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2009年07月 アーカイブ

2009年07月03日

ダブル交配は質が低下(Two's a Crowd)

20090703_gender_free.jpg子供を作りたくなかったら、、、、、、。

夫には言えないが、妻だけが、子供が欲しくない場合、夫に隠れて不特定多数と交われば、子供が出来にくい。


今、通勤電車での読書は、渡辺淳一。

20年以上も前の一時期、渡辺淳一に凝っていたことがあり、その時、買い漁って、まだ、読んでなかった本を読んでいる。『1Q84』は、まだ買ってない、、、ってゆーか、まだ買えないから。

で、渡辺淳一の“濃い男女関係”ものを読んでいるせいか、真っ先に、こんな事を考えてしまった。

これが、普段なら、『少子化は、女性の性のモラルの変化だ』となったであろう。

こんな事を言ったら、ジェンダー関係(なんだそれ?)の論客にコテンパンにされそうだが、生物としての性の分化と進化の結果だから仕方がないよなぁ!

結局、昔ながらの“淑女”が子供を得るには必然だったのだ。(微妙な差だけど大きな差なんだよ・・・きっと)

Science June 26 2009, Vol.323

オスとメスがそれぞれの適応度を最大にするために競い合うというこのプロセスは、彼らの子孫の適応度にも影響する。

性の選択の多くは、一妻多夫(polyandry:メスによる複数の交配)に由来し、この一妻多夫の進化を説明する幾つかの拮抗する仮説が出されている。

Bildeたち(p.1705)は、潜在的なメスの選択と性的拮抗作用の根底にある二つの理論を明白にするため、カブトムシ類(seed beetles)においてダブルの交配実験を行った。

予想に反して、遺伝的な適応度が高いオス(メスと一回の交配をした時に生まれる子供の数に基づいた尺度による)は、メスが高、低の遺伝的適応度を持つオスの双方とダブルで交配すると子供の数が少なくなった。

このように、交配後の性の選択は低い適応度を持つたオスの遺伝子型に有利となり、メスは複数のオスと交配する時には遺伝的な代償というリスクを負うことになる。

Postmating Sexual Selection Favors Males That Sire Offspring with Low Fitness
p. 1705-1706.


ただ、勘違いしないで欲しいのは、私は、少子化自体を“悪”で改善しなくてはならないなんて、これっぽっちも思っていない。それでなくても日本は人口過剰だと思っているのだから、減る事は大歓迎だっ!!!

だから、女性の性のモラルの変化をとやかくいうつもりは、さらさらないっ!

私が気に入らないのは、将来の福祉政策に日本人の“あたまかず”を当てにしていることだ。極端な話、これって、“ねずみ講”と一緒だ。未来永劫、人口が増え続けるなんてありえない。当たり前の話だ。

今、やらなきゃならないのは、将来の人口に依存しない福祉政策、具体的には“税制”の構築だ。

これを考えずして『少子化担当大臣』なんてナンセンス!!これを税金の無駄遣いと言わずしてなんとしょう。イライラを通り越して、あきれ果てる。

ってゆーか、政治家や閣僚に、半数は理系、それもライフサイエンス出身者を入れる法律を作るところからやらなきゃ始まらないよなぁ。キャリア官僚だって、理系が少なすぎる。

そうすりゃ、ポスドク問題もすこしは解消・・・・・(なのかっ?)


まぁ、それは置いといて、科学的な常識を持ち合わせない、裏を返せば事実を知りたくない、知ったところで何も出来ないから敢えて知ろうとしない、理系から逃避する無責任な人間(※注)が増えるってことも、ある意味、大きな流れの中の予定された事なのかも。

“性の解放”、とくに女性の性の解放は、個体数が増えすぎないようなフィードバックとして機能しているのかもしれない。

個々の女性に、『昔の女性のように・・・』と言ったところで、どうにもならない。

どうにもならない、、、、、、事自体が、神の思し召し・・・・・。なんちゃって。


戦争や病気で人が死ななく(死んでる国、地域もあるけど)なって、まだ、100年も経っていない。

そんな時代を予想していたかのように、出生率が減少する・・・・・・・。

私は神の存在なんてものは信じていないけど、自然の摂理を“神”と呼ぶなら、今、こうして無限とも言える偶然の積み重ねの結果の存在である我々人類は、擬人化したそういう存在を考えるのも、自然なのだろう。(脳がそういう機能を持っていたとしても不思議じゃない)


宗教を政治の道具に使うのでなければ、“神”を認めてもいいんだけどなぁ。


※注:移植医療を感情論だけで議論する人達を指す。しっかり議論したいなら、ライフサイエンスを学んでからにしてほしい。誰だって、愛しい人には生きていて欲しい。でも死ぬのは生き物の宿命だ。ドナー臓器がレシピエント(移植を受けた人)の体の一部になる事はありえないのだ。生物学的に。延命治療として議論するならともかく、確立された治療法だと錯覚している人を巻き込んでのイメージ操作的な議論は、吐き気がする。

読売新聞の世論調査で、15歳以下の臓器提供に“是”の人が7割超えるって出てた。

脳死を人の死とする。そこまでは当然だろう。だけど、その後がイケナイ。。。

そのうち、臓器提供しない人は「人道的じゃない」って言いかねないよねっ。いやだねぇ、世も末だよ。(臓器提供を人道問題に摩り替えるのなら、医療に宗教を持ち込むのも“是”とすべきだ!マスコミよっ!)


まぁ、この手の問題は、どちらが正しいと答えを出せるものじゃないから、ややこしいんだけどね。

人は見たいものしか見ないように出来てるし、自分は正しいって思う生き物だから。

(しかも、正しい、正しくないと判定する問題ではないんだよね)このへんは、わかっちゃいるけど、マスコミの正義感や人道的な論調に、嫌悪して反射的に行動しちゃうんだよねぇ・・・・。こういうエントリーみたいに。。。。

脳:見たいものだけを見る

Nature vol.460 (7251), (Jul 2009)

ヒトは、視野の中で興味を引く物体をすばやく見て取る能力が非常に優れている。

健常人に一連の写真を見せ、その中から人か車のどちらかを見つけさせる際の機能的磁気共鳴画像に関する研究で、この現象が視覚系によって達成される仕組みが明らかになった。

取り組んでいる課題にかかわらず、対象が視野のどこにある場合でも、また意識的に見ていない場合ですら、脳は目的とする物体がそこにあるかどうかを即座に決定する。

興味深いことに、脳内では外界が完全に表現されているという我々の主観的経験とは違って、現実の世界の情景の神経表現は、現在行っている行動に直接関係のある物体に限定されることが実証された。


Letters to Nature p.941


オマケ・・・・

私は、悔しくってしょうがない。特に、ポルシェに負けるところ・・・・だって、GT-2 を持ち出すなんてずるいよ。公平をきすなら スペックV を持ってこなきゃ・・・・。

ZR1 Drag Race King - Spanks GTR, 599, and GT2

でも、ブカッティには、誰も勝てなてから・・・・・、これ見て溜飲が下がったけど・・・。

Top Gear Bugatti Veyron vs Mclaren f1

と、いつでも正直なオレでした。チャンチャン。

2009年07月07日

医療従事者向けN95マスク・防じんマスクDS2 フィットテストビデオ

20090707_aston_one77.jpg昨夜は、娘と七夕の飾りつけをせっせと作っていて(作らされて)、今日は、すこし首筋が痛い・・・・・のだが、インフルエンザ騒動は、まるで台風一過のような静けさだ。熱しやすく冷めやすい日本人気質をよく表していると思う。感染症に対してこんな事じゃイケナイんだけど、まぁ、ショウガナイ。その昔、寺田寅彦が指摘しているように、日本人は、適切に恐れる事が出来ないのだ。

さて、時代はエコだ。

そんな時代に、アストンマーチンは One-77 を発売した。名前のごとく 77台の限定生産だ。価格は100万ポンド(1.5~2億円)でV12気筒7.3リッターエンジン搭載、最高出力は700psオーバー、0-96km/h加速は3.5秒をマークする。

恣意的なマスコミや環境問題に一家言ある有識者などは、格好のネタにする。

『こんな時代に、なんと空気の読めない・・・・・』
『時代錯誤も甚だしい・・・・・』

などと。

だけど、考えてみて欲しい。One-77 を買うには手付金3000万円をポンと払い、納車時には残り全額を支払う。こんな人達が購入者だ。その半分の車は、実際には動かされる事は無く、コレクションとして飾られるという。まして、一般庶民がしているように日常の足として、あるいは通勤の足として、使われる事は皆無であろう。

化石燃料消費による CO2 排出の絶対量は、どれほどのものだろう??

