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2009年01月 アーカイブ

2009年01月06日

PML-RAR と p21 の接点

20090106_Mandelbrot.jpg哺乳類の造血幹細胞は、その一生の間に行う複製の回数がおよそ80~200回くらいに限られているのに対し、白血病幹細胞は、ほとんど無限の自己複製能を維持しているようにみえる。

それを実現しているのが、p21 だったと、Nature vol.457 (7225), (Jan 2009) に投稿されていた。

APL すなわち急性前骨髄球性白血病では、染色体転座t(15;17)の結果、PML-RAR という“非生理的”な分化を担う受容体が形成される。生理的な分化を担う RAR に PML がくっ付くことで、どうして“がん化”するのか知りたい人は、まめ知識 No:465【細胞機能のエピジェネティックな制御】あたりを参照

この PML-RAR が p21 の発現レベルを上昇させることが、白血病の幹細胞が無限に分裂できることを支えているというのだ。
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はっきりいって、青天の霹靂だ。最近では、生命現象ってのは整然となんかしてなくって、まるっきり混沌だと認識するようになったから、ちょっとのことじゃ驚かないんだけど・・・、これは、私の中での p21 の働きが、まるっきり“逆”っていうか、、、いや、逆じゃなくって、その結果が、私がイメージしてきたところの“逆”であって・・・・・(p53 の立場は。。。)。

細胞:がん幹細胞の自己複製

Nature vol.457 (7225), (Jan 2009)

哺乳類の造血幹細胞は、その一生の間に行う複製の回数がおよそ80〜200回くらいに限られているのに対し、白血病幹細胞は、ほとんど無限の自己複製能を維持しているようにみえる。

この大きな違いがどこから生じるのかを解明する手がかりが得られた。

白血病幹細胞の自己複製に、細胞周期阻害因子であるp21が必要であることが発見されたのである。

PML-RARがん遺伝子は、急性前骨髄球性白血病の患者のほとんどで活性化されている。

マウスモデルを使った実験で、造血幹細胞でのPML-RARの発現がp21の発現レベルを上昇させ、それが細胞周期の停止やDNA修復につながることが示された。

このことにより、静止期の白血病幹細胞のプールが維持されて、過剰な増殖による枯渇が防がれる。

p21が存在しないと、白血病関連がん遺伝子による白血病誘発開始や維持が起こらなくなる。

この研究は、p21が、静止期のがん幹細胞の根絶に基づく抗がん治療の標的候補であることを明らかにしたものだ。


Articles p.51


p21 が機能すれば、CDK が抑制される。CDK が抑制されれば、Rb はリン酸化されない。Rb がリン酸化されなきゃ、E2F が遊離されない。だから、S期に必要な遺伝子群の転写が開始されない。

ってことで、p21 は私の中では“がん抑制”、簡単に言えば“正義の味方”のイメージだったんだけど、同じ仕組みで、白血病の(幹細胞の)維持を支えていたなんて。。。

正義の味方が、実は、裏で悪いこともやっていた・・・・・・。でも、人の世を見ても、絶対の正義なんてものは存在しなくて、すべて二面性を持っていることを考えれば、当然のことなのかもしれないけど。


しかし、視点を変えれば、がん化=不死(不老かどうかは私にはわからない)なわけで、都合の良い“不死”は歓迎されて、都合の悪い“不死”は忌避される。


ということは、そもそも、言葉の定義の問題なわけだ。


固形癌と血液のがんを十把一絡げで取り扱うから、イメージが先行しちゃう。がんを十把一絡げで取り扱う時代は、終わったのだろう。

p21 をターゲットにしたら(この APL の場合は抑制するんだろう)別の癌にとっては住み心地の良い世界を提供することになりそうだから、“がん”と名の付く病気は別の名前にして末尾に“がん”と付けないようにすることから、始まるのかもしれない。

そういう意識改革を、この論文は迫っているのかも。今年を占うのに最適?!(かなり藪睨みだなっ!)


