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2007年01月 アーカイブ

2007年01月06日

がんの幹細胞

20070106_parent_and_child.jpg『あるある』と言われ続けていた事だが、その存在が確認できた事は凄い事だ(と思う)。

でも、この事実が一般に受け入れられる事ってあるのだろうか??
“幹細胞”ってどの程度まで、一般の人に理解されているんだろうか??

がん幹細胞を選択的にターゲットに出来るのなら、現在のがん治療が根底から覆される事になるのだが、はたして、その治療法が受け入れられるだろうか?

今現在のがん治療は“悪いもの(細胞)は根絶やしにする”って戦略だ。外科的に切除できるものは切り取って、残存するものは化学療法で絨毯爆撃する。血液のがんなら最初から絨毯爆撃だ。

でも、がん幹細胞のみが治療の標的になる時代には、がん細胞のほとんどは患者の体に残したままになる(がん細胞が分泌するサイトカイン=悪液質への対応は必要だろうけど)。文字どおり“命を賭けて”がん治療に臨んでいる患者に、そのがん細胞を『体に残したままにします』って言って受け入れられるのだろうか??

心底に生物学的な理解が得られない患者には、その治療法自体が拒否されるような気がしてならないんだけど・・・・。幹細胞とか、がんの病態生理などに対して理解のある患者から、そのような治療法が広まり、治療成績が得られ『信じられないでしょうが、これで大丈夫です』って言える時が来るまで、長い時間がかかりそうな気がするのだが・・・。

それに、がん治療において『これで、大丈夫です。この治療法で心配ありません』って言えるものなのか???

がんの幹細胞

Nature January 04, 2007

今週号では、2つの論文がマウスで腫瘍の増殖を開始させる特殊な結腸がん細胞が見つかったことを報告している。

これは、腫瘍の形成と維持にかかわっているのはごく少数のがん幹細胞だけだという説を裏づけるものだ。

今回の知見は、がん幹細胞を選んで標的とする治療法を見つけることの重要性をはっきり示している。


話は変わるが、“人を騙す”“嘘を付く”って行為に対して善悪の判断を付けさせるとしたら、ほとんどの人が『それは、悪い事だ』と言うだろう。

でも、本人が“騙された”“嘘を付かれた”って感じず、さらにその記憶(知識)自体が自発的(自分で得た結論)だったて感じられれば、客観的にその人にとって利益が得られるであろう選択を迫る時、間違った選択をさせない為に“人を騙す”“嘘を付く”って行為があるとしたら、それは『悪い事では無い』と言うだろう。がんで死ぬ事を拒否するんではなく、『早く死にたい』って思っている人にとっては、『それは、悪い事だ』になるんだろうけど、『治りたい』って思っている人には、という条件付きではあるけれど。


以下に示す通り、人の記憶(思い込み)が如何にイイカゲンなのかを利用すれば、この“がん幹細胞治療戦略”は速く普及すると思うのだが、いかが?

バッグスバニーと握手したころ

2001年09月13日

テレビコマーシャルが思い出を作る

昔なつかしいテレビコマーシャルが、実際にはなかった子供時代の楽しい思い出を作り上げる

あなたは、子供のころ、両親にディズニーランドに連れて行ってもらい、バッグスバニー(米国アニメのキャラクターのウサギ)が握手してくれたときのことを覚えていますか?

本当は、思い出せないのが正解です。バッグスバニーはワーナーブラザーズ社のキャラクターなので、ディズニーランドには絶対いたくないでしょう。しかし、ワシントン大学(米国・シアトル)の心理学者Elizabeth Loftusらは、人々に暗示的なテレビコマーシャルを見せ、バッグスバニーと握手したことを「思い出す」ように仕向けた。

この研究は、子供時代の記憶をみだりに「復活」させることの是非という、古くからある問題を再び提示したといえる。Loftusは、英国・グラスゴーで開かれた英国学術協会の年会で9月4日、「今回の結果は、私たちがテレビをつけたり、新聞を開いたりするたびに、自分の自伝を無意識に書き変えているのだろうかという問題をも提起する」と話した。

この研究の被験者は、いくつかの広告を見せられた。その一つは、ディズニーの「魔法を思い出そう」というテレビコマーシャルを作り変えたものだ。もとのコマーシャルは、子供の視点からディズニーランドでの一日を描くもので、ミッキーマウスとの握手でクライマックスとなる。この研究者たちは、このコマーシャルに登場するミッキーマウスの映像や音声をバッグスバニーに変えた。

広告を見た後、参加者の16%が、子供のときにディズニーランドでバッグスバニーと握手したことを覚えていると話した。ほかの同じような広告や、バッグスバニーの立て看板などで、広告の効果が補強された場合、この数字は40%にもなった。

「消費者は、昔なつかしい広告を見れば、製品に親近感を持つものだ。企業はこのことを知っているので、こうした広告は増えている」とLoftusは話す。「広告の製作者たちは、意図的に消費者の記憶を変えようとしているのではないかもしれない。しかし、広告の影響を受けないという人はいない」と彼女は警告した。

Loftusは「もしかすると私たちはみな、記憶をゆがめる巨大な実験の実験台にされているのかもしれない」とつけ加えている。

Erica Klarreich


この“騙しのテクニック”を“がん幹細胞治療戦略”普及にどのように利用するのかは、今、ちょっと思いつかないが、一般大衆を騙す事にかけては天下一品の“広告代理店”の力を利用した方が良い事だけは確かだ。こんな時には、正確な知識が足枷になっちゃうから、専門家は口出ししない方が良い。

そう、ジェネリック医薬品のコマーシャルのようにね!!(爆笑)注
 
 
 
20070106_mosquito.jpgさて、今年初の WebMaster's impressions へのエントリーは、もう一本、気になる論文を紹介して締めくくろう。こっちも、将来、マラリアの治療法が根底から覆されそうな知見で、正月にふさわしい壮大な視点からの論文だ。“大風呂敷”になりかねない懸念もあるが・・・・、まぁ、そうなったら笑い飛ばそう!!ワハハハハ。

ヒトをかぎつける遺伝子

Nature January 04, 2007

多くの昆虫には、二酸化炭素を感知するニューロンが備わっている。それを何に使うかは昆虫の生態によってさまざまで、例えばスズメガは、チョウセンアサガオの花の質の良し悪しを知るために使う。

身近なところでは、カなどの血を吸う昆虫はヒトが発する二酸化炭素にひかれて寄ってくる。

ショウジョウバエも、このようなセンサーをもっており、今回Gr21aとGr63aという2種類の受容体が見つかった。

この2種類のうちどちらか一方しかもたないハエは二酸化炭素を感知できないが、両方の遺伝子をニューロンで発現しているハエは二酸化炭素を感知できる。

マラリアを媒介するカにも似たような遺伝子があるので、カが刺す相手を見つけられないようにするには、これらの受容体を標的にした薬剤が有効かもしれない。

注:私が何を言いたいかは、過去のエントリーをじっくりと読んで下されば解ります。

2007年01月13日

精液の粘度と女性の性行動

20070113_woman.jpg大野満行のお仕事ブログの方に WASP の話を書いた。あっちでは“グチ”をタラタラと書き連ねるブログじゃないので、こっちに書こうと思うんだけど、要するに、、、、、

医薬品の適正使用って、日本では誰がイニシアチブをとってやってるの?って事。

WASP に付いては何も知らなかった私だけど、現場に出ていれば、“経過を見ながら”服用するかどうかを決めたいって事は、誰でも思う筈だ。

今の日本は、医療費抑制や医薬品の適正使用を詠って、薬剤師が医療の仲間入りを果たしたわけだけど、現実をみれば、『処方箋は4日以内に保険薬局に持って行け』って決まり事があるし、飲むか飲まないかは、薬局で薬を貰ってから考える事になっている。

処方箋を発行していない病院の外来では、薬は流れの中に組み込まれ、薬は黙って渡され会計される。


これって、いつも、なんか可笑しいと思っていた。


薬剤師が医療に参加しても、医療費抑制や医薬品の適正使用に繋がっていない。


毎年のように業界新聞や業界雑誌(薬剤師会雑誌:故あって最近は読まずに捨てている)では、年頭に当たり『医療法に明記された・・・新しい薬剤師像を・・・』とかなんとか・・・・。毎年だよ!毎年!!。毎年こんなことを書いてるって事は、毎年、何も変わっていないって事の裏返しなんだよなぁ。

これって、自分でいうのも怖いんだけど、医療の中での薬剤師の存在状態って『まぁ、役に立ってのかどうかわかんないけど、置いといてやるか!』って感じじゃないのかなぁ!医師に調剤させるってのは、非常に勿体無いし、その他の医療従事者には、他に自分達の仕事が一杯あって、調剤なんてやってられない。

サブトラクション法(笑)で調剤が“薬剤師”の仕事になったって、誰も言わない?(苦笑)
 
 
 
さて、今回のタイトルだが、なんでこんな「精液の粘度と女性の性行動」なんてエグイのにしたのか?そして、ちぃっとも内容と合ってないじゃないか?って思われた事だろう。

これは、薬剤師会に『おまえら、もうちょっとは“頭”使えよ』って言いたいからに他ならない。テレビっていうメディア(媒体)で宣伝すれば、特別でも何でもない、あの“納豆”でさえ大人気になるんだよ!(なんでも納豆が品切れしているとか!これはこれで、頭の悪い消費者を嘲笑うネタになるんだけどね)

どうやったら人の気を引けるか?どの媒体を使うのが効果的なのか?

自分達の業界内で、自分達向けにごちゃごちゃと『今年こそ変化を』とか言い合っていたって、なんにもならんない。いつも言ってるけど、そんなのはマスターベーション。

毎日新聞社発行の MMJ に『日本医師会だより』ってのがあるんだけど、ここで『これからの医師会のイメージアップの為に、テレビコマーシャルを多用します』って書いてあった。そして医師会はテレビCM放送前にも、広告代理店に<日本医師会を知ってますか>って調査を依頼している。「どのような団体でどのような事をしているのか知っている」との回答は10%に過ぎなかったと。で、テレビコマーシャルなのだ。

日本人の一般の人に<日本薬剤師会を知ってますか>って調査したら、限りなく0%に近いのは推してしるべしだ。

テレビを使って、『薬剤師会、薬剤師は国民の側に立って医療を良くします』って言えないのかなぁ??
私は WASP を知った今、たとえ自分達の売り上げが一時的に減る事になったとしても、WASP を日本の医療制度に定着させる、あるいは法律を改正させるイニシアチブは、薬剤師(薬剤師会)が取るべきだと思うんだけど・・・・。(その為の国民的コンセンサスを得る為にも、テレビでの情報垂れ流しを利用するのだよ)

世界の趨勢になりつつある“抗菌薬の乱用の是正”に、日本の薬剤師が積極的に関わることで、本当に“知られる”職業になれるって思うんだけどなぁ!

そして、薬剤師会は“かかりつけ薬局”みたいな、解ったような解らないような“お題目”を唱えていてばかりでなく、もっと“実を採る”=“分かり易い”お題目を掲げて、薬剤師の必要性を説いて欲しいぞ!!日本薬剤師会認定基準薬局でのタバコ販売禁止と待合室全面禁煙が、今頃?って感じで決められたけど、全く失笑を買うタイミングだよな!!もっと早く、一歩先を行って欲しいよな。だからエピメテウスなんだよ、日薬は。
(そもそも“かかりつけ”という言葉は“場所”に使うわけじゃなく“人”に使う言葉だ。“かかりつけ”に“薬局”は日本語として適当じゃない!そして、かかりつけ薬剤師を標榜するなら、薬を飲ませる事と同時に不必要な薬を飲ませない指導が出来る知識と法的根拠を備えてなきゃならない。少なくとも法的根拠が無くって“かかりつけ薬剤師”じゃ笑い者になるだけだよ。)
 
 
 
かなりエグイタイトルを、今回のエントリーの内容に強引にこじつけて、人の目を引こうとしたのは、バレバレなんだけど、これって、実は大真面目な本の中にあるコラムのタイトルだったりする。決して、中刷り広告の見出しじゃないのだ。

それは、WebMas推薦図書『ヒトは今も進化している 最新生物学でたどる「人間の一生」』の中で書かれているコラムのタイトルだ。(私も不覚にもドキドキしてしまったのだが・・・)

その内容は読んでみて下さって事で割愛するけど、本来、生物が持っている“互恵利他主義”が機能する個体数を完全に越えてしまった日本人に、モラルや人の気持ちを推測するなんてものが期待できない現在、テレビコマーシャルで自分の宣伝なんて自己嫌悪に陥りそうな方法を利用したくないのは、私だって同じだけど、そろそろ、エゲツナイくらいに分かり易く自己アピールするくらいじゃないと、伝わらないよな。


今回は、この『タイトル』を使いたい為に、エントリーした・・・・・って感じ。別に薬剤師会をこき下ろすのが目的じゃない(言っても無駄、相変わらず変われないのはわかってしまったから)のは、お察し通りです。チャンチャン。

2007年01月15日

規律厳守の生徒指導、違反たまると退学も 高校で試み

20070115_reboot.jpgこの記事を読んで、まず感じたのは『化粧を見つかり、チケットを渡された1年生の女子は「むかつく。すっぴんなんて小学生までだよ」と怒った。』ってところ。

ふぅ~ん、今時は、中学生になったら“女を売り始める”のかぁ!!!と。

娘を持つ父親としては、非常に興味深い内容だ。まぁ、頭の悪そうな一部の女子高生の実態だとは思うが、それにしても、“売り時”を逸してしまうよりは良いいのかなぁなんて思ってみたり。

最近では“売り時”を逸した女の代名詞になっている?藤原紀香。

その昔、化粧品のコマーシャルで流れていた『25歳はお肌の曲がり角』、藤原紀香には一昔(10年)も前に過ぎてしまっている為、アップでの小じわや首筋に衰えを隠せない。

もともと、知性を売り物にしていたのなら、年齢なんて関係ないのだろうが、容姿を売り物にしていた場合には、美しさを失ったらそれまでだよねぇ。(藤原紀香)本人が、自分の“売り”は『美しさだけじゃない』と思っていたとしても、事実、美しいんだから、そう思われるのは仕方が無い。一般大衆のイメージ形成やそのコンセンサス形成がどのように成り立っているのか、医学・生物学的に理解しておくべきだった・・・って、今更遅いけど。

売り時を正確に把握しておけば、どこの馬の骨ともわからんお笑い芸人と結婚しなきゃならないなんて事態には陥らなかったのにねぇ・・・・。

(写真は、『人生、リブート(ctrl+del+alt)は何処に?』・・・・・?こんな所にあったら、何も無くても押したくなるぞ!!)

