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2009年06月 アーカイブ

2009年06月01日

コミュニストはSEXがお上手?

20090601_communist1.jpgこれは、旧東ドイツでの調査の結果を基にしてつくられた映画のタイトルだ。

このドキュメンタリーは、ドイツで放映されたのち山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映され話題を呼んだもの。私は、つい最近、知ったのだが、、、、、


この映画によると、、、、、

敗戦により「女以外何もかも不足」していた東ドイツでは、労働者としての女性の社会進出が進んだ。一方帰還兵が多かった西ドイツでは、女性は社会労働を男たちに譲り、家庭に入ることを選んだ。

結果、東の女たちは経済的に自立し、ベッドでも主導権を握る。男にはテクニックの向上を堂々と求め、快楽としてのセックスを楽しむようになり、行きずりのSEXにも抵抗はない。そんな積極的な女性たちを満足させようとの向上心が功を奏したか、東ドイツの男たちのほうが、持ちモノが6mm長くなったという。

低容量ピルを服用する習慣が生まれる前の時代のこと。コトの結果として当然のこと、子供がたくさん生まれることになる。むろん、国力を上げねばならぬ敗戦後のこの時期、それは国家としても大歓迎だったろう。彼らは国営工場に保育園を併設、子育て世帯には住居を提供するなど手厚い政策的保護を与えた。フェミニストが泣いて喜ぶ理想郷だ。

とのこと。


うーーむ、なるほどねぇ、、、、と思わず膝を打ってしまう!!

するってーと、北朝鮮の女性もSEXは上手で、北朝鮮の男性も韓国の男性のモノより大きい・・・・・。まして、草食系一色の日本人男性など、足元にも及ばないくらい。。。。。なのか???


漫画【加治隆介の議】の中で、加治隆介が浪人中(青臭い事ばっかり言ってるから落選した)韓国に遊びに行くエピソードがある。視察という名目で、秘書と二人で出かけるのだが、そこで、秘書が北朝鮮の女工作員に色仕掛けで騙され、加治隆介の命が危機に・・・って。

この女工作員は、バツグンの性技と描かれているのだが、工作員だから巧いのか、コミュニストだから巧いのか、、、、漫画を読んだ時には、訓練させられる女工作員を想像して、、、、、つい、、、、、だったが、もしかして、もともと、北朝鮮の女性はSEXか巧かったりして。。。。


なんて冗談は、ここまでにして、、、、だって、共産主義だからSEXが巧くなったわけじゃなく、戦後の東ドイツの「働き手が足りない」っていうお国の事情も考えなくっちゃならないし、娯楽が無く、やることが無いから、、、、、アレ、北朝鮮もやる事はないよなぁ・・・・・、誰かさんは、核兵器を作るんで忙しそうだけど、、、、、もしかしたら、ほんとに共産主義の女性はSEXが巧かったりして・・・・・。


さて、日本では“少子化”が問題になっており、その為に、税金を投入して“何か”やってるみたいだけど、どう考えても、まず、やることやんなきゃ生まれるものも生まれない。

建前論に終始するんじゃなくって、もっと、真正面から向き合って、本音でトークしなきゃダメなんじゃないの??

少なくとも、草食系男子を持て囃すようなテレビ番組や雑誌記事は、検閲により放送禁止、及び発売禁止。力強く、性欲絶倫こそが、男として魅力的なんだと奨励する番組や記事には報奨金を与えるようにして。。。。。。

インフルエンザでは、あれだけ強烈な検疫をやったんだから、この位は簡単な筈。


とにかく、現場をしらない人間が現場の事に首を突っ込みすぎるのが、そもそもの間違いじゃない!?

この「威嚇せず発砲は「違法」、県に賠償命令 横浜地裁」ってニュースも、アホな現場知らずの裁判官のアホな判決としか言いようもない。

ってゆーか、現場で『原告らは信号無視を繰り返し、パトカーに4回ほど衝突して逃走を試みた。
 パトカーから降りた巡査部長が拳銃を構えて「撃つぞ」と警告したものの、原告が車を停止させなかったため、拳銃を発射。弾は原告の右脇腹から左側の背中に貫通した。このけがが原因で原告は車いす生活となった。』

って、これ以上、警官に何をさせたいのだろう??待ってたら、ひき殺されてますぜ!

ここまで、自分の命も顧みず、職務を全うに果たした警官に、、、、、この判決は呆れてものが言えない。

でも、法律(建前)がそうなっているから、そう判断せざるを得なかったのかな??


漫画【加治隆介の議で、海賊に乗っ取られた再処理核燃料の輸送船に海上保安庁の保安官が単身乗り込み、海賊を討伐するというエピソードがあるのだが、後日、国会に証人として召喚される。そこで、「何があっても武力行使はいけない」と主張する政党の議員に“揚げ足”を取られるのだが、この保安官が、論旨にキレて、テレビ中継されている中『国会議員がこれほど馬鹿だとは思わなかった。国民の命を救うために、自ら命を掛けて職務を全うしている人間を犯罪者扱いするなんて。現場では、食うか食われるかだ。のんびり、行為が適法かどうかなんて考えている余裕があると思ってるのか?私の行為は、誉められてこそ、貶されるものではないと思って、今日、国会まで来た。それが、どうだ・・・・』の趣旨の言葉を述べるのだ。

加治隆介は、「何があっても武力行使はいけない」と主張する政党の考え方は大嫌いだから、この議員が保安官にやり込められるのを、内心、溜飲を下げ、ほくそ笑んでいるのだが、私も、激しく同感した。

ところで、再処理核燃料の輸送船の護衛が、どうして海上保安庁なんだ?と疑問を感じた人!あなたの常識的感覚は正しい!!にもかかわらず、核燃料輸送船の護衛に海上自衛隊の軍艦じゃなくって、海上保安庁の船を護衛につけるのも、彼らが口うるさく自衛隊の行動を牽制するからなのだが・・・・・。

核燃料を積んだ船を軍隊が護衛しないのは、日本だけである。

多分、ドラマ「24」の製作スタッフも、まさか、こんな事だとは知らないだろうなぁ。これじゃ、ドラマにならない・・・・。


今の日本に、「何があっても武力行使はいけない」と主張する政党の考え方を肯定する人間がいること自体が、信じられないのだが、まぁ、これは置いといて、、、、

こんな頭でっかちの理想郷を追い求めている連中の“理想”が実現できれば、驚くべき事に少子化は改善するのかもしれない・・・・・。

ここん所は、まともな議員さんたちも、先入観を捨てよく話し合って欲しいもんだ。


的をはずした意味の無い議論を100回繰り返しても、実のある制度は作れない。的をはずした制度を実行しても、何も良くならない。

もっとも、こうすると、仕事は作り出せる。当事者達の雇用の心配はなくなるわけだが。。。。

2009年06月03日

輿論(よろん)と世論(せろん)

20090603_Public_Opinion_and_Popular_Sentiments.jpg匂いの刺激は脳に到り、危険だと判断されれば逃避行動をとらせるんだけれど、その匂いを捉える受容体が細胞レベルでの免疫応答を準備する為に使われていたとは、解明されてみれば、ほとほと、よく出来たシステムだと感心する事しきりである。生物の体って。

したがって、動物は、他の個体が尿中に排泄するFPRリガンドの匂いを嗅ぎ分け、健康の状態を判断している事は、容易に想像できるわけだ。

例えば、メスは子孫を残すにあたり身体的に優れた(病気がちではない)オスを選択する為に使うわけだし、或いは、群れで生活している動物の場合、ある個体が、群れにとって足手まといにならないどうかを判断する為に使っているのだろう。