地球を一人の人間になぞらえれば、あっちを立てればこっちが立たず。イスラエルをなだめすかしても、ハマスが武装を維持している間は、こっちだって・・・・・。人間が“がん”って呼んでる状態だって、白黒はっきりしない。

なんか、マンデルブロ集合のフラクタル図形を見ているみたいだよね。自然現象ってそういうものなのかも。

いい人であることの御利益

20090106_GAY_TEST.jpgこの論文は、裏を返せば、(社会的)弱者が自分達に良い評判(正当性や権利を主張すること)を得ようとすればするほど、逆に、庇護してもらえなくなる事を示している。


今朝の読売新聞には、また、マスコミの悪い癖のような一言が。【派遣村、まじめに働こうという人なのか?と坂本総務政務官】の記事の中で、最後に「反発は必至」みたいな事を書いている。お約束で民主党は「坂本氏への辞任要求も視野に、発言の責任を追及する」ってことで。

案の定、【坂本総務政務官が“派遣村発言”を撤回・謝罪】だとさ。

だけど、マスコミや弱者の味方=民主党が頑張れば頑張るほど、具体的には、失業者が失業した理由を自分に省みず、他人や会社や国の施策ばかりに転嫁することを叫び、それに“同情”という演出を加えて放映する姿勢、政治家の場合は彼らの救うことが人道的にも道義的にも人の道だと言わんばかりの発言を繰り返すことをすると、国民は“利他的な行動・思考”をしなくなるのだ。

苦境に対し、我慢して、じっと堪えて、『自業自得でございました』と健気に振舞う行動にこそ、“利他的な行動・思考”を引導するっていうのにである。

「反発は必至」の主語は“国民”ではないんだよね。

行動進化学:いい人であることの御利益

Nature vol.457 (7225), (Jan 2009)

人間社会では、非協力者が悪い評判を得る場合に、利他行動が進化する。

しかし、非協力者に懲罰を与え続けることは、どこまで賢明といえるのだろうか。

それは、懲罰が与える側にも、与えられる側にもコストのかかるものだからである。

大槻久(東京工業大学およびPRESTO)たちは、全員が他者間の相互作用を観察し、さまざまな社会規範に従って他者の評判を定めるというゲーム理論モデルを用いて、懲罰が有利に働く状況を探った。

コストを伴う懲罰は協力の進化を促進する場合があるものの、それは狭いパラメーター領域下でのみ起こることがわかった。

間接互恵性は効率がより高くなるように進化するので、コストを伴う懲罰は非効率なものと考えられる。


Letters to Nature p.79

News and Views p.39


マスコミがこれを知ってて、弱者を弱者のままでいさせたいのなら、この方針は変えることはないだろう。っていうか、マスコミや政治家にとって、正義の味方であり続けるには、弱者が必要なんだからね。ただ、弱者と呼ばれている当人たちが、国民全ても含めて、自分達に同情してくれていると思っているところが、大きな勘違いなんだよね!

それが証拠に、巷のおばちゃんたちの声。
「なぁに、あの失業者たち。ハケンなんかでチャラチャラしちゃって、ざまあみろだわよね」
「めぐんでもらうのに、なに、いばってんのよ」
「正直に生きてきたひとたちが、すくわれるわね」


電車の中や、レストラン、街の休憩施設などで耳にした声だ。当たり前である。いい人面するのに、コストがかかるわけだし、その出所は、働いている人の税金だ。


政治家達は、国民の感情を逆撫でるほどの援助はしない。でも、するポーズは見せ続けるのだ。

何故、ポーズだけなのかと言うと、弱者を維持するためと、手厚い援助をしまくれば、テレビの街頭取材でマイクを向けられれば“玉虫色の言葉”を発するおばちゃんたちも、本音が噴出しかねないからだ。(そういうのは、放送しないんだろうけど、選挙では負ける)


ちょっと前の日本では、夏の間、遊んでいたキリギリスは冬になると死んでしまうことになっていた。

今は、アリが温かく迎え入れるというような話に変化している。


こういうのって、『周りが無情なら、俺が・・・』っていう感情を育むものなんじゃないのかなぁ。いわゆる“男気”“父性本能”みたいな。

それが、正義の味方の振りしてる奴等が先回りして、『彼らを救うことが、正義であり、人道的な行為だ』ってやっちゃうから、まわりはしらけちゃうわけだ。


---別に、俺がやんなくてもいいよな---


話は飛躍しちゃうけど、現代の日本って、男の脳が女性化しているって感じる。

ファッション・モデルと BMI』で考察したような女性の行動に、今の男の行動がダブルのだ。

当然、男が男じゃなくなるから“子供が生まれない”訳だし。これが良いのか悪いのかの判断は、私にはわからないけど、変化している事だけは確かだ。

それが、マスコミや政治家の姿勢が原因なのか、はたまた、環境中の化学物質暴露が原因なのか、メタゲノムの影響、すなわち、マイクロビオームの変化によるものなのか・・・・・。
 
 
 
本日は、エントリー2本立て!今年もこのノリで、やわな偽善者どもの関節を『ヒーヒー』言わせてあげるつもりですので、よろしく~っ。(誰もヒーヒー言ってないかっ?)