規律厳守の生徒指導、違反たまると退学も 高校で試み

2007年1月14日(日)14:42   朝日新聞

 規律を厳しく守らせる「ゼロトレランス」(寛容度ゼロ指導)という米国の生徒指導法が全国の高校に広がり始めている。違反が一定回数に達すると出席停止などの罰を定め、必ず守らせる「ぶれない指導」が特徴だ。厳しい指導が日本の教育風土にどこまでなじむのか。現場を訪ねた。

 静岡県立御殿場高校(生徒数約620人)では毎朝、教師が校門に立って、生徒の服装を点検している。違反を見つけると、チケットを渡して注意する。この枚数に応じて、段階的な指導をする。8枚たまると、3日間の謹慎だ。

 化粧を見つかり、チケットを渡された1年生の女子は「むかつく。すっぴんなんて小学生までだよ」と怒った。一方、「縛られてる感じはするけど、確かに雰囲気が落ち着いてきた」と話す2年生の女子もいた。

 05年9月に始めるまで、学校には、生徒の服装やマナーについての悪評が地域住民からも頻繁に寄せられていた。パソコンを使った情報教育に力を入れる同校の生徒の多くは、卒業と同時に地元で就職する。地域の評判は重視せざるを得なかった。

 チケット制を始めた当初、「うちの子だけなぜ」「どうしてこの学校だけこんなに厳しくするんだ」といった苦情が保護者から相次いだ。教師からも「言い返されたときに厳しくしきれるかどうか……」という不安があがった。そこで、保護者とは徹底的に話し合うこと、2人1組で指導することを申し合わせた。

 チケット制の対象は服装や化粧など外見だけだ。ところが、指導を繰り返すうちに、遅刻や欠席も減ってきた。前年度比で、欠席者数が延べ約200人減った月もあった。植松悟校長は「教師がはっきり指導でき、自信を持てるようになった。学校がまったく違う雰囲気になった」という。

 岡山市の私立岡山学芸館高校は01年から始めた。自転車の二人乗りはレベル2、喫煙はレベル3、教師への暴言はレベル5などと規律違反を5段階に分けた。レベル5は一度でもやれば、無期謹慎か退学処分となる。

 謹慎者は特別教室で自習する。カウンセリングで反省を促し、教室に戻れるよう指導する。全校約1100人のうち、導入前の98年度に年間90人いた退学者は、05年度は9人と10分の1に減った。同校の取り組みは全国からも注目を集め、昨年12月だけで11校が視察に来た。

 子どもによる凶悪事件の多発を受け、文部科学省は05年からゼロトレランス方式を調査し、昨年5月に報告書をまとめた。場合によっては出席停止も認める内容だ。森嶋昭伸・生徒指導調査官は「社会の厳罰化が進んでいるのだから、学校でもそれを実感させなければならない」と話す。

 しかし、厳しい指導は万能ではない。鹿児島県霧島市の県立牧園高校は、3年間続けたゼロトレランス方式を昨年3月でやめた。

 交通違反の点数のように、問題行動を重ねると罰則が重くなり、10点分繰り返すと退学にする仕組みだ。暴力や教室を出て歩き回る生徒はいなくなった。一方、点数がたまれば、最後の違反が比較的軽い遅刻でも退学となることには教師の間で賛否が分かれた。だが、「決めたルールは守る」と退学処分にした生徒が何人か出た。

 「もう少しチャンスを与えても良かったのでは」と、揺れる気持ちが教師たちに生まれた。庵之下武志・生徒指導主任(34)は「我々は警察ではない。子どもを育てる現場で、機械的な対応で良いのか」と振り返る。

 新たに指導内容を細かく定めた。謹慎中は、登校して読書をさせたり、毎日書かせた反省日誌を保護者と見ながら話し合ったり。どうすれば立ち直れるかを重視するようになった。

 〈ゼロトレランス〉 米国で90年代後半に広がった生徒指導の方法。直訳すると「寛容度ゼロ」だが、「毅然(きぜん)とした対応」などとも訳される。学校での銃乱射事件などを背景に、クリントン大統領が97年に導入を呼びかけて、法制化する州が相次いだ。重大な違反者には、放校処分やオルタナティブスクール(他の特別な教育施設)への転校も定めている。


ゼロトレランス、私としては大賛成である。日本全国の学校で実施して欲しい。

「もう少しチャンスを与えても良かったのでは」という、この先生達の迷いが生徒達を駄目にする。退学になった生徒達にとっては、『人生は甘いもんじゃない』と言う事が身に染みて解る筈で、長い目でみりゃ彼らの為になる。

世の中、甘い人間には厳しいってのは、格差社会の負け組みや年間の自殺者の数を見れば解る筈。

『18歳で成人に』なんて議論も始まりそうな時代に、高校生までに世の中の厳しさを“教育”しないでどうするのだ??若い時に“免疫”を付けときゃ、年取ってからの失敗やストレスに耐えられるってもんだ。それに、退学にさせられた事を“因果応報”と捉えられずに“学校や教師を逆恨み”する人間の行く末は、推して知るべしだから、早めにそういう人間のパーソナリティが判明して、イイジャン??そういう人間は、何か事が起きたら責任を取らなきゃならない仕事には“不向き”だから、前もって知る事が出来るし。

ある学校では『厳しい指導は万能ではない』という事を“ゼロトレランスを中止する理由”にしているが、世の中に“万能”な方法なんて無い。逆にヌルくしたって悪い面がある。友達感覚で生徒と仲の良い先生のクラスが授業崩壊してたり、イジメが多かったりするのを思い出せ!!

そもそも教育方法に“絶対”は無いのだからこれを理由にしちゃうのは、この高校、はっきり言って“馬鹿”か“偽善者”もしくは体裁を気にするだけの人間しかいない学校だ。

厳しい高校というレッテルが貼られれば、その高校に入れたい親や入りたい生徒が集まってくる。逆に、ヌルい学校というレッテルが貼られた、らその高校に入れたい親や入りたい生徒が集まってくる。そう考えられないのかなぁ??

後は教育を受ける側が“選択”すれば良いだけ。高校なんて全入学時代(大学も)なんだから、カラーを出さなきゃならないんじゃないの?それを“金太郎飴”みたいに、学校の規則や校則、カリキュラムまでがんじがらにめに縛るから可笑しくなっちゃったんじゃないの???

入学したけど、『自分には合わなかった』って感じたら、どんどん退学して、別の高校に入り直せば良い。単位の認定は学校間で認め合えば良いだけの事。

どこに行っても『自分には合わなかった』なら、高校なんて行かなきゃ良い。

高校卒業してないと、世の中でどんなに悔しい思いをするのか解ったら、また、定時制高校にでも入学すれば良い。自分のしたい仕事が、大学卒の学位が必要なら、その時に入学すれば良い。勉強したいんだったら、その学校の決めたルールは守れっていう事。「そんなの小学生までだよ」なんて御託を並べるなっつ~の!!

最悪なのは、生活力が無いくせに、子供が出来ちゃった・・・って事態。これで仕方なく結婚でもしようもんなら・・・・・。全ての基本は家庭からだ!!こんな事になる前に自立させなくっちゃ、世の中から“不幸”は減らない。。。。。よっと。
 
 
 
ところで、件のお笑い芸人、もしかしたら、売り時を逸したとは言えまだまだ不釣り合いな女優をモノにしたのには、何か秘密があるのかも・・・・。

たとえば、こんな・・・・・。

『パパのにおいで女性を口説く』

2002年01月31日

●主要組織適合性複合体遺伝子群の類似性

独身男性諸君、もし口説きたい女性がいるのなら、定番の男性化粧品なんぞに頼らずに相手の父親の衣類を手に入れて着てみなさい。このほど発表された論文で、女性は父親のにおいを好むことが示されたが、女性は、においによって友人や配偶者を決めているかもしれないのだ。

男性がデートの相手とうまくいくかどうかは、相手の手ごわい父親が交際を認めるかどうかにかかっており、男性としては父親の反応にビクビクしてしまう。ところでシカゴ大学(米国イリノイ州)のCarole Oberたちは、それよりも根本的な部分で父親の影響を見つけた。すなわち女性が好む男性は、女性の父親と同じ遺伝子を持っているのだ。

これは女性版のエディプスコンプレックスなのだろうか?「女性が父親と同じにおいの男性を選ぶ可能性はある」と語るのは、今回の研究に参加したMartha McClintockだ。もしそうであれば、生存のための活力があるかどうかわからない赤の他人よりも自分と同じ健全な遺伝子を持つ人を配偶者として選ぶ上で役立っているとする考え方が成り立つ。

また女性は、父親のにおいがする友人や仕事仲間に好意的な態度を示す可能性もある。このように父親を好む傾向が生まれたのは、大家族で生活する際に見慣れない親戚認識しやすくさせ、その面倒を見させるためだったと考えることもできる。

ユタ大学のWayne Pottsは第2の考え方を支持する。「配偶者を選ぶ理由は数多く考えられる」と彼は言う。背景状況を考えずに、においだけを考察してしまうと、においが日々の行動に与える影響を解明することが難しくなる、と彼は警告する。


●汗まみれシャツのにおい

Oberの研究で、女性被験者は男性が二晩続けて着用したTシャツのにおいを嗅がされた。「日常使っている枕やシーツのにおいを思い浮かべてください」とMcClintockは、この実験について説明する。汗まみれTシャツのにおいは箱に詰められ、チョウジ、漂白剤、洗濯したての衣類といった、かすかな家庭のにおいの詰まった箱とともに被験者に差し出された。

汗まみれTシャツを着用した男性たちは、それぞれ主要組織適合性複合体遺伝子群(MHC)の組成が異なっていた。MHCは病気に抵抗する機能を果たしている。女性被験者は、あたかも結婚相手を決めかねている人のように、一生嗅ぎ続けなければならないにおいとしてならば、どのにおいを選ぶかを尋ねられた。

その結果、女性被験者は自分と似たMHCをもつ男性のにおいを選んだ。この男女間で共通だったMHCの遺伝子は、女性の父親にもあり、この遺伝子は女性から父親へと受け継がれていた。

女性被験者が特定の男性のにおいを選んだのは、そのにおいに子供の頃から慣れ親しんでいたからではなかった。またMHCの特定の遺伝子が女性の父親と同じでも、女性本人とは異なっていれば、その男性は女性被験者に選ばれていない。もしにおいの好みが父親のにおいの記憶のみに基づいているのなら、女性はこれほどの選り好みをしないはずだ。「においの好みは遺伝子の影響を大きく受けている」とMcClintockは言う。


●全く同じでも全く異なっていても困る

ヒトMHCにおける遺伝子の組み合わせは、ひとりひとり異なっており、このことが体内に侵入した外来の細胞を認識する上で役立っている。過去に行われた汗臭いTシャツの研究では、女性が自分と遺伝子の組み合わせが異なる男性を選ぶことが示された1。この結果は、女性が自分と遺伝子組成の似た男性を好むというOberの研究結果と相容れないように見える。

遺伝子組成の似た男女による近親婚は子供に問題が起きることがあるが、遺伝子組成が全く異なる男女間の場合でも問題が起こりうる。病気に抵抗する遺伝子が配偶者と同じものと異なるものが適当にブレンドされた状態が、子供たちの将来的な生存可能性を最も高める結果になる可能性があると、Oberたちは考えている。


Nature.com Helen Pearson

参考文献

1. Jacob, S., McClintock, M. K., Zelano, B. & Ober, C. Paternally inherited HLA alleles are associated with women's choice of male odor. Nature Genetics DOI: 10.1038/ng830 (2002).

