« 2010年10月 | メイン | 2010年12月 »

2010年11月 アーカイブ

2010年11月01日

薬剤師が気にしてること

20101101_a_requirement.jpgm3.com のコンテンツの一つに《Pharmacist Community》ってのがある。

今日、気づいたんだけど、、、その中のフリートークってカテゴリーに「薬剤師は、必要なのか...」ってスレッドがあって、その総閲覧人数が、なんと、3万人を超えている。群を抜いている数なのだ。

このコンテンツには、その存在を忘れた頃に訪れる程度だったので、このような“お化けスレッド”が生まれていたとは・・・・・。

驚いたのは、「薬剤師は、必要なのか...」ってことに、これだけの薬剤師が興味を示している事だった。

・・・・・・・
・・・・・・・

・・・ので、この“総閲覧人数”自体のカウント方法が気になった。というわけで、m3.com スタッフに、カウント方法の問い合わせをした。

担当 御中

・・・“総閲覧人数”に関する問い合わせです。

この“総閲覧人数”は、重複を含まない個別のユーザーIDの総数でしょうか?それとも、閲覧された延べ回数なのでしょうか?

・・・差し支えなければ、そのカウント方法を教えていただけないでしょうか。

よろしくお願いします。


ってな、感じでメールしたのだ。


m3.com に登録してるってだけで、“マジメな薬剤師”ってことなのだろうが(私は、まじめではない自信はあるけど)、それにしても、3万人はスゴイ。ほぼ、登録人数?

「薬剤師は、必要なのか...」って事に関心があるって事は、裏を返せば、自分も「必要ない・・・」と思ったことがある、もしくは、「必要ないと思われている」と感じたことがあるに違いないからだ。

全部は読んでないのだが、ざぁ~と見た感じで、不必要論を唱える人、必要論を唱える人、反論する人、、、などなどあるのだが、予想通り、「必要だ!」「必要でありたい」、(虚勢を張って?)余裕を示して「不要論の意見は貴重」などなど、98%は“必要”になっている。


本心はわからないけど。(本音を書くと“荒れる”?)


でも、私が感じた「3万人はスゴイ」ってのが、延べ閲覧回数だとしたら、また、違ったものの見方は出来るんだけどね。。。。。


さて、【安倍元首相に“お馬鹿さん”と言われた仙石さん】で書いた事だけど、、、

日本は、日本国憲法において国民の生命、健康、財産を守ることを約束している。その為に医療の目的と理念を定め、法として医療を国民に提供することを約束している。一方、医療行為は基本的に、人権の侵害行為であり、身体傷害行為を伴うことから、法的には“医療行為は違法行為”である。従って、医療行為を一般人には禁止し、国の責任において認めた有資格者のみに許可している(禁止の解除)。

また、医療を行うには、その行為が許される要件、適法要件(違法性の棄却要件)を満たした場合のみに、その医療行為の実施が許される(許された危険行為)ようになっている(法=国が常時監視するわけにはいかないので、現場に裁量権が与えられている)。


私は、これが、医療職の“資格免許”の意義であると思っているし、だから、薬剤師は必要だと、考えている。

《Pharmacist Community》のそのスレッドでは、法律に規定される薬剤師の独占業務の範囲を明示していない為、個々の薬剤師が、違った状況を想定し主観的で感情的な議論になっていると感じた(薬剤師法第1条に書いてある業務の範囲は、けっこう、広い)。

また、薬剤師の仕事は、誰が見ても“誰でも出来る”けど、資格を持っていない人は、この行為を行うだけで、“犯罪”となるのだ。その一点のみで、私は、薬剤師(という職業、資格)は日本に必要だと考えている。

薬剤師自らが、「必要ないかも・・・」と思う背景は、このような“誰でも出来る仕事”だと、自らが感じてしまうことにあるのかもしれないが。。。。

でも、自己を肯定する気持ちが強い人達は、薬剤師の中にもいる。自問自答の裏返しのような気もするのだが、他の医療職から見たら、どんぐりの背比べ的な業務の違いにプライドを保とうとする一部の薬剤師達だ。彼らは、薬局の中では、チェーン薬局や門前薬局の薬剤師は“劣る”とか、市中薬局の薬剤師は病院の薬剤師より“劣る”などを言葉にする。


さて、必要かどうか?という言葉も、意味が色々に取れる。

例えば、“必要とされる”を“信頼されると事”と考えてしまった場合はどうか。

この場合は、信頼されるのは、“薬剤師”という職業ではなく、薬剤師である“○○さん”ではないだろうか?

また、例えば、“必要とされる”を“よく勉強している”と考えてしまった場合はどうか。

この場合は、その勉強した事を生かす機会が有る無しにかかわらず、評価するのは受益者である患者だ。薬剤師自らが判定することではない。

高血圧の患者さんに、「私は、抗がん剤に関しては日本一の知識がある。薬剤の選択から必要な量、投与方法まで、私の右に出る薬剤師はいない」と言っても、「ふ~ん、それで?」となるだろう。この手の知識、経験を『自分は偉い、スゴイ』と勘違いしている薬剤師も、少なからずいる。

また、例えば、“必要とされる”を“庶民の関心度”と考えてしまった場合はどうか。

この場合は、「薬剤師が主人公のドラマが少ない」「だから、そうなれるようにアピールが必要」・・・・とか。

ドラマの中で主人公になりたいなら、医師を目指したほうが良い。薬剤師は、どうやっても、主人公にはなれない。薬剤師の業務の中にドラマを見出そうとするのは、児童書のなかに哲学を見出すが如きだ。


また、例えば、、、、


、、、、、って、もう、いいかっ?


このような“主観的”な“意見”から、薬剤師が必要かどうかなんて、とても導けそうもないからね。


話は、変わるけど、サンデル教授のハーバード白熱教室で、哲学とは何かを、私なりに“感じた”ワケだが、科学、特に物理学は当然として、哲学も、その論拠に限りない“客観性”を求めている。

これが、いわゆる“文系の学科”の中でも“異色”な感じがして、尚且つ、私のような理系人間の興味をそそる理由になっているのだろう。(《ソフィーの世界》ってのが流行った時、読んだけど、眠くなっただけだったから、サンデル教授の授業と著書が特別なのかもしれないが)

文学や小説では、こうはいなかない。

例えば、文芸評論家や文壇のお偉方たちは、日本の小説の分岐点に司馬遼太郎を取り上げることが多い。今日の読売新聞朝刊にも「司馬史観を再考する」なんてページがあって、その中で、「それまでの日本の小説が、ほぼ、私小説だったのに対して、司馬のそれは、極力、私見を廃して云々・・・・」みたいな事が書いてあった。

なるほど、文系の人達は、そういう見方をするのか、って感じた。

私のような者(私小説の“定義”すら知らず、司馬遼太郎の作品をまともに読んだのは「坂の上の雲」だけのような者)が、物申すなんて、おこがましいのだけれど、氏の文章のどこが、客観的なのだろうか?と。(短いセンテンスをつなぎ合わせた文章の性質を指摘する人もいるが・・・)

科学分野の知見を知らず(※1)、史観の中に農民の視点が欠落している様(※2)は、どう見ても“客観的”とはいい難い。“客観的的”というのなら、言い得ていると思うけど。
※1:NHKドラマ「坂の上の雲」ではバランスをとるため原作にない森林太郎が登場する
※2:明治元年から始まり、現代まで尾を引く移民政策で、海外にやっかい払いされたのは、ほぼ、100%農民だ。司馬が武士の失業対策には言及しいるが、農民の移民政策に言及しているのを、私は知らない


でも、小説はわかり易くなければ成り立たない。

このわかりやすさを捨てると教科書や哲学書、科学書になってしまう。

司馬遼太郎が活躍した時代は、高度経済成長時代。いわゆるインテリ層を読者のターゲットにすると、農民目線の“読み物”では、どうしようもない。政治家と武士の目線、軍人の目線が必要で、明治と戦前の昭和時代を比較する(皆が知っている時代を暗黒にし、明治にロマンを求める)のは、当然の帰結だ。

このことを以ってしても、司馬遼太郎の評価が揺らぐものではない。けれど、これを“客観的”だと捉えてしまうと、“薬剤師が必要かどうか”の判断に主観を交えてしまうのと同じことになると思う。


文学は、このこと一つとっても、楽しまなければならないものだと思う。

今朝の読売新聞朝刊でも、一人の評論家は、「司馬史観などと呼ばずに、司馬小説と言った方が適切ではないか」と言っていた。同感である。“史観”などと、アカデミックな雰囲気を醸し出すような事をせずとも、“小説”で、十分な価値があると思う。司馬遼太郎は。逆に“史観”という表現には、明らかに、書棚、書庫を背景にテレビに映る現代の有識者のような“意識操作”を感じてしまう。


薬剤師が必要かどうかなんてことを考えるのに、主観での議論は不毛だと思う。

でも、薬剤師は、主観をモチベーションにしながら、存在するんで良いと思うんだけどなぁ。十人十色。給与の評価は別にして、司馬遼太郎の小説を、“人生訓”とか“史観”のように大げさに評価するようなことをせず、楽しんで読むようにね。

2010年11月02日

金で性を買う行為に「癒し」と表現するのは、いかが?

20101102_healing.jpg昨日は、注目の裁判員裁判の判決が出た。

マスコミ各社は、裁判員に取材したりして、色々なことを書いている。でも、、、、

「人の命を・・・・」「情状の余地・・・」「反省の態度・・・」に注目した内容に終始し、奥歯にモノが挟まった、なんとも、すっきりしない気分だ。。。。

裁判員だけでなく、一般の人が被告人に対して同情の念を抱く余地があるとすれば、いわゆる“プロ”の女性に“手玉に取られた”男の“かなしい性”に対してだろう。

これは、ちょっと違うが、押尾学事件での、絶対、表に出ない、公には口に出せない“感覚”に似ていると思う。


さて、さて、“言葉”とは、恐ろしいものである。“言霊”などと表現されることからも、その力は巨大だ。同じ事を“表現”するのに、抱く“イメージ”は、全く、別物にすることが出来るのだから。。。。


“性の売り買い”を具体的に“性交”を伴うことと限定するのなら、“耳かき店”は“性を売る場所”ではない。でも、ホンキで、そんな子供だましみたいな“屁理屈”“建前”に納得する人はいないだろう。

世の中には“グレー・ゾーン”が存在する。これは“潤滑剤”として作用する事もあるので、グレーを“悪”と“感じる”人にとっても“必要悪”に分類される。

“耳かき店”を“性を売る場所”と感じる人もいるし、違うと感じる人もいる。“耳かき店”はそういう意味で、グレーだ。

ただ、利用した人の“経験談”として「癒された」と表現したら、“性を売る場所”と感じることは、減るんじゃないかな?“性交”を“エッチ”と表現すると、猥雑で陰湿、秘め事のイメージが払拭されるのと同じで。


女性経験が皆無の“まじめな男性”は、皮膚と皮膚の接触により、心の距離が縮まったと感じる。。。。っていうか、皮膚という感覚器からの入力は、その相手を“敵ではない”“仲間である”“愛しい”と感じるように、脳に働きかける。

ヒトが言葉を持たなかった頃は、、、、そう、類人猿を見ればわかるように、グルーミングは大切な行為だ。

ヒトが人間になってさえ、「男女7歳にして席を同じくせず」の教育が跋扈していたことは、人間は目からの情報に頼っていた。一目ぼれってヤツだ。一目ぼれして、夜這いに通い・・・・。長い時間、愛を語る暇はない・・・・・。

人間が言葉を持ってから、特に西洋では、「愛の言葉」が文化として定着した。昨日のお昼の休憩時間に見てた「ギフト~E名言の世界」では、シェイクスピアを取り上げていた。まさに、「愛の言葉」オンパレード。会話が愛を育み、肌を合わせて、愛を深める。

しかし、ヒトっていうか、本来、動物は、言葉より視覚や皮膚の接触が先で、それ故、皮膚と皮膚の接触があれば、このようになるのは本能だから仕方がない。


“耳かき店”の経営者が、スキンシップの“効用”を知らないはずがない。キャバクラ嬢は、お客の男と膝と膝をつきあわせ、その膝に軽く手を添える。にこっと微笑み、斜め横あるいははす向かいから、体を摺り寄せてくる。チラリズムまで効かせれば、完璧っ!