この車が与える環境への影響は、一体どれ程になると言うのだろう??

私は、この車の生産に対して環境への配慮がどうのこうの、購入者の環境に対するモラルがどうのこうの・・・との方向に話を持ち込むマスコミや有識者の姿勢が、豚インフルエンザの時の報道姿勢と酷似していると、寒気を覚えた。

実際の被害より、イメージで話を飛躍させるのだ。プリウスと One-77 を直接比較するみたいな。

そして、一般庶民は科学的常識の欠除(何が肝心要なのか理解できない)により、このような扇動の餌食となり暴徒と化す。

やがて、のどもと過ぎた頃には、(リスクの評価を出来ない、理解不能の事だから仕方ないのだが)無関心となるのだ。。。。。エイズやプリオン病のごとく。


マスクの着用に関しては、当時のテレビ映像で見る限り、まともな物を使用し、まともな装着法をしている人は、皆無であった。

『マスク着用で感染が予防できる』という“文字通り”この文脈だけの、情報と言うにはあまりにもお粗末な“噂話”を頼りに暴徒の如く販売店に押しかけ、我先に買い漁った人達がいたのは記憶に新しい。

企業の対応にしても、また、然である。フィルターとして機能してないような装着法であっても、つまり、形だけあれば社屋への出入りを許す、装着なしなら出入り禁止みたいな姿勢・・・・これ、すなわち、人を思い、感染を防ぐにあらず、責任逃れの以外のなにものでもない。

行政の対応にしても然である。とんでもなく過剰反応で意味の無い行動をとった事だけをみても、責任逃れと言われても仕方が無い。

もっとも、企業と行政は、世論(せろん)が怖いから、同情の余地はある・・・・・。毅然とした態度で対応・・・・・、ババ抜きのババを引くような行為を、誰がやるのか、、、、誰もやれないから。。。。。しょうがない。


“頭に血が上っている状態”では、『マスク着用で感染が予防できる』という文字通り、この文字数以上の情報を与えても理解してもらえないだろうが、今なら、冷静に“聞く耳”を持ってくれるかも知れない。
(熱くなった頭に解らせるには、『マスクは効果が無い』と言うしかなかったのも同様。これ以上の文字数は右耳から左耳にぬけてしまっただろうが、今なら文字数は増やせるかもしれない。結局、『予防できる』から始めても『予防できない』から始めても条件を付けて詳しく説明していくと、同じ意味になる。同じ現象をどのように表現するかの違いなのだ)


マスクは“道具”である。

だから、正しい使い方がある。

正しい使い方をしないと、本来の機能を果たせない。

電源を入れないパソコン、ソフトウェアを起動しないパソコンが、なんの役にも立たないのと一緒だ。

そして、道具に100%はない。

正しく使っても限界がある。

正しい使い方と、それを使う場所、使う状況によって、又、使う人によって、使う環境によって、その有効率は変化するのだ。

これらを踏まえて、秋口からと予想されている、もう一つの感染の山に備えるのも大事な事だと思う。

医療従事者の末席を汚(けが)すものの一人として、正しい情報を伝える・・・・・なんて、殊勝な事を言うつもりはさらさらないけど、こんなビデオがあるって、私も最近知ったので、ここをご覧の方に、情報のおすそ分け、、、、って感じで、エントリーしておく事にする。


見るも見ないも、その人次第だけど、私には役に立ったよ!!!

だから、私の職場では、N95 マスクを何種類か購入して、フィッティングテストして、(もし、強毒性なら)秋以降の流行に備えようと思っている。。。(管理者の責任!?)


だけど、まぁ、一般の人が雑踏の中や電車や職場での感染する機会と、そんな状況での感染防御率でメリットがあるかどうかはわからないんだけどね。それが、「マスクでの市中感染予防のエビデンスはない」という結論になるわけだが、医療機関のようなハイリスクに場所では、恩恵はあるんじゃないかなぁ!!

ところで、最近、YouTube 動画を貼り付けてるエントリーが多いんだけど、職場でのインターネット接続環境によっては見られない人もありそうだ。

そんな人は、、、、、、プロキシ回、、あっ、まっ、がんばってくだされ。

2009年07月08日

移植法修正A案を発表…参院議員有志「提供時に限り死」

20090708_transplantation.jpg私は、娘が不慮の事故で脳死状態になったとしても、絶対、臓器提供はしない。


移植法A案が参議院に回って、一部を修正して可決しそうな雰囲気だ。

衆議院で可決された段階では、親族への臓器優先提供という文言が盛り込まれていたそうだが(ぜんぜん知らなかった)、修正A案では、取り消され?(読売新聞社の概要図が曖昧の為、よくわからない)かわりに、法施行3年後の見直しなどの文言が盛り込まれるようだ。

そして、もっとも不思議なのは、現行法と同様、脳死の位置付けを曖昧なままに置き去り、移植だけは15歳以下でも可能にしようというものだ。

・・・・・・なんなのだ???これは???
(穿って見れば、賛成派、反対派の双方のガス抜きが出来る折衷案なのだろうが、よくわからん)

移植法修正A案を発表…参院議員有志「提供時に限り死」

 自民、民主、公明党の参院有志議員は7日、衆院を通過した臓器移植法改正案のA案の修正案をまとめ、発表した。

 A案が脳死を「人の死」を前提としている点を修正し、現行法通り臓器提供時に限って人の死とすることが主な柱だ。9日にA案を審議している参院厚生労働委員会で修正動議を提出する見通しだ。脳死が「人の死」であることを前提とせずに、本人の意思が不明確な場合でも家族の同意だけで臓器提供が可能かどうかが議論になりそうだ。

 修正案をまとめたのは、西島英利、衛藤晟一(自民)、谷博之(民主)各参院議員ら6人。

(2009年7月8日 読売新聞)


さて、冒頭の私の『絶対、臓器提供はしない』という決意を読んで、あなたはどのように感じられたであろうか?

私の事を『人道的じゃない』『人の情けを知らない』『自分勝手で冷徹なヤツ』などと感じなかっただろうか?

そう感じたあなたは、多分、新聞などで見かける『「もっと早く法改正の議論をしてもらえれば、○○郎も今、元気だったのではないかと思えてならない」』とか『妻が抱える息子の遺影を見つめ、「A案で採決できたよと報告できる。参院審議があるが、一歩踏み出せた。息子と共に最後まで頑張りたい」』などの文章で、目頭を熱くするタイプなのだろう。

こういう感情を惹起する人達は、移植法案採決などという状況で、臓器の提供側ではなく臓器移植を受ける側にシンパシーを感じがちで、自分自身に当てはめる時提供を受ける側として想像しがちな人達だ(新聞やテレビ報道でそのように仕向けられているからかもしれないが)。

そして、多分、その人達は、自分らの感情や態度を“人道的”であり“情に熱い”人間だとして誇りに感じている。

『人の命を救う事は、何にもまして尊い』、心からそれを思える自分は、、、、と。

そして、そのような認識は、世論(せろん)にもある。

それが証拠に、新聞にも『「前日まで元気だった子が、急に事故や病気で脳死状態になった場合、家族は冷静な判断ができない」として、本人の意思が不明でも家族に判断が委ねられるA案に異議を唱えた。』と書かれるように、反対する人達も、臓器提供を断るのに、“冷静な判断の上である”という大義名分を必要としている事からもわかる。

つまり、臓器提供を断るのに“うしろめたさ”を感じているのだ。

冷静に判断するなら“臓器提供することが人道的である”と皆が思っているから、拒否する事は“非人道的”な人間だと思われてしまうんじゃないのか・・・・・と。
 
 
 
嫌なものを嫌といえない、、、、、、これって、一体何なのだろう?

人命を人質に言論・思想の弾圧・・・・?価値観の画一化・・・・?ある種の全体主義・・・・??
 
 
 
マスコミは、そういう方向に、もって行こうとしている???