2. Wedekind, C., Seebeck, T., Bettens, F. & Paepke, A. J. MHC-dependent mate preferences in humans. Proceedings of the Royal Society of London B 260, 245-249 (1995).1

2007年01月19日

骨粗鬆症へのビス剤投与は5年で十分か

20070119_cat.jpg飲む必要の無い薬でも、いままで継続して飲んでいた薬ってのは、なかなか中止しづらい。治療者側にも患者側にも言葉にし得ない不安がある(と思う)からだ。

日本人(しか知らないので『日本人では』と書くが)では、一旦飲み始めてしまった薬は、口では『飲みたくない』とは言いつつも、真面目に飲む人の方が圧倒的に多い。

医療の世界でも、言い付け通りに飲んでもらいたいから、服薬遵守《コンプライアンス》なんて言葉が生まれたんだけど、駐車違反や飲酒運転、はたまたタバコのポイ捨てと比べてみれば(比べられないかもしれないけど)異常な程、言い付けを守っていると思う。
ここで言う『守っている』は、自己判断で服薬を中止する事を指し、飲み忘れとか適当に飲んでいる事は、『守っている』に含める。

もともと、コンプライアンスが良くない事に対して『飲んでますよ』とウソをつく事に罪悪感を感じない民族だったら、『適当に飲んでます』なんて正直に言っちゃうかもしれないけど、ほとんどの人が『チャンと飲んでいる』という(多分、他の国でも同様?)。でも、そもそも、なんでこんな嘘を付かなきゃならないんだろう?

薬を飲むのは、自分の健康の為の筈なのに、いつのまにか、他人事っていうか、言いつけられている事だから、法令遵守のような感覚に陥って、半分義務化された行為のように捉えているように見える。(患者みずからの為の筈なのに、医療提供側が“服薬遵守”なんて言う事もおかしな事だ!)


結局、“病気”という不利益に対して真正面から取り組むという事は、精神的に辛い事だ。これを他人事にしてしまう事で、この辛さから逃避していると考えるのが適当かもしれない。

『うそつきの進化論』によれば、生物は遺伝子を後世に残す為に、すなわち、淘汰から選択される為に“嘘をつく事”を進化させてきたという。ここでいう“嘘”は無意識の自己欺瞞を含めての事だから、社会に適応する為、すなわち、辛い社会生活を過ごす為には、真実を真実として真正面から受け止めるのではなく、それをかわす術としての自己欺瞞と考えれば、納得出来る。

それならば、無意識に、患者の病気に対する意識を“他人事”にしてあげる為、これまた、医療提供側も無意識に“服薬遵守”なる言葉を作り出し、あたかもこっちが主体であるかのように振る舞う(自己欺瞞)事で、他人(患者)の苦痛の除去に一役買っているのかもしれない。


本来、遺伝子は利己的で、他の遺伝子が後世に遺伝子を残そうとする事(利益)に反する事はしないのだが、遺伝子の乗り物である“生物”は、一見、このような“利他的”な行動を取るのだが、これは互恵的利他主義と呼ばれるもので、『なさけは人の為ならず』の行為なのだという。

医療提供側は、このような行動をとる事で、信頼を得、回り回って、自分の利益になる事を知って(遺伝子に刷り込まれて)いるのだろう。(これを“性善説”と捉えている人もいるだろう)

ただ、この互恵的利他主義の行動は、回り回って自分の利益にならないくらいに集団の個体数が増えてしまうと機能しないのではないかと、私は考えている。(日本の人口の事)


マスコミを始めてとしていわゆる“世論”は弱者を演じ、強者を叩く事が“善”だと勘違いしているのだが、生物としての人間の遺伝子に刻まれている、このような基本的な行動原理を理解しておかないと、叩く相手が居なくなる(立ち去り型サボタージュに似ている)事を知っておかなきゃならないだろう。

すなわち、日経メディカルオンラインでの調査結果
---『「自分の子供も医者になってほしいですか」との質問に、「はい」の選択肢を選んだ医師は27.9%。「いいえ」の回答も26.7%でほぼ同数だったが、最も多かったのは「どちらとも言えない、分からない」を選んだ45.3%--。』---
を見ればわかるように、医師のなり手が少なくなるってこと。

以下では、自由意見欄に記載された代表的な意見を紹介していく。

「こんな職業を子供に勧めることなどできません」

「子供を医者にしたくない」とした回答者は、自由意見でも「医師の報酬の低さ」や「患者とのトラブルが増えている」を指摘する声が目立った。(以下、◆マークは自由意見欄からの引用)

【医師になるのに反対する】
◆医師になってほしいとは全く思わない。我々の職業は金融関係などに比べて、危険性と責任の重さに見合った報酬が与えられていない。(40歳代男性・内科)
◆自分が医師を目指したことを後悔はしていない。しかし、現状はあまりに医師に対して理不尽な要求が増えすぎており、こんな職業を子供に勧めることなどできません。(50歳代男性・内科勤務医)
◆平成1年から医師(外科)として仕事をしてきた。近年患者のわがままが強くなってきた。治癒してあたりまえ、医者の言うことは信用されない。国民自体が自己中心的で道理を理解しようとしない。こんな国で、自分の子供に自分と同じ苦しみを味あわせたくない。(40歳代男性・外科勤務医)
◆「なってよかった」と思いたいと願いながら医師になったが、最近の医師に対する仕打ちをみるとそうは思えなくなっている。子供には医師になってほしくない。(40歳代男性・外科勤務医)
◆医師という職業は非常にやり甲斐があるし楽しいのですが、マスコミの医者叩きや社会的評価の低さ(給与も含めて。生涯年収では公立病院に定年まで居座った看護師の方が、数年毎に転勤を繰り返す勤務医よりも多いのが現状です)に嫌気がさしています。現在、子供はおりませんが、医者を取り巻く環境が今と変わらなければ、子供が医者になることには反対するでしょう。(30歳代男性・内科勤務医)


 「子供を医者にしたくない」と答えた回答者では、そもそも自分自身が医者になったことを後悔している例も少なくない。

【医者にならなければ良かった】
◆高校生時代に担任に勧められた結果であるが、これほど重労働で経済的に割が合わない(勤務医)とは考えてもみなかった。(50歳代男性・小児科勤務医)
◆私が医師になったのは、成績がよかったので兄から強力に勧められたため。今は自分には適していないと痛感している。子供の将来は子供自身の意志にまかせたい。(50歳代・内科勤務医)
◆労働に見合った賃金が支払われる職業を選択すべきであった。(20歳代男性・内科勤務医)
◆医師は、以前に比べて、魅力のある職業ではなくなっていると思います。仕事量・リスク面で。今自分も高校に戻ることができれば、他の学部を選択すると思います。(30歳代男性・精神科勤務医)
◆成り行きでなってしまいました。今でも向いているのか分かりません。(40歳代男性・内科勤務医)


別に、私は医師の肩を持つわけじゃないけど、患者側の理不尽な振る舞いが、単に患者=弱者の正義で、何も問われないしたら、互恵的利他主義を医師に期待するのは、無理なんじゃないかなと思う訳だ。

患者が利己的な主張ばっかりじゃなくって、医師に気持ち良く仕事をさせれば、それは、自分(患者)に回り回ってくるという事。地方の産科医や小児科医のなり手が少なくなって、危機的な状況にあるわけだが、マスコミは患者側の(理不尽な)要求を飲むの事が、医療機関の当然の勤めだというスタンスこそが、医師不足を助長している事を認識した方が良いと思う。
 
 
 
ところで、ビス剤投与の引用は以下です。

5年で投与中断しても骨折リスクの有意な上昇見られず

 閉経女性の骨粗鬆症に対する治療期間はどの程度にすべきか。これまで、最適な治療期間を検討した大規模研究はなかった。米California大学San Francisco校のDennis M. Black氏らは、アレンドロネートを約5年間使用、その後5年間治療を継続した場合と、後半の5年間に偽薬を投与された場合の骨量や骨折リスクを比較した。その結果、多くの症例で、5年で治療を中止しても骨折リスク上昇に結びつかない可能性が示された。研究成果はJournal of American Medical Association(JAMA)誌2006年12月27日号に報告された。

 閉経後女性の骨粗鬆症治療に最も広く用いられているのは、骨の再吸収を抑制するビスホスホネート剤だ。なかでもアレンドロネートは骨粗鬆症女性の骨代謝を抑制、骨密度を高めて、骨折リスクを減らすことが示されている。

 薬物動態学的研究によると、ビスホスホネートは骨に蓄積される期間が長い。骨基質に取り込まれた薬剤は不活性化され、骨吸収時に徐々に放出されて活性を現すという。末梢での半減期は骨ミネラルと同等の約10.5年という報告もあり、骨への影響は治療中止後も数年間継続する可能性が示されている。

 著者らは、ビスホスホネート治療をリスク上昇なしに中断できるかどうかを調べるため、Fracture Intervention Trial(FIT)の被験者の一部を対象に、Fracture Intervention Trial Long-term Extension (FLEX)試験を実施した。

 FITは、二重盲検の無作為割付比較対照試験で、骨密度低値の閉経女性を対象に骨密度と骨折リスクに対するアレンドロネートの影響を調べた。アレンドロネート5mg/日を2年間投与し、その後10mg/日に増量して治療を継続(3236人)した患者と、偽薬群(3223人)を比較した。平均追跡期間は3.8年だった。

 FLEX試験では、これらの患者の中から、少なくとも3年間アレンドロネートを使用した女性を選び、その他の条件も満たした1099人を被験者として、アレンドロネート5mg/日(329人)、10mg/日(333人)、または偽薬(437人)に割り付け、5年間投与を継続した。カルシウム(500mg)とビタミンD(250U)を含むサプリメントも投与した。

 主要アウトカム評価指標は大腿骨近位部の骨密度、2次評価指標は、他の部位の骨密度と骨の再構築を示す生化学的マーカーを測定、予備的な評価指標として骨折の発生率も調べた。

 その結果、アレンドロネート使用群と偽薬を使用した中断群で、各部位の骨密度の差は有意だったが、FLEX終了時、中断群の骨密度の平均値は、10年前の治療開始前と同等かそれ以上の値を維持していた。5年を超えて治療を継続した場合、腰椎の骨密度はさらに増加したが、大腿骨においては、最初の5年間に増加した骨密度の値が維持されるに留まった。

 中断群では血清中の骨代謝マーカー値は治療群に比べ、55.6%(1型コラーゲンC-テロペプチド:1CTP)、59.5%(1型コラーゲンN末プロペプチド:pro N)、28.5%(骨特異的アルカリホスファターゼ)などと有意に上昇していたが、FIT試験開始時点よりも低い値を維持していた。

 5年間の非脊椎骨折の累積発生率は、治療群で19%、中断群では18.5%で、リスクに有意差はなかった。疼痛のある骨折を臨床骨折、疼痛がないものを形態骨折に分類すると、治療群では、脊椎の臨床骨折リスクは有意に低かった(中断群5.3%、治療群2.4%、相対リスクは0.45)。しかし、脊椎の形態骨折には、有意な減少は見られなかった(中断群11.3%、治療群9.8%、相対リスク0.86)。

 以上のように、5年間のアレンドロネート治療後、使用を中止した女性の骨密度は減少し、生化学的マーカー値は徐々に上昇したが、治療継続群に比べ、骨折リスクが有意に増大したのは、脊椎の臨床骨折のみだった。臨床骨折の発生率は中断群でも5.3%程度であるため、臨床骨折リスクが高い女性を除く多くの女性については、5年間の治療後、最高5年間投与を中断しても、骨折リスクは上昇しないのではないか、と著者らは考えている。

 本論文の原題は「Effects of Continuing or Stopping Alendronate After 5 Years of Treatment: The Fracture Intervention Trial Long-term Extension (FLEX): A Randomized Trial」。アブストラクトはここで閲覧できる。


話は変わるが、最近、YouTube で“今聞きたい、昔のあの曲”を探すのが、プチ・マイ・ブームである。

で、今日の気持ちは、、これ!
Men At Work - Who Can It Be Now ?

2007年01月22日

「あるある大辞典」打ち切りも 番組捏造

20070122_fool.jpgこのネタを私が放っておくわけが無い・・・・って思った方も多いだろうけど、私にしてみりゃ驚くに値しないっていうか、あるある大辞典Ⅱでも「これだけじゃないだろう?」し、みのもんただって「うかうかしてられないんじゃねぇの?」って事で、なんだか、熱くならない。

ってゆーか、マスコミの“事件の捏造”や“事実の歪曲”は今に始まった事じゃなく、昔っからある。今現在の私の思考の“志向”では、人間なんだから“嘘”つくのは当たり前!社会は、いかに、ばれない様にするかが生き残りをかけた戦いだ!!ってことになる。

まぁ、しかし、私がごく普通の善人を演じるブロガーなら『これを機に、一般の人々が、健康や医療を取り上げる番組が、いかに“嘘”や“偏った誇張”だらけなのかを気づいてくれる事を祈る』と書くのだろうが、私は“軽薄な善人”って奴が大嫌いだから、私にとって何の不利益にもならない言葉を発する筈も無いので、これは有り得ない。

さて、捏造と言えば、大学の研究者達の捏造を『倫理に反する』とか『人の行為に悖る』とか“熱く”語っていたマスコミは、自分達業界の捏造に、どういった反応をするのだろう?・・・・・各社とも他局の一部の心無い人による行為だと簡単に片づけるのは目に見えているのだが、私の想定外の行動がとれる企業は、今の日本に存在するのだろうか?