男は、本能的に、「自分に敵意はない」「自分に好意を抱いている」「コイツが愛しい」と感じ始める。。。。“馬鹿な男”と一蹴するのは、生物の本能からすれば、酷でもある。


金を払う行為に“後ろめたさ”を感じるのなら、まだ、理性が本能を制御できたのだろうが、「いやされる場所」というコンセンサスがあれば、“後ろめたさ”を感じることはないから、理性による扁桃体の制御が効かなくなる。いわゆる“本気になる”ってヤツ。


そういった訳で、“耳かき店殺人事件”の被告人に対する感情が惹起する。私の場合、、、、あえて「情状は?」と問われれば、私だけでなく、殆どの“男性”は。

ただ、「そんな店に勤めているから、殺されてもねぇ・・・・」という屁理屈に発展しやすいから、マスコミはじめ、常識人は、そのような発言をしないのだろう。

被告人に対する“情状”は、本能から来るものだから、抗えない、、、が、、、被害者が選んだ職業で、そう感じるのは“偏見”だ。それを助長するのが、性を売る場所を“癒される場所”としたマスコミ。庶民が感じるには罪はないけど、それを“流行を作るが如く”一般大衆に“広め”、、ってのは罪だよ。

そして、騙された男はかわいそうだからといって、その女が“プロ”だから男を騙したからといって、殺されても当然なんて考えは、ナンセンスだ。これは、峻別されなければならない!それを、世間様は、十把一絡げに扱う。っていうか、良く考えないから、短絡的にってことなんだと思うケド。

それこそが、今回の判決理由で「命の重み」を言ってはみても、白々しく感じる原因だと、、、、本音で話をしないと、いつまでたっても、建前論、子どもじみた議論、中身のない議論、、、、、、


、、、、アレッ?日本の“会議”に似てるなぁ。


やっぱり、日本人には、裁判員は荷が重過ぎるんじゃないのかなぁ。。。

連帯責任の文化っていうか、何事も“自分の責任において”判断することを善しとしない。死刑の判断も“自分の責任において”って・・・・出来そうもないことは、容易に想像できる。色々と理由は付けるだろうけど。

ぶっちゃけた話、被告人に対する情状は、プロに騙された可愛そうな男に尽きるわけだ。
でも、そんな理由で、二人の人を殺したのに、“自分の責任において”判断したくないから、死刑を回避するってのは、責任逃れのナニモノでもないんじゃないかな?“無期懲役”と判断した理由を、いろいろと並べていたけど・・・・。

心に響かないんだよねぇ・・・、とってつけた様な、いい子ちゃんの回答は。私のもっとも嫌いな言葉のひとつは「人、ひとりの命は、地球より重い」だ。この言葉って、「自分だけが、到達しえた境地。おまえらにわかるのか?」って言われてるみたいだから。

人の命が大切で、それを奪う行為は重い、、、なんて、裁判員にならなくたって、誰にだって、わかること。


自分達の事を自分たちで判断(罪は互恵的な集団内で利己的に抜け駆けする行為。それを見抜き罰するというのは、集団生活を営む知恵=互恵的な関係を破るやつを排除する動物の本能)、決断しないツケは、やがて、回ってくるんだと思うけど。


まぁ、それはさて置き、タイトルの件なんだけど、えげつない事を“オブラート”に包むような表現は、逆に、タブーにした方が、いいんじゃないの?マスコミに限らず、みんなぁ!?

サルカニ合戦のサルは、最後に臼に踏み潰されて、殺されなきゃいけないってことだよ。イメージの上でもね。

逆に、暴走族を撲滅するために“珍走団”って呼んで、こバカにする様なことは、大いに推奨すれば良いんじゃない・・・ねっ!?

レトリックは、善にも悪にもなる。要は、使いようってこと・・・でしょ?!
 
 
 
p.s. 昨日、「薬剤師が気にしてること」を書き込んだ後に、カスタマーサポートより、丁寧な返信を頂きました。そのカウント方法によると、、、、3万人どころじゃなく、、、、約1500人位という計算結果が得られました。

というわけで、あんなことを気にしている薬剤師が多いなんて、、、、なんか、気味悪いなぁって思ったんだけど、、、、結局、少数派・・・・安心したしだいです。

でも、あの手のコミュニケーションツール=掲示板の CGI って、そんなものかもしれません。私も、perl の CGI は、かなり弄ってますけど・・・・。製作側=サービス提供側としては、多めに出ると嬉しいってのがあったりして・・・・・・。

2010年11月09日

尖閣ビデオ・・・・もっとも怪しいヤツは?

20101109_sengoku38.jpg尖閣ビデオ・・・・、ワイドショーまでこぞって取り上げるくらいだから、今、旬のネタなんだろううねぇ・・・・。

ふふ、もし、私が“憂国の士”だったとして、それを政治的に実現する為に、何もかもかなぐり捨てられる“性格”だったとしたら、、、、、手っ取り早く、時の人である“仙谷官房長官”のような道を歩んだかもしれない。

(地盤、看板、鞄を持たない故に)左側の人間として“目立つ”パフォーマンス。“自己嫌悪”を押し殺すなんざぁ、朝飯前にして・・・・。

で、結果的に、自虐的な歴史観をお持ちの方々から“仲間”だと思われて、そういう立場であればこそ、尖閣ビデオのリークが、もっとも疑われない立場だから、密かに・・・・。

“おバカさん”と呼ばれて、“怒りのパフォーマンス”。。。。でも、密かにほくそ笑んでいる??


そこまで、考えられなくはない??

中国に敬語を乱発 自覚なき「利敵表現」。あれ“慇懃”? 普通じゃないよね?

あそこまでやったら、バレちゃうよ!?ほんとは、自虐的歴史観の仮面を被った“憂国の士”だって事が。


・・・・・なんてこたぁ、心血管イベント発症抑制におけるスタチン系のエビデンス並だろうと思うけど、事実だったら、スゲぇよなっ!!!!

っていうか、政治家には、これくらいの“したたかさ”を求めちゃうんだけど、いけないのかな?


でも、多分、マジメにホンキでやってるんだろうから、、、、

「ばっ、、、、止めろ」・・・・なんだよなぁ。。。。。。。仙谷。


ところで、自虐的歴史観をお持ちの方々でも、たぶん、『24』ジャック・バウアーの行動に、疑問をはさむ人はいないだろうね。

みたことない人は、特に、シーズン7を見るといい。

シーズン7では、ジャック・バウアーはその行動に違法性を見出した議員から議会の公聴会に召喚される。綺麗ごとばかりの議員だが、この手の立場の人間は、存在自体は必要で健全だと思う。そうしないと、ジャックが“正義”になっちゃうからね。でも、、、、

主人公にはなれないんだよねぇ。

綺麗ごとばっかりで、霞を食っているような人間は。

同じように、手塚治虫「ブラック・ジャック」がウケけるのも、正義を振りかざさないからだ。「ブラック・ジャック」や「ジャック・バウアー」が生理的に受け付けないようなら、本物の“自虐的歴史観”の持ち主なんだろうけど。


“自虐的歴史観”が、戦後、どのような経緯で、一定の支持を得たのか、私は知らないんだけど、“カッコイイ”って感じちゃったんだろうねぇ。でも、、、、

今、それを“カッコイイ”って感じる“感性”は、ハッキリ言って、ダサい。アナクロって言っても良い。当時、それを“カッコイイ”って感じる最先端の“理屈”や、思想的指導者があったのだろうケド。


というわけで、一刻も早く、主人公の座は、明け渡したほうが良い。“自虐的歴史観”の方々とは違って、生身の日本国民は、霞を食って生きてはいけないんだから。
 
 
 
さて、シンクレティズムって言葉をご存知だろか?

シンは sym -接頭語。クレティズムは、クレタ島から来ている。エジプト、メソポタミア文明がギリシャに伝わる過程で、クレタ島を経由した・・・・・・って所から、出来上がった言葉らしいんだけど、、、、

特に、宗教上のいさかいの理由として、この言葉が用いられることが多い。

宗教の伝道に付きまとう困難は、融合・妥協という手段で解決するのが常道だ。その土地に根付いている宗教・信仰を取り込んで、同化させるっていうアレだ。手っ取り早い。

それ故、宗教には宗派が生じる。当然だ。なにしろ、妥協の産物なのだから、100%相容れることはない。当初は、納得したはずでも、世代が変われば・・・・。


情報の伝道速度と量が、ここ20年余りで、指数関数的に増えている。戦後の30から40年と、ここ20年では、比べようもない。昭和と平成とで分けても良い。とは、巷で言われていること。

現代のシンクレティズムは、空間だけでなく、時間も大きな要因になっている。

昭和の時代に、カッコよかった?“自虐的歴史観”が、現代人、特に平成の時代の情報のシンクレティズムに曝された若者に受け入れられないのは、尖閣ビデオのリークを肯定している事からも理解できる。

“自虐的歴史観”の世代が日本の“軍国主義”再突入を憂慮するのも、気持ち的にはわからなくはないが、私を含めて現代人の“脳”には“軍国主義”に突入するという“回路(シナプス)”は存在しない。戦争は起きるかもしれないが、これを“軍国主義”と関連付ける“回路(シナプス)”も存在しない。

“自虐的歴史観”の人達の憂慮は、過去に売春・買春してきた人達が、するつもりのない人達に、売春・買春は“イケナイ”“悪い”事だから、ヤッチャいけないと“力説”するの同じくらい、頓珍漢なことだといえば、当たらずとも、遠からずだろう。

北朝鮮と韓国の経済的な違いが、日本占領下、日本の資本で構築されたインフラを利用したかしなかったかに因るという“説”を受け入れられる柔軟性が、情報のシンクレティズムだ。日本人に痛い目に合わされた朝鮮人の“恨み”を強調したい気持ちもわかるんだけどねぇ・・・・。でも、俯瞰すれば、それが、ホモ・サピエンス的には、自然な経緯(歴史)なんだよねぇ。


と、なんだかんだと、こき下ろしたが、“自虐的歴史観”の人達は、情報のシンクレティズムを受け入れられなかった、純粋でマジメで頑なな人達だとも言えるから、対応が難しいんだよなぁ。日本を窮地に陥れようなんて思ってないし、自らの考えを変えることを、思想的指導者に対する裏切りとか、考えちゃうんだろうから。そう、マジメなんだよねぇ。だから、怖いんだけど。

2010年11月12日

脳卒中回復を促進するための標的

20101112_come_on_over.jpgなんと、まぁ・・・・!

