「進化はあなたより賢い」・・・いろんなシーンでいろんな意味で使われる。
さて、生物の驚くべき適応事例の多くは、“見られること”への対応と言えるのではないだろうか?クジャクの美しい羽、花が受粉を行うためにミツバチを誘き寄る、ステゴザウルスが背中に巨大な骨板を顕示し威嚇する、、、、、そして、人間社会も見た目を意識し、どのように見られるかを気にしている。。。。
視覚という機能が生物に備わったのが、カンブリア紀といわれ、その頃から、生物の数も爆発し、多様な形態の生物があらわれたのも、ご存知の通り。
ヒトは集団で生活する生物だ。互恵的な利他行動が“本能”として備わる。これを実現する一つが“視覚”というわけだ。
ただし、この場合の“視覚”は、具体的であるか抽象的であるかは、しだいに曖昧になっていく。
この“見られる”に関して、西洋人、いや、日本人とその他の国の大きな違いは、日本人では具体的な“ひとさま”であり“世間体”である。諸外国の“神が見てるから”というのとは、大きく違っている。。。。
さて、話は変わって、今朝、出勤時、なんとすがすがしかったことだろう。
何故なら、最寄り駅までの道に、腐ったものに集まるハエのごとく、その数は蟻の如く、その動作はナメクジの如き、下衆な連中を見ることがなかったからだ。
そう、ガソリンを求めて、どこからか集まってくる下衆なエゴイスト達のことだ。センターラインもなく、ほぼ、私道のような生活道路にむりやり入り込んでくるゴキブリのような連中を見なくて済んだのは、ポケットの中で拳を握り締め「ヨッシャー」と、つい叫んでしまったことからも、容易に察せられるだろう。
当然、朝の通学時間帯は、許可車輌以外は通行禁止である。居住者たちは警察で許可証を発行してもらっている。奴らは、この道路に、朝4時前から車を侵入させ、大声でワメキちらし、居住者らの生活をメチャクチャ、いや、危険に曝している。子供たちは、車と車の間を縫うように通学し、居住者は自宅から車さえ出せない。
そんなウジムシのような連中と、先日、当然ながら、私も関わらざるを得なくなった。紺色の骨董品のようなシボレー・ブレイザーが私の車での帰宅を阻む。当然、その車輌の運転手は申し訳なさそうな態度で謝るかと思いきや、車から這い出し、私に近づき、、、
「てめぇ、(ウインカーなんか出しやがって)どこ、曲がんだよぉ」とスゴんできたのだ。
呆れた私は、言葉で返すのも嫌になり、睨みつけたまま、右手で方向を指し示した。
さて、このあと、どうなったか?
今、私の風貌は、ステゴザウルスが背中に巨大な骨板を顕示し威嚇するように、豊かな髭を蓄えている(地震以来、めんどくさくって剃ってない。それどころかヒゲトリマーも買っちゃった。これから、伸ばしつづけるつもり)。
そう、髭を蓄えたジャン・レノの如き、、、娘は映画「20世紀少年」のオッチョみたいだと言っているが。。。。
その10年以上モノのシボレー・ブレイザーを運転する、見るからにIQも収入も低そうなヤツには、この風貌が役に立ったのだ。
上下ジャージを纏い、毛糸の帽子を深く被った、そのウジムシは、私が睨みつけると、舌打ちしながらスゴスゴ引き返し、車を退けた。
ウジムシ野郎は、生物の進化による動物的な行動に出ざるを得なかったのだ。やつがどんなに“馬鹿”でも、進化は賢いのだ。
ところで、我が家の近所に集まる“ウジムシ”どもは、決して、近所の人達では無い。
ここが、日本人的なのである。日本人が自らの行動を律するとき、どのように見られるかを気にするのは、世間体であり他人様の目なのだが、その範囲は知人・友人までに限定される。日本人の観光地や海外での『旅の恥はかき捨て』が如実に示している。文化遺産にイタズラ書きするのは、日本人だけだ。
ウジムシたちは、少し離れた場所に移動するのだ。
「生涯関わることのないこんな連中の生活なんて、壊したってかまわない」
「自分の子供じゃないから、車に轢かれたってかまわない」
「自分の子供に、子供手当てが出ないのは、許せないけど」
まぁ、こんな感じだろう。ワンボックス・ミニバンが多いから、仕事で使う車輌じゃないのは一目瞭然だし。
こんな、互恵的な利他行動もとれない、少々、脳のイカレタ連中でも、進化の賢さには抗えないのだ。ざまあみろ。
でも、こんなゴキブリは可愛いもんで、心底、腹の立つのは、善人面して被災地に乗り込む“役立たず”のボランティア共だ。医療人といえども同様!!役に立たないことを自覚するのが怖い医療従事者は、まず、被災地で自分に何ができるか?を考えがちだが、そういう独善、欺瞞を捨てて、現実を直視することが出来るのが、プロなんだぜ!