マスコミのやりそうなことだ。マッチポンプの“マッチ”の仕込みなのだろう。。。。そのうち、反対方向にいくんじゃない?子供の臓器が狙われる事件が起きたりしたらね。
 
 
 
だから、敢えて私は、『娘が不慮の事故で脳死状態になったとしても、絶対、臓器提供はしない。』と言う。
 
 
子供の命を救う事自体に異を唱える人はいないだろう。当たり前だ。

いくら私が事あるごとに『日本は人口過剰だ』なんて言っていたとしても、救うことが可能な命を救う事に異論はない。だが、単なる延命は違和感を覚える(価値観を異にする事を否定するわけじゃない)。


人が生まれるのは、その親の“性欲”の結果だ。行為をしなければ生まれはしない。自然の摂理だ。そして、自然の摂理は、100%を保証していない。(保証したら、種から亜種が発生せず、生物の進化はない)

現代人の感覚で言う“五体満足”で生まれない場合もあるのだ。これこそ、万人に平等に、機会は均等に訪れる。

“五体満足”で生まれる事を100%望む事自体が間違い。悲しい事ではあるけれど。

五体満足で生まれなかったことが、不平等ではないのだ。

自然の摂理に不満があるのなら、神様に恨みを言えば良い。

こんな辛い目に逢いたくなければ、“性欲”の結果、子供が出来ないようにすれば良い。ペットの死に遭遇するのが辛いから、動物は飼わないというのと同じだ。

現代人は知恵も術もがあるんだから、臓器の不全で子供を失うなどの悲劇を味わいたくなければ、子供を作らなければ良い。

子供を作るって言う事は、それだけの覚悟の上で、すべき事だと、、、私は思っている。

だから、『「もっと早く法改正の議論をしてもらえれば、○○郎も今、元気だったのではないかと思えてならない」』とか『妻が抱える息子の遺影を見つめ、「A案で採決できたよと報告できる。参院審議があるが、一歩踏み出せた。息子と共に最後まで頑張りたい」』などの文章を新聞で読むと、非常に違和感というか、嫌悪感を覚えるのだ。


(私が、“出来ちゃった結婚”に、嫌悪を感じるのも同じ理由だ。どうでもいいけど)


ここまで読まれて、私の事を『人道的じゃない』などと感じた人の中には、『(おまえは=私のこと)どうせ、自分の子供が移植を必要としてないからだ』なんて思う人もいるだろう。

私の子供は、心臓移植を必要としている。。。。。

かどうかは、わからない。現時点では必要はなさそうだ。今まで、娘の心臓を調べた事もないし。

いずれにせよ、もし、娘に移植が必要になっても、移植して延命しようとは考えていない。

今、死ぬ事と、3年後、5年後、10年後、15年後、20年後、25年後(現時点で心臓移植に、これ以上の実績は無い)に死ぬ事に、特別な差を見出せないからだ。

でも、私の価値観を、他人に押し付ける気は、ない。


だから、移植が人道的であるなんて価値観を強要するような世論(せろん=雰囲気)に嫌悪を感じるのだ。


価値観は、人それぞれ。臓器提供したい人はすればいいし、子供が脳死になって親がその臓器を提供したいならすればいいし、臓器移植を受けたい人は受ければ良いし。

それぞれの価値観にしたがって行動すれば良いだけで、他人にとやかく言われる筋合いのものじゃない。

新聞に取り上げられている(移植が出来ずに)子を失った親は『もっとはやく、、、、』と言っているが、移植を受けさせなかった法律を恨み、制度を恨み、そのうち、『脳死のくせに、何故、臓器を提供してくれないんだ』と人を恨むんだろう。。。(かわいそうに・・・ある意味、偽善者達の犠牲でマスコミのオモチャだ)
 
 
マスコミ!なんでも世論(せろん)調査すれば良いってもんじゃねぇんだぞ!!わかってんのか?ゴルァ!!こんな事(死生観)は、どっちが多いとか、どっちが正しいとか、どっちが正義だとか、どっちが人道的だとか決める事じゃねぇんだよっ!バカっ。

2009年07月13日

リミット~刑事の現場

20090713_Limit.jpgいやー、私、ついに捕まってしまいまった。。。。。。

ガ━━(゚Д゚;)━━━ン!!!!!

何がって?道路交通法違反・・・・・・・。速度超過だ。


で、タイトルの『リミット~刑事の現場』と、どう繋がるのかって言うと・・・・・。

警察は、市民の安全や事故防止が仕事ではないというところだ。

このNHKドラマで武田鉄也扮する刑事が、部下の若い刑事に向かって発する言葉は、決して自虐的なギャグではなく、ごく当たり前に、当然の如く遂行している職務なのだ。


違反は取り締まる。


警察と言う仕事にどっぷりと漬かっていると、市民の安全や事故防止という本来の目的を忘れてしまう。それはなにも警察に限った事ではなく、病気を見て病人を見ることが出来なくなっている医療従事者と同じだ。

何故か?

“病人を見る”ということをすると経営不安定になり、結果が患者にとって思わしくなかった場合裁判で負け、医師の場合なら学位や専門医の資格も取れなくなる。じゃ、取らなくてもいいかと言うと、患者は大学の権威や学位や専門医の資格に“医師としての腕”を見る。

患者は病人としての自分を見て欲しいのに、病人として見れなくなる価値観を医療従事者に押し付け、自分で自分の首を絞める結果に、、、、

という、誰にも是正できない構造がある。

そして、マスコミがそんな価値観を助長させる。“割りばし事件”で医療側当事者が『マスコミの報道に怒り覚える』と公にコメントしているが、もっともな事だ。あの事件を二度と繰り返さないようにするには、《ものをくわえさせたまま子供を連れ歩かない》ということに尽きる。このことに最大限の報道時間と紙面を割かずして、マスコミの善意は“偽り”だとの謗りを免れない。

そして、医療側当事者が言っている、、、、
《医療では確率を重視します。最も確率が高いと思われる疾患から鑑別していく。したがってすべての疾患の可能性について確認できるわけではありません。それを日常診療でもし実践していたら、医療は破綻します。この点が医学的に言う可能性と、医療の違いです。医学的にはすべての可能性を検討しますが、医学の知識をいかに限られた社会資源の中で行うかが医療です。われわれは考え得る疾患の可能性と、その疾患を発症する確率を常に考え合わせて医療をやっているわけです。不必要なCT検査を実施したら、保険請求上、削られますし、それをたびたび繰り返せば医療機関としての適格性を疑われて、審査されます。もちろん、削られても医師が必要であると判断した場合には、検査をします。本件の場合は、担当医が必要ないと判断したから、CT検査を実施していません。》

言っている事は、至極、当然、当たり前の事だ。

私は、これを“病気を見て病人を見ることが出来なくなっている医療従事者”と呼ぶ。


『リミット~刑事の現場』での「やさしさによる救済」は、医療に置き換えれば、この“割りばし事件”で子供を失った家族の気持ちを第一に考え、どうしたら彼らの溜飲が下がるのかを考える事に繋がる。

そして、それは、とりもなおさず、医療において“患者を見る”事に繋がる。

二兎を追うものは一兎をも得ず。。。。。患者を見ると(患者の満足度を満たすと)医療は破綻する。

そんな、むなしさが沸いてくる。
 
 
 
今回は、そんな医療の構造的な問題を指摘するのが目的じゃないので、解決不可能なこの問題は置き去りにして、今回、エントリーしたかったこと、すなわち、“愚痴”を炸裂させることにする。

私も、小市民として、警察の速度取締りには“頭にきて”いる。

道路交通法が作られた、、、っていうか、道路を車で走る時に、みんなの利益が最大限になるように自然に出来上がったルールが、道路交通法に繋がっているはずだ。


そして、みんなの利益とは、交通事故で怪我や死を免れる事と、円滑な流れだ。

ここんとこ、よく覚えておいて欲しい。


これが、法律と言う厳しい名前になると、とたんに、目的が違反者取締りに変わるのだっ!

私が速度超過した時の高速道路の状況は、平坦で距離として1キロメートルも続くかと思われる一直線、目の前には、一台の車もない、そんな状況だ。

ご存知の方も多いと思うが、千葉京葉道路館山線、市原のあたりに、こんな道路が突然現れる。

ゆるい左カーブを抜けるまで、何故か、団子状態で100km/hを守っていたグループの先頭の3台余りが走行車線に移動し、私の目の前は開けた。私は、スルスルとその団子を抜け出した。前方には目視で1キロほど先に、車の集団が見えるだけだ。

そのまま加速を続けながら、チラっとルームミラーを見ると白いクラウンが車線を変更し私を付けてきた。

「フン」と私。

この時、GT-R だったら、計測される暇を与えず、前方の集団に追いついていただろう(このキチガイのような怒涛の加速が違反かどうか、私はしらないのだが)。だが、この日は、妻のミニ・クーパーを運転していた。

10秒ほど加速して、再び、ルームミラーを見た時は、すでに、ラジエータグリルの中に二つの赤いライトが点灯していた。

私は、頭が真っ白になって、加速を緩め、走行車線に移動したが、そのまま、路肩に停車する事を指示された。。。。。

ステアリングを切る事も、前方に車もいない状態で、メーター読みで140km/h に達していたのだ。瞬間的に。


私にしてみれば、この状況での 140km/h に危険があるとは考えられない。ミニ・クーパーは、本国ドイツでアウトバーンを150km/h で巡航している。そして、その速度に達すると、矢の様に突き進むようになる。

ただ、この白いクラウンの覆面パトカーに乗っていた警官達も、いくら仕事とはいえ、私に同情してくれたのかもしれない?非常に低姿勢で丁寧な対応をしてくれ、24キロオーバーでキップを切ってくれたのだ。。。。。。。がっ、、

そんな対応だったばかりに、怒りをぶちまける事も出来ず、理想的な違反者を演じてしまったりした私、、、、

鬱憤を晴らせない私の不満は、収まらない。

状況も考慮せず、一律に超過した速度だけを問題にしているところにっ!