生理:新しい化学受容器ファミリー

Nature vol.459 (7246), (May 2009)

哺乳類の嗅覚受容体としては、匂い受容体、微量アミン関連受容体、1型および2型鋤鼻受容体スーパーファミリーの4種類が現在までに知られている。

今回Riviereたちは、マウスの鋤鼻感覚神経に発現する、もう1つの新規嗅覚受容体ファミリーを同定したことを報告している。

このファミリーは、ホルミルペプチド受容体関連遺伝子ファミリー(FPR)の5つのメンバーにコードされている。

FPRのメンバーは、これ以外では感染に対する免疫細胞応答を仲介することで知られており、FPRを発現する細胞は病気や炎症に関連するリガンドに反応する。

こうしたリガンドは尿中に排泄されるので、FPRは個人の健康状態を感知している可能性が考えられる。


Letters to Nature p.574

News and Views p.521


テレビでは、病気を匂いで見分ける犬が“特別な能力を持った”と「ほら、驚きなさいよ」とやっているが、タネを明かせば、当たり前の事だ。

人間だって、臨床医は病気の判定に匂いを嗅いでいる。

糖尿病性のケトン症患者に独特のマニキュア液のような甘い息。焼きたてのパンのようなチフス患者のにおい。気のぬけたビールのような嫌なにおいのする腺病。むしったばかりのニワトリの羽のようなにおいの風疹。肺膿瘍の腐敗臭。ガラス洗浄剤のようなアンモニア臭のある肝臓病患者。シュードモナス感染のグレープジュースのようなにおい。などなど(肺がんや間質性肺炎のばち指ってのもあるけど、これは匂いじゃなくって視覚だけど)。

知らない人を騙すのがマスコミなのだが、最近、騙される方もどうしようもねぇなぁ・・・騙されて損すりゃいいんだよ・・と、インフルエンザ騒動の頃から感じるようになってきた。残念な事だけど。。。今までは騙すマスコミに対する怒りと騙される庶民に対して不甲斐なさによる憤りを感じていたんだけど、現在は、感情が沸き起こらなくなっている。無知な人が騙されて不利益を被っていても、当人がそれを認識しないのなら、『まっ、いっか。よけいなお節介かもね』・・・なんて白けている。

また、『今までは、この歳にして、まだまだ“青臭”かったのかも』なんて白けている自分にも、憤ったり、もやもやしたものを感じている・・・・、ほんとになんだかすっきりしないのだ。

まったく、嫌な気分にさせられるぜっ、マスコミには・・・・。

このマスコミのズルさ・狡猾さを、端的に言い表せないもどかしさも、嫌な気分を助長させ・・・・・・。

なぁ~んて、感じていた時に、すんげぇ、発見をしてしまった。というのは、マスコミは『輿論と世論の違い』を知らない人がほとんどだという事を逆手にとって、好き放題やっていると。

佐藤 卓己著「輿論と世論―日本的民意の系譜学」(新潮選書) は、まさに青天の霹靂ってヤツだ。(まだ、読んでなくって、MMJ 5月号で慶応大学名誉教授の石井裕正氏の巻頭のコラムで紹介している要点を知っただけなのだが)

『世論調査によると』、『世論が形成されつつ・・・』とか、なんか胡散臭かったんだけど、、、この単語を出されちゃうと、“間違いは無い”みたいな雰囲気を醸されて・・・・・。

だけど、輿論と世論は違うのだった。

著者によれば、輿論(Public Opinion)とは、公衆の社会的意識が組織化されたもの、公的意見であり、デジタルな多数意見として理性的討議による合意に基づくが、世論(Popular Sentiments)とは、まだ認識の対象になっていない心理状態(気分や雰囲気の表出)であり、アナログ的な全体の気分として、情緒的参加による共感に基づくものとしている。

輿論は伝統的な中国語だが、世論は明治になってからの新語であり、初めて使ったのは福沢諭吉(「文明論之概略」)で、世上の雰囲気(世論)と責任ある公論(輿論)をはっきり区別していた。

しかし、戦後になり「輿」の字が当用漢字表に採用されず、「輿論」が「世論」と表記されるようになってから両者の混用が生じ始めたとのこと。


マスコミは、「世論」の調査、すなわち、大衆の「・・・・って感じぃ~?」を吸い上げて、それを大衆の無知・誤解をいいことに、あたかも『輿論』として公開していたのだ。
言い方を変えれば、マスコミによる「・・・・って感じぃ~?」ロンダリング!?
大衆は、自分達のいい加減な「・・・・って感じぃ~?」が、マスコミを通して「世論」にされると、金科玉条のこどく感じてしまう。。。

そのインチキ「輿論」に、大衆はコロっと騙されていたんだね。また、大衆が知らない事は、それが常識で正しい事にされ、「犬が匂いで病気を診断・・・」なんて子供だましに騙される・・・・。まぁ、これなら可愛いけど、「・・・・って感じぃ~?」で、時の政治が左右される・・・・。


それで、思い出したんだけど、小学生だったか、中学生だったか、何かの授業で「世論」という漢字を読まなければならなくなって、私は「せろん」と読んだのだが、当時、クラスで一番成績の良かった子に、「それは“よろん”って読むんだよ」と言われ、みんなに笑われ恥ずかしいやらで、私にとっては強烈に印象に残っている単語なのだ。

その為、大人になって、日曜日のサンデープロジェクトを見るようになって(今は見てないんだけど)、司会の田原総一郎が「せろん」と言っているのを違和感を持って聞いていたりした。

だが、田原総一郎は知ってたのだ。だから「せろん」って使ってたんだね。間違っても大衆の意識調査に「よろん」って言葉は使えないって。


う~~~~ん、知らないってのは、恐ろしい・・・・。いまだに、私は、知らない事ばっかりだ・・・・。


p.s. ところで、GMが、米国政府お預かりになって、処分される予定だったブランド「ハマー」だけど、私は、絶対、インドか中国の企業が買収するって思ってた。案の定、今朝のニュースで中国の企業が買収すると発表された。ネットで検索すると、「騰中重工」(Tengzhong)って会社らしい。

最近の中国は年単位で凄くなってるっす!!いや、ほんと。子供には英語のほかに中国語も習わせたほうがいいかも!!(コレ、子を持つ父親の~~~って感じぃ~?)

2009年06月09日

R35 GT-R のCピラー

20090609_checkershadow.jpgしかし、不思議なのは自虐的歴史観の人達だ。

地球上の生物は、遺伝子がそうさせる為に利己的な振る舞いをする。(自分勝手という意味ではないので、念のため!)さらに、互恵的な利他行動も遺伝子によって為される。

日本を守る事がすなわち自分のためになるのだから、直接的には不利益な場合であっても国を憂う心と行動は、生物としてごく普通のことだ。そして、日本の国籍を有しているなら、よほどの事が無い限り死ぬまで日本国に保護される。遺伝子の利己的な行動というのは、自分が犠牲になっても、自分の子や兄弟姉妹とその子達など、自分と同じ、あるいは近い遺伝子が残せるのなら、そういう行動をするということだ。

中国や韓国を大事にしても保護してくれない。自虐的歴史観のあなたには何もしてくれないんだよ!

そこんとこ、わかってんのかなぁ??