っていうか、、、、今年に入って、母方の叔父、四人中二人が脳梗塞で倒れた。

当然、機能を回復するための“リハビリ”を行っているのだが、一人は完璧に遂行し、もう一人は、、、、、。

治りたくない人なんているはずもないのだが、一人は、いまだ、喫煙中。当然、親戚中から呆れられて、、、、、。

結果、一人は、ほぼ回復、もう一人は、、、、、。


で、『脳卒中発作から治療開始までに時間がかかった場合でも、この方法が有効であるという点である』という一文に、「カッ」と目を開いてしまった。。。。。

のだが、、、、マウス、、、、、じゃ、、、、、ホントにヒトにも応用できるのかぁ??

いや、私がマウスの結果をヒトに当てはめる事に懐疑的なのは、この辺にあるわけだが、、、藁をもすがるって事で、一刻も早く、ヒトでの臨床的な続報を期待している。

Nature 468, 7321 (Nov 2010)

脳卒中は能力障害の主要な原因だが、それは脳の回復力が限られているからである。

実際に起こる機能回復の一部は、梗塞部位の辺縁にある組織への脳機能の移譲によっている。

今回、マウスモデルでの研究により、脳卒中がGABAの輸送を障害し、これが抑制性神経伝達物資の蓄積につながって、梗塞部位付近の神経興奮が低下することが示された。

シナプス外GABAA受容体を遺伝学的あるいは薬理学的に遮断すると、行動機能の回復が促進される。

重要なのは、脳卒中発作から治療開始までに時間がかかった場合でも、この方法が有効であるという点である。

この研究は、脳卒中後の神経回復のための新たな薬物治療標的を突き止めたもので、これは脳卒中以外の脳損傷についてもおそらく適用可能と考えられる。

Letters to Nature p.305
News and Views p.176


さて、それはいいとして、最近、仕事上で経験したことも踏まえて、脳梗塞の二次予防に、抗血小板薬はどれくらい役に立つのか?って感じてしまっている。心原性を除いたとしても、一~二割程度?メーカーの集めたデータはもうちょっと良い?

ほとんどの人は、出血ギリギリの服用量であっても、もう一度、脳梗塞を起こしちゃう。やっぱり、体質と環境の影響は、知恵(医学)では打ち勝つことは出来ない・・・・、今の段階では、、、、どんな病気でも、、、、って事なんだろうなぁ。


過日、高校時代の同窓会があった。学年全体の集まりだったので、かなりの懐かしい顔に会えた。30年ぶりだ。すでに、脳梗塞で・・・・って話じゃなくって、、、

「今回、欠席したら、もう死ぬまで会えないかと思ってさぁ・・・」なんて言ってる奴もいる。半分、ジョークを交えながらの会話、でも、ちょっと、現実的だったりして。死んだやつもいれば、首から下が麻痺しているやつもいる。そんな悲惨なヤツなのに、子供まで脳性まひだなんて。。。。知らなかった、、、、、そう、高校1年の時のバンドのメンバーだったやつの話だ。

家に帰って、文化祭の時の“ライブ・ハウス”の写真を見返したら、俺の後ろで、ドラムを叩いてる。。。。。。でも、不思議と冷静にみられた。


先日の NHK SONGS は“オリビア・ニュートンジョン”だった。

懐かしさとともに、ドキドキしてしまった。実は、白状すると私は“オリビア・ニュートンジョン”に恋をしていたのだ。始めて知ったのは、皆より、ちと遅く、『水の中の妖精』ってアルバムから、なんだけど。LPレコードのジャケットを見つめながら、ため息を何度ついた事か。すっかり忘れていたんだけど、メラメラと思い出してしまった。

今でも、そう感じるんだけど、世界中で、この頃のオリビアより“美しい”女性はいないだろうってこと。

レコードのジャケットは見つめられるのに、、、、最近じゃ、TouTube などで動画がみられるが、動いているオリビアを正視するのが出来ない。よくわかんない、恥ずかしいような、なんだろ?胸の辺りが、モヤモヤ、ドキドキしちゃうんだよね。見つめ返されたら、心臓が止まりそう・・・・。

思い出しら、いても立ってもいられなくなって、Amazon で、『水の中の妖精』を買ってしまった。擦り切れるほどよく聴いたから、曲と共に思い出される情景がいっぱいある。輸入版は安かったんだけど、日本製が欲しかったので、1万円なり。他にも手持ちにない“ベスト版”、その他、も買っちゃったから、2万円なり。


その他ってのは、サイモン&ガーファンクル。

WOWOW “ROCK & ROLL HALL OF FAME”をみて、泣けてきた。サウンド・オブ・サイレンス、ボクサー、明日に架ける橋。2009年10月29日、30日の2日間、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで開催されたライブでの演奏だ。

忘れてた。

Jay-Z やオリアンティ、ケイティー・ペリーもいいんだけど、やっぱ、サイモン&ガーファンクルもいい。ほんと、忘れてたって感じ。


最近、何か忘れてるんじゃないのか?って、理由もなく、焦燥感に駆られることがある。毎朝、気分が優れない。“何か”を思い出すと、すぅ~っと、気分は良くなるのだが。でも、思い出せないことの方が圧倒的に多いけど、仕事が始まっちゃえば、気分は晴れる。

いわゆる“うつ”なのか、、、、もしかして、、、、老人性うつ・・・・ギャー、やめてぇ~~~~~。

でも、忘れてたことって、オリビアやサイモン&ガーファンクルなんかも含まれるみたい。思い出して、気分がいい(まぁ、具体的に忘れてるわけじゃないし、思い出した!って感じが、気分をスッキリさせるんだろうケド。それと、「やらなきゃ」って思いつつ、めんどくさくて実行してない事を忘れるのを恐れているってのもありそう・・・)。

オリビアとサイモン&ガーファンクルが届いたら、まずは、GT-R の HDD に取り込んじゃおう。そして、R56 MINI カムデンに装着した“カロッツェリア”の HDD ナビ にも。(あっ、車ネタなら、R50 MINI のタイヤをミシュランのランフラットからブリジストンのプレイズに変えたから、“乗り心地”でいけるなぁ。。そのうち。「ランフラットタイヤ、乗り心地は悪くない」って事にしてあったからなぁ~)
 
 
 
ところで、、、、

小学2年の娘が、オリビアに嫉妬している。

のかもしれない。娘は、私の見る音楽コンテンツはかかさず一緒に見ている(何故か、矢沢永吉が嫌い。私と妻が「カッコいいじゃん」って言ったら、泣いてたんだけど、意味不明)。“ベストヒットUSA”は、私より先に一人で見ているくらいだ。そして適当な英語で歌ってる。

私が、妻と話しているのを---「やっぱ、オリビアは世界で一番、美人でチャーミングで、一番好きだなぁ」---ってのを聞いていたらしく、、、

「ふん、ただのババアじゃん」

だって。

いやいや、びっくりしたのと、いつの間にか娘が成長したのと、娘に女の片鱗が見えたのと、、、、複雑。映画じゃないけど、娘が世界で一番好きな男性は、おとうさん(私)なんだから、言葉に気をつけなくっちゃ!


さて、我が叔父達の病気の話を、親戚一同で共有出来た(みんなで、「タバコ止めろ」の大合唱)のは、母方の祖母が亡くなって、お通夜、葬式、立ち日の法要で、集まることが多かったからだ。祖母は93歳だったので、湿っぽくなることはない代わりに、久しぶりに夜通し、、、昔話に花が咲いて・・・って、ワケ。


リハビリがダメだったら、、、再生医療に期待するかぁ!!脳の話じゃないけれど、臨床的な内容のを、一つ、引用して終わることにしよう。

なんか、支離滅裂って感じ。今回。

再生医学:肝再生のシグナル

Nature 468, 7321 (Nov 2010)

内皮細胞は酸素や栄養素を運ぶための輸送路を形成するだけではないことを示唆する証拠が増えてきている。

例えば、胚発生の際に内皮細胞は循環系が発達する前に器官形成を誘導する。

今回、肝臓の70%を切除した肝再生マウスモデルでの実験で、内皮細胞が外科的切除後の肝再生を持続するのに使う分子経路の1つが明らかになった。

肝内皮細胞の特定集団でのVEGFR2の活性化が、内皮細胞特異的な転写因子Id1の上方制御につながり、さらにWnt2と肝細胞増殖因子(HGF)の分泌が誘導され、肝細胞の増殖が引き起こされる。

この結果から、肝再生を促進する血管ニッチ由来の誘導性シグナルを用いて、外科的切除後の肝再生を開始・促進させることも可能だと考えられる。

Letters to Nature p.310

2010年11月15日

遺体やがん患者の写真も、米FDAがたばこ包装の新デザイン案

20101115_ucm233072.png「家族の喫煙予防とたばこ規制法」はFDAにたばこ製品規制の権限を付与したもので、昨年10月に風味付け(フレーバー)の禁止、今年7月に「light」「mild」「low」の表示禁止などを行ってきた。同法には、2012年10月までに包装に表示する警告を改正および強化することが盛り込まれている。

う~む、こういうのを知ると、つくづく、日本の政治、行政の“事なかれ主義”を痛感する。目に見えない、実在するのかどうかわからない“誰か”に気をつかってるんだね。当人は、気配りの出来る人って思われていると勘違いして・・・・。でも、それって、政治家や役人だけじゃなくって、ほぼ日本人全員だよなぁ。。。。。

パッケージのデザイン案はこんな調子だ。誰かに気をつかったら、こんなデザインは出来ないよね。その“誰か”ってのが、私には想定できないんだけど、、、、。

デザインの詳細は、こっち

20101115_ucm233180.pngパッケージのデザインは未決定らしいけど、警告文はこんな感じで決定だそうだ。

Cigarettes are addictive(たばこには習慣性がある)
Tobacco smoke can harm your children(たばこの煙はあなたの子供に害を与える)
Cigarettes cause fatal lung disease(たばこは致命的な肺疾患を引き起こす)
Cigarettes cause cancer(たばこはがんを引き起こす)
Cigarettes cause strokes and heart disease(たばこは脳卒中と心疾患を引き起こす)
Smoking during pregnancy can harm your baby(妊娠中の喫煙はあなたの赤ちゃんに害を与える)
Smoking can kill you(喫煙はあなたを殺す恐れがある)
Tabacco smoke causes fatal lung disease in nonsmokers(たばこの煙は非喫煙者の致命的な肺疾患を引き起こす)
Quitting smoking now greatly reduces serious risks to your health(禁煙するのに遅過ぎることはない)

英国の抗生物質の乱用防止キャンペーンでも触れたけど、日本では、こんな大胆な事は出来そうもない。

日本でも10月からタバコを値上げした。でも、あの程度の値上げじゃ、禁煙させるインセンティブにはなり得ないって、誰しもが思っている。値上がり直後と、値上がりする前に買いだめしていた人達の“禁煙ブーム”の煽りで、チャンピックスが欠品するという、お笑い種の騒動もあったりして。。。。。

すべからく、日本人は、出来事をオブラートに包みたがるようだ。真剣に取り組まなきゃならないことを、かなりの頻度で“茶化す”。そういうのも必要なケースもあるんだろうけど、全てそれじゃ・・・ね。


国はタバコを止めさせたいなら、値上げは、一箱、1000円以上だろう。当然だ。でも、税収が落ち込むことも、懸念しなきゃならない?