車種を問わず、速度超過が、即“危険”だとしているところがナンセンスだろうがぁ!!と。同じ道路状況にしても、図体がでかくて重い“ミニバン”などと一緒にしてもらっては、迷惑なのだ(この表現にミニバンオーナーはムカつくかも知れないが、事実だ)。トラックなんぞは言語道断(職業ドライバーは時間との戦いは知っている)だしっ。

十把一絡げで取り締まってんじゃねぇぞっと。

と声を大にして、警官に不満をぶちまけたかったのに・・・・・・


・・・・・・以上を、私自らが“愚痴”と言っているのは、そんな“危険度”に関わる多数の因子を鑑みての理想的な取締りが、実現できるはずがない事を判っているからだ。

これは、リアルな“医療”の現場で、非医療従事者の立場の方々が感じる不満と、ほぼ、同じなんだろう・・・とわかっているからだ。


市民の安全や事故防止の観点からは、私のような速度超過を取り締まる事に、意味は無い。私はゴールド免許を二回も更新している、特別、慎重な運転者だ。色んな意味で。絶対、安全だと思える状況でしか、速度を出さない。(単なる小心者なんだけど。ハハハ)

と、自分の行為をいかに正当化しようとしても、それは空しい。。。。。結局、個々のケースの危険度を厳密に考察なんぞしていては、警察は人も時間も足りない。検査値だけで、一律に、薬漬けにしている現代医療と、同じ構造だ。


警察に「頭にきたぞぉ」と言いつつ、その言葉が自分に帰ってくる。。。。虚しい。。。

2009年07月14日

豚の心臓、マントヒヒの心臓

20090714_pig.jpg諸般の事情により、大慌てで、参議院を通過した“臓器移植法”。

脳死は人の死、と決まったそうだ。

ただ、脳死の人から心臓を剥し取る必要がなければ、定義も必要ない。不思議な“述語”である。

ところで、細かい事を言えば、脳死は医学的な“死”の定義ではない。

脳死を医学的な人の死と勘違いしている人も多いが、医学的には言うならば“ヒトの死”と言わねばなるまい。

言葉のあやといいなさんなよ!大切な事なのだから。

医学的にも人の死だと言うのなら、医学は科学にあらず、社会学だと言わねばならないだろう。(私自身は医学は社会学だと思っているが、大衆のコンセンサスは科学にあるだろうとして考えた)

ウィキペディアによれば、社会学(しゃかいがく、英:sociology)とは、社会現象の実態や、現象の起こる原因に関するメカニズム(因果関係)を解明するための学問である。その研究対象は、行為、行動、相互作用といったミクロ・レベルのものから、家族、コミュニティなどの集団、組織、さらには、社会構造やその変動(社会変動)などマクロ・レベルに及ぶものまでさまざまである。思想史的に言えば、「同時代(史)を把握する認識・概念(コンセプト)」を作り出そうとする学問である。


私は、脳死は『ヒトの死』だとは思うが、『人の死』だとは思わない。

なんで“ヒトの死”が“人の死”じゃないんだよ?って思うかもしれないが、臓器を摘出するためだけに存在する定義を“普遍的”な定義にするには、違和感を禁じえないからだ。

憲法にも書かれている。“人の死”は思想の自由の範疇なのだ。


今回は、糞も味噌もごっちゃにし、大衆を操りたいだけのマスコミに誘導された世論(せろん)を背景に得られたコンセンサスに基づく“法改正”と言ったところだろう。


まぁ、そんな事はどうでも良いんだけれど、くれぐれも、目を背けて欲しくないのは、体温もあり、呼吸もしている体から、力強く脈打つ心臓を取り出した瞬間、その人は完璧な?屍となると言う事だ。

死刑廃止を人道的な見地から主張する人達は、よく、こんな事を言う。『現場で死刑を執行する人達の気持ちを考えろ!』と。

では、移植に立ち会う医師、それも、まだ、脳以外は機能している体から心臓を剝がし取る医師の立場はどうなるんだろう?

自分の手で『息の根を止める』医師の気持ちを、どのように考えているのだろう??

自分で選んだ道だろう!って言葉は、刑務官にも当てはまる。
人の体を切り刻むのが、好きなんだから・・・・って言葉も、刑務官にも当てはまるかもしれない。

人道的な発言を繰り返す連中は、都合の良い局面だけにこういうケースを利用する。


たとえば、10歳で心臓移植を受けた子がいるとしよう。

その心臓は、10年間機能し続けるとすると、20歳までは生きられるわけだ。その子が18になった時、殺人事件を起こす事だって考えられる。

病気で弱者は善人である・・・・と思いがちだが、そういうわけにはいかない。

本来なら死んでいた人が生き続けた為、本来なら行き続けられた人が死ぬ事になる。これは小説のネタのようだが、現実にありうる話だ。

二人殺したとしたら、心臓移植を受けて生き長らえたこの人は、死刑だ。。。


移植によって延命される人ばかりに目が行きがちだが、心臓を切り取られる側にも目を向けなければ片手落ちだと、柳田 邦男氏は言っている。まさにその通りだと思うし、“マスコミに誘導された世論(せろん)”と私が言い切る理由もここにある。心臓を抜き取られる人に焦点に当てた記事や報道が無いんだからね。


そして、我が子に臓器を提供してもらう親は、絶対、提供者の子供の『息の根が止まる』瞬間に立ち会って欲しい。

どこからともなく、心臓が湧いてくるんじゃないんだから。

そういえば、最近の子供は、マグロが切り身のまま海で泳いでいると思っているらしい。そういう状態が、『それでもいいんじゃない』と考えるなら別だが・・・・。
 
 
 
というわけで、やっと、タイトルにたどり着いた。。。。

要するに、人の心臓を当てにしなければ、こんな“思想的”“道義的”な問題も回避できるのだ。

ちょうど良い事に、豚やマントヒヒの心臓のサイズは、ヒトのそれに近い。何度か試されている。

同種移植にしたって拒絶反応はあるわけだ。万に一つの確率で、レシピエントがグラフトに対して寛容状態になる場合があるが、人為的(現代医学)には、これを誘導する事は出来ない。

ならば、異種移植に道を切り開く、、、、解決しなくても良い問題が多いはずだし、なにより、鉄は熱いうちに打たなきゃ。。。。動物愛護団体から、なにかしらのメッセージはあるにせよ。

この際、iPS 細胞研究と共に、異種移植の研究にも10倍なんてケチくさい事いわずに、100倍の予算を付けて貰いたいもんだ。

次期政権与党と目される民主党の鳩山さん!『みんなで日本を変えましょう』とか言ってるけど、何も考えてない大衆に期待しちゃダメですぜ!そして、今を逃したら、熱しやすく冷めやすい日本人には、見向きもされないんだから、今が、“異種移植”に研究費を付ける、絶好のチャンスなんだから。

2009年07月17日

私が本当にそれをやったのか?(Did I Really Do That?)

differentiation_of_monocyto.jpg《してはいけない行動による結果》を《速度超過による違反点数の付加と反則金(罰金)の科料》と置き換えてみる。

車に乗り込んで、高速道路に侵入したあたりで自分に言い聞かせる。「スピードで捕まると、点数くらって罰金だ」って。

その“自分への戒め”は、作動記憶(当面の作業のために短時間に保持される記憶)中に保持されているとすると理解しやすい、、と、この論文では言っている。

そして、というより、だから、、、『まさにそのために、通常は正しい振る舞いを行わせる監視能力が注意散漫になったり疲弊した時に、、、、、、』のだと。

・・・・・・と、理屈ではわかってみたものの、何で、自分の行動を自分で制御できないんだろう?????

Science July 3 2009, Vol.325

私たちの通常の行動は、私たちがまさにそれを為そうと意識的な努力をしているから起こるんだ、と私たちは信じている。

にも関わらず、私たちは時折、避けようと思っていたまさにその行動をしてしまうように思える。

このような皮肉な心理的プロセスについて、Wegner (p. 48) は最新の心理学的研究を報告している。

その研究によると、してはいけない行動による結果は作動記憶(当面の作業のために短時間に保持される記憶)中に保持されていて、まさにそのために、通常は正しい振る舞いを行わせる監視能力が注意散漫になったり疲弊した時に、例えば人前では言ってはいけないタブー的な考えが口に出てしまう、という見解が支持される。

How to Think, Say, or Do Precisely the Worst Thing for Any Occasion
p. 48-50.