2009年01月17日

体験から学ぶ

20090117_michelangelo.jpgNature vol.457 (7227), (Jan 2009) に面白い論文が掲載されている。

『ある出来事に遭遇した場合の脳の適応能力が、以前に似た体験をしているとよくなることは誰もが知っているが、、、、』って事の仕組みがわかりかけてるよ!って内容なのだが。。。。

これって“適応能力”を“反応”って言葉に変えれば、巷で流行っている言葉“トラウマ”も説明出来そうだよね?!

片方は人間にとって好ましいもの、片や、人間にとっては好ましくないものだ。

結局、自然現象(人間の行動をマクロな視点で観察した場合も含めて)を、自分に都合の良いものだけ選別するって、非常に難しいってことの証明のように感じたんだけど。。。

脳:体験から学ぶ

Nature vol.457 (7227), (Jan 2009)

ある出来事に遭遇した場合の脳の適応能力が、以前に似た体験をしているとよくなることは誰もが知っているが、最初の体験が神経回路の中でどのように表現されるのか、またそれが再学習にどう寄与するのかは、よくわかっていない。

マウスの一方の眼を一時的に閉じるというモデルは、こうした問題を研究できる系の1つである。

新しい体験(片眼視)は、視覚皮質にある神経細胞の樹状突起棘の成長を促す。

Hoferたちは、片眼視と両眼視の時期を交互に導入して、その後の神経細胞の形態を数日間追跡し、体験によって起こる構造的変化動態を記録した。

その結果、長く持続する樹状突起棘の密度が片眼遮断に応答して増加し、体験終了後も突起棘は増えたままになることがわかった。

しかし、2回目の遮断では、さらなる棘密度増加が引き起こされなかった。

したがって、最初の体験が構造に「痕跡」を残し、それがさらなる刺激に応じて使われると考えられる。

Letters to Nature p.313


お正月休みの最終日、ぶらりと出かけた本屋さんで『坂の上の雲』を見つけた。今年の年末から3年にわたって放送されるNHKの“超大作”ドラマの原作なのだそうだ。

私は、ほとんどテレビを見ないのだが、海外のドラマは良く見ている。『24』『プリズンブレイク』『ヒーローズ』『CSI』などなど。つい先日は『ローマ』を見終わったところだ。

だから、“超大作”ドラマって言葉には弱い。というわけで、ドラマを楽しむための下準備として原作を読んどきましょ!って、買ってみたのだ。


出だしから快調に面白いのだが、第2巻に入って、ちょっと“心にもやもやする感じ”が沸いてきてしまった。

具体的には、日清戦争前、伊藤博文が派兵“一旅団”を承認したあたりからだ。小説では軍部の参謀が“一旅団”の人数をごまかす事が、“悪い”事として描いている。(著者の持論なのだろうが、戦争を賛美する感情を減衰させる効果狙ったにせよ、読み物的にもちょっと五月蝿い感じがした)

私は“いち小説家”の価値観をどうのこうのと言うつもりは全くない。面白い小説を世に送り出すのが、作家の仕事なんだから。けれど、この考え方を“正当”と捉えてしまう“単純な読者”がいるであろうことは、人気作家なれば配慮してほいしところだ・・・(小説ごとに、とちらかに偏らせた作品を書き、後は読者の判断に任せるって事で。でも、もしかしたら、殆どの小説家が作品に持論を展開しない中で、この作者の作風が人気の秘密なのかも知れんが)。


そういう描写は、言葉にはなっていないが、私が感じるところ『文民は軍事作戦にも口を出すのが当たり前』ってことになると思う。

要するに、この辺の価値観が、例えば、田母神論文を『シビリアンコントロールを揺るがす行為だ』とかなんとか言ってる根拠になっているのでは?