どっちが、重要なんだよ?

日本人の“善意”なんて、所詮、こんなもの。

助ける必要のない人を“弱者”にして、「私が、彼らの味方です」みたいなことは、すぐやる(そして、軽薄な善意にだまされやすい。)くせに、北朝鮮に拉致された人や、尖閣問題の報復で囚われの身になった日本の民間人を助けるなんてことは、絶対、やらない。。。。


でも、別の見方も出来る。

医療費を抑制するには、基本的に喫煙者を増やし、高齢者になる前に死んでもらったほうが良いのは、タブーだけれど周知の事実。

医療費抑制の目的ならば、タバコを吸ってもらっていた方が良いことになる。公言できないから、のらりくらりとやっているのかもしれない。

こう考えると、日本人って、かなり“怖い”。多分、これが本音なんだろう。世間体、人様の目があるところでは、“イイ子ちゃん”を演じるのが、大好きな日本人、ほんとは、かなり怖い。今回のタバコ値上げは、決定的な禁煙の因子とはならない。一度はチャンピックスで禁煙したって、周りに挫折した人がいたら“安心して”挫折できる特質をもつ日本人。

いまどきの喫煙者にみるイメージ(頭が悪い、克己心がない、自分勝手、マナー欠除、優柔不断、意志薄弱、などなど)に逆らって、喫煙し続けている人たちだから、そんな簡単に、禁煙出来るはずもない事を、踏まえての値上げ幅なんだよね。アレって。。。。

怖いねぇ~。


さて、怖いといえば、週末に「オープン・ウォーター2」と「イングロリアス・バスターズ」を観た。

まず、「オープン・ウォーター2」。これ、かなり怖い。日常にある怖さだから、むなくそ悪くなる。観たくなくなる。途中で、どれだけ、早送りして“ホッ”とする結末を観たくなったことか。でも、最後まで、じっくりと見た。救われない。やるせない。

「イングロリアス・バスターズ」、これも、怖い。でも、視点が“公平”なところが“すがすがしい”。枢軸国側(ドイツ)と連合国側(アメリカ・イギリス・フランス)に善悪を付けてない(ナチ対ユダヤの対立軸においても然り。この辺が日本人には理解できないかもしれないな。日本人を善悪がハッキリさせたい人達だから)。

両作品とも、結局、人間って愚かだなって感じさせる。でも、それが、ヒトの営み、本質。その積み重ねの結果が“歴史”(だから、歴史から学べるものなど無し。っていうか、ヒトはそういうものだと知ることは出来るのに、『歴史から学んでないバカ』みたいな言葉を使うIQの低い人達・・・おっと、脱線)。

そして、一番、恐ろしかったのが、私自身の“人を見る目”。

クリストフ・ヴァルツ ( Christoph Waltz ) 演じる“ハンス・ランダ親衛隊大佐”に「ほんとは、いい人なんじゃね?」って勘ぐりつつ、ことごとく、裏切られたことだ。

つくづく、私は、日本人なんだなぁ・・・・と。ハッと気づいた。どこかに究極の“善”があるって思っている。無意識に。


つくづく、私は、日本人なんだなぁ・・・・と。どこかに究極の“善”があるって思っている。

だから、敢えて、タバコのパッケージに、屍体、がんに犯された肺臓、脳卒中で麻痺し歪んだ顔の写真を貼り付け、値上げは、1000円以上にして欲しい。微妙な値上げでオブラートに包む行為は「オープン・ウォーター2」のごとき・・・って感じるよ。

2010年11月16日

癌患者41団体の声明

20101116_YANKEE.jpg10月15日付け朝日新聞の“ワイドショー”的記事に対して、10月20日に発表された癌患者41団体の声明は、、、、

「臨床試験における有害事象などの報道には、癌患者を含む一般国民の視点を考え、誤解を与えるような不適切な報道ではなく、事実を分かりやすく伝えるよう、冷静な報道を求めます」

であった。

朝日新聞を除く、各紙は、この声明を“そのまま”掲載している。当たりのことだ。しかし、、、朝日は、ここでも、“改ざん”。声明文の中から「誤解を与えるような不適切な報道ではなく」の部分を削除して掲載している。

---不思議っ!---

としか言いようがない。朝日新聞。どうして、こんなバレバレの姑息な手段をとるのだろう?真意がわからない。意味不明。

正義の味方(悪者を作り出し、それを暴く)を気取りたいにしちゃぁ~~~変?

いまどき、朝日新聞だけしか目にしない人なんているとでも思っているのだろうか?

あっ!ネットに接続も出来ず、自説で囲い込んで洗脳した“高齢者”にすがっているの?????でも、それだとしたら、まぁ、わからなくもない。


日本じゃ、高齢者、強いからねぇ。後期高齢者医療制度、名前が良くない、変えろっ!と、どこが問題なのかわからんものを、高齢者を煽って変えさせる・・・・・

・・・ハッ!  うん、とにかく、変えさせたいんだ!その時点で、良くなろうが悪くなろうが知ったこっちゃない。時を経て、結果がよければ、「我々が、あの時、変えた」って。。。。。


・・・・・この必死な姿勢、、、、なんかに似てると思ったら、今の民主党政権だ。論点をすり替え、「どこが問題なの?」って事を、大問題扱いする。そして、『我々は、、、、』って。やるよっ!あの連中、きっと。歴史を振り返るの“好き”だから。(それに交絡因子による結果でも、大衆にはわからないからねっ)
 
 
 
でも、、、、、騙す方は、ほんとに“悪い”のだろうか?いや、私は、朝日新聞を擁護するつもりは、サラサラないのだが、騙されるほうも騙されるほうじゃない?って思いは、日ごろから強いから。


今朝、読売朝刊、今日発売の週刊誌の見出しを見ながら、、、、

---あぁ~、こういうのに釣られるヤツ等が騙されるんだろうなぁ---

って。

一部を見てみると、、、

《「坂の上の雲」から見る平成ニッポン-「明治はよかった」司馬史観再考》
《「坂の上の雲」から見る平成ニッポン(2)-今こそ「歴史の教訓」に学べ》
《「坂の上の雲」に託されたメッセージの読み解き方》(・・・・・・ここまでくると、新興宗教だよね。まぁ、好きなら、かまわないけど、、、、なんか、「坂の上の雲」が慇懃に扱われたみたいでムカツクんだよね。小説としてだけ、面白ければイイだろ?)

だって。

オイオイ、冗談は、ヤメテクレ。


でも、どうして、大衆はこんなのに釣られるのか、考えてみた。

よーするに、これって、健康問題を解決するのに「血液サラサラ」並みに解りやすいってことなのでは?って結論に達した。

人の体だってドロドロしているよりは、サラサラが“良い”みたいな“印象”があって、「ヤッパいいんじゃね」と。だから、世の中の一般の人は、“血液サラサラ”が、より良いことだと思い込むみたいな。

タトエバ、「t(9; 22) によって、c-abl と bcr が融合し、生じた abl-bcr は常にチロシンキナーゼが活性化してる」なんて言ったって、誰も、聞いちゃくれない。でも、、、「明治はよかった」「歴史の教訓に学べ」「坂の上の雲に託されたメッセージの読み解き方」なら、自分にも、解りそう・・・・・。


いっとくけど、医学的に「体に良い」なんてものは、ないっす。正常か異常かだけっす(間はグラデーションだけど)。だから、正常な状態を、もっと、良くするって、ナンセンスっす。。。って解っていれば、血液サラサラで、もっと健康にっ!ってのが、インチキだって解るはず。

人間の体の中では、絶えず、サラサラとドロドロの状態は変化している。サラサラだけの状態が“良い”ワケではない。血管は、“水道管”に喩えられるが、似てるけど、穴が開いてるから“漏れない”為には、ドロドロの状態も利用している。サラサラだけにしちゃったら、何処かで“漏れちゃう”。っていうか、漏れることを利用している臓器もあるし。

20101116_Gigakushikan.jpg歴史は単なる結果の積み重ね。人間の生の営みの結果だ。そこに、未来を左右する“真理”や“知恵”は存在するわけではない。ある時は“サラサラ”が良い結果をもたらすだろうし、またある時は“ドロドロ”が良い結果をもたらすこともある。この“良い結果”をもたらすのが、“どんな時”なのかを、歴史は示してくれない。

そういう事だ。

歴史上の“その時の状況”で“その対処”が“そのような結果”をもたらした。ただ、それだけ。“その時”の状況が100%、寸分たがわず、現代に再現されれば、同じ結果が得られるだろうケド。アリエナイ。


話は飛ぶが、性交後、射精された精子は、たった一匹だけ卵子と受精できる。この時、3億の精子の一つずつの“性能”を調べて、一番強いのが特定できたとしよう。そう、試験管内で試せば、十中八九、そいつが、受精する。でも、、、

腟内に放出された環境では、そいつが受精できる確率は、宝くじの一等当選並みに低下する。

先陣をきって、子宮、卵管と突っ走っても、卵子にたどり着くことは出来ない。途中で精根尽き果てる。かといって、最後尾じゃ、辿り着いても、もう、受精できない。なら、どのようにすればいいのか?