犯罪者の肩を持つ為に、こんな内容のエントリーをするわけではないよっ!!

純粋に、単純に、『不思議だなぁ!!面白いなぁ!!』と思ったから。

私の行動は、私が自分で意識している“自分”以外に、もう一人の“意識できない私”が支配している。。。。《脳の中の幽霊》がいるかのようだ。

アクセルを踏んだのは、注意力散漫や疲弊以外に“スピードに対応して分泌されるエンドルフィン”っていうのもあり、そいつが、意識できない私を揺さぶった。。。。。

ところで、《作動記憶中の保持》を強力に固定できる“薬物”があれば、エンドルフィンなんて分泌されても、それに対抗出来る、、、、あるいは、分泌そのものを遮断出来る・・・・。のかなぁ??


でも、Nature 日本版 2009年6月11日号 日号に特別付録として制作された "SELECTED LIFE SCIENCE PRODUCTS Reviews from the users"のオンライン版にて参照できる『細胞の分化に機能する転写因子のネットワークを解明』を見る限り、人間の生理現象を、人間がコントロールしようなんて、夢のまた夢、絶対、出来っこないなぁって感じる。

上の図は、FANTOM によって解明された、単芽球から単球への分化過程の分子ネットワークだ。

理化学研究所 オミックス基盤研究領域 林﨑良英領域長らによる研究は、私にとって、“凄い”の一語に尽きる。漠然と、『そんなんだろうなぁ・・・・』って思っていたことを具体的に示しちゃったんだから。

単芽球から単球へと分化する、こんな“わずかな“現象にも、こんなに莫大な遺伝子の制御が働いてる・・・・・・。


巷に氾濫する《インフルエンザに対する免疫》の諸説・珍説なんざぁ、ぶっ飛ぶぜ!!


って感じだ。

リンク先の文章を、部分的に引用してみる・・・・・・。転写因子は、DNA のプロモーター配列に結合して下流の遺伝子の発現を促すスイッチとなるタンパク質である。今回、PMA 試薬(酢酸ミリスチン酸ホルボール)で刺激した単芽球が単球に分化する約96時間に現れるすべてのRNA を検索することによって、2 万9857 の全プロモーター配列と2000 の転写因子を同定した。そしてその中から、細胞分化に働く201 個の転写因子から重要な30 個を選び出し、その分子ネットワークを描いた。

これまで、細胞の分化をつかさどる分子ネットワークの全体像を、実験データのみに基づいて調べる方法は皆無だった。

ブレイクスルーをもたらしたのは、林﨑領域長らが独自に開発したCAGE 法(Cap Analysis of Gene Expression)と次世代シーケンサーの組み合わせだ。

CAGE 法は、mRNA を5’末端から約20塩基という短いタグにして切り出す技術である。mRNA の先端だけを短く同じ長さに切り出すことで、シーケンサーの読み取りの効率を飛躍的に向上させる。

林﨑領域長は、「CAGE 法はプロモーターの活性をゲノムワイドに調べる唯一の方法で、例えば次世代シーケンサー『SOLiDTM3』(アプライドバイオシステムズ社)と組み合わせると、200 個の細胞にたった1 分子だけ発現している遺伝子でも99.9955%の確率でとらえることができます。また、経時的な発現の変化をみられるのも強みです」と話す。


単球は、自ら非自己を貪食するとともに、獲得免疫系に情報を伝える役割を果たす免疫現象の細胞性の一部を担っている。免疫現象は大きく分けて細胞性と液性の因子があり、双方は綿密なネットワークで繋がれている。。。。。

と、言葉では簡単なのだが、その実態は、、、、、その実態の解明は、現代のサイエンスの最高峰の知見をもってしても、まだ、そのとば口にたどりついたばかりであるというわけだ。免疫現象の分子的な解明をエベレスト山にたとえるなら、まだ、登山道入り口というわけだね。

実態が解明できなければ、それをコントロールするなんざぁ、出来るわけもない。

まして、人間の体は、免疫系だけが独立して存在しているわけじゃない。神経系とも、様々な接続形態で繋がっている。相互に影響を及ぼしあっている。脳の機能一つとっても、機能する瞬間、膜の挟んだイオン透化以外に、遺伝子の発現を制御する因子が、数多く“動く”んだろうから。


私は、最近、漢方薬を見直している。


西洋医学、すなわち、還元論に基づく考え方は、ある程度までは、実態の説明に役に立つが、人間の体を文字通り“還元”していっても、殆どが説明不可能だ。(というか、マクロな現象を、先ず知っているから、還元していった時に見つけたものを、それが原因だと感じるわけで、最初に、還元された個々の事象を示されるだけだったら、それをマクロな生理現象に“翻訳”できんのか??)

がんの遺伝子一つに注目しても、それで、疾患をコントロールできない。

どうせ、解らないのなら、人体を“ブラックボックス化”して、入力する情報に対して、出力される情報を観察するっていう、経験則が、より重要なんじゃないかと。。。。


人間の体は、ネットワークの産物だと思う。

インターネットに巣食う“不健全サイト”を人間の病気に擬えてみる。

人間の医者に相当するコンピュータ技術者は、技術的に排除が可能だと考え、それを実行するだろう。しかし、現実に、駆逐できていない。

それどころか、技術とは関係のない部分の方が、効果をあげる場合すらある。例えば、親の教育とか、子供の教育とか。。。。これは、医療における漢方薬みたいなもんだろう。何処に効いてるか解らないけど、要は、“不健全サイト”の悪い影響さえ排除できれば良いんだから、いろんな方法があってよい。

漢方薬は、その何千、何万の成分が、遺伝子の発現にかかわるネットワークの何処かに、働いている。どこかは、現時点では全く解らないけど・・・・。


スピードを出し過ぎないように運転する。だって、捕まったら損するもん!!

誰でも、そんな気持ちを持って、車に乗り込むはずだ。

その“戒め”を強力に堅持する為に、漢方薬は使えないかなぁ!!なんてねっ!!

2009年07月21日

安心と安全

20090721_safety.jpg食道がんは、喫煙によるDNAメチル化が原因だった!

『死の四重奏』が『メタボリック・シンドローム』と言われるようになり始めた2002年頃、私は、この言葉がこんなに一般的になるとは思わなかった。メタボリズム(metabolism:代謝)がアナボリズム(anabolism:同化)やカタボリズム(catabolism:異化)などの生化学用語なだけに、一般の人に広く受け入れられるとは、思わなかったからだ。

でも、正確な意味なんてそっちのけで、韻の面白さとダイエットブームにシンクロして一気に広まり、“メタボ対策”などと生化学的には意味不明な言葉まで生まれたのは、マスコミのおかげだろう。良い悪いは別にして。今では「メタボ=太っている」という意味に使われている風である。


さて、今、この『メタボ』に匹敵するような“流行り言葉”になりそうなのが、“メチル化”ではないかと、私は、密かに思っている。5年~10年後には流行っている、、、、、と、外れたらカッコ悪いから、小さな声で言っておこう。


で、そのメチル化だが、、胃ではピロリ菌によるDNAメチル化が胃がんの原因になり、食道では喫煙によるDNAメチル化が食道がんの原因になる、と言えるまでに解明が進んできた。

これまでの研究で、DNAのメチル化は日常的な発現頻度が低い遺伝子で起こりやすく、発現が低い中でもさらにヒストンの修飾がないもののメチル化が起こりやすいことがわかってきている。

アグーチ・マウス』でも触れたけど、一般の方はもとより医療従事者の中にも、がんの原因はすべて遺伝子の塩基配列が変化する事によると思っている人は多い。

しかし、実際はメチル化が原因のがんの方がはるかに多い。

従来、DNAメチル化は個体発生の時期やがん形成の時期を除いては、一生のうちでほとんど変化しないと考えられてきたが、環境因子がDNAメチル化状態を変える例が、次々と報告されている。

特に、栄養学の分野では「太りやすい」などの体質に、栄養環境因子の関与が少なくないことがわかってきた。メチル供与体(メチオニン、葉酸、コリン、ビタミンB6 など)を多く含む飼料で授乳期の母マウスを飼育すると、その子マウスでは、離乳後に高脂肪食を多く与えても、体重増加が著しく抑えられたと言う。。。妊娠期の母マウスを同様の飼料により飼育すると、子マウスのDNAメチル化状態と表現型に変化が現れる事も。

人の場合でも、母親の妊娠期間中の食事内容、喫煙などは、多くが子供に影響しているんじゃないかな・・・。

さらに、内臓脂肪での PPAR-γ の発現は、DNAメチル化により抑制されていることもわかってきた。PPAR-γ と言えば、糖尿病治療薬のターゲットの一つだ。。。


これっ!マスコミと“健康オタクちゃん”が飛びつきそうな内容が盛りだくさんではないかっ!!