まぁ、自虐的歴史観の人達は、こんな簡単な“生物”の基本的事項よりも、ナショナリズムだ、軍国主義だ、帝国主義だ、天皇制がどうだこうだ、、、とか、この程度の言葉でしか人間の行動を理解しようとしないから、何を言っても無駄なんだろうけど。。。(麻生さんや中川さんの言っている事のほうが、自然なんだけどなぁ)

たかだか1000年か2000年だか知らないけれど、こんな程度の時間、人間が考えた“浅知恵”や「歴史から学ぶ」とか言ってる事で、人間の行動を理解して、制御しようなんざぁ、笑止千万だ。200万年も地球上で暮らしてるんだぜ!人類は。

時代は変わって手に取る武器は変わっても、本能的にやる事は同じなんだよ。

丸腰で立ち向かい殺される事に、“男の本懐”とか“男のロマン”なんてのを感じているのなら別だけどね。

そうじゃないとしたら、生存本能の無い新しいタイプの人類かも。この遺伝子が蔓延ったら、間違いなく人類は滅亡するだろうなぁ。地球上に生命が誕生して30億年かけて身に付けた生きる力を放棄するタイプだからね。

あっ!!だけど、地球をシャーレに置き換えて考えてみると、生育できる限度数を越えて、人類は存在しているんだよなぁ!!戦うって事は、そういう事だからね。地球上に人間が100人しかいなかったら、争いはしないよ。女をめぐって争う事はしてもね。

だとしたら、自ら個体数を減らすために、こんな“へそ曲がり”な考え方をする“脳”を持った個体を出現させて、人類の地球上での減少を遂行している・・・・・。


と、話の“まくら”が長すぎたけど、今、再び【火星の人類学者】を読み終え【脳の中の幽霊】を読んでいる。

脳は不思議だ。

これらを読んでいると、“知覚”の脆弱さが良くわかる。

『この目で見たんだから』と言われれば、普通なら、この状況は“絶対”の事象として扱うわけだが、【脳の中の幽霊】を読んでいると、不安になってくる。(上の絵の、AとBのマスの色が同じといわれて、あなたは信じられる?)

今の自分の生きている環境、大雑把には、この目で見た通りなのだろうが、ディテールは?と聞かれたら、ハッキリ言って自信がない。

そこに注目が行っていない視覚情報は、遺伝子が作り上げている可能性すらあるからだ。

それに、“注目”という行為が、曲者だ。絶対的に、厳密な定義が出来ない。

人は、注目して、それを認識しないと、見た事にならない。このプロセスは、まだ、ほとんどわかっていないらしいが、非常に複雑だという事だけは、かろうじてわかっているのだとか。

20090609_dalmatian.gif結局、“見る”というのは、脳で行っているワケで、網膜の視細胞への光刺激は電気信号に変えられ視神経を伝わり、脳で構築される・・・・っと。このプロセスは、誰でも知っての通りなのだが、盲点を補完する仕組みを説明できる人はいない。

20090609_blind_spot.gifあるはずの無いものが見えちゃうんだから、どうなってんだいこりゃ!って感じだ。

20090609_illusion.gif意味付けされちゃうと、別なものに見えちゃったりして・・・・・。


私、GT-R を購入した理由に『世界的に評判が良い』『ポルシェに勝てる』ってのは、もちろんの事だが、もうひとつ、表向きの理由に出来ないことがある。恥ずかしい話だが、R35 GT-R のCピラーの形状に取り付かれてしまったのだ。

なんか、“足フェチ”みたいで、カッコ悪いので言い出せなかったのだが、途中で折れているあの形状がなかったら、絶対、買っていない。

他の色々な理由は、買うための後押しはしてくれた

でも、絶対的な買う決め手になったのは、あの何とも言えない形状のCピラーなのだ。アレを所有したい欲望に勝てなかったのだ。あの形状は、私の脳のどこかを強烈に刺激しているのだ。それだけは間違いないのだ。

その視覚情報が、脳のどこかを刺激して、そこからの二次情報が別の所に投射して・・・・・・、結局、物欲に行き着いた・・・・・。


物欲、欲望は生きる力だ。これがなくなると、人間は生きていられない。

20090609_checkershadow_proof.jpg生きる欲望を否定するかのような、自虐的歴史観は、視覚や聴覚、その他の感覚器からの入力によって、そのように感じる事になってしまったのだろうか???その知覚情報をどのように処理するのかは人によって違うんだろう。同じ現象を見たとしても、さらに同じ本を読んだとしても、脳の刺激される部分は違うのだろう。
(上の絵の証明)


単に、スノッブで自意識過剰で反体制がカッコイイって思っている・・・・・だけかもしれないけれど。。。。。って、コレじゃ馬鹿じゃん。

2009年06月10日

アメリカ空軍、ハイテクスポーツカーでリクルート!?

20090610_mustang01.jpg半側空間無視

見るという事が、“脳で行われている作業の結果である”と実感出来るわかりやすい例がある。脳卒中後遺症として発見された症状であるが、見えてはいるが、認識できないという状態だ。

右脳の傷害により自分の左側を認識できない状態で、自分の中心より左側に置かれた食事に手を付けないとか、顔の左側半分を化粧しないとか、左側の髪に櫛を入れずボサボサだったり、花の絵を描くと左側がなかったりとなるらしい。

『そんなもん、ちょっと左に目を動かせば見えるじゃん』
『ちょっと、首を左に向ければ、食べられるじゃん』
と思うだろうが、当人は、左側という認識が無いので、眼球を左に向けられず、頭を左に回せないのだそうだ。

脳の中の幽霊】の中で、ラマチャンドラン博士に診察を依頼したパナマの元空軍中佐の患者は、自分が左半身麻痺している事を認識できずに、つまり、自分が病気であることを妻に「あなたは卒中を起こして半身麻痺なのよ」と言われて、初めて気づいたのだとの文章がある。

この人は、博士への診察依頼の手紙の中で、自分は“不思議の国”に迷い込んだみたいだ。不思議の国では、その国の住人に聞かなければ何もわからない、と書いている。

この状態は想像を絶するのだが、強いて言うなら、強烈に価値観の違う人と会話するみたいなものなのだろう。

尚、左脳の傷害による右側の認識が出来ない状態は、ほとんどないという。何故かを知りたい人は、【脳の中の幽霊】を読むのが早いかも。


さて、前回は、私の“妙な価値観”の言い訳の為のエントリーだったのだが、このニュースなども、日本人、とくに自虐的歴史観や『自衛隊は違憲だ』とか『戦争放棄が平和への唯一の手段』とか言っている人達には、不思議の国に見えるんだろうなぁ・・・・。

アメリカ空軍は3日、フォード『マスタング』とクライスラーのダッジ『チャレンジャー』のカスタムカーを披露した。その目的は、空軍志願者の増加を狙ったリクルート活動用というから恐れ入る。

アメリカ空軍は米国カリフォルニアのチューナー、Galpinオートスポーツ社と協力。同社はMTVの人気番組、「Pimp My Ride」(ピンプ・マイ・ライド)に出演するほどのメジャーチューナーだ。同社と空軍のコラボレーションによって、2台のスペシャルモデルが完成した。

マスタング『X-1』は、ホワイトのワイドボディにガルウィングスタイルのサイドドアが迫力満点。しかし、それ以上に圧倒されるがインテリアで、戦闘機のコクピットが、ほぼそのまま再現されている。