人類が誕生して、それこそ、天文学的数字の“受精”戦争が繰り返され、歴史を作ってきたわけだが、どの辺に位置して、どのように、泳ぎきれば、受精できるのか?誰も答えを知らない。

“受精”戦争ではなく、人間の行う戦争も、同じだ。

日本が単独で、核を持っている中国との戦争を選択しないのは、歴史に学ぶではなく、核爆弾を打ち込まれりゃ、おしまいだからだ。核爆弾を落とされた経験ってのを“歴史”と呼ぶのなら、言えるんだけど。でも、ここまで。


ふふふ、この辺の“レトリック”が、週刊誌やマスコミの常套手段なんだよなぁ。(歴史という言葉の定義をせず、印象に訴えるのだよ)


薬の副作用は、誰かに出る。今まで、たくさんの人に出た。いわゆる“歴史”だ。でも、いま、現在でも、事前に「副作用が出るかで無いか」を判定するすべは無い。ぶっちゃけた話し、その人にとっては「やってみなくちゃ、わからない」。

でも、この科学的・医学的“知見”を“歴史”と表現しちゃ、イケナイ。これは情報分析。データは、条件がそろえられ確実に得られたものだから。事前に解らないのは、データ(因果のある因子が100%特定できてない事も含む)が不足しているから。いわゆる“歴史的事実”とは、根本的に違う。

現在、解っている事だけで、未来を予測するのが困難なのは、科学も歴史も同じ。でも、科学は解らない部分を予測して解明していける。予測は実験で確認できる。しかし、歴史は、予測・予想した段階でフィンションとされてしまい、実験で確認できない。

“歴史”をこの辺の科学の印象と混同させるのが、彼らの表現(レトリック)の上手なところ。


健康産業(ある意味、医療用医薬品メーカーも含む)に騙されないようにするのと同じくらい、この手の、週刊誌の記事に騙されないようにするのは、大事なことだと思う。

大衆の無知が、“全員の不利益(世間的には【諸悪の根源】と表現される)”とも言えるのだからね!流されて、世論が形成されちゃう。この場合の世論は「せろん」って読んでね。その“せろん”で世の中が動いちゃうことが。

そういう意味で、朝日新聞の存在は“貴重”だともいえる。具体例を作ってくれるのだからね。
┐(´∀`)┌ヤレヤレ

2010年11月19日

暴力装置? 暴力教室なら知ってるけど?

20101119_Nicholas_and_Alexandra.jpgふ~ん、勉強になるなぁ、さすが、仙谷さん!!無教養な私なんぞ、「暴力装置」がそういう意味だなんて、今の今まで知らなかったよ。

私が「暴力装置」って言葉からイメージするもの、それは、ガヤルド・スーパーレジェーラとか、そういう“車”だなぁ・・・・・。いわゆる、ESP を OFF して、フルスロットル・・・・・・・、怖ぇ~~~~~。間違いなく、“死ねる”。

私にとっては、ある意味、安全なはずのローンチ・コントロール、そう、R35 GT-R でのロケット・スタートも“怖くて”出来ないくらいだから、ガヤルド(2WD)でのそれなんて、、、、って感じぃ~?


ふぅ~~~~っ。まぁ、そんなことはどうでもイイんだケド。


さて、「社会主義社会には個人の完全な自由がもたらされ、その能力は全面的に開花し、正義が完全に貫徹しているというア・プリオリな思いからであった」って、仙谷さんは、マックス・ウェーバーを読んで、目から鱗を落としたそうだが、結局、人間、《見たいものしか見ない》通り、自分に都合の良い解釈をしていたみたいだ。

「ウェーバーを読み直し、改めて勉強したい」ってのは、「解釈が間違っちゃったかな?」ってことでしょ??

自虐史観も含めて、この手の思想信条は、結局、“現実主義”を実践できる人達の“掌の上”で“吠えている”のが“丁度良い”って事が、図らずも、民主党が政権をとって“証明”されてしまったワケなんだが、、、、理想どおりなら、社会主義社会は、、、、いいよねぇ、そりゃ。

だって、私も、《罪と罰》を読んで、ラスコーリニコフに感情移入したもん。世の中、悪いもん。若い頃って、誰でも経験あるんじゃないのかなぁ?(あっ!かっこつけちゃったけど、私の読んだ《罪と罰》は手塚治虫が漫画にしたヤツだよ。だから、中学生の頃じゃないかな、こんなふうに感じたのは)


そんなこともあり、このニュースは、正直、“嫌味”でなく、私の興味をそそったんだよねぇ。

「暴力装置」はもともとドイツの社会学者のマックス・ウェーバーが警察や軍隊を指して用い「政治は暴力装置を独占する権力」などと表現した言葉だ。それをロシアの革命家、レーニンが「国家権力の本質は暴力装置」などと、暴力革命の理論付けに使用したため、全共闘運動華やかなりしころには、主に左翼用語として流通した。

ふむふむ、なるほどぉ~~~~~。って。

私が、レーニン、とか、スターリンに抱くイメージは、映画【ニコライとアレクサンドラ(1971)】からの影響がすごく強い。っいうか、これしか、イメージ出来る“インプット”が無いから。

この映画は、帝政ロシアの末期を時代背景に、世の変遷に翻弄されたロマノフ王朝の悲劇を描いた歴史ロマンなんだけど、ちょうど、NHK で『坂の上の雲』を放送してた頃、WOWOW でも、適宜?って感じで放送したから、録画して、最近、また、見ちゃったんだよねぇ。

若き日のレーニン、とか、スターリンは、はっきり言って「カッコイイ」。俳優がカッコイイのもあるんだけど。地下にもぐって、密談する。反体制って、カッコイイ。大きな“もの”に立ち向かう、若者の姿って、若者は“共感”するものがあるんだよね。その“姿”だけで。意味なんか、どうでもよくって。

映画での時代は、丁度、『坂の上の雲』での時代、日露戦争と重なるんだけど、『坂の上の雲』での日本は日本人が全員一丸となったみたいな“必死さ”が伝わってくるんだけど、ロシアの王朝では、「あんな遠くのこと・・・」って感じで、小さな出来事として扱ってるんだよね。そんな時代に、レーニン、スターリンが絡んでくる、、、すなわち、革命前夜なんだから、そういう視点でみれば、面白いんだよ、コレが。


今でも、面白いもん。でも、実生活を考えれば、、、って事でしょ?ほとんどの《若者が大人》になるのって。


仙谷氏は後に現実主義に「転向」し、今では「全共闘のときの麗しい『連帯を求めて孤立を恐れず』を政治の場でやるとすってんてんの少数派になる・・・って考えてんだってさぁ・・・現実主義っぽいけど、なんか、違う。捨て切れてないんじゃない?残念ながら。

ある意味、野党の政治家なんて、最高の職業だって思ってる(俺もなりてぇもん。何度もいうけど、地盤、看板、鞄もってないから、選挙制度改革から始めたいよねぇ)。責任ないし、子供の心を持ったまま、大人をやれるし・・・・。だから、嫌味もこめて、こんな思想信条の連中を、私は、ロマンチストで、文学青年と、十把一絡げで呼ぶことにしているんだよねぇ。


文学青年・・・やるんだったら、野党でやれよ!!仙谷さん・・・さぁ。

それと、ウェーバーを読み直し、、、、じゃなくって、生物学を勉強した方が、いいんじゃね?もっと、人間の本質を知ろうよって。


p.s.関係ないけど、昨夜、ヤフオクで、プリズン・ブレーク1~4を落札寸前で他のヤツに落とされて、くやしいっす。だから、仙谷さんのおバカ発言、適当に流せたっす。そうじゃなかったら、怒りは激しく、もっと、嫌みったらしい文章になったはずっす。。。。。。人間の感情って、面白いっス!(逆転裁判の糸鋸 圭介 調にすると、角が取れるっす)

2010年11月22日

へぇ、針と糸は、使わないんだぁ!!

20101122_bj_Ope.jpg多分、こういうのって、「お役所は、たらいまわしにする」っていう庶民の不満の原因にも通ずるものがあるんじゃないのかなぁ~って。

自分のフィールド以外のことは、殆ど、知らねっ・・・ってこと。

多分、我輩も、、、、、、、

最近、外科医は、それも心臓の人工弁置換の手術にも“針と糸”を殆ど使わなくなったんだと・・・・と。ふ~ん、そういうもんなのか!?

で、気になって、sutureless valve ってキーワードでググってみたら、、、、っていうか、日経メディカルオンラインのブログ、昭和大心臓外科「手取屋教授の独り言」での内容に、「へぇ~(オクターブ上げて)っ」ってなったもんだから、、、

・・・・・・
・・・・・・

ドラマで心臓外科医が取り上げられるワケ

 それにしても、この10年間のPCIとCABGの技術革新の進歩を振り返ると、私たち心臓外科医達は頭が固く、“この手でなければ命は救えない”なんて思い込みの下、周りの変化から目をそらして自分の指先ばかり見ていたのかもしれません。

 今回の学会では、sutureless valve(縫合せずに容易に装着できる人工弁)も話題になりましたが、それを、一番疑心暗鬼の面持ちで見ていたのは日本の外科医だったように思います。「人工弁置換に糸を使わないなんて!」って。

 でも、消化器外科も呼吸器外科も今では、針と糸なんてほとんど使いません(よね?)。自動吻合器で処理しちゃう。ところが心臓外科は、いまだに冠動脈を縫うには運針がどうのこうのとか、人工弁の糸の結び方はどうのこうのとか、職人的な手技にこだわりがちです。ある意味ちょっと玄人っぽくてカッコ良さげだけど、そうした職人気質が、革新的技術の導入を遅らせてしまったんじゃないかなぁ。

 ただ、だからこそ心臓外科医は、「医龍」だとかドラマの題材になりやすいのかもしれない。「始めます」の一声の後、機械でガチャガチャして「終了!」じゃ、絵にならないからねぇ…。

・・・・・・


で、ぐぐった結果の中に、、、、

女史^^;遊佐奈子(女医?)さん、、、多分、現役のお医者さんが書いてるブログがあって、、、、、

う~ん、なるほど、さすが現役の先生のコメントは違うw。

確かに、、、

外科の手術や縫合って、、、え!それで終わり?本当にそれで終わり?そんなのでいいの???

と、医療ドラマしか見たことがない内科医にとっては、え!!!!!!と

いうくらい、あっという間に機械で終わりますよね。(手術にもよりますが)

さらには手術中も何事もなく、ごく普通に終わるのが、ほとんどで、それがそう、「普通」なのでw。

見ていても何の感動も驚きもないw。

ってことで。

脳外(何をやっているのか理解すらできない)
胸外(何かをやっているのがとにかくすごい気がする)

の、これらの手術は

絵になるなぁ~って感じですよね。


ってな記述があって、、、、、、

やっぱ、知らねぇんだぁ、、、、同じ医者(ゴメンナサイ!この時点で、すでに認識不足です)なのにぃ・・・・・って、感じたワケなのです。


「医療・・・」と一言で言っても、ぜんぜん、知らない分野がある。

「お役所仕事」と一言で言っても、その中で働く人達にとっては、「あの部署のことは、わかんないから、アッチで聞いて」ってなるのも、うなづけますなぁ!