ほんとは、エピジェネティックな内容を、マスコミなんかに商売の道具にされたくないんだけど、これも、世の中の仕組みだから、しょうがない。

マスコミは『安心と安全』をごちゃ混ぜにしている庶民の弱点を利用して翻弄するのだ。


“安全”を科学的な常識に照らして判断できない人に「安心していいよ」と言っても、ほとんど無駄である。

逆に、根拠も無く「安心」してしまっている人に、「安全ではない」と言っても効果が上がらない。

インフルエンザやエイズが良い例である。


・・・・・・と、マスコミ批判は出来るんだけど、一体、DNAメチル化、すなわち、エピジェネティックな内容を、どのように“捻じ曲げて”伝えるのか、想像もつかない。

メタボリックシンドロームだって、『メタボなお腹』とか『メタボ対策』とか、メタボリズムから想像できる範囲を超えてるもん。

メチル化、、、古い人ならメチルアルコールに結びつけ、『毒になる』って感じるかも。語感っていうか、言葉の韻がイメージさせるって結構あるからね。

マスコミがどんな手段を使ってくるかが予測できれば、、、、、、でも、結局、無力なんだろうなぁ・・・・・。やっぱ、マスコミの力は巨大だからね。対抗するには“教育”しかないんだろうなぁ。まぁ、騙されて損をするのが、その個人に留まるなら、いいんだけど、とばっちりを受けたんじゃ、たまらん。。。。。。


とばっちりと言えば、今朝の通勤電車。

いや、本日は、とばっちりを免れた話だ。「君子、危うきに近寄らず」を実践したのだ。思い出しても、恐ろしいその状況は、、、

以前、朝の通勤電車の中、隣に座っていた輩にちょっと腕が触れただけで『俺の体にさわるんじゃねぇよ』とばかりに、体をよじって、手を振り回し、私に挑んできたヤツがいた。

そいつが、今日も目の前にいたのだ。。。。直ぐには気づかなかったのは、今日は真っ黒なサングラスを掛けてなかったからなのだが、本日も思いっきり“奇人・変人”ぶりを発揮していた。

なんと、満員電車の中で、靴を脱ぎ、靴下のまま足を投げ出し座っていたのである。

私は、そいつの目の前に立つと、『おまえ、混んでる電車で馬鹿なことやってんじゃねぇよ』と言わんばかりに、思い切り睨んだのだが、ふと、目を瞑っているそいつの顔を見た瞬間、コイツ、、、、、あの時のヤツじゃねぇのか?と、、、気づいたのだ。

以前、やつと遭遇した時、私は、どつかれた瞬間、ヤツの前に立ちはだかり『電車が混んでんだから、しょーがねぇーだろー。お前、なにやってんだぁ!あぁ?』とスゴンでやったから、ヤツは貝のように押し黙っていたのだが、今回は、事情が違った。

私は、瞬時に過去を思い出し、わずらわしいトラブルを回避すべく、やつの前から移動したのは言うまでもないが、その後、次の駅で乗り込んできた青年に、食いついたのだ。

やおら立ち上がり、『おまえ、わざと足踏んだだろ?』と。

その青年は、何が何だかわからないまま「すみません、わざとじゃないです。ごめんなさい」とあやまり続けた。。。

私は、ふと、思った。「こいつ、以前、俺にやり込められて、、、、学習したな。先制攻撃を」と。

どっちにしても、満員電車で、靴脱いで、靴下のまま、足を放り出してるなんて、踏まれて当然だ。

私は、ヤツがその青年にしつこく絡んだら、「おいっ、その水虫のくせぇ足、しまっとけよ」と言うつもりでいた。

でも、内心は、ドキドキしながら、成り行きを見守っていたのだ。

なので、ヤツが、あっさり、元の席に座った時には、なんか、拍子抜けと同時に、とばっちりを食わずによかったぁと、「ほっ」と安心したのだった。

身の安全を保つためには、見てみぬフリが一番である。他人のトラブルに首を突っ込んで、メリットは何も無い・・・・・・。しかも、不安になりながらなんて。

だけど、、、、、、、、。


普段、安全と安心をごちゃ混ぜにしている庶民を卑下している私だが、「君子、危うきに近寄らず」のはずが、近づきたい衝動に駆られる、、、、人間なんて、こんなものなんだよなぁ!!

教育も役に立たないのかも・・・・・。

2009年07月27日

遠慮なく罵りなさい!そうすれば痛みが和らぐかもしれない

20090727_FRESH_PRETTY_CURE.jpg「罵ることは何世紀にもわたって行われており、ほぼ世界に共通する人間の言語現象である」・・・・。

ほんと、何世紀っていうか、何千年、何万年?(資料が無い?)も続いているよっ・・て感じ。例えば、国取り合戦、戦国時代、兵士達は敵を罵りながら、竹やり持って突っ込んでいく。

罵る事で、自分の戦闘意欲を掻き立てる。ボヤボヤしてたら自分が殺されちゃう。


ホメロスの叙事詩《イリアス》では、名だたる武将同士、刃を交える前に自分の出身地や父親の名前を交わすが、名だたる武将ゆえに、“罵ること”をせずとも自分を律し、最大の力を発揮できたとも考えられる。(単なる、詩の中の脚色なのかもしれないが)

日本でも、源氏と平氏の戦いを描いた詩には、このような描写がある。個人的には、平敦盛と熊谷次郎直実のやり取りが好きだが・・・・。戦国時代に入ると、策略というか、一騎打ちが廃れて、勝てば官軍の価値観が広まったみたいだけど、、、、

「何をしても勝てばいいじゃん」ていう価値観が、「相手を尊敬・尊重しながら殺す」価値観より“本能的”と言えるのかも。。。。

“相手を罵る”を野蛮と考えて、名乗りあったとしたら、不意打ち・罵りあいは“野蛮”に戻った・・・のかも。

中国・三国志の時代の戦い方は、名乗りあうものだったらしいが、元寇の時、日本人が名乗っている間に元にやられた・・・という話もある。

人間は、時代が進むと“野蛮”になる。。。合目的的といってもいいが。。。。行動が合理的になる。

ただ、イリアスのハリウッド映画バージョン“トロイ戦争”では、戦う前には名乗ってはいないし、三国志の映画版「レッド・クリフ」でも、名乗ってはいない。“トロイ戦争”で兵士を称える(鼓舞する)時、誰それの息子という言い方は聞いたけど。

2009年7月22日 提供:WebMD

罵ることは疼痛知覚を和らげるのに役立つ可能性があることが研究で明らかに

Caroline Wilbert


【7月13日】女性が出産時に夫に向って呪いの言葉を叫ぶというのは、長い間決まり文句になっている。今回、疼痛を感じている人々がしばしば攻撃的な言葉を使う理由を説明できるかもしれない科学的研究が行われた。

罵ることが実際に疼痛知覚を和らげる可能性がある。

これは『NeuroReport』に発表された新規研究の知見である。キール大学心理学科の研究者らは60名を超える学部学生を研究に登録した。学生には氷水の入ったバケツに手を2回入れるよう指示した。1回目は、被験者は罵りの言葉を何度も繰り返した。2回目はありふれた当たり障りのない言葉を繰り返した。

被験者は呪いの言葉を繰り返した時には、当たり障りのない言葉を繰り返した時よりも、長い時間、手を水につけていることができ、報告した疼痛レベルが低かった。

「罵ることは何世紀にもわたって行われており、ほぼ世界に共通する人間の言語現象である」と研究著者の一人であるRichard Stephensはニュースリリースで述べている。「それは感情をつかさどる脳の中心に侵入し、右脳に現れるように思われるが、ほとんどの言語生産は左大脳半球で行われる。我々の研究は、なぜ罵りの言葉が生まれ、生き残っているのかについて、可能性のある理由を示している」。

よくない言葉と疼痛知覚の低下が関連する理由は明らかではないが、罵ることによって、戦闘または逃亡反応を促す恐怖や怒りのような負の感情があおられる可能性があると、研究者らは信じている。罵っている時に人々の心拍数が上昇していたという知見は、この説を支持する。