シビリアンコントロールって、ただ一点、問題解決に武力を使うかどうかの決定権の事なんじゃないの?ならば、日本じゃ“やる・やらない”を軍人が決定するわけじゃないんだから、シビリアンコントロールは揺らいじゃいない。


企業に例えれば、そのプロジェクトを進めるかどうかの判断は“社長”“役員会”がするけど、具体的な“開発や戦略”は現場の研究者や技術者に任せるのが当然だよね。

やるって決めた後、シロウト“社長や役員”が口を出しても良い結果なんて出るわきゃない。

その前に、『やるかやらないか』を“さんざん議論して”て決めるんだから、口を出すって事は、その判断に自信が無い証拠になっちゃうってもんだ。


ましてや、外交。お互い、手の内を晒しながらやりあうなんて事はしない。

武力を行使する前までに、考えうる限りのオプションを展開する。最後が武力だ。そうなれば、勝つ事が目的になる。

武力を小出しにして威嚇することを、文民のコントロールなんて言うようでは、北朝鮮のやり方を肯定するようなもんじゃないの?伊藤博文が『派兵について小数ならOKだけど、それじゃ数が多すぎる』って描いていることが事実だとしたら、ちょっとマズイんじゃないのかなぁ。陸・海軍大臣は議会に縛られるけど、参謀は天皇の直属だから・・・なんてどうでもいいけど、トップが最終的に判断したら、後は専門家に任せろってぇ~の。


そんなこんなで、具体的なもやもやなんだけど、、、日本では研究者や技術者が正当に評価されない事が、トップや周辺のシロウトがいつでも口を出せる仕組みを“善し”としていることにあるんじゃないのかと。。。

ここに繋がるから、ちょっと“心にもやもやする感じ”なのだ。彼らに潜在的に存在する“専門家(スペシャリスト)”を軽んじる風潮、総合職(ジェネラリスト)が、一段上で仕事をしているっていう認識、、、、


突発的に生じたテロへの対応に、大統領自らがF16戦闘機からのミサイル発射の指示を出すシーンなどが『24』では描かれている。こんな場合には、一発のミサイルが、その後、どのような展開を招くのかわからないから、いちいち、大統領の判断が必要だろう。

しかし、例えば、日本では中東に於ける後方支援を行うことに決定するまでには、十分、議論を重ねることが出来るはずだ。遊びに行く場所じゃない。命の危険がある場所に行くのだ。後方支援はやるけれど、銃弾は使っちゃダメってのは、シロウトが研究に口を出すのと同じなんじゃないの??

銃弾を一切使わせないためには、『行っちゃダメ』にしなきゃならない。

行かせるんなら、『責任は俺が取るから、現場での指揮は任せた』ってやらなきゃ。


せめてもの救いは、年末の“朝まで生テレビ”、田母神論文反対派が論陣をはったのだが、電話アンケートでは6割を超える人が田母神論文に賛成だと。(ヤッパ生がいいよねぇ・・・・、あっ?ちょっとエッチ??)

さらに言うなら、大衆は、なんとなく知っているのだ。ナショナリズムなんて言葉を使って、戦争の是非を問おうとする事への違和感を。

そうなのだ。集団には、色々な個性を持った個体が存在する。全体の利益となる協調行動への参加者より、利益だけを受け取る不参加者の方が得になる時に、何故ある種の協調的行動が持続するのかと言うことを。

残念なのは、著者が人が生物として繁栄するためには(価値観においても)多様性が生まれることが必須で、国の為に犠牲になるという行為が、悪意の満ちた洗脳集団(暴走した軍部)による結果ではなく、生物の“集団としての本能”だということを知らなかったことだ。

下記の引用論文にもあるように、このような行動原理は、まだ、解明できたわけではない。だけど、解明できてなくても、人間はなんとなく感じるのだろう。うまく言葉に出来ないことでもね。

戦争への突入などという、ある種、集団ヒステリーのような心理状態を、どう説明して良いのかわからなかった時、ナショナリズムと言う言葉で切れ味良く説明されれば、溜飲を下げてしまうのも無理は無いのだが・・・・・・。

逆説的な生産者(Paradoxical Producers)

Science January 9 2009, Vol.323

全体の利益となる協調行動への参加者より、利益だけを受け取る不参加者の方が得になる時に、何故ある種の協調的行動が持続するのかは不明である。

合成細菌系(生産系と非生産系の二つの大腸菌系統)の研究から、Chuangたち(p.272)は、集団中の構造的不均一により生産者が局所的に不利益をこうむる可能性があるが、全集団を通して見れば生産者は選択優位性を持つということを主張している。

この研究は、自然母集団のパラメーターがどのようにもつれ合っているのか、そして何ゆえに統計的な結果が曖昧となったり、誤解を導くのかを示している。

Simpson's Paradox in a Synthetic Microbial System
p. 272-275.