でも、べつに、お役所の肩を持つわけじゃないよぉ~。


こんなこんなで、「医療の質を上げる」とかなんとか言っている人達(誰とは言わないけど)って、そういうこと言ってる一人ひとりが、想い描いてる事、バラバラだったりしてねぇ~~~~って、笑えるぅ~。

政治家の“玉虫色の答弁”っていうか、やめることになった“柳田稔法相”みたいになっちゃうよ。何にでも、どんな時にでも、通用する“言葉”を、、、とくに、綺麗ごとな言葉を使ってると・・・


我輩、決めました。!!!医療の質の向上に貢献する」とか言う学生が来たら、コテンパンにしてあげようって・・・・ワハハハ。

でも、我輩の周りにいるよっ! いい歳こいても、具体的に何なのかわかんない「医療の質を云々」とか、、言っちゃってるの。


我輩は、正直者だから、「医療の質」って何だかわかんなかったから、これについて「~云々~~~」したことはないんだよねぇ。。。しなくてよかったぁ、、、恥ずかしいもんねぇ。まぁ、“医療”とか、大風呂敷、広げたほうが、大衆ウケするのは、わかるんだけどね。

で、その柳田稔法相、語った“やめる理由”が、またまた、哀れ。「私の不用意な発言が影響し、(平成22年度)補正予算の障害になっていることを考え、補正を速やかに通すべく、私から身を引かせていただくと菅直人首相に伝えた」だって。


さて、最近の、我輩の身の回で起こっている、他の人にはどうでも良い問題で、もっとも、腹立たしいもののの一つは、薬局のポイントカード問題だ。

なんだか、何処かの、正直になれない、綺麗ごとしか身に纏わない奴らが、医療にポイントカードは馴染まないとかなんとかで、反対しているってヤツ。国会の答弁ではどっか(厚労省)のお役人だった(自分の足元も良く知らんくせに、ひとんちまで首、突っ込みやがって)。

20101122_bj_Money.jpg正直言って、医療がサービス業じゃないなんて言っている奴は、嘘つきだな。医業で生計を立てている時点で、商売だ。特殊で高度な専門性を有している職業集団だけど。倫理観っていうなら、航空業界だって同じでしょ?医療だけをアプリオリに特別扱いする時点で、その論法は、終わってる。将棋で言えば“詰み”(サービス業じゃないってんなら、医療職は全員、公務員にすべし)。

こういう“禁じ手”=“医療は人の命を預かるから特別”を使わずに、薬局でのポイントカード禁止に納得の行く“理由”を示してくれれば、我輩も禁止に賛成するんだけどねぇ・・・。つまり、今は、賛成って事。(これを理由に患者に選ばれる・・・結構なことジャン。そんなことと比べられて、薬局選択のインセンティブにならないような、薬剤師の技術って、何?)

で、もひとつ。事業仕分けで、かろうじて、仕分けされなかった、薬局の“薬歴管理”も同罪。我輩は、あんなものに、“技術料”なんて“呼び名”をつけた時点で、恥ずかしい。“手間賃”でいいでしょ!(コレって、何度も書いてるケド)

薬剤師会の某氏は、「患者さんのメリットがある」とかなんとか理屈をこね回し(そういう“森の中の木”のような特殊な事例を一般論にすり替え)、薬剤師の情報提供・管理には意義があると言って、煙に巻いたらしいけど、“手間賃”だったら、いつでも“正当”な理由になるじゃん。


ブログ、昭和大心臓外科「手取屋教授の独り言」で、教授は、、、、

 いろいろと偉そうなことを言っている僕ですが、3年前に同じジュネーブで開かれたEACTSで「カテーテル人工弁挿入術100例実施」の話が出た時には、「こんなもんが、われわれの弁置換に勝るもんか!」って半分バカにしていました。しかし、その後、これまでに世界中で3万件以上も実施され、今一番ホットな話題になっています。専門よがりの大バカだった自分がとても恥ずかしい…。

 僕らは手技に拘泥しがちだけど、その腕前のほどは、実は威張るほどの“匠の技”でも何でもないのが普通です。手技だけであれば、もしかしたら子供でもできるかもしれない。だから、自分たちがやっていることを「素晴らしい」「難しい」って周りに言い回っている外科医って、かなりアヤシイ。


って。。。カッコいい!!!

凄いことを、サラりとやるのが“プロ”。凄いことを「簡単なことだよ」と言うのがカッコイイ。でも、、、

我輩の同胞のように、簡単なことを「凄いことだぜ」「価値のあることだぜ」って自分で言うのって、かっこ悪い。そういえば、いつだったか、つい最近の薬事日報の“無季言”だったかな?そんな名前のコラムに、、、

「専門薬剤師、、、って何ですか?」と、チーム医療を束ねる医師に聞かれた、、、

みたいな記述があった。

薬剤師の私自身、専門薬剤師って何だか、よくわからない。多分、だから、人に説明できない。そもそも、薬剤師って、“薬の専門家”じゃなかったっけ??(m3.com の Pharmacist Community あたりには、すげぇ、恥ずかしいのいるから、興味のある人は、行ってみたら・・イイカモ!)

でも、なんだか、流行ってるみたい。一部の仲間内で。“簡単なことを難しく言う”ようなもカッコ悪い事にならないよう、お祈りしておこう。

2010年11月29日

がんワクチン報道の裏側

20101129_a_difference_of_viewpoint.jpg朝日新聞は 11月26日 、医療サイト「アピタル」で、東京大学医科学研究所に送った回答書を公開した。

それによると、『がんワクチン報道問題、「誤解の余地はない」と全面反論』だそうだ。おまけに、回答文の最後には医科研公式サイト上で掲示された清木所長名の11月10日付文書に対し「ねつ造」、「沖縄のサンゴ礁事件を連想させる」などと公然と弊社の名誉を傷つける記述があったとして撤回を強く求めると述べているらしい。。。。


とは、MT Pro で知ったこと。

今回のエントリー、その“裏側”とは、大それたタイトルだが、別な“側面”が Biotechnology Japan の BTJ ジャーナルに示されていて、ちょっと気になったので。。。。


そもそも、朝日新聞の記事の“ネタ”にされた“がんワクチン”の臨床研究は、すい臓がん患者を対象に、VEGFR1 由来のペプチドを抗原とするワクチンを投与するというもの。

VEGFR1 は、組織というか、ある程度、細胞の数が纏まった塊に血管を誘導する“因子 (VEGF)”の“受容体”だ。

一般の人にも、事情を理解してもらうために、、、、、

VEGF や VEGFR は、血液を必要としている場所に置かれた細胞が、血管を作る為“VEGFを分泌”し、自らその“刺激を VEGFR で受け取”って目的が達せられる仕組みになっている。細胞は体の中である程度の数に達し“塊”になると、栄養や酸素が浸透しづらくなる。そうなった後にも、浸透にたよらず“栄養”を確保するために“現れる”生理現象だ。“血管を作る”って現象は。

だから、“がん(この場合は、塊になるのだから“癌”と書くべきかも知れない)”に特有の現象ではなく、例えば、怪我をした時など、組織の修復時にも“現れる”。

本来、ワクチンとするなら“すい臓がんだけに現れる因子”をターゲットとすべきなのだが、現在、そのようなものは“発見”されておらず、“科学的”なレベルでは、これが限界であり、これを問題にしているわけではないことを、まず、断わっておく。(そもそも、VEGF 発現の機序すらわかっていない。。。。が、糖鎖の研究でイイ線イッテルのはあるみたい。がんと正常細胞の区別を。でも、糖鎖って抗原になりづらいから治療というよりは、診断の方面で役立ちそうな気配?)

話を戻し、、、

この VEGFR1 ワクチンを投与された、全6症例のうち、1症例に、消化管出血が発生した。

ややこしいことに、この研究自体は、朝日新聞が紙面で非難した中村教授の仕事ではない。中村教授から研究費を援助された医科研付属病院の山下教授ら単独の仕事なのだ。中村教授らは、複数のペプチドワクチンを精製し、全国の医療機関と共同で、さまざまながんワクチンの臨床研究を実施している。このネットワークは、CAPTIVATION と呼ばれている。

朝日新聞の“スクープ”の趣旨は、、、、

■この山下教授らの仕事で発生した“有害事象=消化管出血”が CAPTIVATION で共有されていない。
■隠蔽だ!!!

ということだ。だから、

医科学研究所としては、、、、

■CAPTIVATION の仕事ではない!
■そもそも、進行したすい臓がんでは、出血を想定するのは、専門医の常識!(隠蔽の対照とすらならない。なに言ってんだ!シロウトのバカが※注)

というものだ。
※注:カッコ内は私の脚色

どう考えても、朝日新聞の頓珍漢、勇み足に他ならない・・・・・・・のだが、、、


話は変わって、政府の予算編成。
総合科学技術会議(CSTP)による2011年度科学技術関連予算の優先度判定の結果報告が10月21日にあったのだが、、、、

厚労省は、【難病・がん等の疾患分野の医療の実用化研究費】に94億5千万円を要求している。このうち、26億円は、「革新的がんワクチン療法の開発」に当てる予定でいた。

この CSTP による、まさに“会議の最中”に、この“スクープ”は発表されたのだ。

あまりのタイミングのよさに、「がん治療ワクチンに、これ以上の資金が流れるのを快く思わないグループに、中村教授は狙い撃ちされた」との声もあるのだとか。


ちなみに、総合科学技術会議(CSTP)による、厚労省が要求している【第3次対がん総合戦略研究、難病・がん等の疾患分野の医療の実用化研究】に対しては、新規施策の評価(S,A,B,C の 4 段階)の中で、最低ランクが付いたことは、ご承知の通りである。


さて、この政治的な“決着”が、はたして、“裏側”があったことによるのか、単なる偶然なのかは、表に出ることはないだろうが、後世には、辻褄が合う事が、事実とされるんだろうなぁ・・・・って思うと、なんだか、ハッキリさせたくなってくる。もっとも、ハッキリさせちゃったんじゃ、“歴史モノ(小説)”がつまんなくなっちゃうから、世の中、“闇の中の事実”も、捨てがたい・・・・・、おっと、余談。


さてさて、もし、“これ以上の資金が流れるのを快く思わない”人がいたとして、一体、そのモチベーションはいかなるものだったのだろうか??

研究者であれば、嫉妬?それとも純粋な気持ち?