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イリアスにしても、源平の戦国絵巻にしても、三国志にしても、描かれているのは“有名どころ”であり、一平卒の話はどこにもない。人知れず死んでいく兵士達に、そんな“気概”なんぞ、あるはずも無い。

戦闘で死ぬのは、痛い・怖い。それを和らげる為に、敵を罵る。。。。。野蛮とかなんとかの価値観、すなわち文化以前の“本能”なのかも・・・・・。

ただ、本能なら、生殖細胞を通して次世代に伝わる筈だから、、敵を罵ると、“生き残れる”のかもしれない。敵を罵ると“力”が出て“敵に勝てる”、、、目の前の敵に勝って、家に逃げ帰り、そのまま女房や恋人と交わる・・・・・・。

現代は、戦争を始める時、宣戦布告するのが、ルールになっている。

やっぱり、勝つ為には“不意打ち”が合目的的であり、合理的な行動とは言っても、後ろめたさが付きまとったんだろう。名乗りあって正々堂々と戦う、、、、。

不思議な事に、女の子向けの《プリキュアシリーズ》でも、長々と名乗っている。

現在、放映中のシリーズでは、、「ピンクのハートは愛ある印。もぎたてフレッシュ、キュアピーチ!」、、、、なんて、3人分(先週からは4人に増えた)、やり終えるまで、“ラビリンス”の“ナケワメーケ”も文句も言わず(攻撃せず)黙って待っている・・・・・。

正々堂々もやりすぎると、なんか鼻に付くよねぇ。一騎打ちじゃないからなぁ、プリキュアは。特に感じるのかもね。


ところで、プリキュアの4人目、キュアパッションは、仲間になる前ラビリンスの女幹部“イース”だった。その時、プリキュアを罵りまくっていた。

罵る事の“効用”がこの論文通りだとすれば、“イース”の方が強い筈なのだが、何故か、プリキュアが勝ってた。。。。。この、生物学的に間違った結論を提示し続けると、、、、、、現実には、正々堂々と戦って散る事になる。この事を美化するには、ちょうど良いのだが、、、、


しかし、言葉を発する為に“左脳”の活動を活発にすると、疼痛知覚が鈍る・・・・、ホント、脳は複雑だ。

そういえば、、、、July 2009 Vol.5 No.7 MMJ で BMJ に掲載された『鍼治療の疼痛軽減効果は有意だが小さい』の解説の中で、自治医大の瀬尾教授は、こんな論文を紹介している。

主観的な鎮痛効果(痛み度)と客観的な生理的変化(fMRI:機能的磁気共鳴画像)との関係を鍼治療とプラセボ鍼治療で検討したものなのだが。。。。

対照群を「鍼治療+強い暗示群」、「鍼治療+弱い暗示群」、「プラセボ鍼治療+強い暗示群」、「プラセボ鍼治療+弱い暗示群」の4つに分け、痛み刺激を加えて、痛み度の変化と fMRI による評価を行った。その結果「鍼治療+強い暗示群」と「プラセボ鍼治療+強い暗示群」は主観的な鎮痛効果(痛み度)が同程度を示した。

面白い事に、fMRI では「鍼治療」が「プラセボ鍼治療」と比較して、痛みの関する大脳領域でのシグナルを著明に低下させていたにもかかわらずなのに。

というわけで、“鍼治療”と“暗示”すなわち心理的な影響は、異なるメカニズムで鎮痛効果をもたらし、その暗示による鎮痛効果も、鍼治療とプラセボ鍼治療において、お互いに影響を与えている・・・・・。


鎮痛、一つ取ってみても、かなりの数のメカニズムが存在する(のだろう)。そして、その“痛み”は、生物にとっては、必須のものだったりする。痛みを全く感じないヒトは、長く生きられないのだから。。。。アレッ?でも長く生きることに価値を見出さなければ・・・・・?

って、長く生きる事が“良い事”だって染み付いてるんだよなぁ・・・・。いつも、この価値観を否定しているくせに・・・・ねっ。イカンイカン。

2009年07月31日

トラクエⅨ スーパースターへの転職方法

20090731_dq9superstar.jpgサーチュインと長寿の関係を知っている方なら、食事制限が単に“長寿”なだけでなく、脳萎縮、心臓病、糖尿病や癌などのの発生率減少にも繋がっている事を知っている。

だけど、このような“健康で長寿”も、『太く短く生きるか、細く長く生きるか?』との問いに照らせば、ほとんど同じ事なのかもしれない・・・・。

太く短く生きた人の人生50年を100とする。同様に、細く長く生きた人の人生100年を100とすれば、タイムスケジュールの中で、相対的に脳萎縮、心臓病、糖尿病や癌などの病気の発症年齢には違いはないだろう・・・・。


時間的に長く生きる事のメリットは、なんだろう??

長く生きれば、科学の進歩による社会の変化が見られる。車は空を飛んでいるかもしれない、そんな未来を見たいと思うことはある・・・・・。

だけど、子供の頃からの友人たちが皆死んでしまい、自分だけが取り残される・・・・、下手すりゃ女房・子供も先に死んじゃって・・・・・こんな事は想像したくない。

飢えて生きる(Starved to Life?)

Science July 10 2009, Vol.325

カロリー制限--普通に元気な個人の経口摂取するカロリーを30%程度減量する--により、動物実験では寿命が実際に延びている。

ウィスコンシン国立霊長類研究センターにおいて成体のアカゲザルに対し20年間カロリー制限を続けた結果をColmanたち(p.201)が報告している。

報告時点では普通に食事した対照群の生存率が50%であるのに対し、カロリー制限した方は80%が生存し、かつ齢に関連した病の発生開始時期が遅れることが分かった。

これらのデータはカロリー制限が霊長類の老化を遅らせることを示している。

もしもこのような食事制限に従うことが困難でさえなければ、サルの集団で明らかになったような脳萎縮、心臓病、糖尿病や癌の発生率減少を自分たちも享受したいものだと多くの人々が心を動かされるだろう。

Caloric Restriction Delays Disease Onset and Mortality in Rhesus Monkeys
p. 201-204.


ところで、“量子”とか“微分・積分”などの言葉が出てくると、とたんに『自分には、理解できない世界の話だ・・』と思ってしまう人は多い。

医学を実践する医療は、誰のものか?

医療は、1+1も解らない人も含めて、皆のものだ(1+1も解らないというのは大げさだが)。わかり易くなければならない。

物理学の世界で言えば、“ニュートン力学”の世界だ。

でも物理学は、別に“1+1も解らない”人は相手にする必要はなかったので、“量子”の世界や“相対性理論”の世界に進んでしまった。

いくら生身の人間を相手にするからと言って、極小の世界を語るには、ヤッパリ“量子”は必要になってくる。。。

の筈なのに、医学は“量子”を用いると、医療にならなくなるとでも思っているかのごとく、“量子”を目指していないように見える(この場合の“量子”はメタファだ)。医学の研究者は物理学の研究者と比べて100倍は多くいるだろうに・・・・??(名ばかりの研究者が多い?)

生物学が、未だ“量子”に辿りつけていないのだから、“ショウガナイ”のだが、生命の仕組みを“ニュートン力学”だけで説明するには、無理が出始めているのは事実だ。

カロリー制限が長生きの秘訣だと言っても、それは、そういう“遺伝子のタイプ”の人にとっての話で、100人が100人とも、同様に100歳まで生きられるというものじゃないって話も含めて。

次世代のコンピュータと言われている“量子コンピュータ”の時代になると、、、『インテル入ってる』の時代のコンピュータが“ニュートン力学”で理解出来たものが“量子力学”を知らないと理解できなくなる・・・・・・のだろう。

“量子コンピュータ”を理解しようとすると、“生命の仕組み”を現代人が見るように、わかったつもりでも“雲を掴むような”時代に突入するのだ。

量子歩行でぶらつく(Strolling Out on a Quantum Walk)

Science July 10 2009, Vol.325

ランダム歩行とは、歩行者が次のステップを右に出すか左に出すかをコインの表裏により決める歩行である。

歩行者の取り得る位置間の分布はよく知られており、情報処理のアルゴリズムを基礎付けたり、物理学あるいは生物学における拡散プロセスを記述し、株式市場価格の数学モデルにさえ使われてきた。

Karskiたち(p.174)は、1次元の光格子に閉じ込められたセシウム単原子を使い、量子によるランダム歩行である量子歩行を実行した。

波動関数の可干渉性のために量子系のランダム歩行は古典的なそれとは大きく異なり、原子の内部状態に依存して全く異なった分布を生成する。

その結果は、探索アルゴリズムや量子情報処理プロトコルに対する示唆を与えるかもしれない。

Quantum Walk in Position Space with Single Optically Trapped Atoms
p. 174-177.


