス人の肩を持ち、イタリア人はイタリア人の肩を持つような反応はしないんだろうなぁ・・・・。


今日は、仕事が休みだったので、ズームイン・スーパーの後の番組もダラダラと見ていたのだが、このジダンのコメントに、お笑いタレント(名前は知らない)までもが、『頭突きは絶対許される行為じゃない』なんて言ってるくらいだから、ほとほと、日本人は、良識派、善人って思われたいんだろうね。

お笑いタレントなんだから、『俺は、何があってもジダンの味方だぜ』とか言っていれば、大ファンになったのになぁ・・・・。所詮、いい子ちゃんぶってるヤツばっかりなんかだよな。

そもそも、言葉の暴力と頭突きと、どっちが悪いかなんて、決められる訳無いじゃん。(戦争は悲しい事で悪い事だけど、一方的な悪者がいないのと一緒だよ!勝った国が裁くから結果があるだけ。)

良識派は、頭突きを許せば、なし崩しに戦争までも肯定することになるなんて思ってるんだろう。まるで、韓国が日本の基地攻撃を再武装って言ってるのを信じるのと同じだよね。

暴力を反対するだけで“良識派”を気取ってるんだろうけど、まるで状況把握が出来ていない。ジダンの頭突きは戦争には繋がらない。日本の基地攻撃は先制攻撃じゃないし再武装ではない。


・・・・そもそも、日本が信用されないのは、自衛隊を軍隊と呼ばす、同朋を庇わず、いつまでも『自分たちが悪かった』って言いつづける事にあるって事に気付くべきだ。

中国人や韓国人は、自国の行為を卑下する事はしない。韓国人や中国人はマゾ(日本人)の気持ちが解らないんだから、解りやすい行動、『靖国参拝に口出しするな』って言ってくれた方が、よっぽど、解りやすいのだ。(失うものもあるけど、得るものもあるのだ。例えば“信用”。中国や韓国にしてみれば行動予測が出来るって事でね。)

解りやすい行動をすれば、『日本人は何考えてるか解らない』って言って、警戒されないんだよな。『基地攻撃は先制攻撃だ。再武装だ』って言われないんだよ。

まぁ、韓国は靖国問題も含めて、外交カードに使っているんだから、『日本人は何考えてるか解らない』は、半分だとは思うけどね。

そして、何としても日本人を悪く言いたい日本の“良識派”の人たちは、靖国問題は、何も起きていない、平和で平和でボケてしまうくらい平和な時に、『ああ、俺たちは、戦争に突入して悪かったなぁ』って言っていれば良い事なんだよ。有事の防衛行動を平時に考えるのと同じ事だ。これだって、日本の良識派は、平時に有事の軍事オプションを考えることが、アジアの人を不安に陥れる・・・とかなんとか言っちゃってるんだから、言葉を失う。。。(あっ、まさか!良識派の人は、靖国参拝を肯定している人が、罪悪感のかけらも感じていないのではと疑っているんじゃねーだろうな?)
 
 
 
韓国が日本よりサッカーが強いのは、当然だよ!盗作に気付いていても、事実を徹底的に突きつけたりすれば逆に『ドラえもんは韓国オリジナルだ』って断言しちゃうんだからね。
 
 
 
私は、謙るのは、日本人の一番素晴らしいところだと思うし、無用な争いを避ける“智慧”だとも思っている。後世まで、日本の文化として残したいと思っている。(車で道路を走っていたって、譲り合った方が気持ちがいいんだからね。)

しかし、謙るのは、日本人どおしの間だけでやるべきだと思う。

日本人が外国人の相手をするときには、度が過ぎる“謙遜・謙譲”は理解されないんだから、それを踏まえて行動した方が良いに決まってる。これは、決して“二枚舌”なんかじゃないんだから、自信を持って“自分に都合がよい主張”を通せば良い。『つまらないものですが・・・』って言って贈り物をするのは日本人相手にだけしとけよ・・・。


最近知ったんだけど、韓国人は“割り勘”というのが、理解できないらしい。日本人なら、呑みに行ったら“割り勘”は当然だけど、韓国人は、呑みに誘った方が全額払うのが当然なのだそうだ。(韓国人に呑みに誘われて「いや、悪いから半分払うよ」って言うと、ぶっ飛ばされるらしい。「そんなによそよそしいなら、貴様とは二度と付き合わない」って。)

『郷に入れば郷に従え』をすれば良い。韓国人に対して『日本人に合わせろ!』って言っても良いんだけど、グローバルな感覚は韓国人なんだから、日本人は従うべきだ。

日本人がアメリカに行って、親しくなったアメリカ人に『血液型、何型?』って聞いて、『何でそんなこと知りたがるんだ?お前は医者か?臓器のブローカーか?』って言われたという笑い話があるが、島国の日本人は、日本人と感覚の違う人間が地球上にいるということを“感覚的”にわかんないんだろうね。

サッカーで勝つには、まず、ここからだと思うぞ。

(本日は、久し振りに、直球を投げた感じのエントリー・・・!)

2006年07月17日

イタチゴッコから脱出できるのか?

ここのところ、奇麗事を並べ何事も穏便に済まそうとする“良識派”“人権派”“イイコブリッコちゃん”“偽善者”に強烈なサブミッションをお見舞いし続けていて、日ごろの鬱憤(何の?)を晴らしていたわけだが、このエントリーは、純粋な“興味・好奇心”からのエントリーだから、安心して?読んでくだされ。(なんちゃって!書き始める時には、実は、最後のまでの展開なんて考えてないから、たぶん・・・(笑))

で、それは、こっそりと Science 誌に掲載されていた何気ない論文がネタなのだが、、、、

Science July 7, 2006, Vol.313

抗生物質を処置する際の好ましからざる影響は、細菌の耐性遺伝子の増加と耐性を持った細菌の亜集団の選択的な生存による抗生物質への耐性促進である。

Prudhommeたち(p.89)は、抗生物質への爆露のストレスが肺炎レンサ球菌における応答能(偽似有性的遺伝子変化「parasexuality」))のトリガーとなっていることを見出した。