生物としての人間の環境(エコロジーの事じゃないよ)への対応は、大脳皮質で考えているようだけど、極限に置かれた時に、名案!と膝を打つような対応は、見方を変えれば、“悪”と評されるのと表裏一体なのは仕方の無いことだ。

人間は、善と悪のそれぞれに、別々の神経回路を使っているわけじゃないんだからね。
 
 
 
さて、“心にもやもやする感じ”はあるものの、『坂の上の雲』は非常に面白い。今まで、司馬遼太郎氏の小説は読んだことが無かったので、この“淡々”とした描写が新鮮だし。

また、機会があれば、べつの作品も読んでみたいぞっ。

2009年01月19日

ニコチン依存症と自閉症に同一蛋白質が関与

20090119_smoking.jpg自分の周りに関心が無い事を“自閉症”の特徴(だから周りとコミュニケーションする言葉を覚えない)とすれば、その対極が、ニコチン依存症・・・・・。

なんか、色々と想像しちゃうよね。

お仕事ブログと同じ書き出しで、こっちで“藪睨み”を利かせる事にする・・・・・。

最初に断っておきますが、私は自閉症に対するネガティブな印象は持ってません。また、偏見もありません。。。。が、ネタにすること自体が気に障る方がいらっしゃるかもしれません。そんな方は、以降を読まない事を願います。

〔米オハイオ州クリーブランド〕オハイオ州立大学(OSU、コロンバス)薬理学科のRene Anand准教授らは、2種類の脳内蛋白質がニコチン依存症と自閉症に関連しているという知見から、ニコチン依存症の緩和に有効な薬剤が自閉症患者にも役立つ可能性が示唆されたとワシントンで開催された米国神経科学会(SfN)の年次集会で報告した。


■コリン作動薬の使用が可能か

 研究主任のAnand准教授は「ニコチン依存症と自閉症の双方にβニューレキシン-1蛋白質が関与しているが、同蛋白質は特定のニコチン性アセチルコリン受容体をシナプスへと誘導してニューロン間と全身への信号伝達を助ける役割を果たしていることがわかった」と報告した。

 同准教授は「過去の研究から、自閉症患者では脳内のニコチン性アセチルコリン受容体が不足しているが、ニコチン依存症患者ではこの受容体が過剰に発現していることが示されている」と説明。「今回の結果から、ヒトの発達過程の初期にニコチン様物質を使用すれば、これに関係する脳回路の適切な発達が助けられ、自閉症に伴う異常を大幅に軽減することが可能ではないかと推測される」としている。

 この方法では自閉症の完全治癒には至らないが、同准教授によれば、現時点では自閉症の根本原因に対処する薬剤が全く存在していないため、ある程度の助けにはなるとしている。

 同准教授らは、コリン作動薬の使用を検討しており、同薬を小児向けに改変すれば自閉症児の脳内βニューレキシン-1蛋白質の濃度を増加させることが可能ではないかと見ている。

 同准教授は「ニューレキシン濃度が上昇すると、ニコチン性アセチルコリン受容体が増加するだけでなく、シナプスの正常な形成と成熟に重要なその他の蛋白質も増加する。自閉症患者と喫煙者には逆の問題が存在しているようだ。つまり自閉症患者では同受容体が欠如しており、そのためにニューレキシン濃度が低下しているようだ」と指摘している。

 さらに「ニューレキシンによる神経細胞内のニコチン性アセチルコリン受容体の誘導を変化させる薬剤をたばこ依存の抑制に使用することが可能かもしれない。今回の知見は自閉症だけでなく、ニコチン依存症においても有意義なものとなった」と述べている。