海洋の有機物が堆積物として分解する過程で大量のメタンが発生する。このメタンはまた海底で、大量の嫌気性微生物のエネルギー源として、海面上の大気に出る前にほとんどが消費される、、、、って話を聞くと、『ミトコンドリアが進化を決めた』を思い出す。

原核生物が真核生物へ進化するには、真核生物がヒトまで進化するのに匹敵するような道のりがあった・・・・・。

別々の生命体であった古細菌とミトコンドリアが共生を始める環境が想像される。もっとも、そんな深海なんて、死ぬまで訪れる事は無いのだろうが・・・・。

電子はここで受容される(Electrons Accepted Here)

Science July 10 2009, Vol.325

海洋の有機物が堆積物として分解する過程で大量のメタンが発生する。

メタンは気候を制御する重要な温暖化原因ガスの一つである。

メタンはまた海底で、大量の嫌気性微生物のエネルギー源として、海面上の大気に出る前にほとんどが消費される。

海洋系でのメタンの嫌気的酸化には硫酸塩の存在が欠かせない。

硫酸塩は電子受容体として機能し、この反応の必須物質と考えられている。

Beal たち(p. 184) は、海底堆積物内での嫌気的なメタンの酸化が、硫酸塩と同様に鉄とマンガンによっても促進されることを報告している。

鉄とマンガンを使った嫌気的メタン酸化プロセスは重要なメタンの消費反応であるとともに初期生物圏におけるエネルギー源でもあった。

Manganese- and Iron-Dependent Marine Methane Oxidation
p. 184-187.


危険から逃避する行動は、単細胞の生物にも見られる。

高等な生物、たとえばヒトにとっては、“痛み”は、情報としてわかりやすい(誰にでも認識できる)。

生命の仕組みは、大変、複雑なのだが、時として、単純な法則に支配されているかのように見えるときがある。

痛みと“鎮痛剤”の関係がそれだ。“麻酔”なら、尚、完璧だけど。西洋医学の還元主義が助長される原因ともいえるかもしれない。。。。。

しかし、単純な中にも、なかなか理解しがたい現象が見られるのだ。

ケシの栽培は、ヒトの文化的側面だろう。生物の進化に影響を与えた時間からすれば、極々最近の話だ。栽培しなければ大量に生産できない。ならば、耽溺するほどに使用できない。使用できないならば、進化の過程で、ヒトの側の性質が、淘汰に影響を与えた筈はない・・・・のか??

何で、堪えられないほど、痛みを増幅する必要があるのか???


まぁ、パターンとしては、考えてみれば当たり前の事だ。

痛みの原因を継続して経験すると、ヒトは慣れてしまう。受容体を減少させるとか、いろいろな方法で。オピオイドも苦痛を鈍らせる方法の一つだ。生命の危険が無い(とヒトの脳が判断した)なら、痛みは弱いほうが良い。

で、痛みの原因がなくなった時、元の状態に戻す、この働きの結果だろう。

ただ、大量使用は経験が無かった・・・・・・。

オピオイド投与中止後の不可解な疼痛(Paradoxical Pain After Opioid Withdrawal)

Science July 10 2009, Vol.325

オピオイドは、疼痛の患者と薬物濫用者の双方によって広く用いられている。

オピオイドの投与中止により、オピオイドによって誘発される痛覚過敏、すなわちオピオイドによる不可解な疼痛の増幅のせいで、複雑なものになる場合がある。

Drdlaたちはこの不可解な疼痛、すなわちオピオイドによる疼痛経路におけるシナプスの長期増強(LTP)の誘導、を説明する助けとなるかもしれない新規な細胞性オピオイドの作用を検出した(p. 207)。

試験管内および生体内で、μ-オピオイド受容体刺激薬の投与中止により、侵害受容性C線維のシナプスにおける頑健な長期増強を誘発したのである。

これはそれらシナプスにおけるオピオイドによるシナプス前抑制とは対照的なものである。

オピオイド性LTPとシナプスの急性抑制は空間的にも仕組みとしても別のものであるので、オピオイドによって誘発される痛覚過敏をオピオイドの鎮痛効果を損なうことなく選択的に処置することは可能であるかもしれない。

Induction of Synaptic Long-Term Potentiation After Opioid Withdrawal
p. 207-210.


アミロイドとは、何ぞや??って問いに答えられそうな論文が、Science July 17 2009, Vol.325 に掲載されている。

たしかに、アミロイドって“構造”の事だから、なんだか解った様な解らない様な、そんな対象だと思う。

まぁ、蛋白質は“立体構造”をもって、初めて機能を云々することが出来るんだから、当たり前っいえば、当たり前なんだけど、『大昔からの、進化的に保存されたタンパク質構造のモチーフを示すもので、正常な細胞や組織の生理学に寄与する多様な機能を行っている可能性がある』って言われると、なんだか、スッキリした気分になるよねっ!!

分泌性アミロイドの多様な機能(Plethora of Secretory Amyloids)

タンパク質凝集とアミロイドの形成は、アルツハイマー病、パーキンソン病及びⅡ型糖尿病等数十の病理学的状態と関係している。

更に加えて、機能的な働きをするアミロイド系も僅かながら知られている:キノコ状のプリオン、細菌性タンパク質のカーリ(curli)、カイコ卵殻の絨毛膜タンパク質、及び哺乳類の皮膚の色素沈着に関与するアミロイドタンパク質Pmel-17等。

Majiたち(p.328,6月18日号電子版)は、内分泌ホルモンのペプチドとタンパク質が分泌顆粒中にアミロイド様の状態で貯えられていることを提唱している。

かくして、アミロイドの折りたたみ構造は基礎的な、大昔からの、進化的に保存されたタンパク質構造のモチーフを示すもので、正常な細胞や組織の生理学に寄与する多様な機能を行っている可能性がある。

Functional Amyloids As Natural Storage of Peptide Hormones in Pituitary Secretory Granules
p. 328-332.


ミトコンドリアが寄生(ミトコンドリアと共生)するようになった初期の真核生物は、ミトコンドリアの遺伝子を自分に取り込んで(ミトコンドリアからすれば、宿主に任せられる所は、全て任せて身軽になり)、ミトコンドリアを制御(ミトコンドリアからすれば利用)して、“生きていく事”を享受する事になる。

ただ、ミトコンドリアは、宿主が必要とする“エネルギー”をATPという形で作るとともに、宿主の“生殺与奪(せいさつよだつ)の権”だけは、手放さなかった。

宿主からすれば、“自殺する具体的なツールを提供してくれる奴”であり、決定は俺がするってことなんだと思うけど・・・・・。宿主(文民)によるミトコンドリア(軍人)の“シビリアンコントロール”みたい????


というように、文字により辿れる“歴史学”と比べても、遜色ない面白さが“進化論”って感じ??

冷酷な殺し屋RIP(The Grim RIPper)

Science July 17 2009, Vol.325

細胞はアポトーシスとネクローシス(necrosis:壊死)として知られている異なるプロセスにより細胞死を迎える。

アポトーシスの制御についてはネクローシスよりもよく理解されている。

TNF(tumor necrosis factor:腫瘍壊死因子)で処理された細胞のネクローシス制御に関与する遺伝子産物のスクリーンにおいて、D.-W.Zhangたち(p.332:6月4日号電子版)はタンパク質キナーゼRIP3を同定した。

TNFとアポトーシスを抑制するカスパーゼ阻害剤で処理された細胞において、7つの代謝酵素がRIP3と相互作用しており、そのうちの幾つかはミトコンドリアと関係している。

活性酸素種の生成はTNF誘導のネクローシスに必要であり、RIP3の欠乏により活性酸素種の生成が減少した。

このように、RIP3はエネルギー代謝と細胞死の機構を結びつけるようなメカニズムに関与しているようだ。

RIP3, an Energy Metabolism Regulator That Switches TNF-Induced Cell Death from Apoptosis to Necrosis
p. 332-336.


と、とりとめのない事をズラズラと書きなぐったが、目下の私の、一番気になっている事は、トラクエⅨのスーパースターへの転職の方法だ。

それ以外は、、なってみたけど、、でも、使えないんだよねぇ・・・・。レンジャー以外は。レンジャーはいいよぉ!!ブーメランで、シャインスコール、、、これ、最高!!

サンディに『こんな時間かけて「女神の果実」これしか集まってないの?寄り道しすぎ!』なんて、生意気な事言われて、思わず、DSを床に叩きつけるところだったけど、早い時期にレンジャーに成っておいて、、ヨカッタよぉ~。

いまじゃ、口ずさんでます。サンディのメロディ。

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