シートはシングルシーターに変更され、目の前にはずらりと計器類が並ぶ。ステアリングホイールは操縦桿に取り替えられた。エンジンは4.6リットルV8で、最大出力は500psまで高められている。

もう1台のチャレンジャー『VAPOR』は、さらに驚きのチューニングを実施。カーボンファイバーのワイドボディは、ステルス戦闘機を思わせるダークグレー塗装だが、レーダーに探知されない特殊加工を施しているという。また、360度全方位のカメラシステムは、ナイトビジョンを組み込んでおり、夜間でも車両周囲の様子が手に取るようにわかるとか。

ユニークなのは、「ステルス」エグゾースト。これは、スイッチ操作でマフラーの排気音を消せるもので、まさにステルス戦闘機並みの装備だ。室内はマスタングと異なり2シーターだが、それぞれの前方にステアリングホイールを装備。インパネには、巨大なモニターが3個レイアウトされた。エンジンスペックは未公表だが、燃料がニトロと聞くだけで、その凄さが伝わってくる。

2台のカスタムカーは、アメリカ空軍のPRイベント、「2009スーパーカーツアー」に同行。新しい空軍のアピールにひと役買う。果たして、空軍の目論見通り、志願者が増えてくれればいいのだが…。


20090610_mustang02.jpgこの記事にあった写真2枚を上とここに貼り付けておく。特に凄いのは、左の写真だ。ステアリングホイールが操縦桿になっている。これで運転できるのだろうか???

この操縦桿で、ドリフト出来るのだろうか????

土屋圭一に運転させてみたいのは、私だけではあるまい。。。


話は変わって、私の知っている歴史小説家といえば、司馬遼太郎くらいのものだが、彼は、知ってか知らずか、この手の“人間の認知・認識のあやふやさ”を巧く利用して、小説を面白くしている。

有能・無能、善人・悪人のコントラストを鮮明にすると、小説や映画は面白くなる。これは、阿刀田高氏のエッセイにも書いてあった。氏が子供のころ、母親と映画を見に行くと、必ず「アレはいいもん(良い人)?」と聞いたのだそうだ。絵の世界では、デフォルメ・・・ってことかな?でも、最近は、村上春樹氏のように、これがなくフワフワした感じが流行っているみたいだけど・・・。おっと、脱線。

前回、貼り付けた絵を思い出してもらいたいのだが、AマスとBマスは、実は同じ色だったってヤツだ。

小説『坂の上の雲』では、野木希典などは、めちゃくちゃに無能扱いされている。しかし、実は、あのAマスとBマス同様、東郷平八郎や秋山好古、秋山真之と変わらない色のはずなのだ。評価する人がいるくらいだからね。それを、色々な事実(客観的と言いつつ、それすら主観的。そもそも絶対的な客観などはない)をマスの上下左右に配すがごとく示し、野木希典の無能振りを“証明”するがごとく描いているのだ。

ころっと、騙されるのは、騙された当人のせいではなく、人間が持っている“脳”の性質だから、気にする事はない。氏の小説にのめり込むほど、AマスとBマスのコントラストは強くなる。そういう状況に置かれた時、Aマスの方が暗いと認知することが、生存に有利、或いは脳の負荷軽減に役立っているのだから。


私のように、歴史に疎い人間からしてみれば、『戦争が愚かな事は歴史が証明している』と共に、『戦争があったから、今日がある』という証明も出来ると考えてしまう。

というか、それが事実で現実だからだ。

もし、大東亜戦争がなかったら、、、、、もし、軍部の暴走が無かったら、、、、、という想像は、意味を為さない。というか、ドンパチの繰り返しで、現在の世界がある。ドンパチする事も含め、生物だし。パラレルワールドを考えるのは、脳の世界だけにしてほしい。


そう、今、その“脳”を考えているのだ。


冒頭に“半側空間無視”という病気をひっぱりだした。何事も、極端に考えると理解しやすい。価値観に個人差があるという事も。これは、悪い人だとか善い人だとか、騙されやすいとか、唯我独尊、人の話を聞かないとか、それが良い事だとか悪い事だとかそういう事ではない。

進化の過程で、そうなってしまったから、しょうがないのだ。そういうふうに適応してきたのだから。

知覚情報は膨大だ。それらを大真面目?に処理していたら、脳がオーバーヒートしてしまう。そのため、手を抜く事を覚えた。注目する情報だけを処理するということだ。生存に意味の無い事は、無視される傾向が強いんだと思う。

左側に注目しなければ、通勤途中の風景のように、自分にとって意味の無いものになる。これが、“半側空間無視”だ。ここまで大袈裟ではなくても、情報の洪水のなかの何処に注目するのかという事は、遺伝子だけでなく、その人の知識、教養、育った環境や現在の環境にも依存するだろうから、非常に複雑だ。

逆に、情報を限定して与え続ければ、、、、、いわゆる“洗脳”・・・・になるのかもしれない。多様な情報があるにもかかわらず、偏好した情報だけを取り込んでも“同様”かも。。。。

価値観の個人差は、頭(脳)ではわかっていても、脳が本能と理性のごちゃ混ぜだから、右翼と左翼のように、常に相容れない状態が続くのだろう。結局、自分が一番、これも遺伝子だからね。

現代社会も情報の洪水だ。この中から、どれに注目するのか?それは人それぞれ。

ただ、注目していなくても、生存本能を処理する部位にまわしている情報もあって、無意識に危機(不利益)を回避するなんてのがこれに相当するのだそうだが、これは、今回は割愛する。


コレを書いている途中で、J-WAVE から、米国が北朝鮮への態度を一層硬化させたと流れてきた。

互恵的な関係にない国だから、滅ぼすしかない・・・・私の“脳”はそう告げている。無視出来れば“相手にしない”という選択肢もあるんだけどね。

武力行使反対の人は、北朝鮮が、日本に手出ししないような“案”を出す義務があるぞっ!!って、すでに日本の上空を北朝鮮のミサイルが飛んでるんですけど、、、、あれは、見えなかったんでしょうか??

あっ!!!もしかして、半側空間無視ですかぁ??

2009年06月13日

女の平和

20090613_peace_of_women.jpgある軍司令官が戦闘を開始しようとしているとする。深夜に作戦本部室で翌日の作戦を立てているところだ。偵察兵がたえずやってきて、地形や明るさの程度などの情報を報告する。彼らの報告では敵の戦車は500台。司令官のほうは600台で、これが戦闘開始の決断を促した。司令官は全ての隊を戦略的な配置につけ、午前6時の夜明けと共に攻撃を仕掛ける事にした。

ところが、午前5時55分に一人の偵察兵が作戦本部室に駆け込んできて、「閣下!悪い知らせです」と言う。攻撃開始まであと何分もない。「何か?」と聞く司令官に偵察兵は答えた。「たったいま、双眼鏡でみました。敵の戦車は500台ではなく700台あります!」

司令官(※1)はどうすれば良いのか。時間が迫り、全ての作戦計画を修正する暇はない。そこで彼は偵察兵に、見たことを誰にも言うなと命じる。否認だ!それどころか、ひょっとすると偵察兵を撃ち殺してその報告を「トップシークレット」の引き出し(※2)に隠すかもしれない。そうしながら彼は、多数の意見--偵察兵たちが先に報告した情報--が正しく、この情報源から入ったただひとつの新しい情報がおそらく間違いである事をあてにする。

こうして司令官は最初の立場に固執する。それだけでなく、混乱を恐れ、偵察兵に命じて他の将官に嘘をつかせ、戦車を500台しか見なかったと言わせる(※3)。すべては行動に安定性を持たせ、動揺を防止するためだ。優柔不断は何の役にも立たないからだ。おそらく正しいという見込みがあるなら、決断したほうが何も決断しないよりもいい。見解がコロコロ変わる司令官では、戦いに勝てるはずもない。


このたとえ話を読んで、あなたはどのあたりに“注目”しただろうか?