新たな抗生物質耐性遺伝子の獲得を可能にしているだけでなく、病原性の決定要因の獲得をも可能にしている。

自然な形質転換が広範囲に起きており--約50種の様々な細菌で観測された。

抗生物資によって刺激されるというこの発見は、戦略的な抗生物質の開発において重要な意味を持っている。


私は、これを読んで、『このターゲットを攻略する事が、耐性菌との戦いという“いたちごっこ”からぬけだせるか?それとも、生命の普遍的な環境適応力を奪う諸刃の刃となり、菌を殺す戦略の“無意味さ”を露呈させる事になるのか?』という事を、まず感じた。

やっと日本でも、抗生物質乱用の是非が議論されようとしている。

その矢先に、『耐性菌の克服が可能か?』なんて論文が出て来る“間の悪さ”は、菌を殺し捲くる事に弊害があるという“衛生仮説(hygiene hypothsis)”を疑問視しているグループに、ここぞとばかりに抗生物質を使い捲くる根拠を与えてしまいそうで、ちょっと残念でもある。(現代は、耐性菌出現を懸念してという理由だけで抗生物質使用を制限しようとしているのではない)

耐性菌の克服が可能ならば、ますます、不必要な抗生物質使用が助長されることにもなるわけだし、こんな生命の根幹に触れるような医薬品開発が、それこそ、核分裂の発見に繋がらない事を祈るばかりである。

と、“良識派”を気取って言えば、上のような意見になるわけだが、本音は違う。やっぱり、興味津々なのだ。

生命の根幹に迫れる研究・・・・、麻薬みたい。善悪の判断を超越した好奇心を惹起させる・・・。ああ、いけないと知りつつ、身を委ねてしまう“不倫妻”の心境か??

生命が持っている、環境に適応させる為に遺伝子を変化させる原動力(この変異が凶と出るか吉と出るかはやってみなきゃわからないという意味においても、生命の神秘だ。)を弄ってどうなるのか?を知る事は、ゆくゆく、特定の機能を増大させた“スーパー人間”作成する為にも、きっと、役に立つだろう。興味が湧かないわけがない。。。
 
 
 
閑話休題

前出の“鬱憤”、多分、それは自分へも向いている事は、間違い無い。

昨日、久坂部 羊 氏の『無痛』を読み終えた。氏の小説は、何故か私の考えとシンクロしている登場人物が出て来る。『破裂』の時もそうだった。主たるテーマではなく、登場人物達の背景である。今回、『無痛』の主な登場人物は『医療で救える病気はわずか』『治る病気は何をヤッテもなおるし、治らない病気は何をヤッテも治らない』『早期・末期に関係なく、治るがんは治るし治らない癌は治らない』『病気は自然現象だから人間の浅知恵でどうにかなるものではない』・・・・と。全く、私の本音のスタンスと同じなのだ。

自分と同じ感覚を、小説で、具体的な言葉として『ぐりぐり』突きつけられる状況で、現実の世界に目を向けると・・・、意識させられるのは“自己欺瞞”、その嫌悪感というか、脱力感・無力感が私の頭の中に『ぐりぐり』と・・・。

例えばコレステロール値と心血管系イベントの発症の関連を日本人で見た“MEGA study”のデータから言える事は、確かに33%の発症予防なのだが、その実数を見るにつけ、『自分は、患者を騙している』との自己嫌悪感が消える事が無い。反対の事を言っているのだ。

『無痛』では、“刑法第39条”がモチーフだ。このテーマは、さらにやりきれない無力感を助長する。そして、その反発から、世の中の“良識派”“人権派”“イイコブリッコちゃん”“偽善者”に対する嫌悪感が増幅され、起訴すらされない凶悪な殺人犯や、それを弁護する弁護士、死刑に踏み切れない甘い司法、事なかれ主義の靖国参拝を反対する行為などが、糞も味噌も一緒の対象になってしまう。


例えば、『無痛』にこんな描写があった。

・・・・ヨッシは40歳くらいのオジサンだ。・・・・・・・ヨッシは、水遊びが好きで、冬でも水洗トイレに顔を突っ込んで遊ぶ。昨日は水を一気に3リットルも飲み、食堂で吐いて床を水浸しにした。ヨッシはオジサンだが背が低く、足の大きさもサトミと変らない。サトミの靴は上履き以外はヒールのあるものばかりなので、ヨッシのスニーカーと、彼が前から欲しがっていた生理用のタンポンを交換したのだ。・・・・
こんな描写に出会うと、韓国人が日本人の自虐的な行動を理解できない喩に使えるなぁ!ブログに書いちゃおうかな!?って感じるくせに、やっぱり、統合失調症の患者を差別する事にも繋がるのだから、人道的にも、こんな現実を理解不能の人間関係の喩に使ってはマズい、、、なんて、気持ちが擡げてしまう。と、『建前を嫌い、本音で話せ』と叫んでいる立場としては、自己矛盾だ。(あっ、書いちゃった・・・)

ニュースステーションの古館伊知郎のように、自分の感じた事(テレビ朝日に言わされている?)を“サラッ”と言い放ち、後は、すぐ話題を変えて反論をさせないような“卑怯”な方法はしないつもりだし、そこに至る理由と思考ロジックを明確にしてこその持論の公開だと思いつつも、文章力の無さで、『言い逃げ』になっちゃってる自分の文章を見ると・・・嫌悪感だったり。(そもそも靖国参拝や戦争責任などは、がん治療一つとっても“サラっ”と説明など出来ないのと同じで、さらっとやったら誤解を招く場合がある。サラッとやる場合は“誤解してくれる事を期待している”事がほとんどだ。私も薬の説明では良く使う手だ。サラっと。自分の事ながら、卑怯だと思う。)

医療制度の改革でも、何かやってる振りをしながら、明後日の方向に目を向けさせ、既得権益を守る事に邁進する人達を、ケチョンケチョンに非難しているくせに、自分でも、既得権益に守られて給料を貰っている。


---結局、忘れるしかないんだよなぁ---


自己欺瞞っていうか、自己矛盾っていう“いたちごっこ”から脱出するには。

というわけで、自分の事は棚に上げ、これからも世の中の“良識派”“人権派”“イイコブリッコちゃん”“偽善者”にサブミッションを極め捲くろうと思う。
 
 
 
《今、気になってる事 その1》
ところで、8月15日が近づくと、また、恒例のA級戦犯の分祀論なども賑わうことだろう。先日、新聞の広告欄で、ゴーダ何某の『A級戦犯の意味も知らない奴が何を言う』ってな事を書いてあって、ドキっとしてしまった。


---知らなかったなぁ---


よく、ジャイアンツが負けつづけると、スポーツ新聞などが、『○○はA級戦犯』なんて書いてるので、【A級=一番悪いやつ】だとばっかり思ってた・・・。えっ?違うの??