「あるある」打ち切りも 番組捏造、苦情が900件

2007年1月22日(月)03:03

 フジテレビ系の生活情報番組「発掘!あるある大事典2」が紹介した納豆のダイエット効果にデータ捏造(ねつぞう)などがあった問題で、制作した関西テレビ(大阪市北区)は21日、予定していた同番組の放送を取りやめ、視聴者へのおわびを放送した。同局は同番組の打ち切りを含めて検討しており、22日以降の系列局会議で正式に決める。

 関西テレビとフジテレビ(東京都港区)には21日、「こういうことをしていいのか」などの苦情電話が相次ぎ、担当社員らが対応に追われた。

 放送の信頼性を揺るがす事態に、関西テレビでは午後から千草宗一郎社長ら幹部が緊急拡大危機管理委員会を開き、対応を協議した。「番組を打ち切るべきだ」との意見も続出したが、最終的には経営トップの判断に任されたという。番組の今後は、スポンサーの意向も受けたうえで、22日以降に開くフジテレビ系列局のネットワーク会議で決める。

 関西テレビは21日に予定していた「発掘!あるある大事典2」の放送を別の番組に差し替えた上、冒頭の5分間で特別番組を放映した。データ捏造が明らかになった個所の映像を流しながら、関西テレビの男性アナウンサーが「識者発言を恣意(しい)的に創作し、虚偽のデータや写真資料を使っていたことが判明しました。放送局の信頼を著しく損なうことになり、深く反省し、おわび申し上げます」と謝罪した。

 この日は日曜で、関西テレビの正面玄関は閉まっており、通用口を出入りする人影もまばらだった。30代の男性社員は「放送局としてあってはならないことが起きて本当に残念。信頼を取り戻すために気を引き締めて頑張るしかない」と話した。

 関西テレビには20日夜から21日午後11時35分までに視聴者から、「うそだったんですか」「もう信用しない」などの苦情が146件寄せられた。フジテレビにも、20日からの2日間で「責任をどうとるのか」など約800件の苦情があった。


このニュースで、特に私の目を引くのは、、「うそだったんですか」「もう信用しない」「責任をどうとるのか」などの消費者の声だ。

・・・・・こんな番組を信じている時点で、すでに終わっている人達なのだが、なんで、こんなに信用し易いのか?あるいは騙され易いのか?って所だ。

単に“無知”と言ってしまえばそれまでだし、騙されて不利益を被るのは自分だって事すら忘れてしまえるほど“平和”で“呑気”な国なんだって言ってしまえばそれまでなんだけど、『他に理由(原因)があるんじゃねぇの?』って考えたくなる程だ。


例えば、騙され易い遺伝子が存在する??

なんてね!!

淘汰圧を乗り越えて“騙され易い性格”が選択されるには???

なんて、つい、安易に考えたくなっちゃうよね。

でも、、、、遺伝子に特定の機能なんて無いわけで、その発現の総和と現代社会での相互作用が“騙され易い性格”を作り上げているとしたら、どういう理由からなんだろう!

一つには“馬鹿を演じられる”というものがあると思う。

『だってぇ~、わたしバカだからぁ~』のような反応に性的興奮を覚えるオスは、少なからず居るだろう。自分より馬鹿な人間の存在が自分を相対的に“利口者”にしてくれて、自尊心を満足させてくれる為かもしれない。『俺って、バカだから、、、』なんて言葉で始めるオスも、その場の雰囲気を“楽しくしてくれる”やさしい人なんて印象を与える事が出来てメスに選択されるのかもしれない。

この演じられる=騙すという遺伝子が優秀だった為に、選択された機能が現代に作り出す姿なんだろうなぁ。馬鹿を演じて利益がある社会では、知識を得る努力の必然性が無くなり、やがて演じていた馬鹿は本物へって訳で・・・・。

一つの遺伝子に、特定の機能は無いってのは、ついつい、忘れ勝ちになっちゃうんだけど、こんな時には、思い出すのがコレ。

「個々の遺伝子に特定の目的がある」という誤解

2000年02月23日

「遺伝子には目的がある」-これはマスコミが好んで用いる考え方である。すなわち同性愛、良い母親、乳癌などをコードした遺伝子があるというのである。しかしこれは誤解である。Matt Ridleyは、その著書「ゲノム(Genome)」の中で、病気を引き起こす遺伝子なんてものが存在しないことを繰返し強調している。また特定の遺伝子と単一の有益な機能との関連性を判定することも難しい。それがなぜかと言えば、遺伝子というものは単独では作用しないからである。遺伝子が作用するのは、協調的あるいは時には対立的な大規模ネットワークの中においてであり、その作用の結果をいずれか1つの遺伝子と単純に結びつけることはできない。

ここで別の例を使って考えてみよう。点火プラグはガソリンエンジンにとって不可欠な部品と言える。点火プラグなしにガソリンエンジンは作動しないからである。それではこのことによって点火プラグの目的が確定するのだろうか?

答えはノーである。点火プラグ以外にも同じくガソリンエンジンにとって不可欠な部品があり、点火プラグだけでエンジンが作動するわけではないからである。私たちは、近因(点火プラグによって電気的スパークを発生させる)と遠因(点火プラグによって自動車は道路に沿って走る)を原理的に区別して考えなければならない。同様に私たちは、たとえ特定の目的を推定できたとしても自然界についての一般論を超えて私たちについての具体的な結論を導き出したことにはならないことに注意しなければならない。

Richard Dawkins は、その説得力にあふれた著書「利己的遺伝子(The Selfish Gene)」の中で、遺伝子は自己目的を達成するために作用すると記している。しかし遺伝子という実体には意識がない。すると遺伝子が利己的なのは先天的に何らかの動機付けがなされているからなのか、それとも単にDawkinsがそう言っているだけに過ぎないのだろうか?

機械部品の場合と同様に、個々の遺伝子が果たす機能と最終結果との間には、せいぜい希薄な関係しかない。よって遺伝子の目的を解明できるという仮説は否定され、具体的な特性を生み出す遺伝子が発見されたといった新聞等の見出しは極めて疑わしいものと言わざるを得ない。

一例として「 Pitx2」という遺伝子を考えてみよう。この遺伝子に突然変異をきたすと、リーガー症候群という遺伝病になる。その主たる症状は目の虹彩の奇形である。それではPitx2は虹彩の「ための」遺伝子なのだろうか?残念ながらPitx2は虹彩のためだけに存在するわけではない。Pitx2についての初めての研究は、米国カリフォルニア州ラホーヤにあるメルク研究所の Juan Carlos Izpisua Belmonte らによって行われている(ネイチャー第394巻、545~551頁、1998年参照)が、この研究ではPitx2が内臓、特に心臓の非対称的配置を定めることに関与していることが発見された。この遺伝子は、特定の非対称的配置決定に関与する数多くの遺伝子の1つであり、これらの遺伝子に突然変異があると、いわゆる左右差の異常が発生する。リーガー症候群の患者には、このような異常は見られない。それではPitx2は非対称性のための遺伝子であり、虹彩のための遺伝子ではないということになるのだろうか?

Pitx2は非対称性のための遺伝子でもあり、虹彩のための遺伝子でもある一方で、いずれのための遺伝子でもないというのが答えである。

Pitx2には、DNAと相互作用し、他の遺伝子のスイッチを入れたり切ったりするタンパク質に対する指令が詰まっているのである。そしてPitx2のタンパク質産物であるPitx2は「転写因子」すなわち遺伝子スイッチ因子なのである。ただ、このことがわかっても、遠因(そして近因)はほとんど解明されたことにはならない。

その理由はこうである。

正確に言うと、Pitx2の役割は、状況によって異なっているのである。そしてこの状況は、Pitx2が作用する遺伝子によって異なり、Pitx2を作動させたり、止めたりする数多くの遺伝子に依存しているのである。他の遺伝子スイッチ因子全体の顔ぶれによって、Pitx2は目、顔や頭の形成に関与したり、体内器官の左右差の決定に関与したりするのである。

この話はここで終わりではない。

この先に複雑な話が待っているのである。米国ソルトレークシティーにあるユタ大学のH. Joseph Yostらは、発生学(Development)の2000年2月8日号において、遺伝子解読の結果、Pitx2には少なくとも2種類のものがあり、それぞれが少しずつ異なる機能を果たすことを発見した。Yostらは、ゼブラフィッシュ(Danio rerio)の胚発生を研究し、頭部や心臓の形成期にPitx2の複数の「タンパク質」が異なった調節を受けることを実証した。これらの遺伝子の機能は対立的関係にもあった。

Pitx2cはcyclopsという遺伝子を活性化させるが、Pitx2aは同遺伝子の機能を高める。そしてこれらのタンパク質をカエル胚に注射した実験では、それぞれのタンパク質が左右差に与える影響は常に異なっていた。すなわち心臓の形成に対する影響力の点では、Pitx2aの方がPitx2cよりも大きかった。ヒトの場合にもPitx2に2種類以上の「タンパク質」がある可能性が強い。したがってPitx2の「機能を論じることは無意味である。それぞれのタンパク質の機能は、所在する組織や発達段階によって異なり、またどの遺伝子が活性化しているかによっても異なるのである。

それではタンパク質のうちの1つが左右差と関係し、別の1つが目と関係しているといったことがあり得るだろうか? 答えはノーである。ゼブラフィッシュの場合、2種類のタンパク質は頭部と心臓のいずれにも関与しており、ただ関与の仕方が異なっていたのである。遺伝子が病気を引き起こすことを目的としていないことは確かである。さらに一歩進めて、遺伝子の目的は何かを引き起こすことではないとも言うことができる。これ以外の仮説を立てれば、近因と遠因という原理的論争に巻き込まれてしまう。遺伝子は、意思を持たないスイッチである。これ以上の崇高な目的があるとは、私たちが勝手に考えているに過ぎない。

Bionews Archive Henry Gee


アダムとイヴが禁断の木の実を食べた時から、神に対してイブの“嘘”は始まっている。人間は嘘をつくもんだってのは、昔の人の方が、よっぽど理解していたと思う。

そして、嘘をつく事が悪い事だとして、公に取り締まってくれる(法律)が出来てしまった為に、嘘をつかれる事に無防備になってしまった人が出現するようになったのかもね。

私は、嘘はつく方も悪いかもしれないが、騙される方も悪いって思ってるから、今回の『あるある大辞典』で騙された人達に対しては、姉歯インチキマンションを買ってしまった人達と同様、まったく、同情の念が湧かない。

最近、同情しまくりなのは、風見しんごの娘が右折トラックに轢き殺された事だ。右折だぜ!右折!!左折で巻き込み事故なら、考えられるけど、右折でなんて・・・・・、事実は知る由も無いけど、携帯電話なんぞかけながらの運転だったとしたら、危険運転致死罪を適応して、マスコミは携帯電話をかけながらの運転を、飲酒運転並みに厳しく非難してほしいぞ!!

データ捏造を真剣に反省する気があるなら、片手で電話機を持ちながらの通話運転を、厳しく追及してくれ!マスコミ!

マス『ゴミ』と言われない為になっ!
Joe Jackson - Stepping Out

2007年01月23日

アナクロ人間の自覚欠除?

20070123_fuck_you.jpg他局の失態を非難しているそばから『コラーゲン鍋で、お肌、プルンプルン』だってさ!(大嘘つき)

日テレ、イイカゲンにしろよ!みのもんたの番組といい、同じ穴のムジナだってことをわきまえろよ!そういう目で見てる視聴者もいるって事を、よくよく考えるんだな!

それに、辛坊さん以外のコメンテーターの“ハズレっぷり”には、ほとほと呆れるぞ!橋本五郎さんの前は、知らない大学の助教授だかが喋っていたけど、こんどの月曜日、火曜日担当のおっさんも、ほとほと酷いね。誰なんだよアレ?

そして、あのシャベリ!どうして、あのような恣意的な表現しか出来ないんだろう?
内閣支持率が『40%も切ってしまった』だって。『・・も・・』だってよ。もともと世論調査や支持率なんて意味の無いものを、さも意味ありげな表現を使い、そのうえ、40%という数字に意味があるかのように『・・も・・』を使うあたり、恣意的なものを感じざるを得ないだろう!?

捏造を批判しているそばから、恣意的な表現による認識のバイアスを狙っている・・・、オイオイ、どっちもどっちだろうが!ゴルゥァ!

中曽根元総理が『支持率なんてものは、実態を反映していないものでして、私なんか10とか20とか・・・』なんて言っていたのを思い出しちゃったよ。


しかし、彼ら、くだらないコメンテーターに共通の心理状態を、良く考えてみると、なんとなく見えてくるものが無い事はない。

そうなのだ、気負っているのだ。初めて(かどうか知らんけど)のテレビ出演で、自分を視聴者の味方、国民の味方ってイメージを植え付けるのに、必死なんだよね。これからの自分の食い扶持にも直結する事だろうから、必死なのは解るんだけど、そんなやり方じゃ思惑通りにはならんよ!