人によって、違うはずなのだが、当の本人は、ほとんどの人が自分と同じところに“注目”して感情が沸く、すなわち共感すると思っている。

まぁ、何処にせよ、何故、そこに“注目”したのかを考えてみるのもいいかもしれない。

たとえ話を、もう少し進めてみる。

一人の偵察兵が駆け込んできて、敵の戦車のほうが多いという代わりに「閣下!たったいま望遠鏡で、敵が核兵器を保有しているのが見えました」と報告したとする。

今度はあなたが考える番だ。司令官は、どうすると思うか?


さて、このたとえ話は、(※1)は左脳の働きを、(※2)は抑圧を、(※3)は作話というヒトの脳機能や行動のアナロジーだ。【脳の中の幽霊】にある一部を抜粋させてもらった。


『司令官は、どうすると思うか?』は考えてもらっただろうか?

それは、もしかしたら、あなたの希望になっていないだろうか??最初に沸き起こった感情を貫く為に?

さらに考えてみてほしい。戦車が700台の場合、戦闘の結果はどうなるのか?最初から負けると決めてかかっていなかっただろうか?あなたの“脳”は。さらに犠牲者の数や戦況まで、自分の感情を肯定する為に都合の良いように想定しなかったか。


《私たちが自分の信念の合理的な根拠とみなしているものは、自分の本能を正当化しようとする極度に不合理な試みであることが多い》“ダーウィンのブルドッグ”の異名で知られ、チャールズ・ダーウィンの進化論を弁護したトマス・ヘンリー・ハクスリーの言葉である。

抽象的な言葉もまた、人それぞれの“心”にグサっとくるものがある。


さて、私は、この戦闘を行わざるを得ない状況の説明をすることにしよう。言ってなかったからね。

時は近未来。地球上の人類は絶滅寸前。近々に食料が尽きる。種子はあるから来年の収穫まで持ち越せれば、その後はなんとかなりそうだ。司令官の側は10万人。敵も10万人。来年までの食料は、10万人分しかない・・・・・・・。

後出しジャンケンのようで、申し訳ないが、冒頭のたとえ話を読んだ直後に沸き起こった感情が、このシチュエーションを知った後でも、同様だろうか?


私は、司令官の側の強者5万人と敵側の強者5万人が生き残る事になれば、それでいいと思っている。というか、何をやっても、どうあがいても、そうなるんじゃないの?

そして、また、歴史は繰り返す。

何年にもわたる戦争。男どもが戦いに明け暮れている結果、司令官の側は女性と老人や子供しかいなくなった。可愛そうなのは夫に残された妻たちで、2度と夫の顔を見ることがなかったり、なんとか帰ってきてもとうに自分の女としての盛りは過ぎてしまっている。

そこで一人の美しい妻が立ちあがり、仲間をあおり、敵側にも同士を募りクーデターを起こす。

男たちを戦争にやらないため、平和を築く必要があると。

ただ、なんと、その手段は、男たちに対し、女たちみんなで性的ボイコットをするっていう話だったのだ。セクシーなカッコで男を誘惑するも、肝心のところで逃げ、男を生殺し状態にする。『体が欲しければ戦争をやめなさい』って。


お気づきの方もいらっしゃるだろう・・・・・・。コレ、ギリシャ古典喜劇の「女の平和」だ。

でも、喜劇じゃなくって、現実になりそうだよねっ!!


こんなことばかり考えている私は、昨日、民主党に政権を渡しちゃいけない決定打が公になったと思っている。

それは、社民党との連立構想だ。

ここに及んで、小沢一郎氏の“西松献金”事件を“国策捜査”で何が悪い?って感じた。

ってゆーか、検察は、社民党との連立を事前に知ってたのだろうか??

2009年06月15日

脳相のインスリン分泌に個人差はあるのか?

20090615_nervous_system.jpgいつの頃だったからか忘れたんだけど、ゴルフの昼食時、一口食べると強烈なめまいを感じるようになった。毎回ってワケじゃなく、前日の睡眠時間に関係があるような記憶もないし、昼食に選んだ食事と関係があるわけでもなかった。

初めての時は、かなり動揺した。

---このまま、倒れるんじゃないのか??

でも、10秒もしないうちにケロっと治ってしまって、あれは一体、何だったんだろう??と。

その時、一緒にラウンドしていたのは、普段お世話になっている医師。相談しようかどうか躊躇したのは、心配をかけたくないし、後で調べて何もなかったらカッコ悪いし・・・もし、back9でぶっ倒れても一緒だから死ぬこたぁないだろう、、、、などと複雑な心境だったから。結局、直ぐ治っちゃったのもあって、テーブルは別の話題へ。

その後、何度か、経験?を重ねていった。。。。。


調べもしなかったのだが、インスリン分泌に必要な刺激は血糖値以外にもあるだろうと、以前から漠然とは考えていた。しかし、ゴルフの食事前の“フラフラ・クラクラ”と関係があるとは、全く考えもしなかった。

度々、症状が出るようにはなっていたのだが、それ以外は、何てこともないわけで、いつしか、この症状を「低血糖なんじゃないのか」と疑うようになった。

それでも、こんなに早い反応するもんなのか?だって、料理が運ばれてきて、一口食べたら、5秒もしないうちに“クラクラ”くるんだぜ!って、否定したい部分もあったし、どうせ、調べてもわかんないだろうな・・・・・・なんて。

そうこうするうちに、食直前の“クラクラ”感の頻度も低下し、、、、あってもすぐ治るから、全く動じなくなり、、、、すっかり、忘れていた。


そんなエピソードを急に思い出したのは、ちょうど MMJ で人工膵臓の記事を読んでいたからだ。JAMA にこんな話題が載ってたよって紹介記事なのだが。

完全自動化したクローズドループ型投薬システムとしての人口膵臓を実現するには、いくつかの問題を解決しなきゃならない。その中のひとつが、、、、インスリン投与のタイミングである、と。
正常な膵臓からは、ヒトが食べ物の匂いをかいだり考えただけでもインスリン分泌が始まる。このように、生体のインスリン分泌機構は、一手先を読むように糖代謝状態に対応している、と。これをどうするか???と。


脳相の分泌は味覚神経を介する甘味情報により迷走神経を介して反射性に生じるものであるが、実際に血糖値が低下始めるにはどれ位の時間がかかるのか??

秒単位のシビアなものなら、私がゴルフの昼食前に経験した“クラクラ”感が再現されちゃうんじゃないのか??

まして、脳相のインスリン分泌にだって個人差があるだろう。その個人差をも忠実に再現できるコンピューターアルゴリズムを開発できるのだろうか??

古い記憶が目覚め、私なりにも知りたい事がいくつか出てきたワケだが、JAMA ですら、こんな内容を話題にしてるんだから、ネットで調べても出てくるわけはない・・・・・よなぁ!!


出てくるわけはないと言えば、こんなのも!!