って事で、さっそく調べてみたら・・・・・、

なぁーんだ、100歩譲って日本だけに戦争責任があるとしても、A級戦犯を特別扱いして分祀するなんて意味無いジャン。もしやるとすれば、B級、C級も一緒に分祀しなきゃ、中国人に申し訳が立たないジャン。

どうして、分祀論者はA級に拘るんだろう????

それに中国・韓国はA級を分祀したら、今度はB級、その次はC級、その次は一兵まで、奉るのはケシカランって言ってくる目に見えてる。そもそも、新聞社だって、煽りに煽ってたし、国民だって。。。中国・韓国に申し訳ないなら、日本人なら靖国参拝はしちゃダメだな。

私が中国人だったら、A級で日本が折れたら、次はB級で突っ込めば、また、日本は譲歩してくれるって考えるよな!参拝反対論者は、A級戦犯を分祀しただけで、中国・韓国が刀を鞘に収めてくれる確証があるんだろうか??

竹島の次は対馬。その次は佐渡島。日本海の資源は中国のもの。そのうち日本海は中国海・・・・爆笑。日本国首相に靖国参拝止めさせて、日本海が無くなっちゃったら、参拝反対論者たちは、どうやって責任取るんだろう?まぁ、責任逃れる“ウルトラD級”ロジックを編み出すんだろうな。


《今、気になってる事 その2》
個人のブログで人気が突出している『きっ○のブログ』をご存知の方も多いと思う。例のインチキマンションの裏事情の詳しさに、感心してしまって、読みつづけている一人なのだが、情報収集能力は一流なのに、その解析力(理論的思考の能力)が三流なのが、ばれてしまったようだ。気になる人は、行ってみれば解るはず。

ジダンが母親を侮辱され頭突きした事を『挑発に乗って、暴力をふるうバカ』と言い切り、それに引っ掛けて、北朝鮮のミサイル攻撃に挑発されて制裁を叫んでいる日本のやり方を同じようにバカと言い切っている。北朝鮮を挑発に乗るなと。(どうして挑発だと断言できるんだろう?無責任だねぇ。)

いつも、バカ呼ばわりは小泉首相と安倍官房長官を名指しだ。制裁を進め、基地攻撃を肯定する事が『自民党が前々からもくろんでた「戦争のできる国への変革」を遂行しようとしてるってことなのだ』そうだ。

前半の“挑発に乗って・・・”までの考察は適切なのだが、一歩踏み越えた“頭突き”から“戦争”まで短絡的に繋げている考察は、あまりにも幼稚すぎる。前半のアナログ思考が、後半いきなりデジタル思考に早変わりしているのだ。

虫の居所が悪いだけで竹刀で生徒をぶん殴る教師と、万引きをした生徒を往復びんたする教師を、この“きっこさん”は、色々な理屈をつけて“暴力は絶対いけない”で片付けるタイプなのだろう。まっ、イイケド・・。世の中、ホント、いろんな考えの人がいる。こういう人は、最後の責任は取らないから、御気楽でいい。

北朝鮮の挑発で制裁すれば、北が逆切れして本当に日本にミサイルをぶち込むかもしれないという考えは、大変いいけど、制裁しなかったら、100%ミサイル攻撃が無いという保証は無い訳だ。

100%の保証が無いなら、、、もし、私が仕事している時間帯にミサイルを打ち込まれたら、私は、間違いなく娘を残して私だけが死ぬことになるだろう。私は、娘を残して死ぬ訳には行かない。娘を残して死ぬくらいなら、北朝鮮に先制攻撃した方がいい。そう、自分達が生き残れば良いのだ。私は、生物学的に、ごく当たり前に、このように考える。利己的が本能だからだ。利他的は人間らしいが、生死が関わる場合に、利他的でいられるのはイエス・キリストだけだと思う。(あなたが利他的で慈愛にあふれているかどうかは、この画像を見て、自分の心に感じてください。人によっては衝撃的な写真だと思うので、自己責任でご覧ください。『自分を犠牲にして、自分の手で、肌を合わせて、この人を救えますか?』)

自分の生死がかかっている状況では、利己的な人間を、私は信用する。

2006年07月23日

Klotho

Klotho という単語、知ってる人は知ってるけど、知らない人は知らないと思う。で、『スペルが間違ってるんじゃねぇ~の? Clotho だろ!』って人も、中にはいるはず。

Klotho は、ある遺伝子に付けられた名前。

Clotho は、ギリシャ神話に登場する“人間の運命を決定し監視する三女神”の一人。(三人まとめて“The Fates(フェイツ)(ファタエ)/Moirai(モイライ)”とも呼ぶ)

三女神は、それぞれ、、、
クロト (Clotho) つむぎ手は生命の糸をつむぐ。
ラキシス (Lachesis) 配り手は、生命の糸の長さを計る。
アトロポス (Atropus) 切り手が、その糸を切る。
という役割を担っており、この女神達が下した運命をオリュンポスの神々であろうと覆す事は出来ないが、ゼウスだけは、運命の秤で知る事だけは出来たらしく、ゼウスが運命の執行人なら、モイラたちは、運命の決定者ということみたいだ。

