関節の動きはフィードバック経路で追跡される
へぇ~、フィードバックでねぇ・・・・、行き過ぎちゃったら、戻してるようには見えないし、感じないんだけとねぇ。
人間が、自分の行為を観察するとき、“知的な作業”なんて意識しなくても普通に“前もって”行為を制御する・・・・って思っているから、体の動きも、前もって、“コーヒーカップの位置まで”手を動かす“量”を指示してるって思っちゃうのは、無理も無いこと。
もしかして、“知的な作業”に見えることも、フィードフォワードじゃなくって、全部、フィードバックだったりして・・・・。
そう、“プロメテウス”なんてものは、脳内の幻想で、生命活動は、すべからく、フィードバック(エピメテウス)なのかもしれない。
そうだとしたら、合点のいくことばかりである。
とにかく、人間は“本質的”に、“学ばない”生き物だ。“過去の経験を未来に生かす”ことが出来ない。。。。
生命の本質=生存競争だから、戦争はなくならない・・・・って思っていたんだけど、そればかりじゃないのかも。
Nature 478, 7369 (Oct 2011)肢に複数の関節がある動物で神経系が解決を迫られる難問の1つは、肢の動きの複雑な組み合わせによって生じる感覚入力を、どうやって正しく解釈して応答するかということだ。
例えば、見かけ上単純な1回の肩の移動でも、それが生じるために肩と肘に働く力の組み合わせの数はほぼ無限と言える。
Pruszynskiたちは、サルでの神経生理学記録とヒトでの刺激実験を用いて、肢の機械的動きの情報が、大脳皮質の一次運動野(M1)を含むフィードバック経路によって解かれており、過去四半世紀にわたって主流となっていた説、つまり運動変数のフィードフォワード情報処理によって解かれるのではないことを示している。
この結果は、ヒト型ロボットや脳マシンインターフェースの設計に影響を与えると同時に、脳卒中などによる運動機能障害のある患者の状態理解や治療にも関係してくる。
Letters to Nature p.387
面白いことに、神話の時代から、人間は、“先見の明”と“下衆の後知恵”を意識してた。プロメテウスとエピメテウスとしいうキャラクターがそれだ。
ギリシャ神話では、話のつじつまが合わないことが多いんだけど、この兄弟のエピソードもはなから辻褄はあっていない。
プロメテウスは神々の一人(ゼウスとは従兄弟の関係)なのに、エピメテウスは人間扱いなのがそれだ。(目くじらを立てることも無いんだけど・・・)
エピメテウスは、かねがね、兄のプロメテウスから「ゼウスからの贈り物には気をつけろ」って言われていたのに、とにかく、“まず、行動する”の人だから、その贈り物であるパンドラに触手を伸ばしてしまった。
神々から“火(知恵、英知)”を掠め取って“人間”に与えたプロメテウスとは反対に、パンドラの持ってきた“壷”から、数々の“厄災”を振りまいてしまった張本人がエピメテウスなのだ。
“やってしまって、後悔する”、、、下衆の後知恵。
憎めないキャラっていえば、いえなくもない。間抜けな人って、そういうところがある。
ところで、世間一般には“パンドラの箱”って言われているけど、実はパンドラが持ってきたのは、正確には“壷”らしい。そして、パンドラは、神=ゼウスが人間に送りつけた“初めての女”のことだ。それまで、人間には“女”はいなかったのだ。
プロメテウスを懲らしめるために送りつけたとされるのが、パン(すべての意)ドラ(贈り物の意)というわけだ。何故、ゼウスがプロメテウスを懲らしめようとしたのかは、他のサイトに当たってもらうとして、このパンドラの壷から数々の“厄災”が飛び出し、最後に残ったのが“希望”というのは、誰でもご存知のことだろう。。。
17世紀の文人、ラ・ロシュフコーの『箴言集(しんげんしゅう)』には、「希望はずいぶんと嘘つきではあるけれど、とにかく私たちを楽しい小径(こみち)を経て、人生の終わりまで連れて行ってくれる」と書いてある。
私は、この“警句”を知ったとき、「これこそ、医療の本質である」とひざを打ったものである。そして、医療は医学と薬学と、、、、などと、学問で成立するものではなく、極論すれば、そんなものは、全体の半分でしかない・・・とすら感じのだった。
・
・
おっと、話が、つまらない方向に進みそうなので、医療の話はやめにして、、、
そう、パンドラは、人間界の最初の女、、、それも、とびき“いい女”だから、せんずりを覚えた猿のごとく、エピメテウスは、パンドラにのめり込んだワケだ。それまで経験したことのない、絶頂感、陶酔感を味わったのだから。
プロメテウスは“先見の明”だから、“女に溺れる”ことを見抜いていたのだろう。事前にパンドラを“回避”したふしがあるからね。
現代人ではどうだろう?
