“恐怖の希釈”
“早期癌”と診断された時、人はどのように“感じる”のだろうか?
その昔、私が子供の頃は、“がん”は死の病で“がん”になったら確実に死ぬってイメージだった。でも、今はどうだろう?
みのもんたなどは、「がんは、もはや“死の病”ではないんです。治療で治るんです」と言っている。市井の人々は、この言葉をどのように受け取っているんだろう?医学が進歩して、昔は治せなかったがんが治せるようになったと思うのだろうか?
それにしては、がんで死ぬ人が減っていないのは解せない。それどころか、増えてる。
ここ、50年で確実に減ったのは“結核”などの感染症くらいなもので、1990年代に死因分類が「ICD-10」」(「第10回修正国際疾病、傷害および死因統計分類」のこと。WHO加盟国で疾病等の分類を共通化するもの)に変更された為、心疾患や脳血管疾患の数が変動しているが、合わせりゃ変わりなく、「一体、なんなの?」って位、医療の貢献が見えてこない。
もっとも、平均寿命(余命)が増えてるんだから、死因の年次変化に年齢軸を加えればグラフはそっちにシフトするわけで、「加齢を加味すれば、がんが増えて当然!」って開き直ることも出来るんだけど。。。
ところで、一杯のエスプレッソに入っている“カフェイン”の量は、10倍に薄めて、ミルクをたっぷり加えて、甘くまろやかにしても、全部を飲み干せば、変わりは無い。
現代医療における“早期判断”は、まるで、“がん”を10倍に薄めミルクをたっぷり加えているみたいに見える。。。
がんと“診断される人”は増える。でも、死ぬ人の数は、あまり変わらない。(早期がんを診断して、根治的切除を行っても、経過観察と大差はないことを示す論文を引用する。もちろん、この論文での結論は違う表現をしているけど)
これは、まるで、“恐怖の希釈”といえないだろうか。(本当に実現したい早期診断は、確実に死ぬがんを早期に見つける事で、経過観察=無治療でも死なない人を増やすこと、すなわち希釈ではない)
早期前立腺癌における根治的前立腺切除術と経過観察の比較Radical Prostatectomy versus Watchful Waiting in Early Prostate Cancer
A. Bill-Axelson and others
背 景2008 年にわれわれは、前立腺癌による死亡率は根治的前立腺切除術により、経過観察と比べて低下することを報告した。その後 3 年間追跡し、15 年の推定結果を報告する。
方 法1989 年 10 月~1999 年 2 月に、早期前立腺癌患者 695 例を、経過観察と根治的前立腺切除術のいずれかに無作為に割り付けた。追跡調査は、生検標本と根治的前立腺切除術標本の病理組織学的再検討と、盲検下での死因評価とし、2009 年 12 月までに終了した。Cox 比例ハザードモデルを用いて、相対リスク(95%信頼区間 [CI])を推定した。
結 果中央値 12.8 年のあいだに、根治的前立腺切除術群の 347 例中 166 例と、経過観察群の 348 例中 201 例が死亡した(P=0.007)。手術群の 55 例と経過観察群の 81 例の死因は前立腺癌であった。15 年の時点での前立腺癌による累積死亡率は手術群 14.6%、経過観察群 20.7%となり(6.1 パーセントポイントの差、95% CI 0.2~12.0)、手術による相対リスクは 0.62(95% CI 0.44~0.87、P=0.01)であった。生存上の利益は、9 年間の追跡期間の前後で同等であり、低リスクの前立腺癌を有する患者でも認められたが、65 歳未満の患者に限られていた。死亡 1 例を回避するための治療必要数は、全体では 15 例、65 歳未満の患者では 7 例であった。根治的前立腺切除術群において、被膜外浸潤を認めた患者では、認めなかった患者と比較して、前立腺癌による死亡リスクが 7 倍であった(相対リスク 6.9、95% CI 2.6~18.4)。
結 論根治的前立腺切除術は、前立腺癌による死亡率の低下に関連していた。被膜外浸潤を認める患者には、局所療法や全身療法が有効である可能性がある。(スウェーデン対がん協会、国立衛生研究所から研究助成を受けた。)
(N Engl J Med 2011; 364 : 1708 - 17.)
Copyright(C)2011 Massachusetts Medical Society.
ところで、、、
恐怖の希釈は、はたして“善い事”なのだろうか?
私が感じる“世間の価値観”では、恐怖の希釈は“善い事”のようだ。殆んど人が、この価値観にしたがい、言葉を発し行動をしているようにみえる。
いや、そう見えるのは、新聞やマスコミの作為なのかもしれないけど。
でも、確実に新聞やマスコミに刷り込まれた“価値観”に踊らされている人の数のほうが多いのは間違いない。
恐怖の希釈は、現実からの逃避を助長する。
私の知る限り、現実から逃避して“良い結果”が得られることは無いのだが、どうだうろう?
もっとも、当の本人が悪い結果を“悪い”と気付いてないなら、それはそれで、ある意味“しあわせ”なのかも知れないけど。
さて、恐怖の希釈とは違う“現実逃避”の3連休では、私は、黒豹のプチ改造を目論見、日産のディーラーに向かったのだった。
早い話、フロントグリル内の LED 化ってヤツだ。写真の BMW VISION のように、青くピカピカしたいわけ。カッコししでしょ?!
で、「やってもイイカナ?」に対し、ディーラーからは「フロントからの空気の流れを遮るようなものはダメ」と、なんとも曖昧なことを言われてしまって、、、、。しょうがないから、純正のデイライトを付けてもらって、後は、その配線を利用し、 LED テープをペタペタしようかと。。。。
と、いうような現実逃避は、実は、とある理由(利回り悪すぎ)で、この先、何度も何度も不動産屋に足を運ばなければならないのかと思うと憂鬱で憂鬱で、、、ってことなのでした。だって、自分が動けるのは“休日”に限られるし、休日が、楽しくない事で“潰れる”のは、、ねぇ。。。
まっ、しかし、人生とは、うまくいかないもんですね。“利回り悪すぎ”ってのは、ギリシャ神話的“悲劇”なわけですよ。決してシェイクスピアの悲劇的なものじゃない(ある時点までは利回りなどと評価する対象ではなく生活に必須のものだったのに、ある時からそうなってしまった)。今回の件では、結局、損をする事になる(これも憂鬱)。
でも、、私が損をするってことは、誰かは利益を得てるわけだから、人助けとも考えられるわけで、、、、、、、
ハッ!!イカンイカン、今回の損が人助けなんて、こんなの互恵的利他主義じゃない。。。。これじゃ恐怖の希釈だよっ!