出自も色々で、『三人はエレボス(暗黒)とニュクス(夜)の間に生まれた。』との説もあれば、『神統記』によればゼウスの二番目の妻テミスとの間に生まれたとある。

で、その運命を“紡ぐ”という所から、寿命に関係する遺伝子として、1997年、日本の黒尾らによって発見された遺伝子に付けられた名前が“Klotho”だ。

ちなみに、この女神達は“老”いたイメージで知られており、シェークスピア『マクベス』に登場する3人の魔法使いのモチーフになったとも言われているそうだ。(と、何処かで読んだ記憶があるのだが、違ったかな?違ってたらスマソ。)

そして、ディズニー映画『ピノキオ』の主題歌、『星に願いを』の歌詞にこの女神達が登場している。
こんな感じ。

♪Fate is kind
→運命の女神は親切です
♪Fate steps in and sees you through
→運命の女神が入り込んであなたを見抜くのです
 
 
 
閑話休題

寿命と老化、、、ほとんどの人は『寿命と老化は大いに関係があり、老化しなかったら死なない(寿命は無い)んじゃない!』って思っているハズ。

しかし、驚くべき事に、寿命や老化を研究している人達のイメージは、かつては、違っていた。寿命と老化は別々な因子で規定されると。全く別な現象なのだと。しかも、実験室で行なう実験では、この感覚が裏付けられる結果ばかりが選られていた。古くは1961年ヘイフリックの“ヒト体細胞の分裂回数限界”が報告され、寿命は遺伝子にプログラムされている・・・からテロメアの発見・・・を通して寿命が研究されてきたのとは別に。。。。

老化の研究は“分裂の限界”とは、全く別分野の人達がやっていたわけで、その中で Klotho が発見され、『なぁ~んだ、老化と寿命は関係あったんだ』となり、研究者達の“感覚”は一般の人達に近づいてきた・・・というわけだ。

今『アンチエイジング』なる言葉も一人歩きし、関連する商品も、後から後から雨後のたけのこ状態だが、商品に対する効果の期待は、当然の事ながら、開発している側、消費する側に“大きなズレ”があることは間違い無い。

商品だけなら、まだトラブルの基にもならないが(なるかっ?)治療薬の開発者や治療法の研究者達が、一般の人達との“感覚のズレ”があることは、ちょっとどころか多いに問題ありだと思う。“寿命”、“老化”という言葉でイメージするものが違うのだから、目的と得られる結果も“ズレ”が生じるところに。(死に対する感覚が違う。)

最近、新聞に取り上げられる事も多くなってきた分娩時のトラブル、いつも感じるのだが、医療行為者と出産をする側に大きな“感覚のズレ”がある。どちら側の感覚が“正しい”などという次元の問題ではない。難しい問題だ。(こっちは生に対する感覚の違いか?)


『生まれてくる』『死にゆく』どちらも、医学的な面だけでなく宗教的な意味もある事だけに、余計に“感覚のズレ”に起因するトラブルが多発するのだろう。

私には『宗教的な』という言葉を使わないで、別な言葉に置き換える能力が無い為に、この“宗教的な”に嫌悪感を感じる人には申し訳ないが、『何も、長く生きる事だけが正しいわけじゃないだろう』って事だ。


先日の改正医療法の成立により、9月から老人保健の3割が実現する。
『1割と3割じゃ、凄い違う。年寄りは死ねって事だな』と、憤りをぶつけていく人が、最近、増えてきた。

しかし、良く考えてみれば、この憤りは誤解に根差している事がわかる。

日本では、誰が広めたのか知らないが『一度、薬を飲み始めたら、一生、呑み続けなければならなく、止めたら死ぬ』という“常識”がまかり通っている。
しかも、医学の専門を極めた人の間にも、実は結構いる。この人達は生命現象に対する知識が無いと言うわけじゃなく、逆で、大変造詣が深いのだが、残念な事に、極め過ぎているが故に、生命現象を自分のフィールドでしか説明出来なくなっているからだ。(まわりが見えない、いわゆる“専門バカ”・・・失礼!)

実際は、服薬を中止しても“直ぐには死なない”薬はいっぱいあるし、制度の変更で明るみに出た『飲まなくても変り無い、ばかりか、飲まない方が良い』と白日の下に曝された薬があった事は記憶に新しいわけで、薬を減らす良い機会だと、ポジティブにとらえる道もあると思うのだが・・・・。そして、絶対、服薬が必要な人と、そうでも無い人がいるという現実も、改正医療法によって、炙り出されてくると思う。
 
 
 
先日、痴呆の母を息子が殺したという事件の判決があった。この裁判は検察側も弁護側も涙無くして弁論できないという、希に見る事件だと報道されていた。殺人を犯したのだが、執行猶予3年が下ったそうだ。

そして、この手の事件が増えているとも、伝えられた。

人間をトータルで診ないツケが、こんなところに回ってきたとしか言い様が無い。血管にしか注目しない、心臓にしか注目しない、そんな医療を続けて来た結果が、心臓は動いているけど、“脳が溶けてなくなった生物”を産み出す事になったわけだ。

救急医療が進歩して“植物人間”が急増したのに似ている。

患者の意志を尊重すると言いながら、具体的にどうしていいのか、医療人にもわからない。

人は、昔、老化と病気(高血圧、動脈硬化、骨粗しょう症など)を同じものだと考えていた。しかし、なまじ、生半可な医学知識が蔓延してきて、老化と病気が“別なもの”だと感じるようになった。まるでこれは、専門家が、研究を進めるにつれて、老化と寿命を違うものだと感じる様になっていったのと似ている。この場合は、さらに研究が進んだおかげで、同じものらしいと感じて来ているようになった。


現代人にも、明らかに病気と呼べるものを除き、老化と病気を同じものとして、また、昔のように感じる事が出来るようになるのだろうか?

