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3歳娘殺害:「川に落とした」24歳母逮捕 新潟・燕

シングルマザーの子供が内縁の夫に殺される。という事件は、生物のオスの習性として理解できる(許されるという意味ではない)。が、母親が腹を痛めて産んだ子を殺すというのは、他の生物でみられる現象ではない。一体、どういう理由で、こんな事が起こるのだろう。というわけで、色々考えたりしてみた。

その前に、シングルマザーの方から説明しとくと、、、、季節繁殖によらない繁殖を行う社会的な種において、生殖上の利害の対立から生じた結果である・・・メスの子供を新しい繁殖相手のオスが殺すことによって、メスはより早く繁殖可能状態を回復し、そのオスが自分自身の子供を作ることが可能となる・・・からである。


これに関しては、「乳首を吸う頻度は?」「アマージ錠2.5mg」あたりでも触れてるんだけど、子育てやってる時のメスは妊娠できないから、その子供を殺して、子育てから解放し、自分の子を宿させるって仕組みだ。人間の場合は、そんな簡単な話じゃないのはわかってるけど、ベース(脳の辺縁系)にあるのは間違いないだろう。ただし、ギリシャ神話や聖書や記紀をみても、自分の胤じゃない子供を殺す話はほとんど無い※ので、歴史以前から大っぴらに語れる行為ではないことは間違いない(秘密裏に実行せざるを得ない状況でのみ行われたようだ)。

※アウリスのイピゲネイアは、アガメムノンが我が子を生贄にする話だが、強奪のごとく娶った妻の前の夫の子だった可能性を残して、別の怖さの話にもなっているから、このテーマとは合わない。


でも、大っぴらに語れない行為というのは、後天的に獲得した価値観(オスの社会が作り上げた)だと思われるから、この辺が≪母親による実子殺し≫を考えるヒントになるのかも。


下の引用は、内縁の夫による子殺しの背景

どうして、ある種の動物の大人のオスは子供を殺すのか?(Why some male animals kill infants)

Science November 14 2014, Vol.346

いくつかの動物種の社会的行動において最も忌まわしい事柄の一つは、大人のオスが子供を殺すことである。

LukasとHuchardは、ネズミからマングース、コウモリから熊に至る多種多様な社会的システムを有する哺乳類のグループを観察した。

オスによる幼児殺しの行動は、季節繁殖によらない繁殖を行う社会的な種において、生殖上の利害の対立から生じた結果であるらしい。

メスの子供を新しい繁殖相手のオスが殺すことによって、メスはより早く繁殖可能状態を回復し、そのオスが自分自身の子供を作ることが可能となる。

進化的には、メスによるたった一つの効果的な防御方法は一妻多夫になることである。

すなわち、複数のオスとつがいになっているメスになることによって、どのオスもそのメスの子供が自分の子供かそうでないかを見分けることが困難になるからである。

The evolution of infanticide by males in mammalian societies (Science, this issue p. 841)

さて、タイトルの母親による実子殺しの件

3歳娘殺害:「川に落とした」24歳母逮捕 新潟・燕

毎日新聞 2014年11月20日 23時49分(最終更新 11月21日 01時09分)

 3歳の娘を川に落として殺害したとして、新潟県警捜査1課と燕署は20日、同県燕市吉田堤町、事務員、佐藤あゆみ容疑者(24)を殺人容疑で逮捕した。

 容疑は19日夜、同市吉田浜首町の西川にかかる橋の欄干から長女心優(みゆ)ちゃん(3)を落として殺害したとしている。容疑を認めているという。

 同署によると、佐藤容疑者は20日午前10時ごろ、同市内の病院で「目を離したすきに娘がいなくなった」と話したため、同署が病院や付近の川などを捜索。午後3時ごろ、橋から約1キロ下流で心優ちゃんが遺体で浮いているのを発見した。

育児に疲れて、我が子を殺そう・・・と思い詰めた女性は少なくないと思うのだが、実際は、なかなか実行できるものではない(女性じゃないから、ホントはよくわからない。性淘汰の書物を読むと、自分の利益が最大限になる為なら、産んだ子も殺す場合も考えられるのかもしれないが・・・ドーキンスによれば、生体は遺伝子の乗り物だから、自分のコピーが少なくなる方向の選択は考えずらい)。

ヒトは集団で生きていく事で、自分たちの利益を最大化した。採集、狩猟、のちに出現する園芸、農業は、集団行動のメリットが活かされる。その為、ヒトは地球上に数を増やしたのだが、増えれば当然、色んなことが起きる。得手不得手もある。掟を作って、大同小異、ほどほどに折り合いをつけるようになる。

生産性が向上し、スケールメリットが出てくると、役割分担が始まる。身分制度が出来上がる。余裕が出来ると「人間らしく生きるためには」などの思考を始め、道徳、宗教が出来上がる。

他人より、良いポジションを得たいために、我が子を良い地位につけたいために、他者に良く思われようとし、予め教育を施すようになる。個体間に差が出る。幼いころから将来が見えるようになる。

将来が自分の思い通りにならない状況では、厭世的になる個体も出現する。

現代では、他者に良く思われたい気持ちは、羨ましがられる気持ちとも重なる。子育て中でも遊びに出かけ、余裕があると思われたい。綺麗でいたい。他の男からも選ばれたい。他の女に勝ちたい。

子供の無い時代に出来ていたことが出来なくなることに劣等感を抱き(他者と自分との比較)、自分の楽しみ(利益)に対して評価できなくなる。他人の楽しみ(みんなでワイワイ)が、自分のそれよりも良いものだと感じる。あるいは、自分の周りの子育て中の母親と自分を比較し、自分に出来ていないことばかりに注意が向くようになる。

さらには、夫の胤より、不倫の胤の方が、将来、(金銭的)メリットが大きいかもしれないと考えたりして。


と、思いつくままに、書いてみたのだが、、、、、よくみれば、なぁ~んだ、どれもこれも、ヒトが多すぎるために起こることで、情報が多すぎることで起こりそうである。


「必要とされる前に価値がある情報は無い」とは、普段、薬学生へのレクチャーで耳にタコが出来るほど言ってることでもあるのだが、母親がホントに困る前から、知らないがゆえに不満が無い状況にあるときから、あれやこれやと情報の洪水で溺れさせ、知らないこと、出来ないこと、に対して不安をあおっている結果のようでもある。

結局、母親の実子殺しは、自分の価値観を信じられなくなるような、自分の価値観で生きていくと損をするような気にさせる、現代の教育環境に行く着くのかもしれない。

価値観は、人それぞれあってよいのは、生物学的な多様性がホモ・サピエンスが栄える為に必要なのもにも関わらず、そのことを教えず、道徳的、人道的な教育ばかりを優先させた結果、多様性が失われ、画一的になってしまったのではないだろうか。


というわけで、私は、小学校、中学校、高校と生物学を必修として、生物の持つ残酷な一面も隠さず(そもそも、世の中は弱肉強食ではなく適者生存なのだが、それとて、たまたま不適切だった個体には悲惨なハシナであるが、「どうして、悪い事もしてない私がこんな目に」などという気持ちにはならずに済む)、いかに、多様性のある価値観が大切かを教えることから始めたいと思っているのだが、どうだろうか?

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2014年11月21日 11:48に投稿されたエントリーのページです。

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