私は、女に溺れるのをフィードフォワードして回避できる人を知らない。というか、熟慮を重ねても、回避は不可能だ。嵌るときは嵌まる。やってみなきゃわからない。「まず、行動してみよう」と、エピメテウスのような行為に走る。
これが、人間の神経(思考)回路が私にはフィードバックしか出来ないように見える所以である。
一回失敗しても、のど元過ぎれば熱さを忘れる。前回とは微妙に状況が違うから、今度は最悪の事態には陥らないだろう・・・・と、戦争すら繰り返す。
当然の帰結として、フィードバックしか出来ないエピメテウスに必要なのは“希望”というわけだ。
そして、コレさえあれば、最悪の事態も乗り越えられる。。。。
と、ここまで、書いてきて、ふと、思い出した。
絶対、女に溺れない方法があることを。その方法は、、、、
「空腹状態を維持すること」である。
つまり、、、
生理:食べ物が恋の滋養になるならば…Nature 478, 7368 (Oct 2011)
求愛行動は時間とエネルギーの両面で大きなコストがかかる作業であるから、動物は求愛に入る前にまず、気のある相手を見つけたことを確かめておく必要がある。
こうした探索作業は、フェロモンによるコミュニケーションを介して行われることが多い。
今回R Bentonたちは、ショウジョウバエの雄が定型的な求愛行動に入る際には、十分な食物が近くにあることも必要なことを見いだした。
研究チームは、最近発見された化学刺激によって開閉するイオンチャネルファミリーに属するイオンチャネル型受容体84aが、果実由来の芳香族化合物の感知と、定型的な求愛行動を制御するフェロモン感知ニューロン経路のゲート開閉の両方に重要であることを突き止めた。
嗅覚回路とフェロモン回路とのこのようなクロストークは、生殖行動と良好な採餌場所および産卵場所とを結びつける、従来知られていなかった進化的機構である。
Letters to Nature p.236
News and Views p.190
昆虫と人間の行動原理が同じはずが無いのはわかってはいるけど、、、これくらいしか、私には思いつかない。
でも、空腹はいずれは癒される。そうすりゃ、、、、、
「太陽がまぶしかったから人を殺した」で有名なカミュは、その後の「シジフォスの神話」の中で解説をしているのだが、、、、「異邦人」の発表直後、日本でも、文壇を二分してカンカンガクカクがあったらしい。そして、「シジフォスの神話」で決着を見る?のだが、、、、
シジフォスはゼウスから無間地獄で罰を与えられている神の一人で、その罰は、、、とりあえず省略するけど、傍目には、無意味な言いつけを延々と繰り返すというものだ。
カミュは、『これが人間が置かれた現実でもある。理性的に考えれば無意味なことを、シジフォスと同じように人間は生きるために必死でやらなければならないのだ。人間が生きているこの世界は実は、こうした不条理なものに満ちている』と。だから『太陽がまぶしくて人を殺すこともありうる』のだと。
ただ、シジフォスが、先見の明も持たず、ゼウスを怒らせるくらいのヤツなんだから、この“無意味な行為”のなかに、何かしらの“希望”を見出したのかもしれない。こういう解釈も可能だ。
そういう意味でも、医療と似ている・・・・・。こりゃまた失礼しました。