人は、それぞれ、寿命に個人差がある。当然だ。人の“運命”と言い換えても良い。90歳まで生きる人は、薬を飲まなくても生きられる。そして、その人は絶対痴呆症にならない。痴呆症になる人は、それが運命で寿命だったはずだ。それを“薬を使って”生き長らえさせるから“不幸”に見舞われる。

『あの人が90歳まで生きたのだから、私も90歳まで生き長らえないと気がすまない』。

こんな所にまで“平等意識”が侵食しているのかもしれない。やはり、医療は、医学だけでは片手落ちで、宗教が必要なのだ。つくづくそう思う。“人間の運命を決定し監視する三女神”は存在するのだ。
 
 
 
p.s.・・・・、なんだか、まとまりのない文章になってしまった。

書き始めた時は、『人の感覚は、全く当てにならない』ことを例にとって、昭和天皇の靖国神社参拝についての意見が書かれた極秘メモと、これをネタに身勝手な持論を展開している合祀論者、分祀論者双方に一撃をくらわす予定だったのだが・・・・、サンデープロジェクトを観ていて、あまりのくだらなさに辟易してしまった事もあって、方向がずれてしまったみたいだ。(この文章は、けっこうダラダラと時間をかけて書いているのだ。)

この問題に関しては、私は、福田康夫元官房長官の党首選辞退も含めての態度に感心してしまった。さすがは、一流の政治家だ。以前、田中角栄の亡霊に・・・なんて書いたことは撤回しなきゃならない。

福田氏は、この問題を中国・韓国の首相参拝非難と絡めて論じては『絶対いけない』というスタンスを貫いている。自民党内において、党首選の争点が靖国問題になれば、中国・韓国に付け入る隙を与える事になり、思う壺で、未来に禍根を残す事だけは、絶対、あってはならない事だとしているからだ。

私も、全く、同感、福田氏の態度は大賛成である。

もし、私が分祀を肯定する理由を探すとすれば、中国・韓国のことは、全く考えない。
考えるのは、同じ日本人に対して、申し訳が無いだろうということだ。
当時の日本の庶民がどんなに情報が規制されていたとしても、ほとんどの人は、うすうす、負け戦だと感じていた訳で、泣く泣く親や子供、妻や恋人と別れて戦争の最前線に向かわなければならなかった、そして亡くなったわけだ。その事に対して、戦争を起こした責任は取るべきだと考える。現在の参拝反対論者、分祀論者は、必ず中国・韓国の顔色をうかがっている。引っ込みがつかなくなる前に、はやく気付いて欲しいものである。

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2006年07月25日

老害

以前、何処かの某若造が言っていた言葉、【老害】。当然、私の日本語変換フロントエンドの辞書では、一発変換しない。「ろう」と「がい」を一つずつ変換しないと目的の単語を書く事は出来ない。

そりゃそうだろう、だって、そうとう“酷い”罵り言葉だからだ。

でも、過日、やっぱり、“老害”としか言い表し様のない経験をさせてもらった。(脳の老化のせいにしてあげなければ、あまりにも惨めだからだ。)

具体的な話は書けないが、老齢の某氏は、全て身から出た錆に起因する因果応報を逆恨みすることが全ての自らの行動・行為の動機であるのに、それを悟られまいと辻褄の合わないイイワケで取り繕っている態度に対して、一つ一つ突き詰められたら、ついに開き直って、『その通りだ。嫌がらせをされたから、その仕返しだ。』と言ってしまったのだ。

さらに、本音を言わされてしまったことに対しても、タイソウなご立腹の様子。

これが、ただの喧嘩ですむなら話は簡単だが、事は簡単ではない。善意の第三者にまで多大な影響が及ぶ内容だ。それを、、、

『これからの対応オプションの提示・行動については、主体は何処にあるかという問題だ』と言い放ったのだ。(言葉はこの通りではないが、それは具体的に書けないからです。スマソ。)

我が耳を疑った。子供のような我が侭、そう、北の方にあるどこかの国家元首のような振る舞いだ。
 
 
 
20年若かった頃の某氏なら、絶対、こんな態度・対応は取らなかっただろう。と思うと、また、私の悪い癖で、『どんな機序で、このような脳の変化が起こるのか?』っていう別の興味が湧き起こってくる。

世に『好々爺』なる言葉が存在しているのは、それが老齢の処世術であることは間違い無い。老齢での理想形としてこの言葉が存在しているのだろう。その証拠に、実態は、感情における“脳”の反応は、上の【老害】の例をみるまでもなく、穏やかにはならずに、激しくなるのは、良く経験する事だ。

一体、これはどのような機序から来るものなのだろう?

世の“脳”研究は、アルツハイマー一色と言っても良いほど、(予算の面からも)偏っている。なんとかならないものだろうか?

脳の機能研究と言うと、文学部心理学科あたりでも行ないそうだが、医学畑の出身者は、本心ではこの方面出身者の“解析”を全く当てにはしていないし、最終的な説得力にもならないと考えている節がある。

私なんぞは、その現象にストンと落ちる説明が付けば、誰が“解析”したかは問題にはしないのだが、学術雑誌の掲載一つとっても、この傾向は強いのかもしれない。『脳は理系がやるもんだ』と。
 
 
 
ところで、脳の“機能”って何だろう?

心臓だったらポンプと循環ホルモン分泌、肝臓だったら解毒と蛋白合成、腎臓だったら老廃物の排泄と酸素運搬能のチェックが思い浮かぶ。

では、脳は?(答えは、、、難しいし、一言では言えそうにもないから、それぞれ皆さんのイメージに任せます。)

脳の機能を考える時、ミクロの方向に突き詰めると、細胞内外のイオンの出入りにぶつかる。イオンの出入りはチャネルが担当する。(ここから先は、遺伝子、転写、翻訳、これらの経路を修飾する因子だが、取り敢えず省略)これが電気信号に置き換わるわけだが、神経線維を伝わる為の“速度”も機能には重要だ。この速度を決定するのが、非導体として機能する“鞘”だ。これらの線維が物理的な複雑な回路を形成し、ボトムアップで機能を実現している。これらが、どこまで積みあがると“コラム”になるんだろう?