花形分野の研究に携われていない人は、それを面白くないと感じる人もいるだろう。それが、非特異的なワクチンってんだから、、、。

単に嫉妬だけなら、このワクチンががんに特異的、それこそ、言葉通り“革新的”であったとしても、“妨害工作”することだろう。とにかく、自分が“名誉”と“富”にまみれたいのだから。

科学的な視点から、「その療法が非特異的だからこそ、許せん!イカン!研究者の暴走だぁ」という気持ちから発した行動であれば、その研究が、本物の“革新的”な内容であれば、“妨害工作”は無いだろう。心から、人類にとっての共通の恩恵を欲しているんだろうから。

ここで、問題になる事が二つある。

《自分が“名誉”と“富”にまみれたいが悪いことなのか?》
《自然界(生命現象)に、完全無欠なロジックが存在するのか?》

ということだ。


話はそれるが、、、千谷由人官房長官のような考え方(理想主義)をする方々にっては、自然界(生命現象)には、完全無欠なロジックが“存在する”のだろうから、このようなケースの解釈では、“裏側の存在”は重要な因子ということになるのだろうが、“歴史”と呼ばれるモノは結果以外のナニモノでもなく、因果関係は、都合の良い理由付けとしか思っていない人(私を含む)にとっては、さしたる意味は無い。

人は、行動するとき、必ずしも動機を必要としないってこと。

動機、それは、むしろ、後付の様相を呈することが多いんじゃない?(恥ずかしいから、言わないだろうケド)自分の足蹠に理由が欲しいもんねぇ。それが、人間の本能だし。(すなわち、歴史“学”は“精神安定剤”だ。古今東西、ルーツを探りたいのは、人間の本能)

それが、人間の生きていくということ=営みなのだから。

人間の生の営みの“積み重ね”に、なんらかの“大きな流れ=意図(宗教だったり、思想だったり、民族的な特徴だったり)”を感じ取るまでは、人間の本能だけど、その流れにのっとり、未来を予測するってことは、特に、文系の人が好んでするように感じる。

エレガントな“シナリオ(流れ)”を求めちゃうんだろうな。基本的にロマンチストだから。自分らの足蹠が、行き当たりばったり・・だったなんて、あまり、証明したくないし。だから、、、

“妨害工作”の存在を認めたほうが、結果に辻褄が合う。だから、妨害工作は「事実であった。(あの人から)証言も取れたし」とするのが、文系の人の考え方なんじゃないかな。そうやって文系の人によって、歴史は作られる。だから、逆に言うと、歴史を以ってする未来の予測は、ことごとく外れるってことになるんだよね。


特定の宗教・思想がある“人”の行動は、予測可能だ。千谷長官の如く。

だが、“集団”に意思はない。あるように見えるけど。

例えば、株式会社。法人格に意思はない。あったら、倒産させようとする意思がない限り倒産するわけはない。トップが自虐的な千谷長官のような人なら別だが。倒産するのは、個々の重役たちの意思が統一されてないからだ。スマートな喩えじゃなかったけれど、、、、
個々の人の思惑の総和(ベクトル)で方向が決まる。ほんの些細な影響が大きく向きを変えたかと思えば、大きな影響が方向を変えなかったり・・・と。

誰かの意思が大きく働いたから、それを“悪”とし、排除すれば、結果は大きく変わる・・・・なんて、寝言を言ってる政治家、千谷長官や岡崎国家公安委員長のような人を見てると、歯軋りしてしまう。なんで、こんなこともわからんのかっ!もっと、現実を見ろって!

歴史に因果を求める時点で、あんたたちは、文芸の人なんだよ。。。どんなに調べても、答えは出ないのは、自然界(生命現象)に、完全無欠なロジックが存在しないからなんだよ。

現に、免疫現象は、偶然を当てにしてるんだから。。。。しっかりしてよ。


脱線が長引いたが、、、

自然界(生命現象)には、完全無欠なロジックは存在しない。

意味が曖昧なので、がんワクチンに限定して、ロジックを見ていくと、、、、

今、がんの研究をしたい人達は、少しでも“理想系”に近づきたい。今やっている“がんワクチン”が完全無欠じゃないのは、知ってはいるが、、、、ってことなんだと思う。

一般の人には、こんなモチベーションは、知りえないから、「とっても良いことなのに、どうして?邪魔する人がいるの?」って“見える”現象が発生する。

でも、そんな研究者のなかでも、現状に“熱く燃えている”人もいれば、“覚めた目で冷静に”仕事する人もいる。結局、“完全無欠なロジックが存在しない”が為に、「じゃ、どの辺で、妥協するんだよ」ってことになると、それこそ、人によって、バラバラだ。この研究を推進している人の中にも、「積極的に、これが現在ではベター」って人もいるだろうし、「消極的に、これしか、方法がないんだから」って人もいる筈だ。

私にしたって、ほんの些細な、状況の変化で、朝日新聞に対する“評価”は逆転する。今回の朝日新聞の報道には、「あいつら、何もわからんくせに、正義面しやがって」という“怒り”が、ベースにある。。。。

でも、朝日新聞の内容が、「そもそも、このロジックのワクチンでは、他の正常な組織にダメージを与える可能性があるから、国民の皆さんは、もろ手を上げて、歓迎するような状況には陥らないでください」ってな論調なら、朝日新聞の報道に、“怒り”など覚えるはずも無く、「良くぞ、言ってくれました」となる。そんなもんだ。


話はそれるが、、、、、

歴史家は、その辺のニュアンスを加味しない。結果から、行動から、「その人のモチベーションはこれこれだった」と決め付ける。違うんだよねぇ。単なる結果からは、モチベーションは分からないんだよ。坂本龍馬も木戸孝允も、伊藤博文も。

教科書や小説では、わかり易く、面白くするために、このように、“大筋”だけが見えるようにするのだろう。主人公が優柔不断じゃ困るし。(歴史家の間では“枯れる”という表現を使うそうだ。“大筋”が見えてくるまでの間を)事実、その方が、“大きな流れ”がつかみ易い。でも、この時点で、因果関係は崩壊する。“大きな流れ”は科学的な研究では“バイアス”だ。それは、間違った解釈に繋がる。。。。何故なら、今現在を動かしているのは、個々の人だからだ。大きな流れに乗っているわけじゃない。木戸孝允の周りに、ちょっとでも違った人が存在したら、彼のモチベーションや行動は変わったかもしれないし、明日、画期的な物理的法則が“発見され”、技術のブレークスルーがあるかもしれない。また、それを知りえた人が、行動を翻し、、、、「歴史は夜作られる」といった詩人?がいたが、夜伽の女の存在の影響を無視するわけには、いくまい。。。(動くものは動くし、動かないものはどうやっても動かないケド。何が原因で動いたのかは、誰にもわからないし、偉大な一人が世の中を動かすわけじゃない。でも、動いた時は、偉大な一人が動かしたように見えちゃう。だから歴史小説は面白い。今現在には、世の中を操れる人がいないから。でも、いつの時代でも操れる人なんていなかった。それが真実。私なんぞは、NHK 龍馬伝で目頭があつくなること、しばし)

歴史を政治のエビデンスって考えるから、おかしくなる。だが、歴史の効能を、人類の精神安定剤とするなら、こんなに優れたものは無い。薬なんぞ、到底、足元にも及ばない。

「日本人は、いついかなる時も反省すべき」で、精神が安定、心が安らぐのなら、大いにやればいい。個人的に。人それぞれの自由だ。でも、政治じゃ、まずい。政治はディテールが大事だ。過去の“大きな流れ”なんぞに意味は無い。

教科書や小説が“歴史”を扱う場合、どうしても、“政治の流れ”に触れる。それが“歴史に詳しい人”が、「自分は政治にも詳しい」と勘違いする素地なのだろう。歴史の流れにどれほど精通しても、それは、政治じゃないのに。。。。。悲しい勘違い、社会科の先生たち。。。


話を戻して、、、、、

この、自然界(生命現象)には、完全無欠なロジックは存在しないからこそ、《“名誉”と“富”にまみれたいが悪いことなのか?》に答えが出せない、原因ともなっている。

今回の件は、研究予算に関するものだ。この研究を妨害すれば、「“名誉”と“富”にまみれたい」が動機だったとしても、違う分野に予算が付いて、(ひょうたんから)駒が生まれるかもしれない。

研究って、そういう側面がある。研究予算を獲得するためのテクニックが横行するようでは本末転倒だけど、ある意味“競争”と見れなくもない。競争なら、大切だ。。。


と、ここまで、書いてきて、本日、お昼のワイドショーでやってたんだけど、、、、待機児童問題で、民間の保育所助成に、ポンと200億を出してしまう、民主党の感覚、、、、たかだか、26億程度の予算獲得競争の“汚い”部分(ホントにあったとして)に焦点を当てている、私が、、、、みじめに思えてきた。


そんなもんなんだよなぁ・・・・、政治って。ポンとばら撒いてしまう200億円の方が、未来につながる“投資”より、大切なんだよねぇ。。。。そういうバランス感覚、、、、歴史家が、大いに悩むんじゃないかなぁ・・・・大局を見ようとすればするほど。200億円をばら撒いても、戦争にはナラナイだろうケド、研究に投資して、新しい産業が興れば、、、、、戦争、起きるかも!、、、科学研究に投資しないなんて、アホな政策、、って、馬鹿にしたけど、結局、アホな無駄遣いが、戦争を抑止した、、、、、なんて、、、、、まぁ、いいか。


さて、最後に、話を変えて、、、、、

小説や映画シナリオのネタとして、この手の“汚い”情報リークは、とっても、面白い。殺人事件を絡めると、ハリソン・フォードの「逃亡者」になっちゃうから、ここは、ひとつ、研究者を主人公にして、本人の苦悩、すなわち、世間で画期的と思われている治療法---本人は、現代科学の限界のジレンマとの葛藤があるわけだが---と、予算獲得にまつわる陰謀を、マスコミを利用した情報戦として、描いたらどうだろう??

脱線で終わりました。。。。って、これを書きたかったりして、、、オレ、小説家になろうかなぁ!

(。_゜)☆\(ーー;)バキッ

2010年11月30日

がんワクチン HLA-A24拘束性 KIF20A などなど

20101130_Kinesin.jpg朝日新聞のワクチン報道、功罪があるとすれば、“功”の方はなんだろ?って考えてみた。


“ことば”としての“がんワクチン”を広めたことかなぁ!?


前回のエントリーでは、VEGFR1 について、「特異性がない」と書いたけど、それよりは特異性があるペプチドを使ったワクチンも作られては、、、いる。

HLA-A24拘束性 KIF20A なとがそれだ。HLA-A24拘束性 ・・・多分、何のことか、よくわからないと思うが、、、、説明は後で。( KIF20A で検索すると、現在の臨床試験登録情報が閲覧できるサイトが hit するよ。興味があれば・・・)


前回のエントリーで書いてないことがある。

CSTP で低い評価になったのには、もう一つ理由があるってこと。それは、、、

予算の申請に「がんワクチンは、臨床研究でやる」と言っちゃったから。「あぁ~あ、臨床試験フェーズⅢなら、金は出すのに・・・」と。臨床研究と臨床試験、何が違うんだろう?