被災地での救護活動はトレーニングを受けてなければ、無理。その道のプロに委ね、そのプロ達を心から尊敬しよう。(マスコミや新聞、学校の社会科教師たちは、ミリタリー・カラーが嫌いみたいだから、自衛隊の活動をちっとも取り上げないけど、こんなときこそ、思想信条を捨てて、褒め称えるべきじゃないのか?そういう意味でも民主党政権は終わってるよ・・・)
話は変わって、この視覚だが、、、、、
光受容体を意識するとき、ふと、面白い喩えを思いついたので、ここに記しておくことにした。少々、“空気が読めない”ような喩えかもしれないけど、もともと、私は、“空気を読まない”タイプだし、そんな人間が書いてるブログを読みに来てくださる人は、そんな枝葉末葉をイチイチ気にする人ではないと思っているので、書くことにする。
光受容体は、解剖学的にも、生理学的にも、生化学的にも、かなり解明されている。
その受容体は、Gタンパク質共役型レセプターに分類されるので、常に、自動的に一定の活性(基底活性)を持っている。つまり、何もしなくても、ある程度の刺激を発生している。
目の場合は、それに、ビタミンA 誘導体が取り付いて“光受容体”となっている。
このビタミンA は“光”を吸収して、立体構造が変化するという特性を持っている。余談だが、ステルス戦闘機は、レーダー波を吸収する“ビタミンA”みたいなモノを塗料として塗ってある。
で、光を吸収する前のビタミンA は、Gタンパク質共役型レセプターの自発的な活性化を抑制している“安全装置”みたいなものだと思えば良い。
光を吸収して立体構造が変化したビタミンAは、Gタンパク質共役型レセプターの安全装置として機能しなくなり、光受容体として刺激が発生することになる。
以上が、特定のリガンド※(例えば薬物、ホルモンなど)無しに、刺激を発生できる仕組みってわけだ。この場合の“ビタミンA(シス型レチナール)”は薬理学的には“インバースアゴニスト”と言えるけど(インバースアゴニストって言ったほうが、わかる人にはわかりやすいかもね)。光を吸収すると、シス型がトランス型に変化するわけだが、トランス型レチナールには、インバースアゴニスト能がないって事なんだ。
で、シス型からトランス型に変化したビタミンAは、そのままにしておくと、次の刺激を発生できないから、すぐさま、元に戻す仕組みがある。
ここに働くのが、ブルーベリーに含まれる色素アントシアニンだ。(必要量があれば良い。だから、サプリメントでたくさん摂取しても意味は無いよ)
で、全てのトランス型レチナールをシス型レチナールに戻せるわけじゃないので、ビタミンAの補給も必要なんだね。
で、ビタミンAが足りない、、、、つまり、Gタンパク質共役型レセプターが活性しっぱなしになってるのに、何故、夜盲症、、、つまり、視力が弱くなるのか?何故、“何か”が見えっぱなしにならないのか?って疑問がわくと思う。
ここで、先ほど、“思いついた”ってこと、すなわち、TSUNAMI に登場してもらう。
海岸線に、津波を見張るために、10人の人間を置いておくとする。
この10人は、小心者から、少々のことでは動じない鈍いヤツまで色々。
地震がないときには、彼らは、何も言わない。
ここで、地震発生。小心者は、「津波がくるぞぉ」と絶叫するとする、、、まぁ、10人のうちの二人くらい。
さて、あなたは、どうする?
10人のうちの二人くらいの“警報”じゃ、「たいしたことないな」と無視するんじゃないのかな?
そう、それが普通です。あなたの知らないところで、あなたの脳も、そうやってます。
持続する少ない刺激を“無視”する機能が、脳にはあるのです。
朝、ネクタイをしめた直後は、ネクタイの感触が認識出来るけど、10分もしないうちに、その感覚はなくなる・・・・それと同じ。そういう事をやっているのです。脳は。
ビタミンAが足りなくなって、視細胞からの刺激が、常に発生している状態、つまりGタンパク質共役型レセプターが活性化しっぱなしになっていると、、、、それは、無いのと同じことと“脳”が判断し、「見えない」って結果になる。
10人の監視者が10人とも「津波がくるぞぉ」となったら、、、、あなただって「こりゃ一大事」ってなる。。。。。
でも、毎回、10人が10人とも、、、、じゃ、脳が判断しちゃうワケよ。進化は賢いよねぇ。
津波の警報を目が“見える”仕組みの喩えに使ったんだけど、どうでしょ?
というわけだが、、、今回は、同じものを見ても、脳での処理のされ方が、人によって違うことの説明にもなるし、、、、って所に、もっていくことはしない。。。
何故って?
そりゃ、これから、CORESERVER.JP(レンタルサーバ)の設定をするからさ!
計画停電の影響で、個人的な Web ,Mail ,FTP サーバを移設せざるを得なくなったから・・・・・昨夜、仮設置してみて、、、、スゲェ、いいですぜ!!ここっ!