興奮、抑制、修飾と別の線維が担当する一つの回路において、成人以降の脳神経の脱落する時期にも、違いがあるのだろう。ある回路において、抑制系の神経細胞が早めに脱落するとしたら・・・・・、この回路は興奮しっぱなしだ。ちょっとした刺激の入力で、過激にリアクションするようになるくらいは、想像できるのだが・・・・。

現在から過去に時間を溯るように記憶が失われる、いわゆる“逆行性健忘”は、ごく一般的な脳の老化だ。海馬における神経細胞の脱落に伴うのだからしょうがないし病気じゃない。老齢者は、例えば悪感情が残っている理由を自ら探ろうとする時、その原因となった人生におけるちょっとだけ過去の事柄を忘れてしまう為に、“身から出た錆”のような修飾が受けられなくなっているのかもしれない。または、それを思い出す事は出来ても、同時性を得られない為に、“因果”として捉えられず、『わかっちゃいるけど収まらない』と溜飲を下げる事が出来なくなっている・・・のかもしれない。
 
 
 
善意の第三者に迷惑をかけないのであれば、年齢を重ねる毎に“頑固に”“気難しく”“怒りっぽく”“感情に任せ行動する”ことに、なんら問題はない。(あるかもしれないれど)しかし・・・・・。
 
 
 
ご意見番としてサジェストしたり、過去の経験を若手に話すのならわかるけれど、民主党の渡部爺のようにも自民党の政策が出される前から『全部、反対してやる。ワハハハハ』ってやられたんじゃ、迷惑極まりないわけだ。

パフォーマンスだよ、場を和ませる発言だろ、などと好意的に解釈している向きのあるけれど、本人は大真面目だったりするかもしれないわけだから、【老害】はきっちりと研究する対象だと思うぞ!!!
 
 
 
ところで、面白い事に、老齢者では、過敏になっているのは“脳”だけじゃなくて“免疫系”も同様だ。良く言われるのが“自己免疫疾患”だったり、軽い感染症が重篤な全身状態を惹起する現象などなど。

老齢者は思考を含め自身の体が、自己制御不能で過激になり易いという事を認識しなきゃならないと思う。これは、悪い意味ではなく、誰でも訪れる事実を受け入ようと言う事だ。同時に、若造は、自分の至らない所、無知な所を謙虚に受け止めなきゃならないのは言うまでもない事だが。

◆「『経験』とは、あなたに降りかかってくることではない。
    あなたに降りかかってくることに対して、
       あなたが対処することが『経験』である」
          ~ オルダス・L・ハクスリー イギリス 作家 ~

というわけで、色々と考えてみたわけだ。オシマイ。

2006年07月26日

ローマ人の物語

今、塩野 七生 氏の『ローマ人の物語』を読んでいる。

いつかは読もうと思っていた本なのだが、ちょうど、トロイ戦争ものを読み返していて、アイネイアスがトロイ復興を志し、トロイから逃げ延びてイタリア半島に辿り着いたあたりを読んでいた頃、どしゃ降りの雨に帰宅を遮られ、とある書店で雨宿りする羽目になったことがあった。

その時、ふと目に付いたのが、文庫版の『ローマ人の物語』だったのだ。パラパラ捲って読んでいると、、、やっぱり面白そうだ。

どしゃ降りは10分もしないうちに霧雨に変っていた。

取り敢えず、ローマ人の物語〈13〉ユリウス・カエサル―ルビコン以後(下) までを購入して、大急ぎで家に帰ったのだった。

今、それと並行して、エイジング関連分野の最新の研究に目を通している。偶然、同時期になったのだが、双方の関連性を感じずにはいられない。


というわけで、今回で3回目の“寿命と老化”についてのエントリーになる。


Klotho』では『驚くべき事に、寿命や老化を研究している人達のイメージは、かつては、違っていた』のように、寿命と老化を分けて考える事を“驚くべきこと”と表現したわけだが、やっぱり、単細胞生物を材料に研究を進めていくと、当然、寿命と老化を分けて考えざるを得なくなる。驚くべき事ではない。酵母には分裂寿命を迎えて老化し、死を迎えるパターンと分裂寿命とは関係の無く死を迎えるパターンが存在する。栄養状態が悪い環境での細胞死を迎えるまでの時間は、特定の遺伝子(グルコースセンサー関連)の欠損により3倍も延長するからだ。

これを多細胞生物に置き換えると、問題はもっと複雑になる。個体が生命を維持していくには、特定の細胞の死が必要不可欠になるからだ。

細胞個々に自ら死んでいく能力が無ければ、個体としては生命活動は維持できない。

Hela(ヒーラ)細胞は、1952年、アメリカで癌のために死んだ一人の若い黒人女性から採取された細胞が延々と生き続け、今日まで実験に使われているわけだが、この女性のがん細胞はみずから死ぬ事を拒否した細胞だったわけで、細胞は生き続け個体は死んでしまっている。

がん細胞のように特別な細胞じゃなくたって、私達の白血球が何事も無くても2~3日で死んでいってくれなければ、、、赤血球の前身、前赤芽球がエリスロポエチンのアポトーシスからのレスキューなしに生き残ってしまったら、、、血管は白血球と赤血球で溢れかえり、詰まってしまう。そして、個体の死を迎える事になる。
 
 
このように、細胞の死と個体の死を分けて考えないと答えに辿り着けない問題は、個人の死と国家の死を論じる状況に限りなく似ている。
 
 
 
というわけで、『ローマ人の物語』を読んでいると、こんな事をつくづく感じてしまうのだ。
 
 
 
寿命と老化を『そんなもん、同じに決まってんだろう』って感覚で捉えている限り、個人の死と国家の死を分けて考える事は出来ないのだろう。特に、脳死を人の死として感じられない日本人には、とっても難しい事じゃないかと思う。
 
 
日本人は武力攻撃を放棄しても、何処かの国がやってくるかもしれない。無抵抗でいれば、生き残った日本人が全員殺される事はないとは思うが、もう、精神的にも物質的にも、今までの日本人が経験した事もない生活を強いられる事は、間違い無いだろう。奴隷みたいなものかもしれない。(消費税と所得税が10%ずつ上乗せされただけの世の中すら、想像を絶するんだから、法律まで変ってしまったら・・・ブルブル、やっぱり主権国家で独立してなきゃ、チョーマズイよな!)