民主党のていたらくを指摘する時にも、『国民投票法を成立させる背景には、憲法改正を争点にしたくない真意が見え隠れする。こんな事を国民の知らない所で決めてもらっては信頼される筈も無い』という主旨の発言をしていたけど、まさに、気負っているのがミエミエなんだよなぁ。

国民の為、国民に分かり易い、国民の・・・・って言ってりゃ人気が出るとでも思っている、アナクロ人間だよ。朝日新聞の体質にも近い。(まぁ、朝日新聞は戦前、戦争肯定の急先鋒で、国民を煽りに煽ってたから、戦後、自省の意味もあってこんな体質なのは、わかんなくはないんだけどね・・・)

全く、時代錯誤も甚だしい。国民、国民って、国民の判断や国民の望む方向が正しいなんて、とうの国民だって思ってる人は少ないよ。国民自ら、自分達には荷が重いっていうのは、裁判員制度を見れば一目瞭然ジャン。結局、無責任に言いたい放題の時代では、無責任な事を声高に叫ぶ事が、カッコイイ=新しい=正しい事=国の為になる、のように勘違いし、与党の政治、体制を批判する事が、それに繋がるみたいなマヤカシで国民を扇動できた時代もあったのだろうけど、今は違う。

情報過多の時代に、情報操作出来ると思い込んでる、時代遅れヤロウなんだよな。(20年前なら、捏造は発覚しないし、不二家のインチキも発覚しない。不二家の工場でバイトした事のある私は、25年の前から、不二家の体質は知っていた。体質ってのは、トイレに行った後、手を洗わなくても何も言われないって事。今じゃ、個人がブログで情報発信・・・、国民をおだてたって白ける時代なんだよ。)

憲法改正なんて、ほとんどの国民には意味すら解ってないんだから、『国民不在で決定』なんて言ったって、国民にとっては“イヤミ”なだけだぜ!そんな事もわかんないんだよな、このオッサンは。

こんな問題に関しては、一つだけ正しい事は、『解らない奴には口を出させるな』だ。

憲法改正を国民投票にするなんて、一見、良さそうに見えるけど、何も理解していない国民に決定権を委ねるなんて、コンピュータをゴリラに与えるのとおんなじだぜ!壊しちゃうだけって事だ。

このオッサンが『国民投票法』に暗に反対しているのなら、『民主党は、国民投票法を通そうとしているが、私は反対だ。何故なら、国民は解っていないからだ。もし、投票させるなら、試験を課し意味の解っている合格者だけ投票権を与えれば良い。』位の事を言えば良い。当然、反発されて、一部の視聴者から抗議の電話が鳴りつづけるだろうけど、誰かが本当の事を言わなきゃ、この国は終わっちゃうんだから、国民の人気を得たいのなら、これくらいは言うべきだよな。

これくらいの事を言えれば“視聴者の脳細胞に刻み込まれる人”になるよ!

逆に、国民全員に“良い人”だなんて思われたいが為に、国民を“能力が高く、正しい判断の出来る人”みたいな白々しい嘘で固める事が、国民から忘れ去られる時代だってことを知ったほうが良いんじゃない?
 
 
 
首相が、これまでどのような仕事をしてきたのかを、詳細に知る人は少ない。
私は、首相官邸のホームページを訪れることがあるが、それでも全てを知っているわけではない。(つまんないサイトだから、心に沁みないし。)

ニュース番組で、支持率が下がったと言うが、調査された側の国民は、首相のした仕事を評価しての結果なのだろうか?場の雰囲気で判断してないだろうか?
また、首相の仕事を知らないが為に、支持率が下がったのは『何か悪い人をした結果だろう』『支持率の根拠となった判断は正しい』と、あいまいなままの思い込みで、イメージが形成されていることはないだろうか?

インフルエンザの診断キットが開発される以前の、インフルエンザの流行サーベイランスにも似た様なところがあった(と思う)。

『この時期に、高熱がでてるんだからインフルエンザで間違いないだろう』
   ↓
『患者が出たって情報があるから、まだ発熱も十分ではないけど、インフルエンザかもしれない』
   ↓
『学校で流行っているらしいよ』
(熱が出たから、インフルエンザって事にして、休ませました。親談)
   ↓
『学校で流行っているなら、インフルエンザだろう。診断すれば欠席扱いにならないし』
   ↓
   ↓
かくして、インフルエンザの流行は作られる・・・・・。(多分、本当ぅ)

診断キットのある現在では、考えられない事だが、現実にはあった。このような“場の雰囲気”形成は、内閣支持率も同様だろう。

しかし、マスコミが思いのままに牛耳っていた国民のコンセンサスは、私のように首相官邸のホームページで情報を仕入れている人がいる時代では、思いのままにならない。

さらに、政治は結果だ。期待値ではない。あくまで結果で評価されるべきだ。そして、その評価は歴史と言う事になる。

それを踏まえても、私は、内閣支持率の調査発表ほど意味不明のものは無いと思っている。

そして、マスコミは、その安易な発言が単なる情報操作だなと解釈されても仕方の無いような内容では、ますます信頼を失うだけだ。マスコミはこの事をよくよく考えた方が良い。でも、マスコミは『ホームページの内容が、正しいかどうかは解らない』って反論するだろうけど、それは、まったく自分達に跳ね返ってくる言葉だと言う事だ。
 
 
 
今、国民は、情報を自分で消化しきれないでいる。判断する基礎知識が無い人も居れば、ツールを使いこなせない人もいると、様々だ。

それらを充実させるのが、義務教育だと思うのだが、受験シーズンのこの時期、受験勉強の為の勉強になっていると痛感する。

『世界史は選択だ』とか『生物は、、化学は、、、』なんて事になるから、情報の波に飲まれてしまう。英語のリスニングテストに至っては、何をか云わんやである。会話は単なるコミュニケーションツールであって、それが目的ではない筈。しかも不具合発生率100%の機械を使ってて、それを開き直っているセンター側・・・。やる必要無しと断言できる!!

世界史を知らずして、生物学を知らずして、化学、物理の知識無くして、情報交換する会話なんて成り立たない。日本語で考えられない事が英語で出来るとでも思っているのだろうか?

こんな教育制度の是正も出来ないのが全て首相の責任だというのなら、支持率が下がって当然だが、実態は、教育庁だとか、日教組だとか、既得権を持っている人達の・・・ってことなんだろう?医療業界の実態を知れば、推して知るべしだ。


マスコミは、一つの番組や紙面で盛りだくさんのニュースは必要ない。それより、一つの問題をじっくりと掘り下げて欲しい。問題点は何か?そこに関わっている人はどんな人達か?それぞれの言い分はどのような事なのか?解決する方向性は?具体化出来る可能性は?不利益を被る人の範囲と規模は?その対策は?・・・・・・・。


今朝、あまりにも、無責任で安易で短絡的で根拠が無くって、人の振り見て我が振りも治せないテレビ番組(ズームイン・スーパー)を見て、感じた事を書きなぐってみた。

で、今日の気持ちは、、、
AMV FFVII AC - ACHILLES LAST STAND

2007年01月27日

競争率13.4倍の傍聴券をゲット

20070123_fuck_you.jpg北尾トロ氏の『裁判長!ここは懲役4年でどうですか』に出て来る“裁判ウォッチャー”なる人々のにも、人気があったんではないだろうか?この福島・大野病院事件の裁判。

下世話な言葉で言えば『なんたって、人一人が死んでる』し、今後の産科医療の将来を“色々”と占うものにもなりそうだからね。

昨日は、これで各方面は色めき立っていただろうね。

競争率13.4倍の傍聴券をゲット

わずか26席の傍聴席を求めて集まった人々。アルバイトらしき人のほか、医療関係者も見受けられた。

 朝7時4分東京発の新幹線で一路福島へ。行き先は福島地裁。福島県立大野病院の医療事故の刑事裁判の初公判(詳細はこちら)を傍聴するためである。

 9時前に地裁に到着したときには既に200人以上の列。アルバイトらしき人のほか、医療関係者も見受けられた。結局、最終的に349人が、わずか26席の傍聴席を求めて集まった。競争率は13.4倍。今回の事件に関する関心の高さがうかがえた。9時15分に整理券交付が締め切られ、抽選が行われたが、見事、私は傍聴券を得ることができた。

 開廷は午前10時。今日は検察の冒頭陳述が主だと聞いている。法廷のもようは後ほどお届けする。(日経メディカル オンラインより引用)

で、その初公判は、、、
冒頭陳述では、検察側は、産婦人科の専門書を引用して被告の過失を主張、証拠提出の際は遺族の供述調書を読み上げるなど被害者感情を公にし、情に訴える場面もあった。

これに対して、弁護側は専門書の記載は個別事例の医療行為の妥当性を論じたものではないと反論。


異状死を定めた医師法第21条の違憲性まで言及
 初公判は午前10時に開廷し、途中1時間の休憩をはさんで、午後4時前まで続いた。

 起訴状では、加藤被告は2004年12月、前置胎盤の女性の帝王切開手術を実施、その際、子宮に癒着した胎盤を無理に剥離し、大量出血させて出血死させたという業務上過失致死と、それを異状死として警察に届け出なかった医師法違反が認められるとしている。この女性は、帝王切開手術の既往があり、今回は2度目の出産だった。帝王切開手術の既往と前置胎盤は、癒着胎盤の確率を高める要因となるとされる。

 主な争点は、(1)術前に癒着胎盤であることや、胎盤の剥離時に大量出血の危険性をそれぞれ予見できたか、(2)用手的剥離が困難あるいは不可能になった時点で、癒着胎盤と判断し、直ちに子宮摘出に切り替えるべきだったか、(3)医師法第21法違反を問えるか――などだ。

 例えば(2)について、検察側は冒頭陳述で、加藤医師から押収した産婦人科の専門書を引用し、「『癒着胎盤は適切に対応しなければ、大量出血を来し、母体死亡の原因にもなるため、その対応は極めて重要である』と記載されている」などと主張、剥離を続ければ大量出血を引き起こす危険があることから、直ちに剥離を中止し、子宮を摘出すべきだったなどとした。

 一方の弁護側は、「高度に専門化した領域における専門家の判断の妥当性については、結果だけからレトロスペクティブに過失の有無を判断できず、その相当性判断についてはその領域の専門家の意見が必要不可欠である。本件起訴は、この点を十分に検討した上でなされたとはいえない」と主張。その上で、既に生じた出血を止めるためには剥離を完遂させ、剥離後に止血措置を取る必要があったのであり、「直ちに胎盤の剥離を中止する」義務はなかった、などと反論した。

 また双方の主張の根拠となったのが、鑑定や病理検査の結果だが、依頼先にも相違があった。検察側が証拠として提出した医学鑑定は、産婦人科医によるものではあるものの、その医師の専門は腫瘍だった。これに対し、弁護側は胎盤病理や周産期医療の専門家に聞いた意見を論拠とした。

 さらに現在、異状死の届け出をめぐっては、各学会のガイドラインに相違があるなど、関係者の間で解釈が定まっているとはいえない。今回の初公判で弁護側は、異状死の届け出義務を定めた医師法第21条そのものが、憲法第31条や第38条に違反するという論まで展開した。第31条では罪刑法定主義(どんな行為が犯罪に当たり、いかなる刑罰が科せられるかは、あらかじめ法律によって定めておかなくてはいけないという主義)、第38条ではいわゆる黙秘権等をそれぞれ規定している。

 今回の裁判は、2006年2月に加藤医師が逮捕された直後から、関係学会から抗議文が出されるなど、もともと医療界の注目度は高かった。起訴事実はもちろん、医療の専門性と医療刑事裁判のあり方、さらには医師法第21条の違憲性までも法廷の場で議論される様相を呈している。これはこれまでの裁判ではあまり見られなかった、今回の裁判の特徴といえる。(日経メディカル オンラインより引用)


こういう事件っていうか事故っていうか、こういうものを“法律”で裁くっていうのは、難しいよね。双方の言い分には、それぞれ“道理”がある。決して“故意”でも“悪意”から起こしたものではないから当然なんだけど。

昨日は、京都のホテルで、また耐震偽装が発覚したっていうけど、これも法律で解決しようとするから、なんだか良く解らなくって、弱者=正義の味方みたいな輩の発生素地を作るだけになっている。

そもそも、耐震強度ってなんだよ?!現在の建築基準に適合していたって、倒壊する時はするんだろう!それに、その基準が作られる前の建築物については、いったい、どおなってるの?合法だから安全なの???

合法なのに危険な建物と、非合法なのにそれより遥かに安全な建物あった場合、法治国家の日本では、非合法というただそれ一点で、その建築に関わった人々が罰せられ、それで『チャンチャン』と手締めで終わる。


---なんだそれ!---


建築物の場合、相手は“自然現象”、人間の英知を集めても、天変地異を制御する事は不可能。
分娩(医療)の場合も、相手は“自然現象”、人間の英知を集めても、生死を制御する事は不可能。

大野病院事件の場合は、法律以前に(1)術前に癒着胎盤であることや、胎盤の剥離時に大量出血の危険性をそれぞれ予見できたか、(2)用手的剥離が困難あるいは不可能になった時点で、癒着胎盤と判断し、直ちに子宮摘出に切り替えるべきだったかと言う医学的な問題が提起されているのだが、初産で帝王切開手術を行った場合、100%胎盤が癒着するのであれば、完璧なミスだけど、癒着胎盤の可能性が高まる程度で、全例に対して、その対応を取る事が、ベストなのかと言う事だ。

事が起こらなければ、過剰な準備による医療費の高騰を指摘されるんでは?万全の態勢で望んでいる病院では、分娩費用が高くなる。したがって、お客(妊婦)さんが安い病院に行っちゃう。志高ければ、その病院は経営難。

過剰な建築部材によるマンションの価格が高騰する時には、『もっと安くしろ』って声が上がって、売れずに、その会社は倒産。住む人の事を考えて、核シェルターのようなマンションを用意しても、見てくれが良くて安いマンションの方が売れちゃう。


だから、高層建築の耐震強度は、核シェルター並みにして、普通のサラリーマンには買えない値段にしちゃえば、こんな問題は起こらない。

分娩費用だって、欧米並みに300万円くらいにしちゃえば、万全の態勢で望めるから、こんな問題は起こらない。


なんだ、解決方法は簡単じゃん!!


それでも、自然現象相手の商売だから、建物は壊れ、人は死ぬだろう。でも、その時の裁判の争点は、もっと単純なものになるんじゃない?少なくとも、双方に道理があるので、裁判で白黒付けてる間に、双方とも疲れきって・・・・って“落ち”じゃなくなると思うんだけど、いかが?