薬剤師の世界では、調剤ミスを減らす工夫として『薬棚への張り紙で規格の注意喚起』なんてのを見かける。当局に『工夫してますよ』っていうデモンストレーションとしての効果はあるのだが、、、、

この工夫、調剤ミス予防に本当に効果があるのは、最初の1週間だけ。あとは、全く効果ない。そこで探したいのが、その事を示した“ズバリ”のエビデンス。。。。なのだが、、、ねぇだろうなぁ。

ネガティブな証明って誰もやりたがんないもんなぁ・・・・・。

それを良い事に・・・かどうかは知らんけど、こんな事を大真面目に書いてある雑誌がある。読んでるだけでもイライラしてくるワケだが、無料で配布される雑誌だからしょうがないのかも。こんなものを信じる薬剤師がいないことを祈るのみだ。エビデンスがあれば、雑誌に投書するんだけどなぁ・・・。(ヒトの脳の仕様だよ!ビジュアル系注意喚起の効果が無くなるのは!!こんなことも知らないで薬剤師やってんじゃねぇ~よ)


祈るのみといえば、宝くじ。

いやー、ほんとに、大きな事は言わないから、30万円、当たらないかなぁ・・・・って、結構、マジで祈っている。

当たったら、『NISMO R35 Sports resetting』を速攻でレンタルするつもり。

なんで、お金払わないの?って事なんだけど、ハッキリ言って、サーキット走行をするつもりのない私には、猫に小判。ドブに捨てるようなもの。だから、強いて言えば、スピードリミッターを自主的に付けさせるという行政の無言の圧力への抵抗。

そんなに、高尚?な理由なら、自腹切ってやればいいのに!    って??

まっ、それも、カッコ付けた理由で、ほんとは、、、付ければ、320km/hまでいけるんだぜ・・・っていう、子供じみた欲望だ。

こんな事、妻に言えない。320km/h 出せるようになりたい・・・・なんて。

だから、行政の無言の圧力への抵抗だと。

でも、これでも、「どうしてあなたが国相手に?」となるだろうなぁ・・・。

というわけで、宝くじ当たったら、妻には内緒で・・・・・・なのだ。
 
 
 
p.s.違法なスピードを出している時には、手に汗をかいている。しかし、想像しただけでは手に汗をかかない。が、スピードを出していない時に、《ウーウー》とパトのサイレンを聞くと、手に汗が出てくる、、、、、。コレって、一体・・・・。

2009年06月17日

自己弁護

20090617_self_justification.jpg小太りで豆タンクのような女が、大股でカツカツと私の前を横切り、駅の改札へ向かう。私はおもわず道を譲ってしまい、すこしあとに、チラっとその女に視線をくれる。

やっぱり、、、、怒った顔してる。

なんか最初から怒っている人が増えているような気がする。結局、自分が損をするのに・・・・。

こういう態度をとっている人に、優しくしようとは思わない。それどころか、その人に利益をもたらす情報をあえて与えない“意地悪?”な心が芽生え、積極的にサボタージュする事になる。

私は、日々、こんな小さな事を繰り返し、心の平和を維持している。

「意地悪?」と「?」を付けたのは、私は、これがヒトの脳の仕様であり、自然な事だと理解しているからだ。ヒトの脳には互恵的な利他行動に反する“個体”“行為”に敏感に反応する機能があり、生存に有利なため淘汰圧を免れて現存しているということを知っているからだ。

だが、世間一般には、このような行為は“意地悪”と呼ばれるのだろう。

でも、何で“意地悪”って評価されるのだろう??

親切でないから意地悪なのか?

私は、後味の悪い自己嫌悪を催す行為は、“意地悪”だったなと感じるのだが、積極的なサボタージュには、後味の悪さは感じない。ただ、こういう行為が“意地悪”と世間一般で理解されている為、自分がそのような評価を受けるかもしれないという事に対して、後味の悪さを感じることはあるにせよ。。。。だ。


ヒトは脳から沸き起こる感情を言葉に置き換える作業をする。言葉で考える。

日本人なら、日本語で怒り、喜ぶ。

これも“脳の機能”とである。

同じ“脳の機能”でも、互恵的な利他行動に反する“個体”“行為”に敏感に反応する機能は『意地悪だ』とされてしまうのは、なんか、道徳的な教育、、、もしくは宗教的な、、、。

でも、側頭葉てんかんの患者のなかには、この宗教的な体験?をする人が多いらしく、神の啓示もまた、生存に有利なため淘汰圧を免れて現存している脳の機能だとしたら、、、、、。地域、言語(これは脳が考えコミュニケーションする為の手段だっ!)を問わず、宗教が存在しているんだから、ヒトの脳が持つ普遍的な機能、、、、、と考えてもおかしくない??

だとしたら、脳は、自分を否定する機能をも持ち合わせている・・・・?

この“機能”は、抑制性の神経系という“実態=形態”が実現しているのだろうか??


なんだか、ごちゃごちゃしてきたけど、脳の事を脳が考えている、、、、これって、なんか面白い。


まぁ、そんな事はいいとして、最初から“怒っている”ような雰囲気を醸していれば、こっちもやり易い。だけど、したたかに、謙虚に出られると、それが“最善”とは思わないことでも、受け入れざるを得なくなることがある。

いわゆる“巨悪”というのは、そういうふうに存在していけるのだろう。巨悪が必要度と二律背反の関係にあれば、存在するのも止む無しかもしれないのだが、、、、既得権益ばかりは、、、、

既得権益を守る人達が、最初から、喧嘩腰に“俺達の権利だぜ!”ってやらないところがミソなんだろう。
 
 
 
やけに、前フリが長くなってしまったが、、、、、

私の、最近のわからないことの一つに、薬学部学生の臨床実習に、是が非でも調整機構を使うことにしたというのがある。

この話題は過去にも何度かしているので、経緯はご存知の事として話を進めるが、某薬科大学では、調整機構に不安を感じ、OBが運営する薬局での実習を検討していた。ところが、途中で学長が代わると、遮二無二、調整機構を介しての実習に拘り、大学独自の実習カリキュラムを放棄させてしまったのである。

ここで、以下の引用を読んで頂きたい。理化学研究所の発行するオンライン版の小冊子に掲載されていたもので、2009年度より理研脳科学総合研究センターのセンター長に就任した利根川進と理事長野依良治のノーベル賞対談での利根川氏の話・・・

RIKEN NEWS 5月号 No.335 May 2009

日米では学部の入試制度も違いますね。MITには日本のような入学試験はありません。MITでは志望理由を書かせる小論文と面接を重視します。何千人もの入学希望者をどうやって面接するかというと、MITを卒業して各界で活躍している人たちに面接を依頼するのです。面接官はそれぞれの主観で学生を評価します。そして大学側では、その面接官が高く評価した学生が、入学してから本当にMITの欲しい学生だったかどうかを検証して、一致していなければ、その面接官を次回から外します。この方法は、試験で点を付けるほど客観的なものにはなりません。MITだけでなくハーバードなどほかの大学も同じような方法です。

 これは日本と大きく違いますね。日本の社会は戦後、あまりにも平等主義、客観主義を重視して、人の主観というものに信用をおいていません。特に研究のように創造的な仕事をする場合には、これはかなり問題だと思います。


私は、これを読んで、膝を打った。

大学独自で臨床実習先を確保する事自体、“仏作って魂入れず”の実態を放置した当局の怠慢に対する、強烈なカウンターパンチになるし、非常に合理的だと感じていたんだけど、この対談を読んで、大学独自の方式が、より優れていると確信した。

OBが後輩を鍛える・・・・すなわち、大学間の薬剤師養育の競争をもたらすわけだ。

世に出た薬剤師が使い物にならなくて、『どこの大学、出てんだよぉ。ったくぅ』とならない為にも、そして、出身大学の誇りを守るためにも、この方式のほうが利点が多いって思う。


何故、これが出来ないのか??