どうせ、奴隷になるなら、抵抗を試みてからでも良いんじゃないか?もしかしたら、勝って奴隷にならなくても良いかもしれないし。

私は、憲法第9条を頑なに守り、武力放棄が永遠の国家存続の最良の方法だと信じている人達には、老化と寿命、細胞の死と個体の死の区別をする見方もある事を知ってもらいたいと思う。善し悪しは別にして!!
(区別の付かない人を、ステレオタイプに“憲法第9条を頑なに守る”人だとは言っていないので、注意!!)

2006年07月29日

IL-23は腫瘍の発生と増殖を促進する

今、“炎症”をやってきた人達の間では、ちょっとしたトピックスになっている。

長年、『関係あるっ!』『そう見えるだけじゃない?』、、、と繰り返されてきた論争に、一応の決着が付いた・・・・のか??
多くのヒトの腫瘍で見つかる、インターロイキン-23(IL-23)によって引き起こされる炎症が免疫系から腫瘍を守り、さらに血管形成を促進することで腫瘍増殖を助長しているらしい。

IL-23 ノックアウトマウスでは、がんは出来にくいから、関係あるどころじゃないのだけれど、結局、マウスだからねぇ!!ヒトでノックアウトして経過観察できればいいんだけど、IL-23 が淘汰されずに、存在して機能していることは、何か意味がありそうだ!!

IL-23 promotes tumour incidence and growth

慢性炎症は悪性腫瘍の発生率の増加と関連すると長い間考えられており、また制御機構の類似性は100年以上前から示唆されてきた。

例えば、自然免疫系の細胞の浸潤、マトリックスメタロプロテアーゼ活性の上昇、および血管新生や脈管系の密度の増加などは、慢性炎症と腫瘍関連炎症との類似点の例として挙げられる。

逆に、腫瘍浸潤性T細胞や上皮内リンパ球の細胞傷害活性に依存した免疫監視機構による早期の悪性腫瘍領域の除去は、がん発生のリスクの律速要因と考えられている。


本論文では、腫瘍関連炎症の発生と腫瘍免疫監視の欠如とをつないでいる分子機構について報告する。


ヘテロダイマーを形成するサイトカインであるインターロイキン-23(IL-23)の発現はヒトの腫瘍で増加するが、その近縁にあたるIL-12の発現は増加しない。

これらのサイトカインの発現は、腫瘍の微小環境における局所の炎症反応や上皮内リンパ球の浸潤を拮抗的に制御している。

IL-12が細胞傷害性T細胞の浸潤を促進するのに対し、IL-23はマトリックスメタロプロテアーゼMMP9の発現上昇などの炎症反応を促進し、血管新生を増加させるが、CD8 T細胞の浸潤は抑制する。

IL-23の遺伝的あるいは抗体による除去により、形質転換した組織への細胞傷害性T細胞の浸潤が増加し、化学物質による発がんに対し抑制効果が示された。

また、移植した腫瘍は、IL-23を除去した宿主やIL-23受容体欠損マウスで増殖が抑制された。

がんの免疫治療の大部分が固形腫瘍に対する免疫応答を賦活しようとする方法であるが、腫瘍組織へのエフェクター細胞の浸潤はしばしば重大な障害となっているようである。

我々はIL-23が、腫瘍発生を促進する炎症過程と、適応免疫系監視細胞の腫瘍への浸潤の失敗とをつなぐ重要な分子であることを示す。

しかし、『 IL (インターロイキン)』って、専門領域の権化みたいなもんだよなぁ!

知ってる人にはなんでもないけど、知らない人にはとことんわからない。

免疫系を制御する“目に見えないネットワーク配線(モバイルネットワーク網)”みたいなものって言えば、あたらずとも遠からず・・・かな?
この際、樹状細胞やマクロファージ、T , Bリンパ球や NK , NKT などの細胞は、ネットワークを構成する各ノードって言えばいいか。
このネットワークはサーバ/クライアント型のようにも見えるし ピア to ピア 型のようにも見えたりする。
IL はネットワーク網で、IL の各種は、各ポートに対応しているって感じでいいかな。

例えば IL-4 は ポート80番に向けて発射されたパケット・・・みたいに考えれば、なんとなく見えてくるかも。135とかは、、、ヤバイよみたいな(笑)

で、わかったようなインターロイキン、実は、知ってる人にも、全部が見通せていてるわけじゃない。例えば、機能が冗長だったりして、素性を見抜けないことが多い(笑)。インターネットの全てを把握できないのと似ている・・・。
インターロイキンと限定せずにサイトカインと枠を広げた方が、より、高い山に登って全体を見下ろす感じになり機能を知るには良いけど、雲がかかったみたいに、ますます見通しが悪くなる。

この、機能が冗長だったりする事一つとっても、実はサイトカインの進化(歴史)が見えてきて面白い。ある状態に置かれた時に発射する信号を、進化の過程で別な目的に使ったりを繰り返しているからだ。
サイトカイン分子自体に機能が有るわけじゃ無く、それを受け取る受容体に機能が有り(細胞内リン酸化カスケード)、受容体も複数の分子を組み合わせていて構築されており、その一つの分子に着目すれば、複数のサイトカインの受容体として使われていたり、また、その一つをコピーして(トランスポゾン、レイロウイルス、RNA )改造して、別のサイトカインの受容体にしたりして、いわゆる“スーパーファミリー”を形成しているし・・・と。

結局、同じサイトカインに着目しても、進化の度合いや生きている時間が圧倒的に違うから、ヒトとマウスで違った結果が得られるのは、当然のことだ。
 
 
 
閑話休題

『ローマ人の物語』って、私にとって、面白くって考えさせてくれる事がすっごく多いんだけど、生命の進化の過程や生物学と一緒にしてみると、『歴史に学ぶ』って言葉は、間違いではないが、意味が無いって事だなぁって思えてくる。