 今回の研究はOSU、ルイジアナ州立大学(LSU、ルイジアナ州バトンルージュ)、ペンシルベニア大学(ペンシルベニア州フィラデルフィア)と共同で行われた。


さて、ニコチン性アセチルコリン受容体が少ないと、周囲への関心が薄れるとすれば、これが多ければ、周囲への関心は高まる・・・・・・。

周囲への関心は高まる・・・・この言葉で思いつくのが、まず、回りに対する“気配り”。


自閉症やアスペルガー症候群の特徴は、周りに関心が無いこと・・・・、男の脳の特徴を際立たせたもの・・・・・なんて講釈を垂れているサイトも見かける。私も大いに納得するところがある。

女性の自閉症やアスペルガー症候群は男に比べて少ない。。。。

軽い自閉症やアスペルガー症候群では、天才を輩出することが多い。内に篭って研究に没頭するからかも。似たような理屈で、“おたく”は圧倒的に男が多い。


女性は周りに対する“気配り”にかけては、男性より秀でている事に異論のある人はいないだろう。

---じゃ、女性の方がニコチン依存症になりやすい??

ニコチン依存症に“なる or ならない”を単純にニコチン性アセチルコリン受容体の多寡に求めることは意味は無い。喫煙という行為は、文化的側面が多分にあるからだ。古では『おんなこどもには勿体無い』とか・・・・・。最近では美容面から・・・・・。


そこから導き出されるのが、男社会において、良好なコミュニケーションを取るために、喫煙の習慣が始まった・・・・・・。

ニコチン性アセチルコリン受容体が少ないために、周りに無関心な状態が現れる・・・その状態から関心を持つ状態へ変化させる為に、コリン作動薬の使用が有効ならば、男のコミュニケーション能力の向上のために、タバコは有用だった・・・・・。


まぁ、周りに関心があることが“良い事”なのかどうか?の判断は難しいだろうけど。

関心がありすぎれば、可干渉、あるいは他部族との争い・・・・今の言葉では“戦争”。。。

関心がなさ過ぎれば、そもそも、集団での生活が不可能・・・・。極端な例に偏らせると、人類は地球上で生きていけないから、こんな想定はナンセンス。


程々に周りに気配りするために、程々の喫煙。


喫煙していた頃は、喫煙エリアでの一服が、仕事仲間との“良い”コミュニケーションの時間だった・・・・・・。

喫煙の効能?をこんな風に言う人がいる。

核心を突いているのかも!?(ニコチンを含んだ植物が地球上に存在する事が、他の生物の機能の足りない部分を補完するって事で)


ところで、先ほど喫煙を『文化的側面がある』などと書いたが、タバコ規制枠組み条約(FCTC)が発効されたことを受け、医療関係者の中には、『・・・・タバコを嗜好品と誤認したり、依存を習慣と混同する社会通念も依然根強く・・・・』なんて認識の人が増えている(らしい)。

私なんぞは、こんな“喫煙擁護”っぽい事を書いてるんだから、ぶっ飛ばされそうである。


どちらにしても、何かを“悪者”にして“排除”すれば、問題解決するっていう短絡的な考えは、私には馴染まないんだよねぇ・・・・。前エントリーの『軍人=悪』みたいな表現も含めてね。(でも、日本人は好きなのかも。こういうの。水戸黄門とか好きだしね)

それに、最近の世の中、なんだかギスギスしている。喫煙率の低下と反比例しているような気がするんだけど、誰か、統計とってないかなぁ・・・・・。

2009年01月21日

ニコチン蓄積の仕組み解明 禁煙用たばこも可能?

20090121_amount_of_tar.jpg『吸った気分はそのままに、ニコチン中毒からの脱却を・・・・・』。。。。。

ニコチンが葉に蓄積される仕組みを解明し、『植物を使って抗がん剤などを効率良くつくる手法が期待できそうだ』まで言及しているのに、どうして、あと一歩踏み込まないんだろう??

《ニコチン以外の有機化合物を運ばせるのも可能とみられ、、、、、》なら、α4β2ニコチン受容体作動薬(アゴニスト)を産生させ、葉に蓄積させれば、“チャンピックス”みたいなタバコも作れるだろうに。。。。(肺胞からの吸収を解決しなきゃならないけど)

記事:共同通信社
提供:共同通信社

【2009年1月20日】


 タバコの根で合成されたニコチンが葉に運ばれて蓄積される仕組みを、京都大の矢崎一史(やざき・かずふみ)教授らのチームが解明し、20日付の米科学アカデミー紀要電子版に発表した。