「臨床試験、フェーズⅠ、Ⅱの段階で有望な結果が出てるなら、当然、製薬メーカーが話に乗ってくる。多額の国費を出すんだから、広く患者に行き渡る道筋を考えるべきで、臨床研究では意味はない」と、言われちゃったんだってさ。


これはこれで、私なんぞ、ひとこと言いたくなる“理屈”なのだが、まぁ、今回は、いい。別の機会に、「2番じゃ、イケナイんですかぁ」みたいなのと一緒に、コテンパンにしてやる。

臨床研究と臨床試験、やってることはあんまり変わんないんだけど、ニュアンスの違いが、なんとなく、わかったと思う。すぐさま、応用が出来るのか、それを求めないのかという違いだ。ちなみに、いわゆる“治験(治療の臨床試験)”は、製薬メーカーがやる。


ノーベル物理学賞受賞の小柴さんの言葉が思い出される。「自分研究がどんな役に立つのかさえわかんないけど、基礎研究は大切だぞ」ってのが。


で、HLA-A24拘束性 KIF20A 。

2010年10月28日現在。フェーズⅠで、有望な結果が得られたそうだ。フェーズⅠで。すい臓がん標準治療のゲムシタビンやTS-1 に不能になった患者、29例中、2名は450日を超えて生きている・・・と。ふ~ん、スゴイ!?

臨床試験のフェーズⅠ、フェーズⅡ、フェーズⅢって何?

我々、納税者の立場で言えば、フェーズⅠは金がかからない。フェーズⅢは金がかかる。

HLA-A24拘束性 KIF20A は特異性があるって書いたけど、まだまだ、実用化には遠い。どんな有害反応があるかわからない、、、、、だから、実験的。だから、そんなに金は出せない。大切な研究なのに。

ここで、朝日新聞の功罪。

“がんワクチン”って言葉が、広く、一般の人にも知れ渡れば、政治や行政だって、言葉は悪いが大衆迎合なんだから、お金が出しやすくなるじゃん。なんたって、政治家主導・・でしょ!国民が声を上げれば、、、なんでも、やるんでしょ?子供手当てみたいに!!

そう、予算獲得に絶対“追い風”になると、私は、思っているのだ。

だから、言葉が広まるのは良いことだ・・・・と。

反対意見としては、「国費を使って、おおっぴらに、人体実験かい?」だろうなぁ。

でも、「私の興味は、そんな倫理観をもふっとばすよ」で、お答えしよう。私の世の中における“立ち位置”は、そんなところ。“正義の味方”って柄じゃないもん。

禍福は糾える縄の如し・・・これ座右の銘。みんな仲良く友達ごっこなんて、キモイって感じるタイプだし、戦争で科学は発展する事を納得できるし、ヒトラーはニュルのノルドシェライフェを作ってくれた人・・・だもん。


さて、ここで、一般の方々に、是非、知っておいてもらいたいことがある。(あとで、「聞いてねぇよ」って言われないために)

がんワクチン HLA-A24拘束性 KIF20A は、最初から日本人の約半分にしか、理論的に全く効果がないことがわかっているということ。日本人全員が対象じゃない。

HLA-A24拘束性 というのが、その理由。

前回書いた、「免疫現象は、偶然を当てにしてるんだから」ってことの理由の一つ。余談だが、もう一つは、TCR や BCR (抗体のこと) などが多様性を獲得する機序のこと。コレは“RAG-1”あたりで検索すると、芋づる式に理解できると思う。。。。


で、その HLA-A 、抗原が提示されるステップに、効いてくる。日本人の半分は、全く、免疫応答が開始しないのだ。

詳しくは、、、

まず、予備知識として、、、、

特定のがん細胞に高頻度に高レベルで発現し、正常組織にはほとんど発現しないタンパク質で、T細胞への抗原となるものを「がん抗原タンパク質」とか「がん抗原ペプチド」なんて呼んでいる。

前回、“すい臓がんだけに現れる因子”をターゲットとすべきなのだが、現在、そのようなものは“発見”されておらず、って書いてるけど、ほどほどの特異度をもつものなら、HLA-A24拘束性 KIF20A みたいに、あるにはある。Kinesin のファミリーで、どの細胞にもありそうだから、特異的って言葉が適切かどうかは、わかんないけど、がん細胞みたいに“分裂”が激しい細胞には、高頻度に高レベルで発現するから、ある意味、特異的って。この辺って、コンデシンとかオーロラとか、いろいろ出てくるけど、特に、オーロラみたいに、直接、阻害しちゃうってのは、どうなんだろ?(完全に“特異的”って言うんなら、CML の BCR-ABL みたいなのだよなぁ)

で、基本的に外から投与した、抗原となりえるタンパク質やポリペプチドは、APC (樹状細胞などの抗原提示細胞) の中でペプチドという短い断片に分解され、APC から リンパ球へと MHC-クラスⅡ分子※注 とともに提示されることにより、抗体、免疫グロブリンを産生する経路が活性化される。

でも、このレギュレーションは完璧なわけじゃなく、MHC-クラスⅠ分子※注によって提示され、細胞傷害性Tリンパ球(cytotoxic T lymphocyte, CTL)を誘導する経路が活性化される場合もある(クロスプレゼンテーション)。細胞性免疫誘導を、個別に Th1 , Th2 , Treg セオリーで説明してもいいんだけど、クロスプレゼンテーションがないと、基本的に KIF20A みたいな“がんワクチン”は成り立たない!

もどかしいんだけど、現在、免疫系全体を俯瞰できるような理論はなく、個別のケースで個別にしか説明できない。断片的にしかわかってないんだよね。。。。私が知らないだけかもしれないけど・・・。難しいんだよ、この辺。

で、この時の、提示されたペプチド情報の受け手が TCR だ。


ここからが、HLA-A24拘束性の解説。

上のようなステップで、ワクチンとしての KIF20A を使って活性化された後、CTL は、がん細胞表面に発現している MHC-クラスⅠ分子※注 (これが、HLA の A , B , C 分子) とがん細胞由来 KIF20A との複合体を TCR を使って認識して、その“がん細胞”を攻撃するんだけど、、、、、

この MHC-クラスⅠ分子 、人によってバリエーションが豊富なのだ。A , B , C 分子自体に複数があり、人はそれぞれ、ランダムな組み合わせで持っているからなのだ。白血球の血液型、同じ人は10万人に一人と言われ、移植の際に合わせるのが重要な因子のアレだ。

HLA-A の場合は、日本人の約 60%はHLA-A24、40%はHLA-A2というタイプを持っているといわれている。

HLA-A24拘束性 の意味は、KIF20A というペプチドが、HLA-A24 としか結合しないってこと。

だから、全てのすい臓がん患者の細胞は、がん特有のタンパク質= KIF20A を分泌するんだけど、そのタンパク質を、目印としての細胞傷害性Tリンパ球に示せない人が、半分もいる・・・ってことなのよ。

それに、そもそも、予備知識で記したステップでも、HLA-A24 を持っていない人は、APC からMHC-クラスⅠ分子とともに提示すらされないから、CTL が活性化すらされないし、さらに、HLA-A24 と KIF20A 複合体を認識出来る TCR も偶然の産物だから、投与したタイミングでがん患者の体内に存在しなくっちゃならないしから、臨床的に“効果が確認できる”のは、やってみなくちゃわからない・・・・。


この手の研究としては、このメカニズムを利用して、CTLが認識する標的ペプチドを同定し、これを抗原ペプチドとして投与し、特異的な抗腫瘍免疫を誘導するってコトなんだけど、、、、

人によって、上記の理由のように、効果が一定しない。。。。免疫反応を利用する治療法の限界がこれ。これは、いわゆる、インフルエンザワクチンなどでも、細かいところは違えど、似たようなもの。

頭痛にバファリンみたいに、ほとんどの人に効くっていう次元とは違うのだ。


これを、どのように、考えるか? 国費を使った研究に・・・・・。


先ほど、フェーズⅠは安くて、フェーズⅢは高いと書いたけど、、、、ここまでで、ご理解いただいたように、、、、

「がん治療ワクチン」は、いわゆる“HLAハロタイプ拘束性がん抗原ペプチドをみつける”が、“キモ”なのだ。そして、この研究には、当然、お金がかかる。


と、ここまで、私自ら、評価を“落とし”ても、、、

それでも、研究しなきゃ、進歩はないわけで、、私としては、知的好奇心を満足させるのも含めて、このような“基礎研究”に、お金をフンダンに注いで欲しいわけよ。「国費を使って、おおっぴらに、人体実験かい?」と言われようとも。


だから、朝日新聞、ムカつくけど、言葉が広まるのは良いことだ・・・・と。


※注:ついでに、覚えておくといいかも!

T型リンパ球から見たら、 TCR で情報を受け取るのは、MHC-クラスⅠ分子、MHC-クラスⅡ分子の双方から、受け取れる。どちらも、抗原となるペプチドを結合できるから。
で、違いは、、、、
■MHC-クラスⅠ分子は、自ら作り出してしまったタンパク質を提示する。60兆個、抗原提示細胞も含めてすべの細胞にある。
■MHC-クラスⅡ分子は、外来のタンパク質を提示する。抗原提示細胞だけにある。
だ。

MHC-クラスⅠ分子がすべの細胞にあるのは、免疫系が、すべの体の細胞の状態を調べる際に、利用しているからだ。

ウイルス感染の際などは、これを失う。なぜなら、ウイルス特有のタンパク質がMHC-クラスⅠ分子で提示されてしまうからだ。提示されちゃったら、殺されちゃう。だから、細胞に“印”が出ないようにする。一見、ウイルスは、「勝ったぁ」みたいに見えるけど、、、そのような細胞は、NK 細胞という専門の殺し屋の処理される。NK 細胞は、MHC-クラスⅠ分子を失っている細胞を破壊するのが仕事だ。(ある種のウイルスは、ニセのMHC-クラスⅠ分子を発現し、NK 細胞からエスケープする)

このように、MHC-クラスⅠ分子は、がんの場合やウイルス感染の場合のように、自らの細胞内で作られたタンパク質に対応するのだ。

リンパ球は、この、MHC-クラスⅠ分子を調べて、異常なペプチドが結合してなければ、「とり合えず、よし」とする。

ところで、MHC-クラスⅠ分子は、人によって“違う”と書いたが、人間とサルを比べれば、人間通しのは、似てるって言える。


どの程度、似てるのか?

自分の MHC-クラスⅠ分子と似てるけど、ちと、違う。そう、異常なペプチドが結合しているような・・・・・。

人間から人間への臓器移植を、同種移植、ヒト以外の動物から人間への移植を異種移植と呼ぶが、同種移植の場合、移植された組織の細胞に付いているMHC-クラスⅠ分子は、移植を受ける側のT型リンパ球からみたら、「なんか、変なペプチドが結合しているから、この細胞は、破壊らねば」と認識されるのだ。

それが、移植の拒絶反応。。。。

MHC-クラスⅠ分子は、免疫系が担当する“ホメオスタシス”を実現する“キー”となる分子と言っていいんじゃないかな。だから、、、、これが、臓器移植法に対する私見のベースってワケよ。ホメオスタシスを否定する治療法って。


なんか、今日は、大真面目に、書いちゃった・・・みたい。かなり、複雑なことを、簡単に書く、、、私の文章力の限界で、誤解されるかもしれないけど、、、、まぁ、それは、いいや。

About 2010年11月

2010年11月にブログ「WebMaster's impressions」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2010年10月です。

次のアーカイブは2010年12月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.37