この裁判によって、妊娠はリスクで分娩とはそもそも危険なものであるという認識が広まり、ガキどもの堕胎が減り、出来ちゃった婚みたいな安易な結婚が減り、安いからには理由があり、医療従事者にも、お盆と正月とゴールデンウィークと子供の参観日に出席する余裕と人間らしく夜に寝る時間を望んでも良いという事が理解されると良いなぁって思う。


あっっ!それから健康保険制度の崩壊を期待する。互恵的利他主義が機能しない現代にはそぐわないからね。

2007年01月29日

医療費を対GDP比でみる意義とは?

20070129_iryouhi.jpgもし、この意義・意味を知りたくて検索され、このサイトに辿り着いた方がいたとしたら、最初にお詫びしておく。私にもさっぱり解らない。(知っている方に、トラックバックしてもらいたいと思ってのエントリーです。ハイ)

いままで、ずうっと不思議に思っていたのだが、国内総生産に対して医療費がどれくらいであるか?と言う事が、医療費が適正かどうかの指標になるのだろうか? GDP の比を知る事で、何が解るのだろうか?

GDP に対して、国民の平均的な食費やレジャーに費やす割合を示すのと同じで、文化度とか生活に対する満足・不安(不安があればレジャーに費やさないで貯蓄するとか・・)などが、漠然と解る程度で、それ以外のなにものでもないんじゃないの?
(ゲームのタイトルは、『この国の医療費』)

食費は、税金で賄われるわけじゃない。だから、財政を圧迫しない。でも、医療費は税金で賄われる。だから財政を圧迫する。

私が理解しているのは、単純にこれだけだ。

そして、国家予算に占める医療費の割合を知っている。その国家予算自体が、毎回、集められた税金を遥かに上回っていて、それを国債で埋め合わせているのを知っているだけだ。そして、その国債のツケ=借金は国民に回ってくる・・・・。


そんな程度しか政治・行政・経済を知らない私が、例えば、最近の新聞記事の解説を見ると、、、
(新聞記事に対して、m3.comで解説しているのだが・・・・)

東京・大阪の公立病院の半数、診療縮小

記事:毎日新聞社
提供:毎日新聞社

【2007年1月23日】
医療クライシス:東京・大阪の公立病院の半数、診療縮小----毎日新聞調査

 <2面で連載スタート>

 ◇常勤医285人不足

 医師不足などのため、東京都と大阪府内の計54の公立病院のうち、公立忠岡病院(大阪府忠岡町、83床)が3月末に閉院するほか、半数近い26病院で計46診療科が診療の休止・縮小に追い込まれていることが、毎日新聞の調査で分かった。常勤医で定員を満たせない病院は45病院あり、不足する常勤医は計285人に上る。非常勤医で穴埋めできていない病院もあり、医師不足によって病院の診療に支障が出る「医療崩壊」が、地方だけでなく2大都市にも広がり始めている実情が浮かんだ。

 調査は都府立、公立、市立病院(大阪市立大病院を除く)と、都保健医療公社が運営する病院を対象に実施。00年以降の診療休止・縮小の状況や、今月1日現在で常勤医が定員に満たない科の数などを尋ねた。

 閉院を決めた忠岡病院は、03年に12人いた医師が05年には4分の1に激減。昨年4月に皮膚科と泌尿器科、今月は脳神経外科を休止し、病院自体も存続できなくなった。

 診療科別に見ると、休止・縮小したのは、産科・産婦人科が計10病院で最多。次いで小児科6、耳鼻咽喉(いんこう)科が5病院だった。

 不足している常勤医数は、内科が18病院で計47人と最も多く、麻酔科15病院29人、産科・産婦人科が16病院27人、小児科が11病院22人と続いた。不足の理由は、▽04年度導入の新医師臨床研修制度をきっかけに、大学病院が系列病院から医師を引き揚げた▽勤務がきつく、リスクを伴うことが多い診療科が敬遠されている----など。

 診療への影響は、「救急患者の受け入れ制限」(都立大塚病院・豊島区)など、救急医療への影響を挙げる病院が目立つ。住吉市民病院(大阪市)のように、産科医不足による分べん数の制限を挙げる病院も多かった。

 打開策については、都立墨東病院(墨田区)などは「給与水準引き上げ」と回答、府立急性期・総合医療センター(大阪市)が「出産・子育てから復職支援など女性が働きやすい環境作り」を挙げるなど、労働環境の改善を挙げる病院が目立つ。「医療訴訟に対する裁定機関や公的保険制度の確保」や、「地域の病院と連携し、医師の診療応援など交流を図る」などの意見もあった。


(ここから3m.comの解説!!)
 ◇「高額医療費」実は平均以下----OECDデータ

 地方だけでなく、大都市にも「医療崩壊」が広がり始めた背景には、日本の低医療費政策がある。医療費を巡る政策論議では長年、いかに抑制するかがメーンテーマとなってきたが、経済協力開発機構(OECD)の国際比較データからは、正反対の実情が浮かぶ。

 医療費を対国内総生産(GDP)比でみると、日本は1960年代半ばの一時期にOECD加盟国平均に達していた以外は、一貫して平均を下回っている。03年もGDP比8%で、平均の8・8%に届かない。

 特に、先進7カ国(G7)の水準には程遠く、差が広がるばかり。03年のG7平均は10・1%で、日本はG7平均に比べて医療費の支出が2割も少なく、先進国並みに医療にお金をかけているとは言えないのが現実だ。

 人口1000人あたりの診療医師数(診療に従事する医師の数)は、一度もOECD平均を上回ったことがない。差は年々拡大し、04年には平均3・1人に対し日本は2人。OECD平均に達するには、医師を1・5倍に増やす必要がある。

つぶれる公立病院 忍び寄る崩壊の足音

記事:毎日新聞社
提供:毎日新聞社

【2007年1月23日】
医療クライシス:忍び寄る崩壊の足音/1 つぶれる公立病院

 ◇研修・開業、回らぬ医師

 奈良・大淀病院の妊婦転送問題で明らかになった医療システムの機能不全と医師不足。「医療崩壊」を止めるにはどうしたらいいのか。手がかりを求め、現場を歩いた。

   ■   ■

 たった一人残った院長が黙々と診察をこなす。昔は患者があふれていた平日の午前でも、人影はまばらだ。大阪府南部の忠岡町が運営する公立忠岡病院(83床)。大学からの医師派遣がなくなり、3月いっぱいで56年の歴史を閉じる。定年退職を1年延長して診察を続ける須加野誠治院長(66)は悔しさをにじませ、こう語る。「患者さんに申し訳ない。公的病院は日本の医療を支えてきたが、今後は相当努力しないとやっていけない。このままでは、弱者を切り捨てることになる」

 異変は04年ごろ始まった。医師が次々と病院を辞め、頼りにしていた大学医局からの補充もなくなった。03年度に12人いた医師は、05年度に3人、昨年末にはついに院長だけが残る事態に。医師が減ったのに伴い患者数も減少し、収益悪化で閉院を余儀なくされた。

 公立病院の医師不足は、04年度の新医師臨床研修制度導入や、激務に嫌気が差して開業する医師の増加などで、より深刻化した。以前は多くの研修医が大学医局に入局し、医局が公立病院など関連病院に医師を派遣したが、現在、1-2年目の研修医は各診療科を回ることが義務づけられ、すぐに医局に入らない。このため医局の医師が減り、関連病院から医師を引き揚げるケースが増えた。

 医師確保のため須加野院長は、近畿各地の大学医局に足を運び、頭を下げた。「訪ねたのは延べ200回近く。軒並み断られ、逆に『医師を大学に手伝いに寄こしてくれないか』と言われることもあった」

 全国で最も病院が多く、医師も集中する東京でも事情は変わらない。日野市立病院は、大学からの医師派遣を次々打ち切られ、内科や小児科など5科で入院を制限。4月には脳神経外科が縮小する見通しだ。市原眞仁院長は「各地で医療事故が訴訟や刑事事件になり、職員の士気も落ちている。私は3月に辞めるが、誰も後任に来たがらない」と途方に暮れる。

   ■   ■

 しわ寄せは、患者に及んでいる。

 昨年7月。東京都内の女性(26)は休日の未明、かかりつけの産婦人科で陣痛を抑える点滴を受けていた。妊娠28週での早産が避けられず、新生児集中治療室(NICU)のある病院へ転送が必要になったためだ。

 東京にはNICUを持つ24病院が参加する「周産期医療情報ネットワーク」がある。うち9病院が総合周産期母子医療センターに指定され、受け入れ先探しも担う。しかし最も近い杏林大病院(東京都三鷹市)は「満床」。医師は女性の横で電話をかけ続けたが、転送先は見つからない。「医師不足は地方の話」と思っていた女性は、分べん台で不安を募らせた。

 1時間以上かかって見つかったのは、直線距離で約40キロ離れた病院。送り出した産婦人科医は「センター病院も人手不足で、転送先は自分で探さなければならないケースが多い。奈良・大淀病院のケースのように受け入れ先を見つけるのが困難なのは、東京でも日常茶飯事だ」と明かす。

 閉院する忠岡病院に20年以上、人工透析を受けに通っていた女性(62)は「透析は一生続けなければいけないし、病院をかわることが、どれだけ大変で不安が大きいことか」と訴える。そして、こう付け加えた。

 「まさか公立病院がつぶれるなんて、誰が考えていたでしょう」=つづく


(ここから3m.comの解説!!)
 ◇G7水準に程遠く

 医療費を巡る政策論議では長年、医療費増大で国が滅びるとされる「医療費亡国論」が脚光を浴びるなど、いかに抑制するかがメーンテーマとなってきた。日本の医療費はそんなに多いのか。OECD(経済協力開発機構)の国際比較データからは、全く正反対の実情が浮かぶ。

 医療費を対GDP(国内総生産)比でみると、日本は1960年代半ばの一時期にOECD加盟国平均に達していた以外は、一貫して平均を下回っている。03年もGDP比8%で、平均の8・8%に届かない。

 特に、先進7カ国(G7)の水準には程遠く、近年では差が広がるばかり。03年のG7平均は10・1%で、日本はG7平均に比べて医療費の支出が2割も少なく、とても先進国並みに医療にお金をかけているとは言えないのが現実だ。

 人口1000人あたりの診療医師数(診療に従事する医師の数)は、一度もOECD平均を上回ったことがない。差は年々拡大し、04年には平均3・1人に対し日本は2人。OECD平均に達するには、医師を1・5倍に増やす必要がある。

 低医療費政策を続け、少ない医師数のままで現状を打開できるのか。医療従事者の間には絶望感も広がり始めている。


2つの記事の解説とも、『医療費は高くない。日本の医療が崩壊しない為に国や自治体はもっと金を投入すべきだ。』って主張している。その根拠として、医療費の対GDP比を出しているのだが・・・・。

私、GDPの意味を誤解しているのかな?って感じたもので、調べてみたのだが、、、

経済社会総合研究所

・GDPはGross Domestic Productの略で、国内総生産を意味します。
・総生産は、原材料費等中間投入分を除いた付加価値の総額です。

・国勢調査や工業統計などの各種の統計結果を加工・組み合わせて計算します。
・このような統計を第2次統計とか、加工統計と言います。

・内閣府経済社会総合研究所が作成し、公表します。

国民経済計算体系
・GDP統計は、より包括的な国民経済計算体系の一部です。
 国民経済計算は、SNA(System of National Accounts)と言い、国連が開発したものです。
・SNAは、国民所得勘定を中心に産業連関表、資金循環表、国民貸借対照表及び国際収支表の五つの経済勘定を体系的、整合的に統合したものです。


う~ん、GDP をどんなに調べても、赤字財政を押してまで、医療費に投入する根拠に成り得るとは思えないのだが・・・。

こちら側(医療費を分配される側)の人間としては、湯水のように使ってくれた方がありがたいに決まっているのだが、無い袖を振り続けて、そのツケが、将来の私達の子供に回るってのは、良い事なんだろうか?って思うわけだ。


この 3m.com の解説は、GDP 以外に、その国の国家予算に占める医療費の割合を示していない。そして、医療費だけを問題にしているが、医療制度に言及していない。

私は、医療費は“高騰”するのは“あたりまえ”だと思っている。科学・医学の進歩が医療に適応されれば、ぶっちゃけた話、『元がかかってんだから、高いのは当たり前』って考えだ。

じゃ、高くなった分は、誰が払うのか?

この誰が払うのか?って事と、医療費が高騰するのは、別けて考えなくっちゃなら無い筈だ。疾患の性質を鑑み、自己負担率は変えてもいいんじゃないの?たとえば、風邪は5割負担とか!