 ニコチンは導管を流れる水と一緒に根から葉に向けて移動。NtJATというタンパク質がニコチンを取り込み、葉の細胞内にある液胞という袋にため込んでいた。

 この働きを邪魔すれば、ニコチンを含まない品種のタバコが開発できそう。矢崎教授は「吸った気分はそのままに、ニコチン中毒からの脱却を助ける禁煙用たばこができるかもしれない」と、話している。

 チームは、タバコの葉で活性化している遺伝子を調べ、このタンパク質を見つけた。

 ニコチン以外の有機化合物を運ばせるのも可能とみられ、矢崎教授は「植物を使って抗がん剤などを効率良くつくる手法が期待できそうだ」としている。


とあるサイトでこんな事を書いてあった。

---禁煙したのにタバコについてあれこれ言うのは・・・---

---別れた彼女に『今の彼とうまくいってんのか』と聞くようなもんだ---


絶句した。ガ━━(゚Д゚;)━━━ン!!!!!

禁煙して、早、6年。仕事絡みとはいえ、未だに禁煙・喫煙をネタにこんなこと書いてる俺は、別れた彼女に『今の彼とうまくいってんのか』と聞くようなヤツだと思われてんのかぁ????

      ウー c(`Д´c)

まぁ、それはさて置き、昨年末、中学・高校の同級生と忘年会をやった。(毎年やっているんだけど、ここだけでしか逢わないやつもいる)

タバコを吸わないのは私を含めて2~3名なのだが、一人、面白いヤツがいて、そいつは普段はタバコを吸わないのだが、でも、お酒の席では吸うと。

『普段、仕事中とか吸いたくなんねぇの?』と聞くと、、、、
『いや、ぜんぜんならねぇよ』と。

それで思い出したんだけど、後輩にも同じヤツがいる。山形に住んでいるそいつも、同じように飲んだ時だけしか吸わないらしい。酒を飲んでない時は、気にもならない・・・と。


私、自分で禁煙のプロセスを分析するにつけ、自分はニコチン中毒ではなかったと思っている。ニコチン補助剤は一切使わずに済んで、あっさり止められたからだ。

もしかしたら、エタノールの分解酵素と同じで、脳内のニコチン性アセチルコリン受容体の数の制御に関連する遺伝子には、かなりの多型があるんじゃないのかと、ひそかに思ったりしている。

それに、民族的な偏りもあるのかも。。。。

お酒(アルコール)の代謝能力には純然たる民族的な偏りがある。

それと似たような偏りがあるとすれば、、、、、、


日本人では、アルコール中毒(依存症)になっていなくとも、飲酒する人は多い。しかし、アルコール中毒ではなくとも、お酒を飲まないとするのは難しい。

こんな事を言い出すと、お酒は習慣(しゅうかん)であったりお付き合いの慣習(かんしゅう)であったりするが、タバコは断じて違う!医療人としての認識が甘い!とお叱りを受けそうだが・・・・

同様に、タバコもニコチン中毒でなくても吸っている人は多いのでは??って思うのだ。

お酒と同様、ただ、なんとなく吸っていて、それをやめられない・・・・。

そういうと、『お酒の効用に似ているって言いたいのか?』と言われそうだが、“昔の彼女”云々ってフレーズから、かつての彼女とのデートのシーンを思い出すと、『お酒の効用に似ている』って思わざるを得ないのだ。


私だけかどうか、わからないが、、、、


彼女と二人きりになって間が持たないって時に、例えは、二人でお酒を飲みに行ったり、喫茶店でお茶したり、あるいは車でドライブしている時などに、タバコに火をつけて、、、ってのには、結構、助けられた。

私は、ニコチン性アセチルコリン受容体の数が少ないタイプなのかもしれない。

基本的に周りに気を配らないタイプだし、人付き合いが好きな方ではない。

しかし好きになった彼女とのデートで、そんな風に思われて“恋も冷めちゃう”なんて事態には陥りたくは無いから、“本能的”にタバコってアイテムを使って“装っていた”のかも。

タバコを吸っていれば、無言でもカッコイイし・・・・なんて。


それが、あながち間違いではないとしたら、日本人の喫煙者の中には、ニコチン中毒じゃない人も多分に含まれる?

民族的に差があるとして、依存症に効くのがチャンピックスならば、日本でのその効果は・・・・?

とすればα4β2ニコチン受容体作動薬入りのタバコなんて、意味無い・・・・・・のか?

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