新たな学長の履歴書をみるにつけ、目は下(学生)ではなく上(国、保身)に向いているなぁって感じる。細かい事情は知らないけれど。

そして、現場では、暇で休日にも何もする事がない輩が、せっせと講習会に通い“認定”を取得し、この“認定者”以外を臨床実習指導できないように締め出している。

そして、その講習会の内容たるや・・・・・・。愚痴はやめよう。

大学間の薬剤師養育の競争に“質の担保”を求め、調整機構はOBの居ない、もしくは少ない大学の受け皿とする方が、よほど、学生志向で薬剤師資質向上に貢献すると思うのだが。。。。。


どの世界でもそうだが、魑魅魍魎を排除して実利を取るということは、日本語で考える日本人の脳を持っている人達が実行権を持っている限り、無理な事なのだろう。


というわけで、私は、小さな抵抗として、講習会に出席せず、認定も受けず、調整機構に組み込まれることを拒否し、学生実習に参加しないことにする。調整機構が破綻して、大学独自カリキュラムが復活し、低レベルの“認定”を必要としなくなる日まで。

(・・・・やっぱ、サボタージュ・・・だよなっ、どう屁理屈かましても・・・・ハハハ)

2009年06月19日

「脳死は人の死」案、衆院通過

20090619_braindeath.jpg「脳死は人の死」案、衆院通過まで“脳”の話題でエントリーを繰り返してきた。

いんな意見があると思う。だが、日本は民主主義で法治国家であるのだから、多数で決まった事(まだ、参院で可決されてないので・・・)は、受け入れるのが、この国の国民の務めだろう。絶対嫌なら、亡命でもすれば良い。。。。

だが、そういう私も「脳死は人の死」を、移植医療の為に成文化するところに、憤りを感じる。嫌だ。気持ち悪い。私の脳は、そのような感情を惹起している。弱者のエゴと弱者を利用して善人面する行為を助長するだけにしか感じられないからだ。

だから、私は、自分が死んでも臓器を提供するつもりはない。これは、意思表示だ!(私の臓器が子供に使えるかどうかは疑問だが、自分の子供になら自分の臓器が使えれば躊躇なく提供するけれど)

また、本心から他人に臓器提供したい人に、とやかく言うものではないので、あしからず。(“死”を考える時点で、それは個人の価値観であり、宗教である。多様性があるのが自然。決して医学・生物学、サイエンスで画一的にすべきではないと思っている。脳に“宗教モジュール”があることを証明するのが科学だとしても・・・)


ただ、どうして、こんな“究極の利他行動”を私は嫌悪するのか?と、自分なりに考えてみると、結局、現在の日本の人口、地球上の人類の総数、これが多すぎると、本能的に感じているからかもしれない。

リュック・ベッソン製作総指揮の『HOME 空から見た地球(リンク先は音が出るので注意!)』を見たのだが、私には、人口過剰で地球は壊れつつあるという事だけが、強烈に伝わってきた。

そもそも、ヒトにも、個体数に対するセンサーが存在していておかしくない。

過剰であれば、減らす方向に作動する。。。。。

戦争と平和?(War and Peace?)

Science June 5 2009, Vol.323

進んだ道具や楽器、芸術などの発達を含む現在の人類の行動様式は、人類に段階を追って出現してきたように見える。

最も初期の手がかりは、7万年から9万年前のアフリカにおいて見られるが、ヨーロッパでは4万5千年前ぐらいと遅れて出現している。

最近の議論の的となっているテーマは人類の社会性の起源とその意義である。

人類の初期の発展期中において、利他主義的な振舞いの利益は、その損失を上回ったのであろうか (Mace による展望記事を参照のこと)?

Bowles (p.1293) は、人間グループ間の紛争のモデルを構築し、考古学的および民族学的なデータから結果が分かれる境界となるパラメータ値を大まかに算出した。物議をかもすものではあるが、戦争状態は、利他的振舞いが現れ、永続することを強化したかのように見える。

Powell たち(p.1298) は、ひとつの人口モデルを与えており、それでは、現代的な行動の発達は、臨界的な人口密度への到達と、安定な文化の伝播に求められる移動性の行動様式に依存する可能性があることを示している。

このモデルは、アフリカとヨーロッパにおける人口ダイナミクスに関する遺伝的な推測と整合しており、これらの文化的な変化は、単に認識的進化の進展を反映しているのではない可能性があることを示唆している。

Did Warfare Among Ancestral Hunter-Gatherers Affect the Evolution of Human Social Behaviors?
p. 1293-1298.
Late Pleistocene Demography and the Appearance of Modern Human Behavior
p. 1298-1301.


まさに、『現代的な行動の発達は、臨界的な人口密度への到達と、安定な文化の伝播に求められる移動性の行動様式に依存する可能性があることを示している』であり、『戦争状態は、利他的振舞いが現れ、永続することを強化したかのように見える』だ。


ヒトは、人口過剰だと感じれば、利他行動は少なくなるように脳が変化し、人口が少なくなる=戦争などなどと感じれば、利他行動を多くするように変化するのだ。戦争をしている時のほうが、人間は他人に優しくなれる・・・なんて人間賛歌するつもりは無いけれど、単なるフィード・バックとして機能している!逆に現在の日本は、平和すぎるから、人間関係が殺伐として・・・・・。

まだ、十分に検証されてはいないのだろうが、十分、納得できる考察だ。


今現在、本心から『他人に臓器提供したい人』と思っている人は、その人の五感から入力される刺激が脳に伝わって、具体的に意識できるまでの過程が、私とは違うのだろう。日本、もしくは地球における人口を多く感じるか、少なく感じるか、、、ヒトは大脳皮質の肥大と共に、その感受性を多様化させたのだ。

培養細胞が、生育環境を感知して増殖をストップする過程に、個体差はないけれど、ヒトの場合は、高度な知恵が、そのセンサーに多様性を与えた・・・・・。何か利点があるのだろう・・・・。それが人類の進歩の原動力になっているのかも・・・・・。

人類の進歩の原動力が、地球にとって、地球に生存する人類以外の生命にとって、好ましいかどうかは、甚だ、疑問ではあるが・・・・。


追記:午後に追記する。
たまたま、『gooニュース畑』なるサイトを覗いたら、一般庶民の移植医療の勘違いの甚大さに気づいた。これは、国会議員にも言えることだから、ビックリだ。

これが世論(せろん=よろん)を形成し、法律を作っているのかと思うと・・・・。

例えば、心臓移植。これが“延命治療”といわれる所以は、ウィキペディアにすら出ている事だが、5年生存率という言葉があることからもわかると思う。

一般庶民や勘違い国会議員の言葉、『これで命が助かる人が増える・・・・』は、確実になにか勘違いしていると言える。移植を受ければ、あとは健常人と同じ余生が送れると。5歳の子供に心臓移植して、みんな80歳まで生きられると思ってるみたい・・・・・。

もしかして、、、、ヤラセのアンケートなの?ここって??俺は釣られたの??