ちなみに、日本の予算は約80兆円。その内訳は税収が約50兆円。残りは国債発行などの借金。

■日本の歳出金額を1,000円とした場合の予算内訳・・・(2005年度一般会計当初予算)
・健康や生活を守るための費用 248円
・国や地方の財政を調整するための費用 196円
・国債の返済や利子の支払い費用 224円
・道路、住宅の整備費用 92円
・教育や科学技術のための費用 70円
・防衛のための費用 59円
・その他 111円

社会保障・福祉予算
世界の社会保障・福祉予算の割合は、南米のウルグアイが先進国を抜いて第1位。手厚い福祉で有名なスウェーデンは約45%。国家予算の膨大なアメリカでも30%前後。日本は約25%。

なのだが、、、、

米国国家予算  2兆7,700億ドル(332兆4,000億円)
赤字額      4,230億ドル(50兆円)
財政赤字比率(対予算) 15%

米国の予算規模は330兆円を超え、日本の予算規模の4倍となっている。
その中で、財政赤字が50兆円。予算規模に対しては、15%である。

対して日本の場合は、、、、

日本国家予算  80兆円
赤字額      35兆円
財政赤字比率(対予算) 43%


・・・・・・・・・・(なんかしらんが、冷や汗)


国のインフラとして医療・福祉に回せる妥当な金額を導く為に、GDP よりも根拠として説得力がありそうな、国家予算の医療・福祉費の占める割合を引き合いに出して、諸外国と比べる事で答えを出そうとしても、そもそも、国によって予算額が違い、赤字比率も違い、インフラの整備度合いが違い、貧困層=低栄養で病気勝ちな人の人数やその構成比が違う為に、諸外国と比べる事に“意義・意味”があるのか?って感じてしまう。だって、ウルグアイが世界一の比率なんだぜ!!


どの国でも、医療・福祉費が一番の割合なのは、当たり前だ。健康に関心が無い人間はいない。けど、『健康保険料を払ってるんだから、損しない為に病院に行くんだよ』って考えの人がいなくならない限り、医療費目的で集められたお金で足りる事は無い。防ぐ手だてとしては、疾患ごとに自己負担率や免責額を導入するくらいしか思いつかないが・・・。

だったら、健康保険料なんて名目を辞めて、全部、消費税にしちゃえば良い。国のインフラとして医療を考えるのなら、その方が理解し易いし、勿体無いから病院に行くなんて考えにならないんじゃないのかなぁ。。。さらに、タバコにも消費税以外に健康税を課せば良い。健康を害する事ってものには、軒並み、消費する時点で課税する。逆に、健康に良いものや、良い事をする場合には、消費税の減額をするとか!


それに、医療費と質の問題にも言及されなければならないよね。医療費が高騰する道理が通っていなきゃ、『医療費高騰はあたりまえ!』なんて言えたもんじゃないからね。

日本では、他国では考えられないくらい、医師が雑用に追われている。医師に本来の仕事をさせないから、相対的な医師不足と医療費が高騰するっていう側面も考慮しなければならない。他の賃金が安い医療職に仕事を任せる方向にしなければ、医療の質を高めて高騰を防ぐ手段は無い。っていうか、日本には、まだ、その余地が残されているって事でもある。慢性疾患の処方箋の再使用制度(refill 処方箋)などは、速攻で導入すべきなのでは?その為の薬学部6年制なんだから。


さて、なんだかんだと、言っていたら、日本の医療費が高いのか安いのか?っていう問題を考える事は、実はナンセンスなのでは?って思えてきた。結局、自分達が供出しあった資金=税金で、出来る事をやるしかないって事なんだよな。

次世代にツケを回さない事が、大前提でね。そして、医療費を対GDP比で見ることに、意味は無くって、事情を知らない人を“丸め込む”為の単なる“物差し”でしかないと。で、これを根拠に、何かを声高に叫んでいる人は、“あやしいぃぃぞ”って事・・・かな。

政治・行政・経済のシロウトの薮ニラミでした。チャンチャン!

2007年01月30日

寄生虫感染と多発性硬化症

20070130_fight.jpg寄生虫と言えば、、、、そう、“東京医科歯科大学 藤田紘一郎教授”と言われるくらい色んな意味で有名だ。我が道を行くというスタイルに共感する人もいれば、変人(言い過ぎ)扱いしている人も居るみたいだし。自分で“蟯虫・蛔虫”を飲んでしまうのは、ピロリ菌のマーシャル教授みたいだけど、そういう行動が、後者のような人物評価に繋がっちゃうんだろうか。

でも、hygiene hypothsis (を否定する人が居なくなり、そろそろ“hypothsis(仮説)”という言葉は外しても良いんじゃないかと・・)を見てもわかる通り、人間の免疫系は、温存しておいてもろくな事が無い事だけは確かなようだ。

この“仮説”を補完するように、寄生虫感染が多発性硬化症(自己免疫が関一部与していると考えられている)の病態を改善するっていう報告が為された(引用は、このエントリーの最後に)ので、紹介する。


で、これって、何かに似ているなぁって思ってたんだけど、昨日お昼の休憩中にしていた何気ない会話と、今朝の『寄生虫感染と多発性硬化症』とが一緒になって、明治政府が行った廃藩置県後の武士階級がする事がなくなった状況に似ているって、ふと、気付いてしまった。

ようするに、国を守る職務は体を守る職務と同様、絶対に必要なんだけど、遊ばせておくと(職に就かせないと)ろくな事がないばかりか、いざと言う時役にも立たないって事。

つねに、臨戦体制でシミュレーションを行っていなくてはならないのだ。

hygiene hypothsis も蟯虫・蛔虫も来るべき時(来ないに越した事はない)に備えておく事の重要性を示している、と!


先日、クリムゾン・タイドという映画を見た。(テレビでやっていたので、何回か観ているが、面白い。)原子力潜水艦での軍事エピソードを描いた映画だ。

一見、はやまった軍事的先制攻撃を諌める内容で、ジーンハックマン演じる“艦長”とデンゼル・ワシントン演じる“副長”との間の軋轢を描いている。

状況はロシアでクーデターが発生。
二人が乗船する潜水艦にミッション。ロシアクーデター軍に核弾頭ミサイルの発射コードを入手され、そのミサイルに燃料注入が確認されたら、すぐさま原潜の核ミサイルをクーデター軍に占拠されてしまったロシアのミサイル発射基地にぶち込むっていう状況だ。

で、潜水艦に入電。『打て』と。
すったもんだの間に、外部からの無線受信が困難な状況にさらされる。その極直前に、発射中止とも取れる指令が・・・・(途中で途切れて内容も尻切れとんぼ、暗証コードも受信できていない)。

艦長『一旦発令された命令は、確実な命令取り消しがない遂行するのが軍人の務め、敵の作戦だったら、どうするのだ』
副長『しかし、もし本当に発射中止命令だったら、、、もしクーデター軍が鎮圧されていたら大変な事になる。潜水艦からの核ミサイル発射は、その確認が取れるまで待つべきだ』で対立する事に。

この対立だけを見ると、いわゆる“タカ派”と“ハト派”の対立にみえるが、、、

実は、副長は何の根拠もないしに、『確認をとってから』と言ったわけではない。
自分達の潜水艦の動きは衛星で軍参謀の司令室にキャッチされている。もし、我が艦からミサイルが発射されない事がキャッチできれば、後方に控える“バックアップ原潜”が代わりに敵の発射基地を叩いてくれる。だから、我々は最後の入電の内容を確認してから行動する事を選択すべきだと。

艦長は、さらに『そのバックアップが撃沈されていたらどうするのだ?』と言い、『だから、我々が、発射できる時に発射するのだ』というのだが、、、


一方が最悪の状況を迎える二者択一の状況下では、『結果論』は持ち出すべきではない。

当然の事だ。

この映画では、最後の入電は『クーデターを鎮圧した。ミサイル発射は中止』となるのだが、この結果をもって『それ見た事か!』というのは、早計で、現在の衛生状態の良すぎる環境や『除菌、除菌』とまくしたてるのを“善し”とする愚かさと同じだからだ。

この映画の艦長と副長との軋轢は、自分達の命が危険に曝される時には、躊躇なしに先制攻撃をするって事を否定しているわけではない。副長が確認を迫ったのは、“バックアップ”があるからこそなのだ。

もし、『もしもが都合の悪い方に転んでも、大した損害はない』って状況なら、『結果論』を持ち出して議論するのも“かまわない”が、被害が甚大な場合には、『もしも』は許されるべきではないし、『結果論』を持ち出すのは“詭弁”。

野党の連中が、憲法第9条改正に反対している理由は、まさにこれに該当する。

日本が核の脅威に曝されている現在、日本が自分達の身を守る事を進めないで、一体、どうするつもりなのか?アメリカが日本の“バックアップ”の機能を持つとでもいうのだろうか?北から発射されたら、日本海に打ち落とす術はないのに・・・。

幕末から明治初頭にかけて、日本が欧米列強の植民地にされそうになった状況にも似ている。その時も『植民地化されないかもしれない』という意見があったそうだ。結果は植民地にされなかったけど、その結果をもって『それ見た事か』と、今でも言う人ってのは、野党体質なんだろうね。

ロシアが日本を植民地化しようと出張ってきたのを撃退し、そういう考えに屈せずに、行動した人がいたから“植民地にされなった”のかもしれない。誰にもわからない。結果に理由を求めるのは、学問の上でやる事だ。政治には役立たないけど。
(人が人を殺すんだから、最良の選択なんてのは、最初から無い。あるのは、『どっちがマシか』だけだ。植民地化されないよう、日本を強くする為にアジアを侵略したのは、ベストじゃなく、ワーストじゃない方を選択をしただけ。)


しかし、よく、考えてみたら、この『結果論』を持ち出しても良い条件が一つだけある。

それは、人間が“共存共栄”できる生物だった場合だ。

いわゆる、純粋な社会主義・共産主義思想だよね。現実すれば理想的だ。でも、、、、、


人間の免疫系は、理想主義者ではなく、現実の地球環境に適応できるように進化してきている。その為、“敵”がイナイというロケーションは、設定されてないし、その状況に陥ると、機能制御が効かなくなる(無菌状態で飼育するマウスは直ぐ死んじゃう)。っていうか、地球上では利害が一致する事の方が例外。共生するのは、折り合いをつけてるだけ。

ばい菌に体を侵略されちゃう事は最悪の事態だから、『ほら、ばい菌がいないんだから、やらなくても良かった』って“結果論”は持ち出さないで頑張り続ける。でも、敵がいないから、自分を攻撃したり、しなくても良いことをやっちゃったり。。。。

だから、現在の環境でも、常に、仮想の敵(寄生虫や適度な不衛生)を相手に、本番へのシミュレーションを行う事が、機能を維持する為に必要なのだ。

hygiene hypothsis や『寄生虫と多発性硬化症』は、この事を教えてくれる。


人間は、争う事が宿命付けられた、地球上の生命の一種なのだ。悲しいけどね。『人間はこんなに戦争を繰り返してきたけど、何も学ばない。愚かだ』って言う人がいるけど、アレ、ナンセンス。まず、これを前提に物事は考えなければならない。医学にしても政治にしても。実践、実学とはそういうもんだ。奇麗事はアカデミックでやればいい。

寄生虫感染が多発性硬化症患者にベネフィットをもたらす可能性

提供:Medscape

多発性硬化症における寄生虫感染は、免疫反応を調節し、同疾患の自然経過を変更させることにより、患者にベネフィットをもたらす可能性があることが新規研究により示唆されている。

Caroline Cassels
Medscape Medical News


【1月24日】多発性硬化症(MS)における寄生虫感染は、免疫反応を調節し、同疾患の自然経過を変更させることにより、患者にベネフィットをもたらす可能性があることが新規研究により示唆されている。

腸内寄生虫に起因する好酸球増多を来たしたMS患者は、非感染MS患者と比べて、再燃の数が有意に少なく、障害度スコアの変化が極めて小さく、磁気共鳴画像(MRI)上での活動性が有意に低いことが、Raul Carrea Institute for Neurological Research(アルゼンチン、ブエノスアイレス)の研究者らにより認められた。

「寄生虫感染が免疫反応を変化させ、保護効果を与えることは、動物モデルでは既に認められている。しかし、MS患者でこのことが認められたのは今回が初めてである」と同研究の筆頭研究者であるJorge Correale, MDはMedscapeに述べている。

この研究は『Annals of Neurology』オンライン版に1月17日付けで発表された。


方法

この試験はプロスペクティブ(前向き)二重コホート試験で、定期的に追跡調査を受けたMS患者432例からなる大規模コホートの中から、臨床的に確実な再燃寛解型MSであり好酸球増多を来たしているとの診断を受けた患者12例を対象に実施されたものである。

患者は平均年齢34歳であり、総合障害度(EDSS)の平均スコアが2.8、平均罹患期間が7.3年であった。この研究には、対照被験者として、好酸球増多を来たしていない患者12例ならびに健常者12例も組み入れた。

患者には、3カ月ごとに、疾患活動性の身体的評価、EDSSスコア評価など、包括的神経学的検査を実施した。

脳MRI検査を6カ月ごとに実施する一方、研究の最後の12-18カ月間には免疫学的評価を行った。追跡調査の平均期間は4.6年であった。


顕著な対比

この研究期間中に、感染MS群では3件の臨床的再燃が発生し、9例は臨床的に未変化のままであった。これとは対照的に、非感染群では56件の再燃が認められた。年間再燃率の中央値は感染MS群では0、非感染群では1.09であった。

さらに、EDSSスコアに変化が見られたのは、感染患者では2例のみであり、それらの変化は「最小」に分類され、持続期間は3カ月未満であった。残りの感染患者10例はEDSSスコアに変化はなかった。一方、非感染患者では、試験終了時点において、12例中11例がベースラインのEDSSから総合的に増加を示した。

さらに、MRIのT2強調画像において、新規病巣または拡大病巣の有無を調べた。感染MS患者において、14個の新規病巣または拡大病巣がT2強調画像上で検出された。しかし、6例では、全研究期間を通じてスキャンに変化は認められなかった。