結局、歴史は結果論で、原因が一つ(に見え)でも、時代が変われば、環境が変わるから同じ結果にならない。現代に同じ原因を投げ込んでも、同じ結果は絶対得られない。

サイエンスでは、再現性の無い実験結果は、取り扱わない。現代における問題解決に歴史を持ち出しても、何にもならないわけだ。。。。って考えてたら、塩野 七生 氏も書いていた。『歴史は大人の楽しみだ』って。歴史を教訓めいた事に使うと、運がよければ賞賛されるけど、運が悪けりゃ嘲笑される・・・と。うんうん、納得。

よく、DNA に刷り込まれるって言葉を安易に使っている人を見かけるけど、これも、非常に勘違いされているなぁって感じる。例えば、ユダヤ人は虐げられてきた歴史が DNA に刷り込まれているとか、ユダヤの世界とイスラムの世界が相容れないのは、お互いの歴史が DNA に刷り込まれているからだ、、、なんて記述だ。

生物学的な実態を構成する分子 DNA には、このような感情は刷り込まれない。解決不能な問題の比喩に使っているのだろうけど、信じているとしたら、それこそ、嘲笑の対象だ。『こんな感情を生む“脳”を構築するんじゃないの?』なんて反論もしたいだろうけど、残念ながらこんなことはない。

感情を紡ぐのは、あくまでも親から子へ伝えられる“口伝”だけだ。あるいは、教育と言ってもいいだろう。自分がユダヤ人だと知らなければ、その人は、イスラムを憎む事は無いように。(漢民族や朝鮮民族が日本人を嫌いなのは、歴史教育で刷り込まれているからで、憎む DNA があるからじゃないのと同じだね。特に北朝鮮の教科書は嘘まで書いてあってひどいらしい・・・。日本は原爆落としたアメリカを悪く書いてないのに・・・。おっと、脱線!スマソ!!)

DNA に刷り込まれる“歴史”は、地球に生命が誕生してからの35億年の記録だ。わずか、2000年や3000年くらいの過去じゃ、体質(DNA)は変わんないのだ。

だから、同じような失敗をする。

現代社会において1週間前、1ヶ月前、1年前くらいの間違いが教訓になるのは、その失敗を体で覚えるからであって、他人の失敗だったとしたら、記憶に残る失敗すら教訓に出来ない場合もある。ましてや、自分が経験してない(位の昔々の他人の)失敗は、何度でも繰り返すのは、当然なのだ。(戦争をなんども繰り返すなんて、人類は愚かだといっている人がいるけど、生物としてのヒトを知らないからだともいえる。)同じ対処法でも、時代が違えば結果は違うんだから、『歴史は大人の楽しみだ』にしておくに限るわけだ。

気が付けば、私の大好きな生物学も、仕事の役に立っている訳でもないし、問題解決の手段にもなっていない。

だから、楽しいのかもしれないな。

2006年07月31日

日本人のモラル低さのエビデンス!

6月1日から変更になった“駐車禁止取り締まり”、凄い結果が発表になっている。

まず、その前に、どのように改正になったかご存知ない方に、説明しよう。

本物の警察官にお世話になった“違反者”は今まで通り。違うのは、民間の取締官に“違反のステッカー”を貼られてしまった場合だ。

なんと、出頭率が全国平均で、20%なのだそうだ。(出頭率の高い都道府県は50%を越えているが、低い所は6%・・・・らしい。)

何故、こんな事になるかと言うと、駐車違反を取り締まられてから30日間、出頭を拒否していると、自動的に車の所有者に出頭の督促先が変更になる。

30日以内に『私が違反しました』と出頭すると、反則金と行政点数が2点マイナスされるのだが、30日間“しらバックれて”いれば、車の所有者が反則金を支払うだけで点数はマイナスされない。(所有者が運転していたと証明できないかららしい)

6月1日以降、駐車違反を犯した人間は、5人中4人までもが、自分の犯した罪を認めずに“しらばっくれて”いるわけだ。6月1日以前は、いわゆる“輪っか”を付けられてしまった人の出頭率は80%を越えていたと言うというから、開いた口が塞がらない。

結局、法律で縛られなければ、何をヤッテも良いという、車を運転する上での“モラル”もへったくれも無いと言う事である。

最近、やたらに安易な殺人事件が多いのは、人殺しがモラルで抑止できなくなっているからかもしれないな。平均寿命が伸びてんだから、刑期も比例させなきゃ、短く感じちゃうよな!
 
 
 
モラルって言えば、上昇に歯止めがかからない医療費。総裁選に立候補した谷垣氏は『消費税10%』を公言した。国民に厳しい現実を突きつけたという点では、立派な態度ではある。が、、、

『こんな事くらいで病院に来るなよ』っていう医療関係者は、そんな患者を『健康保険料を払ってるんだから、病院に行かなきゃ損だ!』って思っている事が多いようだが、一方で、『あいつらは、どういう症状が重大なのかさえわかんないんだから、しょうがないのだ』という、味方なんだか馬鹿にしてるんだかわからないような意見もある。

どちらが正しいか?なんてのは、どちらも正しいとしか言い様が無い。

両方のタイプが存在するのだ。
『払ってるんだから、行かなきゃ損だ』
『鼻水でたけど、死んじゃうかも?』
と。

とちらも、教育とモラルで解決出来そうだけど、具体的にどうすればいいのか?国家100年の計を論じて、付いてこられる国民がいないのなら、どんなに優れた政策も意味が無い。
 
 
 
出頭率20%で、警察は何と言っているのかというと、『回収率は上がっているので、目的は達成できた』そうである。

80%の出頭率の時代は、20%は回収できなかった。しかし、6月1日以降は、モラルには悖る行為ではあるが、回収率はほぼ100%らしい。
 
 
 
こんなにモラルの低い国民から構成されている日本では、結局、モラルで解決するよりは、モラルの無さを利用して問題を解決する事が簡単である事がわかる。なんか、腸がねじれそうな感じで気持ち悪いが。

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