2009年06月23日

まだらのヘビとおちんちん

20090623_snake_and_penis.jpgある日、あなたは男同士の親友数人とキャンプに出かけた。

早朝、あなたは親友の一人の悲鳴で目が覚めた。
急いで外に出ると、トイレの最中だったのだろうか。ズボンを下げた親友が倒れていて、マダラ色のヘビが彼の大事な所に噛みついていたのである。
あなたは、ヘビを棒で叩き殺し親友を助け起こした。
「おい。しっかりしてくれ」彼は必死で親友に呼びかけた。しかし親友は、意識はあるようだが朦朧としており、「う・うん」と唸るばかりである。
あなたは、脱兎の如くテントに戻ると、携帯電話で病院に電話をかけた。
「もしもし。ボクの親友がヘビに噛まれてしまったんです。ボクの大切な親友が!どうしたらいいんでしょうか」
「いいから、おちついて話なさい」医師は言った。「そのヘビの大きさは・・・模様は・・・」
あなたの話を一通り聞き終えた医師は言った。
「それは、かなり危険な毒ヘビだ。噛まれたところからすぐに毒を吸い出すしかない。そうしないと、君の友人の命はないだろう」

医師の助言を得たあなたは、その後、どうしますか??

他の親友達は、昨夜の深酒がたたってか、まだ、深い眠りの中です。。。。
 
 
 
私が、コミック雑誌“週刊モーニング”を読んでいた頃、当寺、連載中の“栄光なき天才達”で、強烈に印象に残っているシーンがある。

北里柴三郎がドイツ留学中の破傷風菌純粋培養および血清療法の創始という輝かしい業績と世界的な名声を土産に気揚々と帰国した時の事だ。港に船が到着する。しかし、誰も迎えに来ていない・・・・。
 北里「おかしいなあ・・・帰国の連絡はちゃんとついているはずなんだが・・・」

その後、東京帝大に出向くのだが、、当時の医学部長、青山胤通が、、、
『師弟の道を解せざるもの、、わが帝大に用なしっ!』
と面会もせず、、、、

状況がが飲み込めない北里
 北里「師弟の道を解せざる者・・・どういう意味だ?(つぶやき)」

そこへ、森林太郎(鴎外)が来る。
 北里「おお、森君。君は何か知ってるのか?」
 森「“師弟の道”の師とは東大教授緒方正規先生のことです」
 北里「緒方君の?」
 森「北里さんはドイツに旅立たれる前、6ヶ月ほど細菌学の基礎を身につけるため緒方さんの助手につきましたね?」
 北里「ああ、確かについた。あの時のおかげで私はドイツに行ってからずい分助かったよ。緒方君には感謝している」
 森「その恩を、あなたはアダで返した」
 北里「え?・・・(ハッとなる)脚気菌のことか?」
  うなずく森。
 北里「バカな・・・あれは・・・」


今でこそ、脚気の原因はビタミンB1不足だと知らない人はいないが、明治18年(1885年)当時、東大教授緒方正規は、脚気の病原菌を発見したと発表。脚気は当時の日本において、深刻な病気であったので、もし事実であれば画期的な発見であるとされていたのである。

留学した当初、北里はドイツ人学者から、脚気菌の真偽について問いを受ける。北里は追試をやってみたが、答えは、否定的。ペーケルハーリングが発見した菌も、師 ― 緒方のものも、いずれも雑菌の一種であって、脚気の病原菌とは認められない、と結論し発表したのだった。

明治14年、最年少(19歳)で東大医学部を卒業した森鴎外は、この時30歳にして陸軍二等軍医正(少佐に相当)。のちには45歳で軍医としての最高位、陸軍軍医総監の座にのぼりつめ、第八代陸軍省医務局長の椅子につく。この超エリートも終始東大医学部側を支持し、以後、北里と対立していくことになるのだが、、、、

重要なのは、このおかげで、当時の陸軍には脚気に倒れる軍人が後を絶たなかったことだ。日清・日露戦争では、戦死者の半数以上は脚気が原因と言われている。ところで、司馬遼太郎は『坂の上の雲』で、この辺の事情には全く触れていない。全てを野木希典の愚策のせいにしている。もっとも、脚気で死んだ・・・・じゃ、小説は面白くない・・・。おっと、脱線、ご容赦。

海軍は、後に慈恵医大を創立する高木兼寛(海軍軍医総監まで上りつめる)が脚気栄養欠陥説を提唱し、イギリス流の麦食により、脚気の発症を防いでいた。戦地での米食一辺倒の陸軍との違いである。
 
 
 
近年、その機能の見直しと認識改革を迫られた臓器がある。脂肪組織だ。脂肪を臓器と言うのには抵抗があるかもしれないが、単なる“貯蔵庫”だと思われているものが、ホルモンを産生し、恒常性を維持していたとは、、、、、青天の霹靂、、、、、、。

今現在、心臓の機能を“循環のポンプ”の他に“ホルモン産生”としている人は少ないだろう。ポンプ機能だって、形態としてどこからどこまでと厳密に定義できるわけでもないのに、、、、、一般の人に至っては、「ありえなぁ~いっ」って言うだろう。結局、実態ではなく、イメージとして知っているだけなんだよね。

自律神経系の上位中枢は脊髄および脳幹であり、これはさらに上位の視床下部や大脳辺縁系などによる調節を受ける。これはさらに上位の・・・・・・と。心臓も神経支配をうける臓器であるのに、、、、、

そして、移植心臓に神経を接続する事は出来ないのに、、、、、(しかも脳からの無視だけじゃなく胸腺からの拒絶も大きな事実・・・・・なのに、みんなで無視してる?)

イメージとして知っているだけで、侃侃諤諤、喧々囂々やっちゃう、、、、、
 
 
 
時を経て、過去を振り返るとき、「なぁ~だ、そんなこともわかったなかったんだぁ」というのは簡単だ。明治期の陸軍の米食を否定するのは簡単である。ただ、当時、一方(海軍)では出来ていた事を出来なかった事情は知る由も無い。あの文豪と呼ばれた天才、森鴎外にしてそうなのだから。
 
 
 
もし、自ら、親友の局所から蛇毒を吸い出すことの出来る人が、「人道的に、子供には臓器移植を・・・・」と訴えれば、私は聞く耳を持つだろう。(毒蛇に噛まれずとも吸いたい人は除く)

この行動は、根拠の無い信念より生ずると思われるが、ある意味、まねの出来ない立派な行為である。(映画“アルマゲドン”で泣ける私の価値観は、こんなものです)

しかし、蛇毒を吸い出すことが出来ない人が、いくら「人道的に・・・・・」と叫んでも、ハッキリ言ってシラけるだけである。私にとっては。現在の最先端の医学をもってしてもね。そういう意味で時期尚早・・・・・。(文科省が本年度iPS細胞研究に100億円がどうたらこうたらって記事を目にしたが、一桁、足りないんじゃないの??不毛な議論を避ける為にもね)

これを言うと喧嘩になりそうだけど、家族も含めて延命治療に賛成する側の自己満足、自慰的な満足感だけは得られる、、、、、現在の移植医療はそんなレベルだと感じている。そして医療行為者はまるで『ハリ・アドラ』だ。

ブラック・ジャックだって言っている。。「X線像で出来損ないということはわかっていたんだ。だから殺した方が母親のためだったんだ。それとそんな赤ん坊を生かすのが神の思し召しなのか」「……」「そのカエルみたいな脳みそのない子がどんな一生を送るというんだ。殺すんだ。そのほうが慈悲なんだ」

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