これとは著しく対照的なことに、非感性MS患者では、新規病巣または拡大病巣がMRIのT2強調画像上で164個認められた。さらに、認められた再燃は、感染群ではわずか3件であったのに対して、非感染群では48件であった。


疾患の無進行

腸内寄生虫感染患者における疾患の無進行は、自己免疫疾患の特徴である炎症性反応を抑制する寄生虫の能力による可能性が高い、とCorreale博士は述べている。

具体的に言えば、MSはTh1細胞が介在する疾患である、とCorreale博士は話している。Th1細胞は前炎症性サイトカイン、具体的にはγインターフェロンを産生する。これはMSに関与する主要なサイトカインである。寄生虫に感染すると、患者には3種類の細胞群が発現する。インターロイキン10を産生するTh1細胞、トランスフォーミング増殖因子-β(TGF-β)を産生するTh3細胞、そしてTh1細胞を調整し、特にγインターフェロンの産生と増殖を妨げるCD4+CD25+T細胞群である。

この論文において、著者らは、寄生虫は長期間にわたり免疫担当細胞(immune-competent host)を阻害する可能性があると指摘している。実際に、これらの患者はほぼ5年間にわたり感染しており、症状はあったとしてもわずかであった。寄生虫は、自らの生存を確保するために、強力な抗炎症性作用を引き起こす分子を産生している可能性がある。


次の段階

中南米諸国におけるMSの有病率は欧州や米国よりはるかに低い、とCorreale博士は指摘している。中南米諸国における寄生虫感染の高有病率は、MS患者を保護し、同疾患の有病率を低下させているひとつの環境因子の可能性がある、とCorreale博士は述べている。

研究の次の段階は、より大きな患者集団を対象に、盲検法を用い、追跡調査期間を長くして、これらの知見の再現を試みることである、とCorreale博士は述べている

しかし、より長期の研究の目的は、免疫反応の調節に関与する寄生虫が産生した各分子を分離し、最終的にはその治療効果を検討することが焦点となるだろうとCorreale博士は述べている。

Ann Neurol. 2007; published online January 17, 2007.

Medscape Medical News 2007. (C) 2007 Medscape

2007年01月31日

メッカ巡礼でインフルエンザ流行を懸念

20070131_black_joke2.jpg『あるある大辞典』事件が、ある意味、マスコミ業界の試金石になってしまったようだ。

そして、マスコミは、以下の二つを別物だと認識していることも明らかになった。

1.嘘をつく事
2.事実だが、その“全て”を意図的に伝えない為、視聴者が誤解して、結果的に“嘘をつく事”とおなじ事になる事

私は、両方とも同じ“嘘”だって思うんだけど、マスコミは区別しているらしい。

それが証拠に、本日のみのもんた(だったかな?)では、“消費者力”なる言葉を作り出し、『騙されないために』と、天に向かってつばを吐くようなことをやっている。勘違いする方が“悪い”と言いたいのだろう。


笑止千万

マスコミは、どうあがいても“マスゴミ”以外には成り得ないようだな。

『デマが多い』と、始めから認識されている“ネット”での情報の方が遥かに“玉”が多いと言う事だろう。玉石混交とはネットにこそふさわしい?(誉めているんだよ)言葉なり。

今のマスコミは“石”を“玉”に勘違いさせる事しかやっておらず、本物の“玉”は存在せず!(インターネットに顧客を奪われそうで、必死なのはわかるけど・・・)

その中で、かろうじて“マシ”なのは NHK ってことなんだろう。

事実だけを伝えていれば良い筈の新聞各社は、その事実に自分の解釈を織り込んだりして、まったく話にならない。(一介の記者や編集者が作った文章が、“新聞”というメディアを通して発表されると、それを金科玉条のように感じてしまう、アホな国民にも大いに問題アリなのだが・・・。)


ところで、、、

安倍首相の「美しい国」、野党のやり玉に 参院代表質問

朝日新聞  2007年1月30日(火)19:36

 衆参両院で30日に行われた代表質問で、野党各党は、安倍首相のキャッチフレーズである「美しい国」を持ち出し、安倍政権を批判した。

 民主党の輿石東参院議員会長は、首相の著書「美しい国へ」に「ここ一番、国家・国民のためとあれば、批判を恐れず行動する『闘う政治家』でありたい」との趣旨を記していることに「拍手を送りたい」と褒め上げた。そのうえで、郵政離党組の自民党復党を持ち出し、「小泉改革の旗は受け継ぎたいが、改革に反対した伝統的な支持層の票も戻ってきてほしい。どっちつかずの態度だ」と批判した。

 これに対し、首相は「いかなる政治にも批判はつきまとう。たじろぐことなく、今後とも信念を貫く」と切り返した。

 このほか、共産党の志位委員長は、閣僚らの政治とカネをめぐる問題などを挙げ、「『美しい国』どころか『醜い政治』が国民から指弾されている」と指摘。社民党の辻元清美政審会長代理も、柳沢厚生労働相の「女性は子供を産む機械」との発言について「欧米では罷免だ。早くしないと、国際的に恥だ。これが美しい国づくり内閣か」と皮肉った。

 7月の参院選に向けて与野党の対決姿勢は強まるだけに、「美しい国」はますますやり玉に挙げられそうだ。

安倍首相の『美しい国』って、これに対して『なんだかんだ』と難癖つけてる人って、日本を美しい国にしたくないのだろうか?

『美しいって具体的に何だよ』とか言う感覚って、まるで子供じゃない?『美しい』の定義なんてするもんじゃないよ!誰だって、美しいって言葉にイメージがあるだろうに?

それを期待して、尚且つ、協力しようと心がけてりゃ良いんだよ。そして、その結果が自分達の思い描いていたものと違ってたら、首相から引きずりおろせばいい。

まだ、首相になってわずかな間だ。結果を出せるわけが無い。

自分の職場で『何か結果を出せ』って言われて、この程度の期間で、みんな“結果”を出せるのかねぇ?私には無理だ(きっぱり)。私一人が変わるのならこれくらいの期間でもOKだが、職場全体となると・・・・。文句を言ってる人って、それが出来る人なんだろうね!

そして、最大の“問題点”がココ!この記事の最後の行。
『7月の参院選に向けて与野党の対決姿勢は強まるだけに、「美しい国」はますますやり玉に挙げられそうだ。』

・・・・さすが、朝日新聞としか言い様が無い。さらりと、言ってのけてる。この辺はサスガ!

「美しい国」がやり玉に挙げ易いように“誘導”しているの、自分ジャン!国民の自主的な意見であり行動だとの工作してるんだろうけど、バレバレ!笑っちゃう。

野党は難癖つけるのが仕事だから、国民に分かり易い所を狙っただけの事なんだろうからね。その国民は新聞読んで「美しい国」に難癖つければ良いのかぁって、誘導されてるんじゃないの?

そして、ニュースすら恣意的なものになったのも、朝日の功績!

娯楽とニュースの境目を無くした劣悪番組、久米宏のニュースステーションあたりから、ニュースにも視聴率を持ち込むようになったんだよね。そして、そこで、さらりと“洗脳”していたのもバレバレだよ。

今朝、日本テレビの辛坊さんが言っていたのも、痛烈な批判だよな。『あるある大辞典は、情報番組じゃなくって、娯楽番組だったんだよ』みたいな事。情報やニュースと娯楽は、一線を引くべきだ。ニュースステーションはニュース番組じゃなくってバラエティなんだけど、勘違いしている人は多い。その誤解を利用しているんだよ。(爆笑問題とかいうお笑いのバカみたいな奴に、政治番組もどきをやらせるなっての!勘違いする国民がいるんだから。これは、朝日じゃねぇか?ゴメン。たけしの番組は、はっきりお笑いだからイイケドさぁ。)


『美しい国にしよう』って事自体に問題があるなら、『醜い国にしよう』の方がいいのか?『醜い国にしよう』なら、公約は簡単に実現できそうだよな!最近起きてる事件なんかを見てると、酷いもんねぇ!

公約が実現出来そう、そして、実現できたって事で評価するなら、『醜い国にしよう』で実現できたら、首相を評価するのか??

基本理念を評価するのと、それを実現できるかどうかを評価するの“混同”しているんだよな、朝日新聞。それとも、意図的にごちゃ混ぜにしているのか?

本物の馬鹿の集まりなのか?朝日新聞?

いや、絶対、馬鹿じゃないよな、朝日新聞。ミスリードを狙ってるんだよ!そして、酷い世の中になったら救世主を気取りたいんだよ!新興宗教の世紀末思想と同じだ。

結果論を持ち出しての反体制、揚げ足取、弱者の味方、正義の味方気取りばかりを続けてきたから、おかくしなっちゃったんだろう。

可哀相なのは、そこで働くまともな社員だ。でも、洗脳されていくんだうろし、洗脳されなきゃ、社内で偉くなれない・・・・。


日本のマスコミを業界自らが良くしたいなら、業界は各社、人的流通を流動的にすべし!

朝日で3年やったら、同じ年数他社に出向。それを相互に行い合う。少なくても社員の50%はそうしてもらいたい。社是がいかに“井の中の蛙”になっているかを知るには一番だと思うんだけど!(やる気がありゃ、不可能なんて無いでしょ!製薬団体は MR 認定試験とかやってるよ!業界全体としてね。新聞記者試験とか作ればいいんだよな。教師の免許を更新制にすべしとか言う前にさ!)

そして、マスコミ全体が、こんな目で見られている事を払拭したいなら真剣に考えた方が良いと思うよ!


さてさて、マスコミへの“お怒り”はこれくらいにして、マスコミにしか出来ない“取材”を当てにするしかないんだけど、この辺を“その人達の意識”も含めて、詳しく知りたいなぁて思っている事が、これ。
(本当に、日本に居ながらにして、こんな事を知る事が出来るのは、マスコミのおかげなのだ。だから、是非、事実をバランスを欠くことなく、ありのままに伝えて欲しいと思うわけだ。叱咤激励と捉えてもらえれば、嬉しいのだが・・・、無理だろうなぁ・・やっぱり。。。苦笑)

メッカ巡礼でインフルエンザ流行を懸念

〔ニューヨーク〕 エディンバラ大学(英エディンバラ)のAziz Sheikh博士らは、毎年のサウジアラビアの聖地メッカとメジナへの巡礼における混雑によりインフルエンザの世界的な流行が発生しうると、BMJ(2006; 333: 1182-1183)に発表した。


巡礼時の混雑や接近が問題

 メッカとメジナへの年に一度行われる巡礼には、毎年140か国から約200万人のイスラム教徒が訪れているが、その間に数百人が死亡または重傷を負っている。このため、疾患の感染予防のため、既にこの巡礼期間にサウジアラビアに入国する際の要件が課せられており、例えば入国するすべての人に対して、 10日以上 3 年以内に髄膜炎菌三価ワクチンの接種を課している。また、15歳以下の小児の場合、ポリオ予防接種を受けた証明が必要である。

 それに加えて、間もなく巡礼者がインフルエンザ予防接種を受けたという証明も新たな要件となるかもしれない。

 Sheikh博士ら英国とサウジアラビアの研究者らは、1 月末に始まる年 1 回のメッカ巡礼で当該地域が混雑し、互いに接近することにより、懸念されるインフルエンザの世界的流行が発生しうるとの警報を発した。

 同博士らは「メッカから戻った巡礼者のインフルエンザ感染率とキャリア率が高いことを強調した最近の研究は、世界的な流行リスクを最小化するための国際的な戦略の必要性を強調している」と述べている。


宗教的理由からマスクは禁止

 Sheikh博士らは「サウジアラビアの保健省がインフルエンザ感染の蔓延を防止するためにマスクの使用を推奨したが、これは良好な解決案でない」と指摘。その理由は「多くのイスラム教徒は、メッカ巡礼中に顔を隠すことは禁止されていると考えている」からである。また、このようなマスクは、有効性を保つには頻繁に交換する必要がある。

 同博士らは「現在のところ、サウジアラビア当局はメッカ巡礼に訪れる者のうち既存の呼吸障害のある高リスク者を対象としたインフルエンザ予防接種を推奨しているが、残念ながら、このような状態の患者の検査は必ずしも容易に実施できない」と述べている。また、新しく出現するインフルエンザ株の同定を目的とするウイルスサーベイランス研究が必要とされているが、このようなサーベイランスを行っている研究センターは世界100か所にあるもののサウジアラビアにはない。

 さらに、同博士らは「世界保健機関は世界的流行に対する予防戦略をいまだ策定中である」と指摘。また、世界中のイスラム教徒は皆、少なくとも一生に一度はメッカに巡礼することが求められているため、この点に関して緊密にサウジアラビア当局と連携し、緊急に取り組む必要があると強調している。


メッカとメジナへ巡礼で訪れるイスラム教徒達の感染症に対する知識というのは、幾ばくなのか?

それは、その国の教育環境の問題なのか?教育が受けられないからなのか?

それとも巡礼と感染症に対する予防と言うのは、天秤にかけるものとして教育されているからなのか?

感染症は流行を防ぐ為、予防が大切と言う事を、さらに、自分が感染者になったら、人にうつさないようにする事が大切(マナー?)だということを知っているのか?知らないのか?

世界的な H5N1 ウイルス対策が、ザルになりかねない。こういった人の教育?をどのようにしようと思っているのか?イスラム社会は?


日本で、恐怖を煽り立てるばかりでなく、このような事もバランス良く伝えて欲しいなぁと思った成り行きのエントリーでした。

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